6話 0日目:夜 【夫】夕食と衝撃(下)
【続・アダム視点】
デザートを食べた後。
僕は彼女に聞いた。
「なぁ、アナ、何かしてほしい事はあるかい?」
ただの思いつきだ。
彼女のご機嫌を取ろうとした目的もある。
だが、彼女は目を見開き、口に手を当てる。
信じられない物を見るような目で僕を見つめる。
なんだ?なんだ?
僕が何かしたのか?
「まぁ!アダム。
まさか私を気持ちを買収するおつもりですか?
私が受けた侮辱をそんな軽いものと思ってるのですか?
そうでしたら筋違いもいいものです。
私の感情は、お金で解決できる問題ではありませんわ!
どれ程黄金を積まれても、断じてそんなことはありません!」
しまった!
僕は慌てて。
「勿論、君の精神的喪失を金で買収つもりじゃないよ。
ただ、それとは別に、何かしらの償いはしたいんだよ。
そう、それは僕の気持ちだと思ってくれればいいから。
君の気持ちがそれぐらいでは揺るがない事はちゃんと認識してるさ。
だって、君はとても優しくて、良い子だから」
「アダム。はっきりいっておきますわ。
いいつくろっても無駄です。
今、あなたは私の心をあろうことか、お金で買収しようとしたのです。
その本心が私には痛いほど伝わってきました。
なんという事でしょう?
あぁー、なんという事でしょう?
あなたからそんなそんな事を言われるとは思ってもいませんでした。
気のせいか、視界が暗くなったようにも思えます」
彼女は瞳を震わせ、額に手をあてる。
慌てて、カミルが。
「奥様、大丈夫ですか?お気を確かに」
「大丈夫よ、大丈夫、カミル。
アダムがあんまりな事をいうものだから、天と地がひっくりかえったかと思ったの」
な、なんだ?
僕は彼女の地雷かなにかを踏んでしまったのだろうか。
それとも、彼女の気持ちが不安定なのか。
とにかく、挽回しないと。
「な、な。それは誤解だよ。
君は言葉を重く取りすぎだし、考えすぎだ。
僕はただ・・」
僕が次の言葉を言う前に、息継ぎの間にアナは割り込んでくる。
「まぁまぁ!私のせいになさるのですか?
私を侮辱したご自身の発言を、あろうことか私のせいにするのですか?
そんな・・・・。
アダム、あなたって人は。
なんてあさましいのですか!恥を知りなさい!恥を!」
僕を糾弾するアナ。
「ちが、違うって。
アナ、興奮するのはよしてくれ。
ただ僕は、君を喜ばしたかっただけで」
だが、アナは僕を睨みつけてとまらない。
「私はお金を貰って喜ぶような安い女ではありませんわ!
そんな女がほしいのでしたら、スラムでも言って買ってきたらどうですか?
伯爵の身分とお金があれば、さぞ入れ食いでしょうに。選り取り緑ですわね。
さぞお楽しみ頂けるでしょう」
どんどん興奮するアナ。
僕は頭が痛くなってきたが、なんとか説得を試みる。
「アナ、悪かったよ。
でも、誤解なんだ。頼むから、少し落ち着こう。
頭を冷やした方が良い。
そうだ、昼に食べた、「ショコラ」を食べよう」
僕は今のやりとりに固まっているメイドの一人に、ショコラを持ってくるように頼んだ。
メイドは一瞬反応が遅れたが、「はい、アダム様」と言い部屋を出て行く。
しかし、妻は僕の提案には反対のようだ。
「アダム!
お金の次は食べ物で買収ですか。
どんだけ私を侮辱すればすむのですか。
一体、私をなんだと思っているのですか?」
「いや、だから。そんなつもりではなくて。
僕はただ、君に喜んで貰いたくて。
だからショコラで、それにちょっと熱くなってきただろ。
クールダウンしよう。
勿論、君のことは大事に思ってるよ」
「本当に大事に思ってるなら、そんな事はいいません!
