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【じゅうく】

 初めての感覚だろう。

 白い布のおかげで、俺は、自分が落ちているという事を忘れる事が出来た。

 だが、素手を擦られる感覚は余り良いものではない。

 それでも、俺は、七階から地上へと、僅か数秒で降り立っていた。

 出口だが、先に降り立っていた美機が支えてくれて居たらしく、ソレほどの衝撃は感じずに済んだ。

「大丈夫ですか?」

「あぁ、ありがとな…………」

 当たり前の様に手を貸してくれる美機の手を取りながらも、俺は、上を窺った。

 さっきまで居たベランダからは、何人かが上から俺達を覗くのが分かった。

 だが、そんな顔がヒョイと部屋の中へと消えるのを見て、俺は、次の手を考えなくてはいけなかった。 

 宮下はと言えば、自分の身体を抱くようにブルブルと震え、青い顔をしている。

 気を掛けてやりたいのは山々だが、その間が無かった。

 そして、一番に思い付いたのは、タクシーを拾って最寄りの警察署へと駆け込む事だ。

「明美! 美機、付いて来てくれ!」 

 俺は、両手に二人の手を握り、マンションから離れる為に足を踏み出していた。


   *


 突発的な行動とはいえ、俺には何の武器もロクな持ち物も無い。

 衣服と靴下、そして下着と、なんとも実に頼り無いモノしか無かったんだ。

 走るだけでも、足の裏が痛い。

 それも当たり前だろう。 

 靴を履いている暇が無かったというよりも、それを思い付かなかった方が問題だが、今はそんな事を言っている場合でもない。

 黒服共をよりも早く、路上に無人の自動タクシーを見つけ出した時は、天の助けを信じて疑わない。

 美機と宮下という、相反する二人を伴い、俺はタクシーの後部座席へと駆け込んでいた。

『行き先を指定してください』

 そんな合成音声に、俺は「警察署へ!!」と発していた。 


   *


 静かに走り出す電気自動タクシーだが、幾つかの問題が持ち上がる。  

 先ずはと言えば、警察署との距離だろう。

 公務員削減が声高に叫ばれた旧世界置いて、一番に削られたのは、防犯といった類のモノだった。

 装備と設備の近代化に伴い、無駄な人員は削減された結果、都市部に置いても警察署というものは数が無い。

 加えて、タクシーは遅過ぎる。

 いつもなら気にも成らない筈の速度が、俺には遅いとしか思えなかった。

「くそったれが! もっと速く走れよ!」

 思わず、俺は悪態を吐くが、意味がないことに気付いた。

 運転手が居ない以上、罵詈雑言は意味を為さず、宮下が嫌な顔を見せただけだった。 

 恐らくは、美機のことに関する生命をして欲しいのだろうが、生憎とその暇はない。

「太一………落ち着いて」

 美機とりなしで、俺は、口を閉じるが、タクシーの後ろを見れば、やはり落ち着いてなんて居られなかった。

 自動運転の車は、すり抜けをしたりしない。

「…………うっそだろう?」

 規則正しい車の群れの中から、まるで抜け出るように一台が飛び出して来るのが分かった。

 俺の声に釣られて、美機も宮下も、車の後ろをのぞき込んでいた。

「何…………あれ?」

「危険運転ですね………記録上では、五年以上確認されていません。 そもそも人間の運転は当の昔に規制されています」

 宮下の質問に、美機は別の意味の答えを返していた。

 美機の説明はともかく、俺達を乗せた自動タクシーは直ぐに追い付かれてしまう。

 なにせ、他の車は危険を検知した瞬間には止まってしまうことから、相手方は他の車に気を付ける事も無く、グングンと距離を狭めていた。

