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アルコホールパワー

 N山は四畳一間の安アパートの一室で、仰向けに寝っ転がって天井を眺めていた。

「明日は仕事の日か。いてて」

 右腹が痛む。肝臓だ。顔をしかめたN山は右に寝返りをうつ。と、すぐに目の前に壁が迫る。今度は逆に左に寝返りをうつ。またまた目の前は壁だ。仕方なく元通りに仰向けに寝る。さっきからこの動作をもう何十回も繰り返している。

 N山の四畳一間は畳が四枚一列に並んだ、それも横にではなく縦に並んだ、まるで廊下みたいな部屋なのだ。従って部屋の長さは七メートルくらいあるが、横幅は一メートルもない。実に窮屈な部屋だ。もちろんのことだが家賃は安い。月千円で借りている。金の無いN山にとっては地獄に仏の様な掘出し物件なのだ。

「もう、そろそろ限界だな」

 N山は痛む右腹を撫でながら少し頭を起こすと、首にぶら下げているお守りを左手に取り、ゆっくりと自分の顔の前に持ってきた。お守りと言っても香水瓶によく似た、頑丈そうな容器である。振ってみると何かの液体のピチャピチャ揺れる音が微かに聞こえる。

「あと二回、いや、一回分か」


 アルコホール星人と地球人、特に日本人は、体の構造、用いる言葉、主食の米に至るまで信じられないくらい一致している。だが、たった一つ、月とスッポンくらいに違う点があった。それがアルコホールパワーだ。

 アルコホール星には酒が無い。米はあるが酒は無いのだ。不思議な事にアルコホール星では、米を酵母菌で発酵させると、酒ではなくアルコホール水なるものが出来るのである。

 このアルコホール水は地球上で米から作られる酒と極めてよく似ている。しかし、地球人が酒を飲んだ時に見せる反応と、アルコホール星人がアルコホール水を飲んだ時に見せる反応は、天と地ほどの違いがある。

 地球人は酒を飲むといい気分になって、うだうだ人に絡んだり、素っ裸になったり、果ては飲み過ぎてゲロを吐いたり、川に飛び込んだりと、実に醜い姿を曝け出すものだが、アルコホール星人はアルコホール水を飲むと超人になるのである。

 超人、すなわちスーパーマン。いや、それは単に訳しただけだろなんてツッコミはやめてね。いつもは非力で箸より重い物を持った事がなく、走ると百メートルで息が切れ、道端に寝転がった犬も飛び越えられないよぼよぼのアルコホール星の老人が、この水を飲んだ途端、力は機関車よりも強く、足は弾よりも早く、ついでに空まで飛べるスーパーマンになってしまうのである。この時発動される非日常的特殊能力を、アルコホール星人はアルコホールパワーと呼んでいた。


 こんな能力があるのだから、砂浜にぼんやり立っているO川もN山もそれほど心配してはいなかった。海に沈んだロケットには燃料としてアルコホール水が山の様に積んである。アルコホール水が燃料として使えるのはアルコホール星では常識であり、ロケットに限らず、飛行機、自動車、発電所などはもちろん、調理用コンロ、暖房用ストーブ、娯楽用ウォークマンに至るまで、様々な用途に活用されている。アルコホール水はもはやアルコホール星人の命のお母さんと言ってもよいほどなのだ。

 従ってロケットの容積の半分以上はアルコホール水のタンクなのであり、地球到達時点でも、まだ七割ほどの残量があった。だから、手持ちの分がなくなったら取りに行けばよい。が、あまり無駄遣いも出来ない。

 アルコホールパワーは飲んだアルコホール水の量によって、発揮されるパワーの大きさと持続時間が変化する。大きなパワーを長時間維持するには、一度に大量のアルコホール水を必要とするのだ。それに万が一帰還が可能となった場合の燃料を考え、やはり半分くらいは残しておいた方が無難だろう。状況に応じて大事に使わなくてはいけない。