アダム、あなた嘘をついているのです。
私に嘘をね」
「違う、そんなことないよ。
それに、ほら、冷静になろうよ、冷静に」
「私はずっと冷静ですよ。
一度も感情を高ぶらせた事はありません。
アダムのほうこそ落ち着いてください」
「そ、そうか」
そうこうしていると、ショコラが運ばれてきたので、それを口にする。
シーンと静まり返った中、完食する。
アナは嬉しそうに食べている。
ふぅー、よかった。
どうやら少し落ちついてきたようだ。
僕を再び話題を探すようにして。
「アナ、さっきは悪かった」
「いいですよ。私も方も少し気が立っていました。
ショコラは美味しかったですし」
ふぅー、一安心。
良かった、良かった。
彼女も気持ちが落ち着いたようだ。
「それじゃ、アナ。これは金や物で君をつるわけじゃないんだけど。
そんな気持ちは微塵もないんだけど。
僕に何かして欲しいことはあるかい?」
「そうですねー」っと彼女は考えるそぶりを見せて。
「では、離婚してください!」
ケロっとした顔で、そう告げた。
「えっ!」
僕は手に持っていたコップを机の上で倒してしまう。
お茶がぽたぽたと床に垂れる。
直ぐにメイドがかけつけフキンでふきとる。
彼女、アナは今なんといったのか?
僕には、「離婚して欲しい」と聞こえた。
そんなバカな。
僕達は結婚3年目で熱愛というわけじゃないけど、そこそこ上手く行っているはず。
そんな重大発言をしたのに、彼女はいつもどおり微笑んでいる。
「嘘よ」「冗談だよ☆」とかわいい言葉が続くかと思ったが。
いくら待っても彼女の口を開かない。
痺れを切らした僕は。
「アナ。確認したいんだけど、今、離婚して欲しい、といったかい?」
「ええ、そうですよ。
あなたがぼーっとしていたみたいなので、一瞬よく聞こえなかったのかと心配しましたわ。
聞こえていて何よりです」
彼女はさらりと言ってのける。
さも当然の様に。
僕は理解が追いつかないというのに。
「なんで急にそんな事?」
「急ではないです。
私は最近、ずっと上手くいっていないと感じていました。
微細な想いを募らせる毎日でした。
ですが今日の一件で、その思いに決着をつけたのです」
彼女は、自分の心の整理がついて誇らしげだ。
まるで戦争に勝った将軍のよう。
「え、なんでそんな事?」
「同じ事を繰り返さないで下さいまし」
彼女に注意されて、僕は同じ言葉を繰り返していることに気づいた。
「でも、その、僕は上手くいっていると思ってた」
「それなら、それは問題ですわ。
私たちの間の溝に気づかないなんて。夫失格です」
「それはそうだけど、いや、それなら謝るよ。
でも、僕は離婚する気は無い。
それに簡単にできるわけないだろ。
平民同士の結婚じゃないんだ。
僕らは貴族だ。他の契約もある。
その、本当は何かの冗談だろ?嘘なんだろ?嘘っ子だろ」
「いいえ、本気です」
僕は喉が渇いてきて、メイドが進める水を飲んだ。
すると、急に眠気に押された。
時間を見るとまだ21時だと言うのに。
でも、これはチャンスだと思った。
今はこの話を僕は処理できない。
それなら時間を空ける理由が欲しかった。
「アナ、悪いがこの話はまたにしてくれないか?
今日は疲れたんだ。
色々あったんだ。
君も疲れているんと思うし」
アナは微笑むと。
「あらあらアダム。
そうですね。とっても眠そうだわ。
目をしばしばしているもの。
でも、話をそらさないで下さいまし。
私の事がそんなに嫌いなのですか」
眠気のためか、頭に彼女の言葉が響く。
「はぁ、何を言ってるんだ。
好きに決まってるだろ。
愛してるさ」
「そうですか。それなら、信頼しているのでしたら、サインして下さい。
名前を書いただけでは離婚届は認められませんので、いいですね?」
「なんでそんな事?
僕は離婚する気なんかないのに」
「それでしたらなんの問題もありません。
ただ、その誓いとして欲しいだけです。
私の事を愛しているのなら出来るはずです。
まさか、先程の言葉は嘘なのですか?」
頭に響く彼女の声。
僕はそれから逃れたくて。
「分かった、分かった。
サインする。
それでいいだろ」
僕は離婚届けにサインした。
これぐらい問題。
離婚するには面倒な手続きが必要だったはず。
この紙だけでは意味をなさないのだから。
「ほら、これでいいだろ」
彼女は書類をしげしげと見ている。
「ええ、いいですよ。
あなたはとても眠そうですね。
カミル」
「はい、アナスタシア様」
カミルが僕に近づき告げる。
「部屋までお送りします」
僕は彼女から離れ。
「大丈夫。一人で部屋に戻れる。そう、大丈夫」
僕はゆらゆらと足を揺らしながらも、なんとか眠気を抑えて自室に戻り、ベッドに倒れた。
薄れいく意識の中で思った。
今日は色々あって疲れているのかもしれないと。
それにアナが僕に離婚を切り出したことも、全ては夢なのではないかと。