青年への鎮魂歌(1)
「お疲れさま。見張り替わるよ」
「ああ、もうそんな時間か。悪いねノース」
夜も更け、早い家では明かりが消え始めているが、見張りを途絶えさせるわけにはいかない。
今日の夜から朝方にかけての担当はノースだ。
「ここまでは何ら異常はなしだったよ。それじゃあ頑張ってくれ」
「はいはい、りょうか――」
ノースは言葉を途中で切る。
何か異様な気配を森の中から感じたのだ。
交代するはずだったエルフの青年も同じものを感じたようで、森の方を向いて口を開く。
「何だ今のは…… 長くこの村で暮らしてきてたがこんなことは初めてだ」
「わからないなら確かめに行くしかないね。悪いけど、もう少しここの見張りを頼んだよ!!」
「わかった!! 何かあったら合図を出すから急いで戻ってきてくれ」
「了解!!」
見張り台の梯子を急いで下り、一直線に森へと向かう。
ノースが村から離れるのは危険だが、得体の知れないものを放置して気付いた時には手遅れなど笑い話にもならない。
※※
森にたどり着いたノースだったがすぐに異変に気付く。
「おかしい……動物どころか魔物すらいないなんて」
辺りは不気味なほど静かだ。
夜になれば魔物は活発になる。
その魔物すら出てこないという事は……
「魔物より怖ろしいものがいるかもってことだよな」
あまりしたくはない想像だが、それが一番可能性としては高いだろう。
ノースは伝説の英雄ではない。
聖剣など持っていないし、剣の腕前など素人に毛が生えた程度だ。
そんなものに出くわせば後は神に祈りながら逃げるしかない。
まあそこまで力量差がある相手なら逃げることすら叶わないだろうが。
それでも異変の原因を調べるために森の中を歩いていくと、辺りの景色が急に変わる。
木々が無くなり、見晴らしが良くなったここは狩りの時にノースが休憩場所として使っている場所だ。
自然が造った広場ともいえるここは、太陽が昇っている間は花々が輝きとても美しい。
だが、こうして夜になって訪れるとその異質さが際立つのかどこか不気味だ。
普段ならそうでもないのかもしれないが、今は静けさと相まってそう感じてしまう。
別の場所に行こうと、止まっていた足を再び動かし始めようとしたその時、
「……おぉい」
「!? 誰かいるのか!?」
「……ここだぁ」
声のする方をよく見ると、そこには一人の少女が木を背にして座り込んでいた。
「おい、大丈夫か!?」
「うむ……別に怪我をしている訳ではない」
少女は両手で腹を押さえているが出血をしている様子はない。
言葉通り、少なくとも見える位置に外傷は見当たらない。
しかしノースは少女の顔を――正確には額の辺りを見て驚いてしまう。
「お前、頭に角が……」
「やはりここでもコレは珍しいのか」
「すまない。気を悪くさせたか??」
「構わぬ。その程度で怒るほど器は狭くないわ」
古臭い男口調、袖もなく丈も膝の上までしかない布を交差させただけの簡素な服、歳はノースと同じかそれより少し下だろう。
身長は普通だが、その他の発育は良いようだ。一部の部位が薄い服の下でこれでもかと自己主張している。
怖ろしいほど整った顔には勝気な笑みを浮かべ、セミロングの赤い髪と合わさり活発な印象をこちらに与えてくる。
そうしてそれらを押さえ一番目を惹かれるのが、額から生える二本の黒角だ。
「ワシの名はホムラドウジ。オオエヤマの首領にしてオニを束ねる族長なり」
「オニとかオオエヤマとか全く聞いたことがない単語がぞろぞろと……」
「むぅ、やはり伝わらんか。まあ良い。して、お主の名は何というのだ」
「俺はノースだ。近くの村に住んでるだが、森の中に妙な気配を感じてな。今はそれを急いで調査中のところだ」
「なるほど、ならばすまぬことをしたな。ワシも先ほどまでは感じていたが、お主を見つけた辺りで途絶えたは」
「えっ?? ……本当だ。気配が無くなっている」
先ほどまでの気配は嘘のように消えていた。
正体を掴めなかったのは気がかりだが、消えたというなら仕方がない。
「とりあえずは様子を見るか。それで、ホムラドウジ」
「長い、お主も言いにくかろう。ホムラで良い」
「それじゃあホムラ。お前は何だってこんなところにいるんだ?? 女がこんな時間に一人で、しかも森の中だなんて普通じゃないぞ」
「ううむ、その質問に答えるのは吝かではないが。その前に一つ良いかのう??」
「?? 何だ」
「腹が空いて死にそうでな。何か食えるものはもってないかのう」
※※
「それじゃあお前は、気が付いたらここにいて。その前は違う世界にいたと」
「(もきゅもきゅ)まあそんな感じじゃな。正確に言えばこちらに来たのはワシの意志でもあった。(パクパク)ただそれが急すぎただけじゃ」
「ふーん……」
