道すがら(後編)
足に小さな痛みが走って目が覚める。
沢山歩いたせいなのかなと思いながら目を開けば、目を閉じたフィリエルさんが見えて小さな寝息が聞こえてくる。
ふっと自分の身体に乗せられている柔らかい感触に気が付いて目を向ければ、フィリエルさんと一緒に覆う用に毛布が掛けられていた。
僕が眠ってしまった後に寝かしつけてくれたんだね。
ありがとうって気持ちを込めてフィリエルさんの頬にそっと唇を落とした。
思い出してみれば……これで三回目の野宿。
一回目も二回目も、明日がどうなるかわからない一人ぼっちでの野宿だったけど今回は違う。
一緒に居てくれる人が居て、ランド村へ向かうという目的もある。
どのくらいかかるかわからないけど……一人で眠ったあの日の事を思えば、明日も歩ききれるかなって不安は小さな物なのかも。
そんな事を思いながら月明かりが降りてくる夜空を見つめていると、視界の端に朱色の明かりのような物が目に入る。
なんだろう? 目に入ってきた物が気になり、フィリエルさんを起こさないように身体を起こす。
「っ」
その途中で腰のあたりに小さな痛みが走り、小さく呻いてしまう。
明日、歩ききれるかな……自分の中で不安が広がってくる。
「目が覚めたのか?」
痛みに気を取られてる最中に声を掛けられて視線を向ければ、火の明かりに照らされたシェリーさんがこちらを見ていた。
「うん、ちょっと目が覚めちゃって……」
「そうか、丁度話し相手が欲しかった所だ。 ここに座るといい」
小さく頷いて答える僕にシェリーさんは嬉しそうに微笑んで右隣に布を引く。
進められるがままにシェリーさんの側へ着いて座ろうとしたところで、急に足の力が抜けて後ろへバランスを崩してしまう。
「大丈夫か?」
「……うん」
後ろへ倒れそうな所をシェリーさんに支えられて、何とか布の上に腰を下ろす。
「成る程な、一日歩いた疲れが出てきてるな」
シェリーさんは座った僕の足を撫でたり揉んだりして納得したような表情で一人頷く。
ズバリ当てられて肩を落としてしまう。
僕に合わせて移動して貰ってるはずだけど、一日でこれだと進める距離がどんどん短くなってしまいそう……。
「そんな顔をするな、リーラが旅に慣れてないのはわかっていた事だ。 父上はそのあたり考えて準備していたからな」
シェリーさんの言葉に思わず見上げ、
「そうなの?」
「ああ……」
問いかける僕に優しく微笑みかけてくれた。
朱色の明かりに照らされるシェリーさんの笑顔はいつもより優しく見えて、すごく温かく感じた。
「こうした方が楽だろう」
シェリーさんに肩を抱かれて急な事で少し驚いたけど、僕を気遣っての行為だからと思って身体を預けた。
時折聞こえる獣の声が響く中で、パチパチと音を立てるたき火が僕達に朱色の光を放つ。
それをぼんやり見つめるだけで、体も心の中も温かくなる気がした。
「……母上に叱られたか?」
「……うん」
不意にシェリーさんに話しかけられ、僕が叱られるのがわかってたような言葉に思わず頷いてしまう。
「無理にとは言わないが……どんな感じだったか教えてくれないか?」
真剣な表情で尋ねるシェリーさんに再度頷く。
理由はわからないけど、シェリーさんにとっては大事な事かもしれないからね。
そう思って、シェリーさんと別れてからの出来事を思い出しながら話した。
「母上らしいな……リーラは母上に叱られてどう思った?」
フィリエルさんが眠っている方を見ながら小さく頷いて、僕へ視線を戻して問いかける。
「えっと……自分のしたことは後悔したけど、僕を想って叱ってくれたことはすごく嬉しかったよ」
それに対して僕は自分なりの笑顔でシェリーさんに答えを返す。
……でも、その時のフィリエルさんの顔を思い出すと胸痛む。
「後悔していると顔に出てるな」
シェリーさんは苦笑いで僕の頭を撫で始める。
考えていたことが顔に出ちゃったのかな……心の中を見透かされたような言葉に反論する気も起きず、しばらくの間されるがままに心地よさに浸った。
「私の質問は以上だが……リーラから私に聞きたい事はあるか?」
撫でる手を止めて僕を見下ろすシェリーさんの言葉に、
「えっと、えっと……」
聞きたいことはあるのにどれから質問するべきなのか迷ってしまい、小さく頭を抱えてしまう。
「夜はまだ長い。 落ち着いて一つ一つ聞けばいいさ」
迷い続ける僕にシェリーさんは小さく吹き出して微笑みかけてくれた。
迷いながらも聞いてみたいことを三つに絞る。
グレイさん達がレリックさんに武器を作って貰う事を断ったのをアルゴさんがどうして正解といったのか。