「ああ、それが今ではこれだけか」

 N山は寝転んだままアルコホール水の容器を揺すった。あんなにたくさんあったアルコホール水も、もうこれだけになってしまったのだ。一体何に使ったのだろう。


*  *  *


 通りすがりのおじさんが去っていたあと、砂浜にポツリと残された二人が先ず考えたのは『さけ』だった。あのおじさんの『うん、これはいい酒だ』という言葉。あの時おじさんはアルコホール水を嘗めて確かにこう言った。地球上にもアルコホール水があるのだろうか。二人はさっそく調査を開始した。

 調査と言っても言葉が通じるのだから簡単だ。それにアルコール飲料は日本全国津々浦々至る所で売られている。二人は金を持っていなかったが、そこはそれ、アルコホールパワーの力を借りて、様々なアルコール飲料を強奪、じゃなくて、失敬、これも違うな、丁寧にお願いしてお譲りしてもらい、その効果を試してみた。その結果、次の事実が判明した。


一.アルコホール水に一番似ているのは純米酒である事。

二.地球人はアルコホール水を飲んでも、アルコホールパワーは発揮されず、ただ酔っ払うだけ。

三.地球上のアルコール飲料をアルコホール星人が飲んだ場合は、アルコホールパワーが発揮される。ただし同時に酔っ払う現象が現れる。


 この三番目の事実は二人を狂気乱舞させた。地球のアルコールはアルコホール星のアルコホール水と代替可能であると証明されたのだ。

 人類あるところ必ずアルコールが存在する。アルコールは永遠、つまりはアルコホールパワーも永遠。これでアルコホール水の残量を気にせず、好きな時に超人に変身できる。いや、なんなら常時酒に酔いつぶれて、二十四時間スーパーマンでいる事だって可能なのだ。

 アルコホールパワーの前には何も恐いものはない。銃弾も核爆発もエイズウイルスも雷も親父も、アルコホールパワーの前では無力だ。空を飛んで宇宙空間まで行っても大丈夫なのである。

 二人は喜んであっちこっち飛び回ってアルコール飲料を強奪、じゃなくて譲ってもらい、記念すべき第一歩を印した砂浜に戻ると、海中に沈没したロケットを引き上げる事にした。これだけ大きな物を引き上げるのだから大量のアルコホール水を必要とする。だからこそ二人は引き上げに消極的だったのだが、もう今はそんな事はお構いなしだ。

 集めてきた清酒五樽、ウイスキー十ガロン、焼酎五升、ワイングラス四杯、ビール中ジョッキ二杯、酒かす一袋、梅酒の梅四個を一気に胃袋に流し込むと、二人はロケットの引き上げに成功した。もうその頃には日も傾き、記念すべき一日は終わろうとしていた。二人は砂浜に夕日を受けてそびえ立つロケット、アルコホール星の技術と努力の結晶である最新鋭恒星間ロケットの見事なまでの威容をしみじみと眺めた。

 眺める二人の目はとろんとして据わっている。かなり酔いが回っているようだ。こんな状態ではロケットの内部の点検は出来そうにもないので、それは明日にして、今晩は残ったアルコールで酒盛りを始めることにした。


「これでこの地球上で何とか生きて行けそうだな、N山」

「本当だな。しかし、このアルコールってのは結構なもんだ。力が出る上に気分まで良くなるんだからな」

「アルコホール水よりも優れているな。あれは力が出るだけだから」

「地球人にとっては酔っ払うだけの液体だろうが、我々にとっては宝の水だ」

「これが見つかっただけでも地球に来た甲斐があった」

「アルコホール星に持って帰ればみんな大喜びだ」

「わしらは本当の英雄だ」

「これさえあれば何でも出来る」

「我々に不可能はなし」

「その通り。ああサイコー、あるこホー!」

「あるこホー!」

「あとは船長だけだ、あるこホー!」

「船長どこ行った。あるこホー!」

「何だか眠いぞ、あるこホー!」

「だったら寝ちまえ、あるこホー!」

「ぐうぐう」

「ごぉごぉ」

 こうしてその日は二人とも、砂浜の上で心地好く眠りについた。しかし、世の中、そんなに甘くはないのだ。


 次の日の朝、目が覚めた二人は何が起きたのかと思った。頭が割れるように痛い。内臓は鉛の様に重く、顔は一面嘔吐物にまみれている。手足はしびれ、光は眩しく、口を開くのもおっくうだ。こんな経験は二人には初めてだった。

