彼方からの手紙(後編下)
※入れ替わり表現があります
いつものように部屋に入ると、食事の準備は終わってて、テーブルの上には籠に盛られたライ麦のいつもより小さな黒いパン、木の器から湯気の立つ玉葱のスープ、大皿には葉野菜が重ねられている。
部屋の中を見回すと、皆揃っていて、僕達が最後だったみたい。
「二人とも起きたようじゃの」
僕達に気付いたレリックさんの言葉を皮切りに挨拶を交わし、それを終えると食事が始まる。
「よく眠れたかの?」
「うん」「ええ」
レリックさんの質問に心地よい返事を返し、フィリエルさんがしてくれているように、パンを一つ取って渡す。
少しだけパンを持った感覚が違った気がするけど、いつもと違う身体でライ麦のパンだからかなと深く気にはとめなかった。
「ありがとう」
『僕』が笑顔でお礼を言いながらかぶりつく。
ガリッ……ご飯の中に入っている小石を噛みしめたような音が聞こえる。
「か、かたひ……」
少しだけ涙目になりながら感想を述べる『僕』。
それを聞いてパンを一つ掴んで、ノックするように叩いてみるとコンコンと乾いた音が小さく響く。
「レリックさんこれ……」
パンを小さく掲げて尋ねると、
「それはじゃな……」
レリックさんにしては珍しく歯切れが悪い。
パンを焼くのに失敗しちゃったのかな……でもレリックさんなら自分で失敗したなら食卓に置かないと思うし……。
「すまない……私が一人でやりたいと父上にお願いしたのだ」
シェリーさんは肩を落とし、申し訳なさそうにしている。
『僕』の立てた音と表情を見れば仕方ないのかも。
「水の量と火を通す時間をしっかり教えないといけないわね」
『僕』がさっきかじり付いたパンを片手に溜息吐く。
「わかった……」
『僕』の指摘にシェリーさんはさらに沈んだような表情になってしまう。
一生懸命作ったのだろうから、ちょっと可哀相にみえちゃう。
「レリックさん達は食べなかったの?」
ふと沸いた疑問を問いかけてみる。
持ってみたらちょっと違う感じがわかりそうだし、味見もすると思うし……。
「すまん、フィリエルに一番に食べてほしいと言われて、手をだせなかったのじゃ」
「申し訳ない」
「すまねぇ」
男性陣から謝罪の言葉が飛び出し、申し訳なさそうにしている。
その解答に思わず苦笑いになってしまう。
昨日僕が大丈夫とは言ったけど、元気な姿を見てないから安心はできなかったのかな。
だから張り切って一人で……。
「もう……そんな事聞いたら怒るに怒れないじゃない」
『僕』は小さく息を吐き、パンを置いてシェリーさんへと近付いていくと、背伸びをして頭を撫で始める。
「旅先でパンを焼く機会なんて無いものね。 しっかりと教えて上げるからガーラントさんにはこんな固いのを食べさせちゃ駄目よ」
「うん……」
優しく微笑みかける『僕』にシェリーさんは申し訳なさそうに頷く。
でもさっきまでの沈んだ感じじゃなくて、どこか嬉しそうだった。
「それでこの固いのどうするんだ?」
アルゴさんがさっきの僕と同じようにパンを叩きながら尋ね、
「ふむスープに浸けて柔らかくするかのう」
そのパンを見つめながらレリックさんが食べる方法を模索する。
スープに浸したら柔らかくはなりそうだけど……。
同じようにパンを見つめていると、ランド村で食べた麦粥とフィリエルさんが作ってくれた林檎をすり下ろした物をふっと思いだし、それをヒントに食べやすくなりそうな方法を思いつく。
「このパンをすり下ろしてスープに浸けたらどうかな?」
「そうね、そのほうが食べやすそうね」
僕の提案に『僕』が同意して頷く。
「なるほどのう、それならあれを取ってくるかの」
そう言ってレリックさんは奥へと入っていったかと思うと、すぐに金属のおろし金みたいな物を片手に戻ってきた。