魔物に襲われる前にレリックさんが僕に何を教えようとしていたのか。
最後は青年が僕をどこかに連れて行けばお金になる? らしい事を言っていた事の三つ。
グレイさん達の事はガーラントさんの方が詳しく教えてくれそうだし、レリックさんは近いうちに教えてくれそうだから……。
「昼間、僕をどこかに連れて行けばお金になるような事を言ってたんだけど……」
言い進むにつれてシェリーさんが僕へ注ぐ視線が厳しくなり、尻すぼみになってしまう。
上目遣いで見つめ返しながら、レリックさんに僕はまだ知らなくて良いって時々教えて貰えなかった事があったのを思い出す。
……もしかしたら聞かない方が良かったのかな。
「おそらく父上が伝えようとしていたのも同じだろう。 リーラは知っておいてもいいかもな」
シェリーさんは厳しい表情のまま一人呟き、
「話す前に一つ聞くが、リーラは自分の価値をどこまで知っている?」
思い立ったように問いかけるシェリーさんの質問の意図が掴めず首を傾げてしまう。
僕の価値……? 少しの間考えた後にふっと思いつき、
「使える魔法と珍しい魔力を込めれる事?」
首を傾げたまま答える。
「そうだな。 リーラの魔法には計り知れない価値がある。 だが、今回の事はそれでは説明がつかないだろう?」
解答が予想通りみたいで、小さく微笑みながら確認するような言葉に頷いてしまう。
魔法の事を知らないはずの青年が、僕にすごく価値のあるような言い方をしていたからね。
「少し昔の話をしようか」
シェリーさんは空を見上げどこか遠くを見るようにして話し始める。
シェリーさんの小さな頃はローエル村ではなく、国境付近の町に住んでいてたみたい。
近くに住んでいたガーラントさんを兄の様に慕っていて、後をついて回っていてた事。
買い物等の外出の時は両親かガーラントさんといつも一緒にだった事を話してくれて、それを話すシェリーさんはすごく楽しそうに見えて、いいなぁって少し羨ましく思えた。
「いつも一緒に居たからわからなかったんだろうな」
続きを話そうとするシェリーさんの表情が徐々に曇っていき、
「ある日、常備しているライ麦粉が切れている事に気付いたんだ。 子供心に思ったんだろうな……母上が喜んでくれると思って一人で外出をしてしまったんだ」
そこで一息ついて水を口に含むシェリーさんは悲しげで、行って帰っただけの話に留まらない……そんな気がした。
「運が悪かったのか、狙われていたのかわからないが近道をしようと路地にはいった途端に、口をふさがれて足が地に着かなくなった……つまりさらわれてしまったのさ」
最後の方は苦虫を噛み潰したような表情で言い捨て、その時の行動を今でも悔やんでいる様に見えた。
「その後の記憶が飛んでいるのはすぐに気絶させられたんだろうな。 気が付いたら見知らぬ小屋の中に居て、初めてひとりぼっちになった不安で数日間泣き暮らした」
意味の無い昔話ではないとは思うけど……それよりもただただ続きが気になって、僕の顔に出てたのかな? シェリーさんは苦笑いで話を続ける。
「ある日、急に外から叫び声や大きな物音が響くと同時に母上が入ってきて私を見た直後に見張りの男を射抜いたんだ」
すごい救出劇みたいな話しに胸を躍らせそうになるけど、何故かシェリーさんの表情は明るくない。
「母上が来て見張りが倒された事で安心したんだろうな、おぼつかない足取りで母上に近づいたんだ」
そこまで話すとシェリーさんは再びフィリエルさんに視線を向け、
「その後にさっきリーラが話してくれた事とほぼ同じ事があったんだが……弓を射抜いた時と、私の頬を叩いた母上の顔は忘れられない」
悲しそうに微笑んでいた。
シェリーさんは僕へ視線を移して見据える。
その行動は僕からの返答を待っているように感じられ、話してくれたことを思い出しながら返しすべき解答を探していく。
今日の僕に起こった出来事と同じ様な経験をしているシェリーさんとの同じ点、違う点を上げていく。
よかれと思ってしてしまった勝手な行動。
さらわれたシェリーさんと未遂で終わった僕。
人を射抜いたフィリエルさんと未遂で終わったシェリーさん。
導かれた答えは……。
「一歩間違えたら、僕はシェリーさんのようにさらわれていた……?」
「そうだな。 もしリーラが私と同じ状況になっていたなら私は躊躇いもなくあの男を射ただろうな」
呟くような僕の言葉にシェリーさんは小さく頷き、自分の考えを述べた。
それは僕を守る為なら人を射ることも厭わない事。
