教える魔王様!
最初に私を襲ったのは敵の剣ではなく、自責の念であった。礼を尽くすと決めたのに、非礼なことを言ってしまったこと。敵の動きに対処する手筈であったのに、不用意に兵を動かしてしまったこと。
(…私らしくもない…!)
これは私が思い描く私ではない。常に冷静で大局を見誤らない。それが指揮官としての私であるべきなのだ。なのにそれを乱してしまった。私は…もう…。
「団長!お下がりください!!」
両脇に控えていた兵士達が前に出る。その背中の先に大きな影が迫ってきているのが見えた。
「ぐわっ!」
刹那、私の前に出た兵士達の体が真っ二つに裂かれた。何が起こったかわからない。ただ本能が、戦士としての勘が、このままでは死ぬと訴えていた。
「貰った!!」
呆然とした敵を討つのは趣味ではない。しかも上玉の女とくれば尚更だ。しかし、ここでこの女を倒さなくては俺の兵士に余計な被害が出る。アルトリリスが混乱している今が、討ち取る最大の好機なのだ。リリアンテューヌが取り巻きを薙ぎ払う。そして出来た道を俺は駆け抜けた。俺とアルトリリスの間合いが詰まる。剣を振るえば首が飛ぶ距離まで来た。貰った。思わずそう叫んでしまう。
「くっ!」
意識する前に体が動いた。敵の剣を私の剣が受け止める。虚をつかれたことと、敵の攻撃が凄まじかったため、私の体が馬上から後方に数メートルほど吹き飛ばされた。だが。
(生きている…!!)
九死に一生とはまさにこのことであった。これまで数多の死線をくぐり抜けてきたが、これほどまで死を感じた瞬間はない。生きていることが奇跡だ。これは私の加護のおかげか、もしくはただの運か。何にせよ私はまだ生きている。
そこまで思って気がついた。つい数十秒前まで私は死にたいと思うまでに絶望していたのに、今は生きていることに強く感謝している。
(私は死にたくないのだな。)
私の我儘には程々呆れがでる。だが、確かに私はここで死ぬわけにはいかない。私が死んだら私を守ろうとした兵の魂は、私の無茶な命令のために敵に突撃している兵士達はどうなる。今からでも遅くない。進軍を止め、敵の動きに対処できるように陣形を立て直さなくては。
「全軍!とまーー。」
「遅いな。」
インヴェルノ軍前衛の足元から爆発が起こった。
(とりあえずは作戦通りだな。)
アルトリリスが激昂したのも、無茶な命令を出したのも、全部彼女のせいでは無い。最初一目彼女を見た時ある直感が頭をよぎったのだ。それはあの女はクールに見えて、実は熱い人物ではないかというもの。この時点ではただの勘でしかなかった。確証が得られたのは直接話をしてからだ。だが、俺たちにはこれに賭けるしかなかった。この相手を怒らせるという作戦に。
別にやり方は簡単だ。実はリリアンテューヌには無限の体力以外にある特殊能力がある。それはフェロモンを出すというもの。
フェロンとは動物や虫などが分泌する生理機能に特有の反応もたらすものである。言葉を持たない虫が仲間に情報を知らせる際に、フェロモンを分泌しているという話はよく知られている。それ以外にも乳児が母親に安心するというのもフェロモンによる効果であると言われている。
リリアンテューヌはそのフェロモンを操る事ができるのだ。アルトリリスはこのリリアンテューヌが分泌した攻撃フェロモンや警戒フェロモンなどを組み合わせた、「闘争フェロモン」と名付けられたフェロモンの影響下にあった。だから些細なことに腹を立て、冷静でいることができなかったのだ。
(だけどまさかあのタイミングで我に帰るとはなぁ。)
敵軍突撃させるとこまでは良かったのだが、肝心のアルトリリス自身が来なかった。冷静さを欠いた状態で俺の前に立ってくれたのなら、どうこうするのも思いのままだった。たが、そうはならず彼女はただ呆然とするばかりだった。その理由は恐らく効果が切れたのだろう。リリアンテューヌは不器用であるため、意識的に特定のフェロモンを出し続けるというのは得意ではない。尋常ではないくらいの集中力を使うのだ。だからこそ普段どんな相手にも食って掛かる彼女が、アルトリリスの前では黙りだった。そして突撃のて命令を下した時に集中力が切れてしまい、冷静になった。冷えた頭で自分がやってしまったことに絶望してしまったということなのだろう。
(ま、結果として地雷原に誘い込めたんだ。上々だな。)
無茶な注文をしたというのは承知の上だ。リリアンテューヌは「頑張ります!必ず期待に応えてみせます!!」なんて言ったが、正直言って上手くいくかは半信半疑だった。失敗したならそれはそれで構わなかっが、結果としては作戦通りに事が運んでいる。アルトリリス自身をどうにか出来なかったのはちょっとイタいが、今は良しとしよう。
「なっ!地雷だと!?一体いつ!?」
驚かずにはいられない。この場所には私達が最初に着いていた。それ以前に魔族が立ち寄った形跡は無く、陣を張った後は警戒を怠っていない。地雷など仕掛ける隙など存在しなかったはずだ。
地雷はどんどん爆発していく。第一陣から我が軍後方へと。時差式?しかし一体どうやって。
(探知班が手を抜いていたわけでもあるまい!)