見張りに行くならと夜食用にピュセルが作ってくれたサンドイッチがこんな風に活躍をするとは思わなかった。
ホムラはこれまでの経緯を話しながらチビチビと少しづつだがサンドイッチを平らげていく。
「まあ信じられぬのも無理はなかろう。ワシだってお主の立場なら傑作だと笑って切り捨てる。しかし事実じゃ」
「そう言われてもなあ。確かにお前の服も珍しいし、遠くから来たと言われたら信じるんだが。異世界から来たってのはなあ」
「良い。それよりもこちらからも一つ質問してもよいか」
「ああ、俺に答えられるものならいいぞ」
「では遠慮なく」
そこでホムラは食べる手を止め、どこか余裕を感じさせる笑顔から一転、まるで品定めをするかのような表情になる。
「ノース。お主にはワシが何に見える??」
「何って、人……ではないよな。だけど角の生えた亜人なんて竜人ドラゴニュートくらいしか聞いたことがないしな」
「そうじゃな、確かにワシは人ではない。まあその竜人という奴でもないがのう。それで、貴様はどう思う」
ホムラの問いかけは抽象的過ぎて、要領に欠ける。
言葉に詰まっていると、それを察したのか更にいくつか付け加えてくる。
「ワシはおそらくお前が知らん種族じゃ。目の前にいるのは得体のしれないもの。それについてどう思うかということじゃ」
「あー、なるほどね」
要はこう言いたいのだろう。得体のしれない自分が怖くないのか。怪しいと思わないのか。
そう言われても、ここまで危機感無く接してきて急に警戒しろというのも中々難しい。
そもそもホムラは見た目は美少女で、変わってはいるがこちらに友好的、空腹で倒れるほど弱っていた。
「俺に危害を加えようともしないし、そこまで警戒はしないよ。見た目が違うのなんか種族が違えば当たり前だし。うちの村にだって何人もいるさ」
「そんなものか。この世界の人間の独特な感想じゃ。うむ、参考になった。礼を言おう」
「どういたしまして……、ってそうだ忘れてた!!」
変わった少女と会って忘れかけていたが今は森の中は危険だ。
村の事も気になるし、森の異変も収まったのなら早く戻らなければならない。
「おい、ホムラ。今は森の魔物が興奮していて危険なんだ。行く当てがないのならとりあえずうちの村に来るか??」
「魅力的な提案じゃな。確かにワシは行く当ても頼りもない、か弱い女子おなごだ。じゃが、ほれ。見てのとおりワシは今食事中だ」
再び手を動かし始めたホムラは小さくちぎったパンを咀嚼していく。
ホムラが食べ終わるのを待っていたら小一時間はかかるだろう。
「いやいや、歩きながら食べてもいいし。とにかく危ないから冗談言ってないで立ってくれ」
「たわけ、そんなはしたない真似できるはずがないじゃろう。ワシの事は構わんでいい。先に村に戻れ」
「だから今は森が危険だって言っただろう」
「それこそいらぬ心配じゃ。先ほどから、魔物も動物も近くにはおらぬではないか」
「確かにそうだけど……」
ホムラの言う通り、相変わらず森は静寂に包まれており魔物たちが動き始めた様子はない。
魔物たちがいないのは謎の気配とは関係がなかったようだ。
それでも森の中に女の子を一人で置いて帰るのはまずいと何とか説得しようとしたのだが、それを遮るかのようにホムラが口を開く。
「質問の礼だ。一つ教えてやろう。魔物は近くにはおらぬが、いくらか森を抜けようとしているようじゃ。お主の村があちらの方にあるのだとしたら危険かもしれぬぞ」
そう言ってホムラが指さす方向は、まさにノースの村がある方角だ。
空を見上げるが合図は上がっていない。
ホムラの言っていることが本当だとしてもまだ魔物は村まで辿り着いていないようだ。
「その顔を見るにどうやら合っていたらしいな。急げ、ワシも食べ終えたら向かわせてもらう。女子が一緒では足手まといだろう」
「……冗談ってわけではなさそうだし信じるしかないな。村が安全になったら迎えに来るからそれまではここで大人しくしておけ!!」
言うだけ言って返事は待たずに、ノースは村へと戻る為走り出す。
※※
走り出していく青年を見送った後、私は手に持ったサンドイッチを一口で飲み込む。
短い時間ではあったが、得られるものはあった。
私がこの世界に来た目的を考えれば、これは大きな前進と言える。
「まあ彼が変わり者なだけかもしれないし、まだまだわからないわね」
面白い青年だ。人の為に行動することを躊躇わない純粋な子。
だけど―――それ故に――
彼は辛い思いをするかもしれない。
今はまだわからなくてもそのうち知ってしまう。
早ければ今日にでも。
「それでも願うわ、異界の友よ。貴方の、そして私たちの未来に幸せが訪れることを」
質問の礼は返したが、パンのお礼はまだしていない。
大江山の大将にして鬼の首領、焔童子
鬼は恩には報いるものだ。