名も無き存在
目を覚ますと、隣にはもうフィリエルさんは居なくて……寝坊しちゃったかも、早くお手伝いに行かないと……。
寝過ごしてしまった日を思い出し、慌てて起き上がると、胸の辺りに何時もとは違う違和感を感じて見下ろす。
服を押し上げているそれが目に入り、あ……まだフィリエルさんの体のままなんだっけ。
入れ替わったままであった事を思い出し、眠る前の事を少しずつ思い出す。
シェリーさんの治療、フィリエルさんへの説明、レリックさんとの口付け……。
思い出すと頬が熱くなっていく……もしレリックさんが気付かなかったら体的には問題が無いかもしれないけど、精神的に大きく問題がありそう。
途中で止めてくれてよかったはずなのにどうして残念におもってしまったのかな? 元に戻ったらこっそりレリックさんに聞いてみよう。
僕はフィリエルさん、僕はフィリエルさん……暗示をかけるように心の中で繰り返すと、今日一日頑張って乗り切ろうと心の中で呟いた。。
かすかに香るパンのにおいに食事の準備は終わってるかなと思いながらその元へと歩いていく。
テーブルにはパンとスープが並べられており、三人が僕に気付いて、
「おはよう、よく眠れたかの」
「フィリエルさん、おはようございます」
「母上、おはよう」
それぞれ挨拶をすると、
「おはよう」
と微笑みながら挨拶を返して、
「ごめんなさい、寝坊しちゃったわ」
「気にするでない、昨日わしがやっておくと言っておったろう? リーラも手伝ってくれたからのう」
レリックさんが|『僕』の頭を撫でると、
「リーラちゃんありがとう」
僕も一緒になって撫でると『僕』は、はにかんでみせる。
僕らしい行動なのかもしれないけど、娘の前でレリックさんに撫でられるのはちょっと恥ずかしかったりするのかも?
「揃った事だし、食べるとするかのう」
レリックさんの言葉に従うように食事が始まる。
「リーラちゃん、はい」
僕はパンを一つ掴み、『僕』へと手渡す。
「ありがとう、フィリエルさん」
『僕』は微笑みながら受け取って、かぶりつくと、片目を瞑って僕にウインクをする。
食べ方も気をつけてと、僕に言ってるみたい。
前回それでレリックさんにばれちゃったからね。
僕もパンを一つ手に取ると、小さく千切って口へ運ぶ。
……なんだか物足りない、明日までの我慢と思って、少しずつ食べる。
「母上」
シェリーさんに急に呼ばれたので、
「ど、どうしたの? シェリー」
ちょっと慌てたような返答になってしまう。
「昨夜のことはリーラにも話した。 怪我が治った事は隠せないからな」
「フィリエルさんはすごいんだね」
『僕』の言葉に首を振って、
「すごいのは、あの武器を作ってくれたレリックと、魔力をこめてくれた人よ。 私はそれを使っただけ」
辻褄をあわせないといけなんだけど、自分を褒めているように感じて少しくすぐったい。
「その魔力を入れた人に会いたいものだな、その人のおかげで私は再び弓を引くことも出来そうだ」
シェリーさんは左手を開いて閉じてを繰り返す、少しだけぎこちないのは動いてない期間があったからなのかな。
もう会ってます、目の前に居ますとはいえないので、苦笑するしかなくて、その事実を知っているレリックさんと『僕』は苦笑いを僕に向けていた。
「ふむ……怪我が治ったから冒険者に戻るのかのう?」
レリックさんの問いかけにシェリーさんは首を振って、
「冒険者に戻るつもりは無い、母上に貰ったこの恩恵を二度と失いたくは無いからな」
左腕の怪我のしていた辺りに右手を当てて言うと、
「そうか、では結婚相手を探さんとのう」
冒険者に戻る意思は無いと言ったシェリーさんにレリックさんはさらりと結婚話を持ち出す。
「ち、父上!? 私は父上以上の者でないと嫌だと……」
「冒険者を続けるなら会う機会もあるじゃろうが、やめるとあれば仕方ないじゃろう? それにわしも死ぬまでに孫の顔が見たい」
レリックさんの言葉に狼狽するシェリーさん。
ガーラントさんの事を応援すると言ってたもんね……それなら僕も。
「それなら、ガーラントさんが良いわね、大切にしてもらえるわよ?」
「は、母上まで何を言うんだ」
さらに動揺を広げるシェリーさん、『僕』を見てみると、うんうんと頷いていた。
「だ、だめだ、ガーラントは私にそういう気持ちを持ってない」
「ふむ、どうしてじゃ?」
頬を染めて首を横に振るシェリーさんに、三人で首を傾げてしまう。
ガーラントさんは結婚を申し込むと言うぐらいだし……シェリーさんとの関係は良好なはず。
「冒険者をやめると決めてから、ガーラントに酒場で会った時にわざと酔いつぶれてみたんだ……。
そしたら私に何もしなかった……私に興味が無いんだと落ち込んだよ」
シェリーさんは自嘲するように呟くと、その内容に驚愕してしまう。
ガーラントさんと一緒にこなかった理由ってもしかして……これなのかな……?
