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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

世間は心を痛めない

作者: 霊闇レアン

 暑い。

 時折、足元を撫でる風が心地いい。同時に聞こえる、控えめに布が擦れ合う音も心地いい。

 瞼を通して白い光が瞳を刺激する。不規則に明るくなったり、少しだけ暗くなったりしている。

 それにしても暑い。

 伸びたり、縮んだり、寝返りを打ったりしてみるが、ちっとも効果はなかった。

 昨夜に晴れという予報を見てから下着しかつけていないというのに。


「窓、開けておくんだったかな」


 後悔などしていないのだけれど、呟いて起き上がる。

 蹴り飛ばされて隅に追いやられることが日課のタオルケット。こいつを畳みながら枕元の時計を見る。午前七時を四分ほど過ぎている。

 いつも通りの仕草。髪を手櫛で整えながら階下に向かう。


「おはよう」


 誰に向けたわけでもない言葉は、無人の居間へと吸い込まれた。

 テーブルの隅、そう決めたリモコンを持ち上げずに電源ボタンを押す。

 冷凍庫からご飯の入った茶碗と牛乳の瓶を取り出し、茶碗の温めを電子レンジに任せる。元々聞き流していたニュースは電子レンジの唸りで聞こえなくなった。

 食器棚からコップとバターロールを手に取りお盆へ移す。牛乳の瓶を開きっぱなしの冷凍庫にしまうと、一拍置いて電子レンジが高い音を鳴らして止まる。同時に音声が耳に届くが、相変わらず内容は入ってこない。


「いただきます」


 コップと茶碗の他には、丸い皿が一枚だけ。ホウレン草のおひたしと玉子焼き、焼き色のついたベーコンが隣り合って乗っている。

 固くなった玉子焼きも温め過ぎたご飯も毎日の出来事。

 冷蔵庫から出したばかりのおかずはほんの少し、体を冷ましてくれる気がする。


 何気なしに見ているニュースでは昨日、殺人があったことを伝えている。

 隣町、女子大生、夜、被害者のアパート、遺体には犯人のものと思われる体液。

 昔なら、家族が騒いでいただろうな、などと考える。家族は私を置いて父の転勤についていった。あれだけ懐いていた弟も思春期だったからか、私と二人で暮らすのをよしとしなかった。おかげで二階建ての家を一人で使えているから不満はない。掃除に苦労するくらいだ。


「ごちそうさまでした」


 食器を洗う間もニュースは見る。水音で聞こえはしない。テロップと映像だけでも十分内容はわかる。家を出る頃には大半は忘れているのだけれど。

 今は別の殺人についての情報が流れている。

 隣県、無職、殴打。

 毎日同じような内容ばかりを繰り返し伝える番組。

 洗い終えたので手を拭いてリモコンのボタンを押す。もちろん書かれている文字は電源。


 十五分ほど洗面所に篭り、薄めの化粧を施す。黒髪にピンクのブラはエロいな、なんて思うが相手もいないし好きなものを着けれていればいいだろう。

 用を足して部屋に戻る。夜のうちに用意してあるキャミソールとワンピースを着て、鞄を手に取る。真っ白で短めのワンピースはお気に入り。フリルが細かくて可愛いのだ。ベージュの鞄はくたびれてきているが、二年も使えばこんなものだろう。


「いってきます」


 玄関先で呟く。当然、振り向きはしない。手に違和感を感じるが、何もない。

 車のドアを開けると、立ち籠めた熱気が解放された。

 熱い。暑い。

 エンジンをかけると同時にエアコンのつまみをいっぱいに捻る。勢いよく吐き出される風は温いどころか熱いままだ。

 窓を全開にしたまま走り出し、数分も経つとエアコンも冷風を送ってくれるようになる。窓は閉めた。


 講義があろうとなかろうと八時半には大学に着くようにしている。

 田舎だから、それほど道は混まない。

 もちろん大通りを避けて通らないと通勤の渋滞にぶつかるから、田んぼの横をずっと行ける道を走るのだ。

 両脇は田んぼ。遠くには民家や山も見えるけれど、近くには田んぼしかない。風を感じながら走ると気持ちいいのだが、この時期は快適さを選んでしまう。


 途中、狐が道路の真ん中に横たわっていた。

 遠目には綺麗な状態に見えたが、車で跨ぐように通過する直前には飛び散った肉塊とこびりついた血の跡が見えた。

 農道ではよくある光景。可哀想だと思う気持ちはあるが、その度に供養しようとまでは思わない。

 月に何度も見かけるものだから、死体にも慣れてしまった。

 すぐに狐の死体は脳裏から離れ、大学の駐車場に着いた頃にはすっかり忘れてしまっていた。


 大学に着いて真っ先に見るのは掲示板だ。講義の変更から学生の呼び出しまで殆どがここに張り出される。もちろん大学関連の事件なんかも例外ではない。


「なにこれ」


 思わず呟いてしまった。


≪先週、スクールバス内で痴漢がありました。目撃情報や心当たりがありましたら学生部までお願いします。痴漢は犯罪です。この件に関係のない学生も節度ある行動をしましょう。――学生部≫


 スクールバスは学生以外の利用は禁止されているので、犯人は学生であるだろう。同じ地区から乗り合わせるから、スクールバス利用者はお互いに顔を覚えていることが殆どである。そんな中で痴漢、さらに捕まっていない。