僕を大切に想ってくれている事を嬉しく想う反面、少し間違えれば死人が出ていた可能性を恐ろしく思った。
そして、自分が昔のシェリーさんのようにさらわれたらって考えると、今頃になって何とも言えない不安が押し寄せてきて、肩を振るわせながらシェリーさんに抱きついてしまった。
「同じ事を繰り返さなければいい、叱ってくれた母上の為にもな」
シェリーさんは僕を軽く抱きしめ、優しい言葉を掛けてくれた。
僕が落ち着いたのを見計らったように木の器を手渡してくれ、中にはきれいな赤紫色の液体が入っていた。
「これは……?」
「あの親子が運んでいた物の一部だ。 回収に行った時にそれの入っていた瓶が二本だけ無傷で残っていたんだ」
シェリーさんの説明を聞いて、かいでみるとほのかに葡萄の甘い香りがして、
「一度温めてリーラに飲みやすいようにしておいた」
続く説明に、どうして温める必要があったのかなとコクコクと飲みながら思った。
僕が飲み始めるのを待っていたようにシェリーさんも同じ物を飲もうと口にしたところで目を見開いて僕を見据える。
おかしな所でもあったのかなって思いながら飲み干した。
葡萄の炭酸飲料みたいですごく美味しかった。
空になった容器を置いた所で、体の中からポカポカと温かくなっていき、少し驚いたような顔で僕と器を交互に見るシェリーさんに首を傾げてしまう。
「平気なのか……?」
シェリーさんから掛けられる言葉に再び首を傾げ、
「だあいじょうぶれすよ」
問題ない事を伝える。
あれ……なんだか上手く言えてないかも~?
自分の中で少し違和感を覚えたものの、ふわふわとした心地良さのなかで深く考えることをやめてしまう。
気が付けばシェリーさんが不安の入り交じった表情で僕を見つめている。
どうしてそんな顔をするのかな~?
少しぼや~っとしてきた頭の中で解決策をひらめく。
これならきっと大丈夫なはず~。
「お母しゃん、そんな顔しちゃだめれす」
飛び込むようにシェリーさんに抱きつくと、不意を付かれたのかバランスを崩しそうになるけどしっかり受け止めてくれる。
「リーラが酒を飲むとこうなるのか……」
やれやれといった感じに苦笑いを浮かべるシェリーさんに、「しゃけ?」
気になった部分をオウム返ししてしまう。
そっかぁ、さっきの美味しい飲み物はお酒なんだぁ……あれ~何かすごく大切な事を忘れてるような気がするけど~気のせいかな~?
ただただ楽しい気持ちで一杯になり、思いだそうとする事をやめてしまう。
「シェリー殿、そろそろ見張りの交代を……おやリーラ嬢も起きていたのですか」
ガーラントさんはシェリーさんに声を掛けた後に僕の存在に気付き、
「焚き火に照らされているせいかもしれませんが、リーラ嬢に顔が赤い気がします……失礼」
右手を自分の額にあてて、左手を僕の額にあてる。
「疲れから熱が出ているのかと思いましたが、そうでもなさそうですね?」
そして小さく首を傾げて僕をじっと見る。
僕の心配をしてくれる事が妙に嬉しくなって、
「僕はらいじょうぶれすよ~」
笑顔で心配ないことを伝える。
「シェリー殿……これは一体……」
ガーラントさんが困惑した表情を向けると、
「リーラに渡す方を間違えた」
シェリーさんは苦笑いで肩をすくめながら木の器を見せる。
「なるほど……聞いてはいましたが、リーラ嬢に酒が入るとこうなるのですね……」
ガーラントさんは器の中身を見た後、興味深そうに僕をじっと見る。
少しふらふらするけどすごく心地いいのに、僕に何かおかしいところがあるのかな~?
回りきらない頭の中で、ガーラントさんが僕を見つめる理由が上手く飲み込めなくて首を傾げてしまう。
「アルゴ殿の負担になるでしょうから……明日は私が少し代わりましょう」
「すまない。 苦労をかける」
小さくため息を吐くガーラントさんにシェリーさんが頭を下げる。
どうしてアルゴさんの事でシェリーさんが頭をさげてるのかな~?
そんな事を思いながらシェリーさんをお母さんって呼んだのだからと思いついた事を行動にうつす。
「お父しゃん、お母さんを怒っちゃだめれす」
ガーラントさんの腰のあたりに体当たりをするように抱きつく。
自分なりに勢いをつけたはずだけどびくともしなかった。
「……そう呼んで貰えるのも悪くないですね」
ガーラントさんは見上げる僕に微笑みかけ、頭を優しく撫でてくれる。
その心地よさからか急に瞼が重くなり、体を預けるようにして意識を手放した。
意識を手放す前にシェリーさんの楽しそうな声が聞こえた気がするけど、聞き取ることが出来なかった。
読了感謝です。