「どうすりゃ良いんだよ……どうすりゃ……」

 思わず、俺は、弱音を吐いていた。

 もし、追突でもされれば、直ぐにタクシーは止まってしまうだろう。

 だが、相手が一々車から降りて【いやぁ、すみません】とは言わない。

 懲役刑まで覚悟の上であんな事をしている連中に、慈悲を望む方が無理があるだろう。

 俺がそう考えていると、美機が前の席へと躍り出た。

 運転手の居ない席へと陣取ると、俺の指示も無しに、ダッシュボードに付いている画面を引っ張り剥がす。

 ベキベキベリベリと嫌な音に、俺も宮下も、声もなかった。

 器物破損罪に付いては、後で弁償も利くが、そもそも、俺には美機が何をしたいのかが分からない。

 美機が剥がした部分へと手を突っ込むのと、ガツンと強い衝撃が襲ったのは、ほぼ同時だった。

 本来なら、この時点でタクシーは止まる筈なのだが、タクシーは止まらず、速度を上げ始める。

 俺も宮下も呆気あっけに取られ、何がなにやらだが、美機は、ぐるりと肩越しに首を回す。

「太一……警察署へは行けそうもありません。 他に行けそうな所は在りますか?」

「え? ぁ…………」

 急な事に頭は働かず、必死に俺は行き先を模索していた。

 人気が多く、逃げるのに近くて、何かあれば直ぐに誰かが通報してくれそうな場所。

 パッと思い付いたのは、影沼の事だった。

「…………公共住宅だ! この先の!」

 俺の声に、美機は頷いてくれた。 


   *


 全くもって、美機がどうやってタクシーを操作しているのかは謎だが、あの一団が乗っているであろう骨董品のワンボックスは、タクシーには付いて来れないらしい。

 そして、最初の目的地である警察署を諦め、俺達を乗せたタクシーは、ボロボロになりながらも、在る場所を目指していた。

 昔で言う公営住宅は、【蜂の巣】と揶揄される公共の団地だ。

 国が金を出し、仕事の無い人間が幼虫の様に山ほど押し込まれて居るのと、建物のフレームがハニカム構造を用いる事からそう呼ばれている。

 そして何より、数棟が縦に並んでいるそれは、遠くからでも大きな蜂の巣を俺に思わせた。

 何故なぜ目的地を其処にしたのかと言われれば、他に思い付かなかったからだ。

 落ち着いて考える時間て余裕さえあれば、もっといい場所が在るかも知れないが、此処に来て、俺の見識の無さが露呈されてしまったと言うところだろう。

 タクシーの足の速さのおかげで、いち早く俺達は蜂の巣へとたどり着けた。

 だが、着々と追いかけてくる車のライトに、俺は、寒気を覚えていた。

 もしかしたら、下手に逃げなければ怪我で済んだのかとも思うが、襲われた丸山の安否が分からない以上、座して待つという選択は取りたくない。

 団地前には意外に人も多いが、その隙間を縫うようにタクシーは止まった。

「到着しました」

 まるで、ナビがそう言う様に、美機もそう言う。

 そんな美機に、俺も宮下も、固まっていたが、いつまでも座っている訳にも行かない。

 急いでタクシーを降り立った俺は、宮下の手を引いた。

「早くしろって! 早く!」

「わ、分かったから………」

 宮下が、明美が混乱しているのかは、直ぐに分かるが、この時はコレを利用しない手はない。

 落ち着いて考える余裕を与えれば、部屋での時の様に、明美は俺に文句を言うだろう。

 最も、こんな事に巻き込んでしまった時点で、すまないとは思うが、今はまだ謝っている時間が無い。

 そして、タクシーの後をあのワンボックスは追ってきていた。

「……っ……逃げるんだ!」 

 ノロノロした明美の手を、俺と美機が引く。

 そんな俺達を、周りの人間は死んだ魚の様な目で見ていた。

 