仮にその隙があったとするならば、それは魔法を用いての設置であるだろう。しかし魔法探知にそれらしき反応は無かった。探知をしている魔術師達から連絡がないのがその証拠だ。
「一体何をした!魔王!!」
すごく単純な話だ。インヴェルノ王国、いや共和国は魔法大国だ。こと魔法においては他国に秀でた部分がある。そんなあいてに生半可な魔法を使っても、すぐ察知され、対策を立てられるだろう。
「だから人力で地雷を設置したんだよ。」
「!?」
アルトリリスが訳が分からないと言いたそうだ。そりゃそうだろうな、人間が考えられることなんざ、人間ができる範囲内までだ。だが魔族は違う。人間ができないことを容易く成し遂げられる。例えば今回の地雷を仕掛けた奴ら。あいつらも人ならざる力を持っている。
「アルトリリス。土竜って知ってるか?」
「?…!!」
気づいたようだな。モグラ。モグラ科の生物で、土の中で暮らしていることでよく知られている。しかし本来のモグラはそれほど穴を掘るわけでなく、先祖代々から受け継がれたトンネルを縄張りにしているに過ぎない。だが、モグラ獣人となれば話は別だ。彼らは穴掘りを得意としている。しかもその速さが尋常ではない。硬い岩盤をまるでプリンをすくうかの如くに掘り進めるのだ。しかも通常のモグラが鼻先の触覚で物を認識するのに対し、こいつらは視覚以外の五感を用いて、物事を認識する。
1発目。敵の前衛を爆破した地雷は俺を目安に設置した物。俺の声がする所から左右に展開し、適当な場所に地雷を設置する。自分の掘った穴を目安に前後左右を認識しているから、ミスする可能性は少ない。実際良くやってくれたと思うぜ。
そっからの地雷は足音のする方へと設置するよう指示した。敵には鎧のガッチャンガッチャンいう音も聞こえるはずだから、よく聞いて間違えないようにと、念も押した。多少こちらへの誤爆もあるかなと危惧していたが、今のところそれはない。後でしっかりと労ってやんないとな。
「というわけだ。」
全部を説明したわけではないが、モグラ獣人を使ったということは教えてやった。
「いい作戦だろ?まぁいつもの通りのお前ならこの策も見破られていたかもしんないがな。」
だからこそ。前提条件としてアルトリリスを怒らせる必要があった。じゃなきゃフェロモン作戦なんて興が削がれるモノを使うなどありえない。
「…やはり私の様子がおかしくなったのも、貴様らのせいか…!!」
今度は自然な怒りだろうな。自分を弄ばれたこと。高潔な騎士様からすれば、腸が煮えくりかえることだろうよ。
アルトリリスは今にも俺に飛びかかって来そうな勢いであった。俺としてもそれは望むことであり、刺激的な戦いになりそうで楽しみなのだが、今は指揮官としての本分を全うするとしよう。
「その気になってるとこ悪いが、周りをよく見てみろ。お前の兵士を放っておいていいのか?」
わざわざ無意味に説明会を開いたわけではない。アルトリリスの注意をこちらに向けさせるための罠だ。人は自分が分からないことに直面した時、それを知ろうとする知識欲が湧く。それは時として何にも変え難い欲となり、自身を支配するのだ。先程までのアルトリリスがそうであったようにな。
「しまった!」
魔王に言われるまで、私は意識していなかった。これも彼のせいだろうか。そうだと信じたいという心が私の中で大きくなる。
周囲に目を向けると、まるで地獄絵図であった。地面から花火が上がる度に、人が宙を舞う。血しぶきと閃光があたり一面に広がり、白い雪を染め上げていった。横たわった馬の死体から恐らく騎馬隊は全滅。槍兵、剣兵も下からの攻撃には対処しようがない。逃げ惑う味方のせいで弓隊も機能していない。もはや数の有利など微塵もなかった。
「全軍!後退!後退!」
私は無我夢中で叫んだ。恥も外聞もない。ただこれ以上私の兵士が、私のせいで死んで欲しくないためだけに叫んだ。彼らの元へ必死に駆け寄る。阿鼻叫喚で、私の声が聞こえている者など恐らくいないだろう。一刻も早く彼らの元へ辿り着かなくては…。
「だから遅いって。」
轟音が通り過ぎた。人の波、いや魔物の波が私の横を通過したのだ。狼、虎、猪、鬼。様々な頭の怪物が右往左往する我が軍へと殺到する。ただでさえ軍としての体面を保っていられない彼らに、この猛攻を耐えられるほどの力は残ってはいない。
蹂躙が始まった。虐殺が始まった。殲滅が始まった。人間の常識を超えた存在がどんどんと押し寄せてくる。
斧で体を真っ二つにされた者がいた。素手で体を引きちぎられた者がいた。頭を握りつぶされた者がいた。引き裂かれ、食いちぎられ、内蔵を抉られ。ありとあらゆる方法で人間が死んでいく。
わたしはただみていただけだった。
(…何故私を殺さない…?)