「流石にパンの固さに負けることは無いと思うがの……」
レリックさんはパンを片手に下ろし金と見比べて、躊躇うように呟きながら、両方を合わせて削り始める。
ガリッ、ガリッと固い物が擦れ合う音が小さく響き、パンが小さな欠片になってお皿の上に落ちていく。
「ふむ、なんとかいけそうじゃの」
ひとつのパンを削りきり、下ろし金の状態を見ながら一言。
「そんなに固いのか……」
シェリーさんはげんなりとした様子でそれを見つめていた。
その後、アルゴさんがレリックさんに代わってすり下ろしていたけど、結構な力を入れていることが顔ににじみ出ていた。
パンを全部すりおろして、スープの器に入れてかき混ぜるとパンのお粥みたいになった。
『僕』がスプーンでひとくち口に含むと、
「こんな食べ方も悪くないわね」
小さく頷いて一言。
「味は悪くないですね」
「腹持ち悪そうだがな」
ガーラントさんとアルゴさんが思い思いの感想を漏らす。
僕も食べてみて同じような感想を思い浮かべた。
二人の言うとおり味は悪くないんだけど……消化は早そう。
「まぁ、パンのままスープに浸すよりは食べやすそうじゃな」
最後にレリックさんの言葉で感想を締めくくられ、食事が進んでいく。
シェリーさんは終始気落ちした感じで黙々食べていて、もしかしたら僕も同じ様に失敗する事もあるかもと、心の中で気をつけようと心に刻んだ。
ちょっとした問題もあったけど食事も問題なく終わり、一息つく。
お腹も落ち着いた事だし、『僕』が話をどう切り出すのかなと視線を送ると、それに気付いて『大丈夫』と小さく微笑んで頷き返してくれた。
「昨日の手紙のことについて、私から話したいことがあるのだけど聞いてもらえるかな?」
『僕』の言葉に皆の視線が集まり、レリックさんとガーラントさんは小さく頷き、シェリーさんは何か言いたそうに口を開きかけ、アルゴさんはただ見つめるだけだった。
少しでも不安を無くせればと思い、『僕』の後ろへ移動して両肩に手のひらを軽く乗せる。
驚いたように見上げる『僕』にゆっくりと頷く。
それを見て『僕』は改めて表情を引き締めるとレリックさん達へ視線を向ける。
『僕』は僕の意図する所を読みとってくれたみたい。
「あの手紙の私の兄からで、内容は……」
『僕』は手紙の内容から話を切り出し、話し始める。
兄からの手紙は母親の病気の事と、帰郷を促す内容であった事。
それを見た僕とどちらに先に行くかと言う話になり、折れない自分に僕が声を荒げた事。
僕の説得に応じて、自分の故郷から先に訪れるのに納得した事。
「その後の話はリーラちゃんから伝わっていると聞いてるわ」
そこで『僕』は話を締めくくると、部屋の中はしんと静まった。
レリックさんは目を閉じて考え込んでいる様子で、シェリーさんはちょっとした放心状態になってて、ガーラントさんは心配そうに肩を抱いている。
アルゴさんは腕を組んで様子を伺っているみたい。
驚きと戸惑い、聞くことを躊躇っている感じが伝わってくる。
そのまま部屋の中は静寂が支配し、時が止まったように皆動かない。
僕の前世で使っていた針の動く腕時計があったら、針の動く音が部屋に響きそう。
静寂を最初に破ったのはレリックさんで、
「フィリエル里までどのくらいの距離があるんじゃ? 里を飛び出した理由は知っておるが、場所まではしらんからのう」
「確か……当時の私の足で急いで国境から三日程かかった気がするわ」
レリックさんの質問に、『僕』は人差し指をあごにつけて、天井に視線を向けて思い出すようにして応える。
そういえば、フィリエルさんが里を捨てた「はぐれ」だと言うことは聞いてるけど……今まで考えた事も無かったけど、一体どんな理由で出ることになったのかな?