 二人は飲み残しの酒をあおった。アルコホール水は万能薬、こんな症状は一瞬で消し飛ぶはず。だがどうした事だ、アルコホールパワーが発揮されない。やむなく胸に下げたアルコホール水を飲んでみた。同じだった。あの万能のアルコホール水が効かない。

 二人は愕然としながら砂浜の上を転げ回った。立ち上がる事も叫ぶ事も出来ない。おまけにどうした具合か、今日に限って人っ子一人通らない。昨日いきなり通りすがりのおじさんに出会えたのが嘘の様だ。

 二人はなす術もなく、あたかも砂浜に打ち上げられたゴンドウ鯨の如く、お日様に照らされながら横たわっているしかなかった。


 やがて再び日が西に傾く頃、ようやく容体が好転してきた二人は引き上げたロケットの中に潜り込んだ。中は思った通り海水に浸かってひどいものだったが、それは操縦室と機関室だけだった。奥のドアはしっかり閉鎖されていたので、アルコホール水タンク、倉庫、寝室、ゲーム部屋等は無事だった。

 二人は寝室に転がり込むとベッドの上に身を横たえ、救急患者発生ボタンを押した。すぐに診察治療器具が降りてきて二人の体を包み込んだ。この装置だけはロケットエンジンが動かなくても非常用バッテリーで動作可能なのである。アルコホール星の医学と薬学の結晶である救急患者診察治療器具によって、二人の体はくまなく診断され適切な処置が取られた。程なく治療器具が体から離れると、まだ頭がくらくらするものの、二人はようやく人心地を取り戻した。

「やれやれ、ひどい目に会った。一体何がどうなったんだ」

 N山はそうつぶやきながらベッドから起きあがった。横のO川が細長い紙を持って見詰めている。診断器具から出てきた二人の診断書だ。

「おい、これを見てみろ。」

 O川が真剣な顔でその紙をN山に手渡した。N山はその診断書を読んで眉をひそめた。


「大量の劇薬摂取による中毒症状。血管拡張、呼吸・心不全、肝障害、神経炎の他、軽微な精神障害が見られる。この劇薬にはアルコホール水の万能性は無効。体内から劇薬成分を抽出、排出することにより一時的に回復。付記、なお摂取された劇薬はアルコホール水に似ているが、アルコホール星人にとっては極めて危険な成分が含まれている。超人的な能力を発揮する代償に、精神、身体に過大な損害を与え、慢性的に摂取すると廃人になり、やがては死に至る可能性大。今後一滴も口にしないように」


 N山は紙を床に落とした。摂取した危険な劇薬とは、

「地球の、アルコール……」

 それしか考えられなかった。二人はがっかりした。完全に落胆していた。余りにも落込んでしまったので、見ているのもかわいそうなくらいだった。アムンゼンに先を越されたスコットも気の毒だったが、この二人も哀れだった。


 アルコール。似ていた。本当にアルコホール水に似ていた。しかし違っていたのだ。アルコホール星人にとってはとんでもなく危険な代物だったのだ。もちろん地球人にとっても危険な代物ではある。どうしてこんな危険な物が堂々と売り買いされているのか信じがたいほどだ。世の中は間違っとる。酒だけじゃないタバコもだ。あれこそ百害あって一利なし。ただちに禁止すべきだ。なんて書いたら愛煙家や左党の方々から苦情が殺到しそうなので、このくらいでやめときましょう。

 まあ、地球人なら適量飲むくらいなら大丈夫だけど、アルコホール星人は少量でも駄目みたいなんだってさ。糠喜びもいいとこだったなあ。お二人さん、お気の毒。

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