希望の卵が孵化した直後、私は泡まみれで裸の女性にされた
戦後日本の終焉はあっという間だった。希望の卵、すなわち「オヴォ・デ・エスペーロ」が発見されたわずか半年後のことだ。日本は明治維新、戦後改革以上の大革命を経験した。私はその激震の半年間を語る。
希望の卵「オヴォ・デ・エスペーロ」が発見されたのは日本時間で2015年7月23日の19時ごろだった。「オヴォ・デ・エスペーロ」は世界中に大量に降り注いだ。「オヴォ・デ・エスペーロ」についての詳細な説明は後でする。「オヴォ・デ・エスペーロ」を孵した人間は超常的な力を得られる。
卵を孵した人間を「インキュバドーラ」と呼ぶ。日本語では、英語風に「インキュベーター」か単に「能力者」とも呼ばれる。世界で最初に能力をネット上に上げたのはエスペラントを話す二十代女性だった。彼女の動画はシンプルであった。壁の白い普通の住宅の中で固定カメラから取られた動画だった。彼女は、当時活発に議論された、謎の落下物の正体は「オヴォ・デ・エスペーロ」(希望の卵)であると言った。そして、自分の能力実際にカメラに写した。彼女の「エスペラス」は二足歩行をする銀色のリスだった。彼女は自身の能力を「エスペラス」(希望)と呼んだ。そして、卵を孵した彼女自身、のことは「インキュバドーラ」と呼んだ。
この動画は瞬く間に拡散され、各国語の字幕がつけられた。この動画の真偽については種々様々な憶測があった。しかし「インキュバドーラ」による動画はいくつも公開された。
そんな時期に、私は地元を歩いていた。わたしは動画はまだ見ていなかったが、「オヴォ・デ・エスペーロ」の存在は知っていた。家から駅までは暗く、三十分くらいかかるもののその日は歩かざるをえなかった。時間は二十三時。次の日はゆっくり眠れる予定だったのでのんきに歩いていた。地元の治安はほどほどだった。当時は「エスペラス」による犯罪はまだ明るみに出ていなかった。そのため、わたしは大して身の危険は感じていなかった。
大通り脇の歩道を歩いていた。歩道は真っ暗で広かった。車のライトは歩道まで届かない。
二十メートルほど前に人が立っていた。全身黒い服を着た二十代前後の男だ。人が立っているくらいよくあることだ。特に気にせず歩き続ける。彼我の距離が五メートルほどになった時、突然彼の右肩から腕がもう一本出てきた。第二の右腕は怪しげな光を放っている。その人は突如私に近づく。私は危険を感じて避けようとしたが間に合わなかった。光り輝く右腕で腹を殴られた。足の裏がつるりと滑りわたしはゆっくりと尻餅をついた。
私は幾つかの違和感を同時に感じた。まず地面に触れている足、尻、手からふわっとした感触がする。手に持っていた荷物はなくなっていた。そしてどうやら自分は裸らしい。服の感触が一切しない。そして胸が重い。さらに髪が伸びている。
私は視線を自分の体に向けた。暗くてよく見えないが明らかに自分の体ではない。手を見ると手には泡が付いていた。胸に手をやると大きく膨らんでいた。間違いなく触られた感触がある。次に髪を触った。腰まである長い髪だ。触るべくところを触って確信した。私は今泡まみれの裸の女性になっている、と。