「そうすると……リーラを連れて行く事を考えると七日は覚悟せねばならんのう」
「そうね。 リーラちゃんがどれだけ歩けるかわからないものね」
レリックさんが行程の時間を試算し、『僕』は同意して頷く。
沢山歩いた回数は……レブの森の時とここを飛び出した時ぐらいかな。
全く考えてなかったけど、ランド村へ向かうのは沢山歩く事になるんだよね。
多分、前世でも経験したことないぐらい長く歩くことになるよね。
「それで、ランド村へ同行してくれる皆の同意が欲しいのだけれど……」
『僕』はどこか遠慮気味に話を切り出す。
全行程がどのくらいになるのかわからないけど、少なくともそれに二週間の移動行程が追加になってしまうからなのかな。
「わしはかまわん。 最後の旅に寄り道がつくだけの話じゃからのう」
「わ、私も賛成なのだが……生まれてこの方会ったことのない母上の身内に、会っていいのか正直わからない」
レリックさんに続いて、放心状態から復活したシェリーさんも戸惑いながらも同意する。
シェリーさんからすれば、全く知らない母親の実家へ行く話になるから仕方の無いことかも。
「私は同行しないので静観させて頂きます」
ガーラントさんはまだ動揺気味のシェリーさんの肩を抱いたまま、様子を見守る事を宣言する。
「俺は反対だ」
最後にアルゴさんが反対を口にし、皆の視線を集めて理由を話し出す。
ミーナとディンに会わせてできるだけ早く安心させたい。
フィリエルさんを信用しないと言うわけではないが、手紙の内容は信用し難い。
自分は家族ではないので里へ入らせてもらえないので行く意味がない。
三つ反対の理由を述べる。
一つ目と二つ目はわかるんだけど、三つ目の理由は……なんだろう、自分だけ無駄足になるのを嫌がってる感じに聞こえる。
「アルゴの言うとおりでもあるのう。 手紙の信頼性は無いように見えるが……」
レリックさんは何かを言いかけてやめ、視線を『僕』に移す。
「そうね……アルゴさんの言うように信頼性は薄いかもしれない。これが私が里を出て数年の事なら疑っていたと思うわ。里を出る時に、三十年以上経ったら……一度戻ってこいって兄に言われたの」
それに応じるように、『僕』は自分の考えと経緯を伝える。
つまり、長い時間の経過したから、今頃嘘の手紙を送るとは考えにくいってことだね。
「寄り道については僕が望んだことだから……ディンさんとミーナさんもきっとわかってくれるはずだよ」
アルゴさんの気持ちも分かるけど、フィリエルさんに長く会ってない家族に早く会って欲しい気持ちのほうが強い。
「ぐ……」
反対意見の二つをすぐに反論され、苦虫を噛み潰したように表情をゆがめるアルゴさん。
後一つの反対意見をなんとかすれば……家族でないから入れない……か。
「えっと……アルゴさんを僕の婚約者と言うことにすれば一緒に入れないかな?」
家族でないなら、家族扱いにすれば良いという思いつきを口にすると、アルゴさんは口を開いたまま固まってしまい、レリックさんは苦笑いを禁じ得ないみたいで、ガーラントさんは驚いてるのかな……目を大きく開いてて、シェリーさんと『僕』は電池が切れたみたいに停止していた。
思った以上の皆の反応に驚いてしまう。
「リーラ嬢、さすがにそれは無理だと思うのですが……」
「だって、年齢的にはシェリーさんがいいかもしれないけど……ガーラントさんに悪いし……婚約者といっても結婚なんて先の話だから解消だってありえるでしょ?」
比較的冷静であったガーラントさんの切り返しに僕の考えを伝えると、
「エルフの婚姻についてはよくわかりませんが……やはり年齢的に難しいと思います」
再び否定的な言葉を返される。
やっぱり無理があるのかな……小さく肩を落としてしまう。
「アルゴよ、もういいのではないか?」
「やっぱり見抜かれていたか、レリックさんにはかなわねぇな」
成り行きを見守っていたレリックさんによって投げかけられた言葉に、アルゴさんは肩をすくめて苦笑いを返す。
「元より反対する気はなかったんだが、手紙の信憑性と進路変更による遅れをどう考えているかを聞きたかったんだ。 三つ目はついては本心に近いものだったから反論につい身構えちまったが……」
アルゴさんは反対した理由を口し、そこで区切って溜息を一つ吐いて、
「予想外なリーラちゃんの提案に驚かされちまったぜ」
渇いた笑いを返してくれた。
苦い顔をしたのは、三つ目の反論に身構えたからみたい。
一体どんな事を言われると思ったのかな……僕の提案はそれの中に含まれてなかったみたいだけど。
「えっと……それじゃアルゴさんは形だけの反対だったの?」
「そう言うことだ。 多少行程が増えたところで、ランド村へ行くことが変わりないなら特に問題はないぜ」
僕の質問にアルゴさんは頷いて返し、