 先週、一日だけ豪雨の日があった。急な雨になると自転車や原付の利用者もスクールバスを利用する。そういう時だけ、バス内はすし詰め状態になる。私も去年の春だけはスクールバスを利用していたからあの不快感は覚えている。

 きっとその日なんだろう。故意かはわからないが、私も胸に腕を押し付けられたまま大学までバスに揺られたことがある。周りに気付いている人もいたが、注意する人はいなかった。

 そんな事を痴漢と訴えた学生がいるんだろう。そう思い考えるのはここまでにして図書館に向かった。暇つぶしのために。


 午後から講義があり、夕方からは演習の打ち合わせをした。

 いずれも当たり障りのない内容で終わった。

 一人打ち合わせの途中で帰った男がいたので、男の担当箇所を考察するのに時間がかかり帰りは夜になった。


 打ち合わせが始まって間も無く、男は皆と飲みに行きたいと言った。これも学生の醍醐味ということで、演習が全て終わったら開催されることになった。男は嬉しそうにそれなら今日の帰りはどうするかと聞いてきた。

 もちろん飲み会がないのだから帰るだけだと皆が口を揃えたところで男はふて腐れて帰った。まだ始まったばかりなのだが。一瞬笑ったようにも見えたが、飲み会を取り付けたことへの達成感だったのだろうか。

 演習の班員は男が一人で女が三人。私以外の二人は控えめに言って可愛い。小動物のような童顔の子とこれぞ美人といった子なのだ。羨ましい。私が勝っているのは胸の大きさくらい。それも大したものではない。悔しい。


「おつかれさま」


 図書館で解散し、車に乗り込む。

 今日の夕食はどの作り置きにしようか考えて空腹を加速させていると、農道手前の交差点で交通整理をしている様子が見えた。

 大通りを通るにも農道を行くにも交差点が絡むのでそのまま車を走らせる。


 救急車が二台と消防車が二台、警察車両が四台と随分大きな事故があったらしい。警察車両のヘッドライトに照らされている車が一台、バンパーが凹んでいる。担架が運ばれているから、人身事故なのだろう。それにしては出動数が多いように見えるが、素人なので詳しくはわからない。


 交通整理も警察の仕事、手際がいい。それほど待たずに交差点を抜けることができた。残念なことに大通りしか通れないようだったので、大人しく従った。前の車は何か掛け合っていたようだが。警察も大変だ。

 私も疲れている。当たり障りのない話し合いで一人の穴を埋めるのは意外と苦労するものだ。


「ただいま」


 車の鍵を持ち玄関扉を開ける。

 残す挨拶は二つ。食事と就寝だけ。それで今日が終わる。

 明日もまた今日のような日が来るのだろう。

 大学では痴漢騒ぎも、大学の敷地に熊の足跡があった時と同等の認識のようだったし、事故も珍しくない。

 飛ばしやすいから、検挙数も多い。

 思えば死体にも出会っていたんだっけ。次は狸かもしれない。

 珍しくない。ありふれた日常。

 可哀想だとは思うけれど、私は痛くないから、気にならない。


「いただきます」


 これで今日の挨拶はあと二つ。

 作り置きの煮物を温めて食べる。

 ニュースでは今朝と同じものが流れていた。

 犯人は未だ見つからず、戸締りをしっかり、注意を呼びかけています。


「ごちそうさまでした」


 一通りの家事を終えてお風呂に入る。

 熱いシャワーを浴びると、汗と一緒に疲れも流れていく気がした。

 ぬるま湯に浸かり、明日の服装を考える。

 たまにはデニムでも履こうか、せっかくならオーバーオールなんてどうだろう、いやでも新品のスカートがあったな。

 結局、そんな思考を巡らせながら浴室を出た。


 髪がやや湿っている程度まで乾かして下着をつける。

 用を足した後でコップ一杯の水を飲み、階段を登る。

 暑い。

 基本的に夜はすべて終えてから部屋に戻る。

 何度も行き来するのは疲れてしまうから。そしてこの時期は動きたくないから。

 二階の部屋を中継する踊り場はそれなりに暑い。

 締め切った部屋はもっと篭っているだろう。入ったら即座に窓を開けてベッドに飛び込んでやる。

 快適な夜のシュミレートを済ませ、勢いよく扉を開ける。


 熱気よりも先に何かが飛び込んできた。


「かはっ」


 情けない声が出る。

 一瞬のことだったが、私は天井を仰いでいた。さらに何かで口が塞がっているのか、悲鳴が声にならない。

 背中が痛い。

 わけがわからないまま起き上がろうとするが上半身がまるで動かない。

 手足をバタつかせ暴れるが、拘束を振り解けはしなかった。

 尚も抵抗しようとした時、首に冷たい感覚が、刃物だ、見えはしないがわかってしまった。

 抵抗が無駄だとわかったので力を抜くといやに冷静なれた。状況がわかり始める。

 場所は踊り場、乗り掛かる人間、荒い息、刃物。

 声を出そうにも抑えられているし、腕力では敵わなかった。

 交渉するしかない、行為をすれば満足するか、目で訴えようと相手の顔を見ると、目の前の人間は夕方に見た男だった。演習の班員。


 全てを悟ってしまった。

 男は私のパジャマを剥ぎ、怒張した下半身を押し付けている。

 刃物でブラ紐を切り落とし、下も同様にするつもりらしい。

 これから私がされることを思い描き、思う。



 ――あぁ、珍しくない。


 涙が耳を濡らした。

お読みいただきありがとうございます。

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Twitter @yoiyamirean

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