戦意も生気を失せ、膝を屈して涙を流すことしかできない人間を。私を手にかけようとする者はいなかった。抵抗できない私を、団長である私を、誰も討ち取ろうとしなかった。まるでアルトリリス・ウォン・パーンヴァルという人間など存在しないと言わんばかりであった。
「お前は殺さない。」
涙に濡れた目で後ろを見る。いつの間にか馬から降りていた剣崎秋斗が、私の後ろに立っていた。
「ころ…さない…?」
心が折れたようだな。この女からはもはや反抗の意思が感じられない。この惨劇を見て、もう戦う意思はないのだろう。
しかし、この行為は責任放棄以外の何物でもない。実際の所、まだ戦線は維持されているのだ。後方の部隊、魔導師や混乱から立ち直った奴らが抵抗を続けている。だが、彼女からはその様子が見えない。目の前の絶望が目を曇らせているのもあるが、万を超える死体の瓦礫に阻まれて、遠くが見えないというが大きな理由であろう。何にせよこちらにとっては好都合だがな。
「首都に戻って大統領とやらに伝えるといい。魔王が来たとな。お前はその生き証人にしてやる。」
これは半分嘘だ。これだけの理由だったら何も彼女でなくてもいい。アルトリリスを指名したのは他にも理由がある。ま、それはおいおい説明するとしよう。
「…せ!」
アルトリリスが何かを呟く。
「…なんだ?」
「殺せ!もはや私が生きていることに意義などない!それに戻ったところでどうせ…。」
処刑、もしくは自害を強いられるか…。2万人の兵をむざむざ死なせましたとなりゃ、普通はそうだろうな。だが、この女には生きてもらわなきゃ困る。あまり好きじゃないが、三文芝居をやるとしよう。
「それは逃げだぜ。刺激的じゃねぇ。ここであんたが死ねば、散っていった奴らが本当に犬死になっちまう。最後の責任を行うべきだ。あんたは司令官として、彼らの勇姿を皆に伝える義務があるばすだ。それなのに…それでも死にたいというのか…?」
我ながら虫のいい話だな。この惨状を作り出しておいて、あたかもその責任が彼女にあるかのように言っている。通常ならばこんな言葉に惑わされないだろう。だが、
「……わかった。」
だが、今の彼女は普通じゃない。俺の拙い言葉に見事乗せられてくれた。アルトリリスは俯いたまま馬を呼び、またがる。
「こっから北東のほうに残っている兵がいるはずだ。そいつらと合流し、引き上げろ。安心しな。軍備を整える時間はやるからよ。1度ゆっくり休んで、英気を養うんだな。」
「……感謝する…。」
そう一言言ってアルトリリスは味方の方へと馬を歩かせた。…感謝する…か…。本当に参ってんだな。なんか罪悪感が湧いてきた。だけど、ここまで来たらもう止められない。俺は魔導通信機を使い、戦闘の中止と、即時後退、そしてアルトリリスを通してやるよう連絡した。
これでインヴェルノ共和国侵略の第一段階は終わった。恐らくもう大規模戦闘は無いだろう。こっからは策謀の戦いとなる。
「あんま刺激的じゃねぇけど、仕方ない。」
俺は頭を掻きながら味方に合流すべく馬に乗った。