「乗りかかった船だしな。 最初っからとことん付き合う気だったさ」
僕に向かって、満面の笑みでサムズアップする。
僕はその気持ちが嬉しく、アルゴさんに近づいて思わず抱き締めてしまう。
感謝の気持ちを示したつもりだったけど、アルゴさんは目を点にして固まっている。
どうしてなのかな? そう思いながら見下ろすと、抱き締めることによって、押しつぶされる胸とその感触により、自分がフィリエルさんの体で抱き締めている事に今更ながら気づき、急いで抱擁を解く。
「ふむ……アルゴはまだ女性に対して初心なのかもしれんのう」
その状況で一人冷静であったレリックさんが客観的な感想を漏らした。
その後、復帰した『僕』にこんこんと婚約者発言についてお説教され、
「気持ちだけでも充分嬉しいからな、それで充分だ」
アルゴさんは微笑みながら気にするなと言ってくれた。
「なんというか、中身が違うと頭の中でわかっていても、戸惑ってしまうな」
シェリーさんが額に手のひらを宛てて苦い溜息を吐くと、
「そうですね。 わかってはいても……リーラ嬢に説教されているフィリエル殿にしか見えませんからね」
ガーラントさんも苦笑いで同意する。
「まぁ、今夜には元に戻るじゃろうから、それまで普段見られない光景を楽しむのもよいじゃろう」
そしてレリックさんは今しかない状況を楽しめばいいと締めくくった。
お説教する『僕』はどこか悲しそうに見えたのはどうしてなのかな。
その日は、『僕』にあれこれ指示をもらい、シェリーさんが朝食の失敗を取り返そうと昼食の準備を進めて、その時に突然訪ねてきたカリンさんを僕が応対をしたんだけど、受け答えが少しおかしかったのか、体調を心配されてしまった。
皆が言うには、レリックさんの言うとおり、普段見られない光景が沢山みられた一日だったらしい。
夕食には朝よりかなり柔らかくなったシェリーさんの作ったパンにガーラントさんが合格点を出すと、嬉しそうにはにかんでいた。
夕食も終わり寝室へ行き、『僕』と一緒にベッドで横になる。
「こうして客観的に自分を見る事が出来るのは良いものね」
小さく見上げるようにして『僕』が微笑む。
「いつもとものが違って見えるから戸惑う事も多いけどね」
今日一日を振り返り、思わず苦笑いを返してしまう。
「そうね。 いつもならそのままでいいところが、今日は見上げてばかりだったわ」
『僕』は苦笑いになるけど……どこか楽しそうにしている。
僕の体になったことで何か面白い発見でもあったのかな?
「魔力も戻ってきたと思うから……元に戻ろっか?」
そう言いながら『僕』が首にかけている十字架に手を伸ばすと、
「ちょっとまって」
『僕』は伸ばした僕の手を両手で包んで遮る。
何だろう? 行動の理由がわからなくて困惑してしまう。
「次にしてもらえる機会があるかわからないから……ぎゅっとしてもらいたいの」
『僕』の上目遣いで遠慮気味のお願いに頷いて『僕』を抱き寄せる。
少し強めに抱き締めながら、これもある意味今の状況だからこそ出来ることなのかな。
そんな事を考えながら、片手で『僕』の髪を手櫛で梳いていく。
『僕』が心地よさそう目を細めるのを見ていると、不思議な満足感があふれ出してくる。
どうしてそう感じるのかな……手櫛で梳き続けながら考えているうちに、気がつけば『僕』の目は閉じられていて、規則正しい吐息の音が聞こえてきた。
疲れて……というよりは心地良すぎて寝ちゃったのかな?
元に戻ったら一度お願いしようかな……そんな事を考えながら『僕』の寝顔を眺めていたら、自分でも意識しないうちにくすりと笑みを漏らしてしまう。
起こさないように慎重に抱擁を解いて、『僕』からネックレスを慎重に外す。
ネックレスの仕掛けを回し、十字架のカバーを取り外して『僕』の近くに置くと、仰向けになって魔法による光が漏れないように、十字架を近くにに置いて手のひらで覆う。
これでよしっ、変な体制で入れ替わっちゃうと良くないしね。
下準備を終えた僕は前回と同じように念じると、覆った手のひらから光が漏れているのが見えた直後に視界が暗転し、小さな疲労感を感じながら目を開く。
ゆっくり起き上がると、隣にはフィリエルさんが心地よさそうに寝息を立てているのが確認できる。
起こしちゃうかもしれないから、十字架はそのままにしておこうかな。
今日の出来事を思い出しながら、僕の思いこみで入れ替わった事により、皆への説明やシェリーさんへの指示で不自由な思いをさせちゃったかなと謝罪の気持ちを込めて、頬に唇を落とした。
シェリーさんも戻って来たし、先に行く場所もできた。
明日から出発に向けての準備が始まるのかな……僕に手伝えることがあるといいな。
そう思いながら仰向けに寝そべると、心地よく眠っているフィリエルさんにつられるように、意識を手放した。
読了感謝です