認知(前編)
沙奈さんの後に続いて歩いていると、障子ガラスの部屋の前に立ち止まり、それを開く。
僕の記憶通りなら、ここはお爺ちゃんの部屋だけど……。
どうしてこの部屋へ通されたのか心の中で首を傾げ、勧められるがまま足を踏み入れた。
その途端にすっと入ってくるなんというのかな? お爺ちゃんの部屋の匂い。ほのかに湿布というか薬っぽい感じかな。
畳敷きで箪笥や机等、記憶とほぼ変わらないままで……。
部屋の様子を見回しかけて部屋の真ん中あたりで伏せっている人物に目が止まった。
お爺ちゃん……記憶よりもずっとやせていて、お世辞にも健康そうには見えない姿に言葉を失ってしまう。
もしかしたら亡くなっているかもって可能性も考えたけど、生きていてくれて良かった。
でも……生きていてくれて嬉しい気持ちと僕が急に死んでしまった事がその原因の一つなのかもとやるせない気持ちがぶつかり合った。
「お父さん、せいちゃんを尋ねてきたリーラさんよ」
沙奈さんがふせって居たお爺ちゃん……誠さんを起こして座らせる。
起きあがるのにも補助が必要みたいで、僕を見て少しの間目を見開いた。
「リーラさんと言ったか、外国のお嬢さんが誠治を尋ねて来たのには驚いたが……貴女と誠治の関係は何だろうか?」
もっともな質問が飛び出し、答えが見つからずうつむいてしまう。
「言いたくないのならそれでも構わないのだが……痛みのせいでわしの目がおかしくなったのかもしれん。 他の物は昨日と変わらないように見えるのだが、リーラさんの姿が十数年前に天へと旅立った誠治と点滅するように見えたのだ」
ゆっくりと話し終えた誠さんが僕を改めてじっと見る。
『病気』『誠治に見えた』二つの衝撃が僕を襲い言葉を失ってただ見返すしかなくて、誠さんの後ろで沙奈さんも驚きの表情を浮かべていた。
この状況なら僕の事を話してもいいかもしれない。そうしたら少しは元気になってもらえるかな……『僕』の姿がちらついて見えたのなら可能性は高いかも?
……でも一週間しか居られなくておそらく二度と帰っては来られない。
大悟さんは亡くなった人と話す機会はないからと言ってくれた。
何もしなければ現状維持、あれこれして悪い方向へいくよりは……。
考えれば考えるほど迷い、どれが正解かわからなくなる。
「コホ、コホ」
誠さんが急に咳き込みだし、深く考え込みそうになっている所から引き戻される。
びっくりしたけど沙奈さんが落ち着いて背中をさすっているから、初めての事じゃないのかな?
徐々に咳の間隔が長くなり、落ち着いてきたと思ったところに、
「ゴホッ!」
大きく咳をして布団の上に小さな赤い液体がちらばった。
「お父さん!?」
「お爺ちゃん!」
慌てた様子の沙奈さんが悲鳴を上げ、僕は思わず誠さんを前から支えるように抱きつく。
吐いた血から瀕死のレリックさんが脳裏によみがえり、胸が締め付けられるように感じた。あの時みたいに治せたら……そう思った途端に言葉が浮かんで来た。 もしかして……魔法が使えるのかも?
それなら……左手で十字架を握りしめ浮かんだ言葉を口にする。
「キュア」
湯気のようなふんわりとした感じの光が誠さんを少しの間包んで消える。
これがどんな効果があるのか見た目からはわからないけど結構消耗した感じが強い効果のある魔法だと思わせる。 でも、次に浮かんでくる言葉があるからこれだけじゃだめってことかな……。
「リカバリー」
さっきよりも柔らかい感じっていうのかな、誠さんをふわっと包んでゆっくり消えていった。
この魔法も最初程じゃないけどそれなりに消耗した感じで、体に少しだるさが出てきた。
誠さんの顔色は悪いままで次に浮かんで来る言葉もあるから、まだ魔法を使った方がいいみたい。
二つの魔法で消耗してることもあって、このまま行くとかなりしんどい状態になりそう……もしかしたら魔力の使いすぎで眠ってしまうことになるかも……。
でも、中途半端で終わらせるのは嫌……かな。
お爺ちゃん……誠さんに出来ることはしたい。
「ブレッシングライフ」
誠さんへ木漏れ日のような光があたり、レリックさんに使った時と同じように体から少しずつ何かが抜けていく感じだけど十字架のおかげかな? 前よりは軽減されてる気がする。
徐々にしんどさが増す中で抜けていく感覚が終わり、誠さんの顔色が少しよくなっていてホッとする。
そこで緊張の糸が切れてしまったのかドッと疲労感が僕を襲い、ふらりと横になってしまう。
「リーラさん!」
沙奈さんがハッとしたように声を上げ、誠さんは目を見開いていて、いろんな感情が入り交じった表情で僕を見ている。
「しっ……かり休んだらだいじょう……ぶ」
襲ってくる眠気に抵抗しながら何とかしぼりだし、意識を手放した。
どれくらい眠っちゃったのかな。
ふっと目を覚ました視界の中に蛍光灯の輪の中央辺りで小さな電球が控えめに部屋の中を照らしていた。
視界をずらした先にある壁に掛けてある時計は『4』のあたりで短針と長針がほぼ重なっていて、周りの明るさから午前四時の方かな。
