春那の苦悩
結局一つも形にはならなかった。
彼女のことを振り払って何か他のものを描こうとしても何も浮かばなくて、模写をしようと思っても、鉛筆を走らせているうちに思考がどこかに飛んで行ってしまう。
気づけばいつの間にか彼女がギターを演奏している姿が頭に浮かぶ。
今も彼女はどこかで昨日みたいに笑顔浮かべて、人を集めて自分の音楽を聞かせている。
なんのために?
彼女にとって音楽はなんだろうか。
あたしにとって絵は・・・。
いつの間にか周りはくしゃくしゃの紙でいっぱいになっていた。
いつものことだ。
今に始まったことじゃない。
いつの間にか自分の満足のいく作品が描けないようになっていた。
それどころか少し筆を走らせただけで想像しているものと違うものばかりが出てきて紙をくしゃくしゃにしている時間の方が多かった。
どうしてだろう。
あたしは絵を描くことが好きで、それだけが生きがいで、だからプロになりたいと思った。
好きなことを極めて・・・。
彼女は笑顔だった。
だからムカついた。
駅前でギターを弾いている人はよく見かける。
だけどあの人は今まで見てきた人と違っていた。
音楽を奏でている。という点は同じなのに、どこか引き寄せられるものがあって、だからこそあんなにも大勢の人が集まっていたんだと思う。
音楽と絵は違う。
芸術という点で見れば同じかもしれない。
だけど絵は孤独だ。
音楽みたいにみんなに囲まれて、彼女みたいに笑顔を浮かべて誰かを引き寄せて、そんな幸せそうな生やさしそうな空間は生まれない。
絵を描いてちやほやされるのは子供の時の特権だった。
「あたし、何やってんだよ」
扉が開く音が聞こえた。
人の部屋なのに散らかしたままだ。
それにしてももうそんなに時間が経ったのだろうか。
絵を描き始めるといつも知らないうちに時間だけが過ぎていく。
結局何も生み出せなくて、時間に置いて行かれたあたしは現実と向き合わされた時に絶望を感じる。
「ただいまー」
いやに機嫌の良い明るい声が聞こえてきた。
「あっ、作業中だったんだ。ごめんね、もう帰ってきちゃった」
彼女はくしゃくしゃになった紙が散乱している部屋を見ても、顔色一つ変えない。
「散らかして悪かったな。こんなに早く帰ってくると思わなかったから、すぐ片づける」
彼女はあたしの言葉には何の反応も示さず、ギターを部屋の片隅に置いて鞄の中の荷物を片づけている。
呆れているのかなんなのか、はっきりと言えばいいのに。
紙くずをまとめて、ただただ芯だけがなくなっていった鉛筆を削りながら時計に目を向けた。
午後の一時前に始めたはずなのに、もう七時前になっている。
ほとんど一日をどぶに捨てたようなものだ。
つくづく自分が情けなくなる。