スマイルで生きるには
「人生笑顔で生きましょう。スマイルで生きるためには」
ホワイトボードに題名を書いて、まるで教師が授業をするかのようにその人は話し始めた。
「笑顔で生きるためにはどうすればいいのか。今からそのことについて話すわね。
一番大切なのは許すこと、何を許せばいいのか、どういうことなのか、一つずつ説明していくわね」
女性は言い終えると、ホワイトボードに一から五までの数字を書いた。
ホワイトボードを見るよりも、様子を確かめるためか、あたしの顔を見る時間の方が長くてなんだか変な気分になる。
「それじゃあまずは一番、これはもしかしたらあなたに最も必要かもしれないわね」
女性ははにかむように微笑んで、声に出すより先にホワイトボードに<素直になる>と書いた。
「許すことが大切だって言ったでしょう。素直になるっていうのはね、自分を許すということなの。
だって素直になれないっていうのは、そういう自分を許せないってことでしょう?
自分のことを許せない人が他人のことを許せるわけがない。
まずは自分を許す。そのためには自分に素直に、自分の心に正直に生きる必要があるの。
まあ、今のあなたにはこんなこと言っても届かないと思うわ。どうしてわかるかって?」
相当あたしの顔が歪んでいたのだろう。
実際あんたには何がわかるのか。と言ってやろうと思ったけれど、この人はそれまでも見透かしているようだった。
「信じられないかもしれないけれど、あたしも昔は素直になれなかった。
でもあたしの場合はね、自分の心には常に正直だった。自分の心には正直だったけれど、他人に素直になれなかったの。
人ってね、環境とか経験で性格が作られていくでしょう?
昔は優しかった人がすさんでしまったり、昔は怖くて誰も近寄らなかった人が人を引き寄せるようになることもある。
その人に何があったの?って思うわよね。
人間は環境に一番左右されるから環境はとても大切だわ。
だけど何より大切なのは考え方を変えることなの。考え方を変えなければいくら環境が変わってもそこにいるのは今まで通りの自分でしかない。
だから素直になれる考え方をすることが大切なの」
あたしはただただ女性を見つめるだけだった。
女性はあたしの様子に何かを言うことはせず、ホワイトボードに<色んな人に会って情報を得る>と書いた。
「そのためにはどうすればいいのか。
情報を得ることが大切なの。誰とも知れないネットの不確かな情報とか、テレビの情報とか、そんな情報は取り入れても意味がないわ。
間違っている情報の方が多いから混乱してしまうのよ。
だから直接人から得ることが大切なの。それには人脈が必要ね。
あなたはこれはクリアしたわね」
あたしは気づいた時から一人だった。
気づけば誰も傍にいなくて、頼れる人も、助けを求められる相手もいなかった。
そんなあたしのことを知りもしないで、何を呑気なことを言っているのだろうか。
「わからないの? ほら、あなたは今日こんなにもたくさんの人に出会えたじゃない。
あたしに出会えた。そこのカメラ持ってる奴にも会えた。そこの可愛らしい漫画家の彼女にも会えた。
おおらかな店員さんにも会えた。
そして何よりあなたはこの地に来て真実ちゃんに会えたでしょう?