眠ってしまうくらい無理をしちゃったから、ここにフィリエルさんが居たなら困ったような顔をしてお説教になりそうと苦笑いを浮かべてしまった。 それに初めて使う魔法が二つあったこともあって、良くする効果があると思うけど……眠ってしまう程の魔法を使う原因となった誠さんの体調が気になった。
現状を少しでも知る為に体をなんとか起こして周囲を見渡す。
まだ回復しきってないせいか体に力が入りにくい。
ガラス障子に畳の部屋……時計の場所から考えるとその場に布団を敷いて寝かせてくれたみたい。
布団に寝かせてくれたことに感謝し、出来ることもなさそうなので明るくなるまで寝ようかと思った矢先に障子硝子が動き、
「目が覚めたのね……良かった」
沙奈さんが表情を緩めて入ってきた。
「急に顔色悪くして横になったから、急な病気かと心配したのよ」
沙奈さんは屈んで僕の目線に会わせると同時に小さく息を吐き、困ったように笑う。
「あ、え、えっと……」
初めて来た人がそうなったらびっくりもするよね、そう思うと返す言葉も見つからなかった。
「大悟さんにリーラさんの事を聞いても、倒れた原因は分からないけど誠さんとの関係はある程度知ってるが言えねぇって、がんとして口を割らなかったのよ」
そう言って僕の眠ってしまった後の事を教えてくれた。
急に痛みが引いて首を傾げる誠さんと状況がわからなくておろおろするなっちゃん。そして少しだけ冷静な大悟さんに救急車を呼ぶことを止められたり……と僕が眠った後は大騒ぎ?になったみたい。
「あの光とリーラさんが無関係では無いのは間違いないのだけれど……」
沙奈さんの顔には沢山聞きたい事がある!と書いてある。
「でも、まだ朝は早いから明るくなるまでは横になっていてね」
続く沙奈さんの言葉にどこか懐かしい感じがして無意識のうちに頷いていた。
部屋を出ていくのを見送った後、沙奈さんがこれからする事を前世の記憶から思い出しながら目を閉じた。
光に誘われて目を覚ますと豆球が消えていて、時計は一時を指していた。
お昼過ぎまで一度も起きずに眠ってたのはやっぱり無理をしちゃったせいかな。
そこでふっと時計を見ながらお昼とか考えるのも久し振りな事に気付く。
「細かい時間を気にする必要もなかったもんね」
この体になってからの生活を振り返って呟く。
この布団の寝心地や甘いジュースにケーキに慣れてしまったら後々大変な事になりそう。
心の中で苦笑しながら体を起こす。
よく眠れたおかげか今朝のしんどさが嘘のように消えていた。
「早朝に目覚めたと聞いたが、気分はいかがかな?」
声のする方へ振り向くと低めの椅子に座る誠さんが微笑んでいた。
「しっかり休めたので大丈夫みたいです」
小さく頭を下げて返し、誠さんをじっと見る。
魔法をかける前より元気そうに見えたので、自分の表情が緩むのがわかる。
良かった……良い方向へ向かってるみたい。
「冷めてしまったが、後ろに食事が用意してある。 沙奈が目が覚めたらお腹が空いているだろうと準備をしたものだ。 口に合うかは分からないが食べてもらえるとありがたい」
言われたとおり振り向くと、丸いお盆の上にラップのかけられたお皿とお椀が乗っていた。トーストを乗せるようなお皿に赤飯のおにぎりが三つと目玉焼きにウィンナーが二つ。お椀についたラップをはがすと、豆腐、人参、大根、油揚げのお味噌汁。
久しぶりに見るおにぎりとお味噌汁に胸が一杯になりじっと見てしまう。
「何か苦手な物があれば残すといい、寝起きに食欲がわかない事もあるだろう」
手をつけない僕を気遣ってくれたのかな、誠さんが僕を見る表情は柔らかいまま。
「ううん、お赤飯を久し振りに見たから嬉しくて」
小さく首を振っておにぎりを一口。
お米と栗の甘みに振りかけられたごま塩がかみしめる度に合わさって、何だろう……帰ってこれたんだという気持ちがあふれていく。
「食べながら泣くというのは赤飯に強い思い入れがあるのかね?」
「うん……思い入れは沢山あるかな」
頷いて、涙を指でふき取る。
誠さんに指摘されるまで、涙が頬をつたっていく感触にも気付かなかったみたい。
「それはよかった」
誠さんは満足そうに頷いた。
あっという間におにぎりを食べ終え、割り箸を手にとって目玉焼きを醤油代わりにお味噌汁へつけてから一口、薄味だけどこれはこれで美味しい。
ウィンナーはもしかしたら生臭さが来るのかなと思ったけどっそんなこともなく美味しく食べれた。 お肉が全部駄目というわけでもないのかな?
お味噌汁は、大根、人参、豆腐、玉葱とか野菜がしっかり入っていて、毎日これを食べていたんだなってしんみりしちゃった。
「ごちそうさまでした」
綺麗に食べ終えてから手を合わせて一言。
「綺麗に食べてくれたようでなにより、落ち着いたら聞きたいこと、話したいこともあるだろう。 少し休憩してから話し合うかね?」
誠さんからの提案にゆっくり頷いた。
読了 感謝です