   * 


 俺が住んでいたマンションとは違い、蜂の巣は、とにかく汚かった。

 通路や壁の染みや、階段の脇には空き缶やら何かのゴミが散乱する。

 一応は清掃用のドロイドが頑張っては居るようだが、それを上回るペースで汚れが進めば、余り掃除は意味を為さない。

 走りながらも、俺は、影沼の奴はよくこんな所に住んでいるモノだと辟易していた。

 酔っ払った影沼を送った事も一度や二度在るために、どこに奴が住んでいるのかは知っている。

 こんな時に、他に頼れそうな人が思い付かない以上、俺も奴と同類なのだと悟らされた。

「えぇと……表札の無い部屋………無い部屋…………在った!」

 周り中の部屋の中から、一つだけ名前が記されていない部屋がある。

 俺は、宮下の手を離して、夢中になってドアを叩いた。

 端は錆び、余り綺麗とはいえないが、とにかく叩く。

「くっそ、出ろって!」

 ハッとして、ドア横のインターホンのボタンを見つけ出した俺は、今度は夢中でそれを連打していた。

「開けてくれ! おーい!」

 この際、俺は、形振りを構ってはいない。

 むしろ、俺の剣幕に驚いた住人が通報してくれるかと期待すらしている。

 だが、巣からは誰の気配も無い。 

 このまま逃げるかどうかを迷い始めた頃、ドアが僅かに開いたが、チェーンでそれ程大きくは開かない。

「うっせぇな…………田上? お前、何しに来た?」

 ドアの隙間からは、不機嫌そうな影沼の細い目。

「頼む影沼! 入れてくれ!」

「は? お前、急に来てなんだ?」

 俺と影沼の問答に、美機は、ドアに手を掛けるとチェーンを引きちぎっていた。

「緊急時ですので」

 淡々とした美機の声に、俺は元より、明美も影沼もポカンと成っていた。

 だが、時間を浪費したのか、遠くから「居たぞ!」という声が響いた。

「すまん影沼! 明美、美機! 入れ!」

 俺は、影沼を押しのけ、そう言っていた。

「あ! なんだお前ら? ちょっと、おい!?」

 この時、俺は、初めて焦る影沼を見たのだが、それはこの時気にしている事では無かった。 

 正直な話し、もっと汚い家を想像していたが、影沼の自宅は意外にも整頓が行き届いて、外の様子とは雲泥の違いを見せる。

 とにかく部屋の奥へと行こうとする俺に、影沼はしがみ付いて来た。

「こら田上、お前さっきから何なんだ!?」

「丸山が怪我したっていったろ?」

「あん? あぁ………」

「その犯人らしき奴らが、今度は俺を追っかけてんだよ」

「……は?……お前、急に来て置いて、俺をそんな事に巻き込む気なのか?」 

 影沼の意見も最もなのだが、俺が何かを言う前に、部屋の奥から、声が聞こえた。

「…………和哉かずや? 誰?」

 独特の鼻に付くような高い声に、俺は首を傾げる。

「理恵? あ、ち、ちょっと待ってろ!」

 焦る影沼は、今度は俺を押し退けて部屋の奥へと走っていた。

「人の声だよね?」

「はい………合成音声ではありませんね」

 明美と美機の掛け合いはともかく、俺は、思わず影沼の後を追っていた。


   *


 俺の自宅程の広さは無いが、リビングらしき場所には、ベッドが一つあった。

 美機とは別のモデルが甲斐甲斐し横に立ち、其処には、一人の女性が寝ていた。

「あら………いらっしゃい………お客様なんて初めてかな。 初めまして、佐東理恵です」

 半身をベッドに起こされた女性は、俺達三人に目を向ける。

「あ、お、お邪魔してます」

「どうも…………」

 とりあえず、頭を下げる俺と明美だが、そんな俺達に、影沼は苦々しい視線を向けてきた。

 影沼の不機嫌そうな顔はともかく、俺はベッドに寝かされている女性が動けないというのは直ぐに分かった。

 やせ細った手足に、繋がれたカテーテル。

「……影沼? ……その人」

「…………お前にゃ、関係ない…………」  

 影沼の声から、俺は、かつて聞かされた奴の昔話を思い出し、奴がなぜ、稼ぎの割には生活苦なのかを、俺は悟った。

 裏を返せば、簡単だろう。

 全ての金を、首を折って動けない彼女の為に注ぎ込んでいる。

 二人の関係は、理恵と名乗った女性の左手薬指に光る指輪で、直ぐに分かった。

 見た目に反して、一本気な影沼の私生活に、俺は、感嘆していた。

 だが、いつまでも暖かい気分も続かず、またあの鉄を焼き切る音に、俺は、寒気を覚えていた。 

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