これだけでもう合格だわ。あなたはスマイルになれるチャンスを手にしたの。
馬鹿馬鹿しいと思った? そうね。今まであなたが出会ってきた人たちにあてはめて考えるとそんな風にしか思えないわよね。
今日いっぱいここにいる人達と話して帰って、あたしもいくらでも話すわ。どんな人か、何を考えている人なのか知ってちょうだい」
子の人は本当に人の心の中を覗き見ているかのように適格だ。
不覚にも勝手に動いていた。そう言った方がいい。
反応なんて示さないつもりだったのに、気づけば何度も何度も強く頷いていた。
完全にこの人のペースに飲まれている。
「あなたはそんな人に出会ったことがないからそういう人の考えになれないのよ。
否定的な人たちの中で生きてきたからあなたも否定的な人間になっているの。
環境は本当に大事よ。環境は場所だけじゃない。どんな人と繋がっているかで変わるの。
あなたが願うなら、あなたが素直になるのなら、あたしたちはいくらでもあなたの手助けをしてあげられるわ」
あたしが素直になれば、あたしが願えば・・・。
なんだろう。
ただ画家になりたくて、だけど周りは反対する人達ばかりで、そんな人達の中にいるのが耐えられなくて飛び出した。
その先でお人好しな彼女に会って、かと思えば一見バカみたいな話を真剣に語ってくれる女性に会えた。
あたしの知らない。
想像もしたことのなかった世界。
あたしはもう女性にくぎ付けになっていた。
女性の次の言葉を早く聞きたくて仕方なくなっていた。
「あなたが今まで見てきた世界はほんの一部でしかないの。
一度でも考えたことなあい? こんな世界にいれたら、こんな世界に自分も入れたなら自分はもっとこんなことができるのに。
もっと自由になれるのに。そんな風に思ったこと、あるわよね?
それを夢で終わらさなくていいのよ。理想で終わらせる必要なんてない。
考えてみて、あなたからはその世界は遠くのできごとで、そんな世界は夢のまた夢だと思うかもしれない。
でもあなたが憧れる生活をしている人って世の中に一人はいるでしょう? だから不可能なことなんてないのよ。
あなたが望むならば、あなたが思い描く世界に行くことができる。
プロの画家に会いたいかしら? 画家を目指している人に会いたいかしら?
そんな人に会えるはずがないと思っている? そんなことないわよ」
話術だ。
占いでよくある奴だ。
事例を上げて、誰にでも当てはまることから未来を提供する。
そうだ、きっとこの人も最後にお金を取ったりするんだ。
この人の笑顔は気づけば飲み込まれて行きそうで、危なかった。
きっと騙されているんだ。
頭の片隅では疑う自分がいた。
だけどあたし自身は女性の優しい笑顔、纏うオーラに惹かれていて、気が付けば体が前のめりになっていた。
自分がそこまで真剣に聞き入っていたことに驚いて、そっと真実さんに目を向けると、あたしの視線に気づいたのか、あたしの様子を伺っていたのか笑顔でこちらを見ていた。
「ずっと絵を描き続けていたんでしょう。こっちに来てからも描いているの?」
まるで今のあたしの苦悩を見抜いたかのような言葉に、あたしは思わず目を見開いた。
「わかりやすいわね。
そうね、描けていないわよね。ごめんなさい、怒ったかしら?
そうだって言ったのは、あなたがダメだからとかそういうことじゃないのよ。
どうして描けないのか、あなたもわかっていると思うけれど、あえて言うわね。
あなたの中で迷いがあるから、悩みがあるからよ。
絵や、芸術って自分の心とすごくマッチしているものでしょう?
あなたが暗いと絵も暗くなる。
あなたが明るくなれば絵も明るくなる。
悩みは誰でもあるわ。迷いだってある。
なら皆はその悩みとどうして付き合っているか。初めに繋がるけれど素直になって吐き出せばいいのよ。
あなたには黙て聞いてくれる人が隣にいるじゃない。
喜びがないから満足のいく作品にならない。不満ばかりを抱えているから絵も不十分になるのよ」
わかっている。
彼女はきっとどんな話でも聞いてくれる。
「それじゃあ最後ね。
自分を許せたら最後は他人のことを許してあげましょう。
あなたに与えてくれた人、お世話になった人から始めていきましょう。
優しくしてくれた人には優しさを返してあげるといいわ。
そうすればそこからさらに繋がりが生まれるの。
人は人によってつくられていく。あなたもその連鎖を繋げて。
それじゃあ、あたしのスマイルで生きようのお話は終わりね。
今日はゆっくりしてね。色んな人の話を聞いていくといいわ。
最後まで聞いてくださってありがとうございました」
女性は傍聴者はあたし一人だけなのに丁寧な挨拶で締めくくった。