記憶の境目
「エル様、この後、何かご予定はありますか?」
メイド口調には自信がないが、所詮ご都合主義の乙女ゲームである。敬語さえなんとかなれば多分なんとかなる、そう言い聞かせて彼に質問する。
「そうね……、買い物しておこうかしら。折角の休日だし」
「何時頃になさいますか?」
「あなたが良いなら、今からでも良いわよ」
「では、用意をしてきます」
10分後に門の前で、と予定をとりつけ、エミリーは自室へと戻る。
見慣れない屋敷の中だというのに自室に迷わずに行けたのは、恐らく桜子という『存在』がメアリーになったのではなく、エミリー『自身』に生まれ変わったからなのだろう。伝わらないかもしれないが、桜子自身はそう片付けて、余所行きの服装に着替える。
「可愛いな……」
絵師の画力のおかげだが、姿見には花柄のワンピースを着た、物凄く可愛らしい女の子が映っている。
エミリーは、かなりルートによって性格が変わるのだが、中々に極端にキャラが変わる。恋敵になるルートではヤンデレで脅迫なども辞さないし、味方として出てくるときは、上司大好き甘々メイドだったり。
ただ一点変わらないのは、好きな人に対する独占欲が強いといった点。
『エル様に手を出したら、一思いに刺して差し上げるわ。第一、貴方が想いを告げたら苦しむのはエル様なのよ? はぁ? 冗談? 私の想いも知らないで。あの人の幸せがナにより大事なの、私にとっては」
個人的には本当に攻略したいという思いはあったのだが、かなり序盤でこれを言われ、主人公がエルピディオには一定の距離を置くようになるのだ。
「……私が、守るよ。エミリー。いや、今私がエミリーか。そっか」
そこで、ふと疑問が生まれる。桜子がエミリーならば、本来のエミリーは何処なのだろうか。
先ほどのエルピディオの会話でもわかるとおり、桜子以外のエミリーというのは確実に存在するはずであり、もっといえば、エミリーとエルピディオが登場するのは、10日以降のこと。ノベライスなどでも、本編より前の出来事の掘り下げは、2人に関してはされていない。
(あれ……?)
過去のことを考えてみると、エミリーの物しか出てこない。
昔は料理が下手糞だったこと。メイクをエルピディオに教えてもらったこと。学校では、数学のテストにおいては常に一番だったことに、イジメにあっていたこと。
(なんでなの?)
桜子としての思い出が、一つも思い出せない。自分は、いたって普通な女子高生の桜子であるという自覚は確かにある。なのに、バスに乗っていた、ということだけしか、もう遡れない。親の顔や声でさえ、上手く思い出せなくなっている。
下がり気味だった目線を鏡に戻してみる。淡い桃色の髪の毛に、深緑の瞳。エルピディオに選んでもらった、お気に入りのワンピース。
「……?」
頭の中が、なんだか可笑しい。自分がなんなのかが、上手く纏まらない。しかし、約束に遅れるのはメイドとしては絶対にやってはいけないことだろう。
パタパタとエミリーは部屋を駆け出した。