「ど、どうしてそんな事をしたの?」
「……いつだってガーラントは私の味方になってくれた……」
といってシェリーさんは独り言を言うかのように語りだした。
レリックさんのような冒険者になりたいと言ったときに、フィリエルさんの強い反対を一緒になって説得してくれた事。
冒険者になってからも、ギルドの依頼に失敗して落ち込んでいれば励ましてくれ、依頼の報酬を減らされて不満を漏らしていれば愚痴を聞いてくれて、
相談を持ちかければ解決へと導いてくれた。シェリーさんのから語られる内容からどれだけガーラントさんの事を信頼し、想っているのかが良く伝わってくる。
「いつも私の事を案じてくれた……そのガーラントに腕の傷の事で自棄になっていたせいもあるが、私自身を捧げてもいいと思ったんだ」
驚きながらも理由を聞くと、顔を赤らめて俯きながら理由を説明するシェリーさん。
それを聞いたレリックさんは頭を抱え、『僕』は目を丸くしていた。
「ガーラントの性格を知っているじゃろう……あやつは真面目に介抱するだけに決まっとる」
レリックさんが半ば呆れたように言うとシェリーさんは肩を落とす。
「それだけ想ってるならいっそガーラントさんに告白してみたら?」
『僕』が溜息混じりに呟くように言うと、
「そうね、真面目なガーラントさんなら直接言う方が伝わりやすいと思うわよ」
僕も同意するように続けて、
「まずは、告白よりも心配させた事を詫びて来るんじゃ……全く我が娘ながらなんて誘い方をするんじゃ」
レリックさんが溜息混じりに言う。
「わかった……近いうちにガーラントに会ってくる」
シェリーさんは逃げ場は無いと判断したのかうなだれるように頷いた。
食事も終わり、今日一日、どうやって過ごそう……とぼんやりとしていると、
「母上、一緒に水浴びに行かないか?」
シェリーさんが思いついたように言うと、僕は返答に困ってしまい、レリックさんに視線で助けを求めると。
「片付けはわしがやっておく、一緒に行って来るとよい」
首を振って『諦めなさい』と僕に返す。
つまり、普段のフィリエルさんなら断る事はないんだね。
「母上?」
「そうね、久しぶりに一緒に行きましょうか」
大丈夫かな……と一抹の不安を覚えつつ返答すると、
「リーラも一緒に行って来くるとよい、手伝いは無くでも大丈夫じゃ」
「うん、わかった」
僕が不安なのを察してくれたのか、『僕』を一緒に行くように促してくれた。
三人一緒に湖へ行く事に、
湖へつくと二人とも服を素早く脱いで湖へ……女性同士だから問題ないはずなのだけど、やっぱり目のやり場に困ってしまう。
「母上?」
先に湖へ入って体を洗っているシェリーさんから呼ばれてしまう。
「ごめんなさい、今行くわ」
すぐに返事をしたけど、不信に思われちゃったかな……?
怪しまれないようにしないと……僕はゆっくりと服を脱ぐと生まれたままの姿になる。
フィリエルさんと水浴びの時に多少はなれたはずだけど……やはり恥ずかしい感情が抑えきれていない。
ゆっくりと湖にはいると、出来るだけ二人を見ないようにして、体を丁寧に水をかけて撫でるように洗っていく。
所々で僕の体ではまだ感じる事がないような感触が返ってきて途惑うものの、顔には出さないように必死にこらえて洗い続けていると、
「母上」
不意に声を掛けられて、体をこわばらせてしまう。
「な、なに?」
「ガーラントは母上のように大きい方がいいのだろうか?」
シェリーさんが自分の胸に手のひらを当てて、頬を赤く染めながらはにかむように聞いてくる。
フィリエルさんに比べるとちょっと小さいかもしれないけど……それを僕に聞かれても困るよ……。
そういった知識のない僕はどうしよう……と考えた後に、
「好みは分からないけど……大丈夫、シェリーの中身を見てくれるわよ。 ガーラントさんは胸の大きさには拘らないと思うわ」
何とか笑顔で解答を返す。
「そうか、母上もそう思うか」
どこかホッとしたような表情を浮かべるシェリーさん。
何とか誤魔化せた……僕も心の中で安堵する。
結局はガーラントさんの事を気にしているんだね。
シェリーさんの後方で僕を見守っていた『僕』もホッとしたように表情を緩めていた。
水浴びも終わり、湖からあがると、
「『ウォームウインドベル』」
僕が魔法を唱えると鈴の音と共にドライヤー代わりの暖かい風を吹かせる。
「母上これは何の魔法です?」
少し驚いたように聞くシェリーさんに、
「火と風の魔法をアレンジしたものだけど……?」
何も考えず解答すると、シェリーさんは思案顔になり黙り込む。
何かまずいことをしちゃったのかなと思い、『僕』を見てみると、不安そうに見つめ返している。
そういえば、フィリエルさんが火と風の魔法を使っていたのを見た覚えが無い。
なんとか誤魔化せて気が緩んでいたのかな……でも使った見せた魔法は誤魔化せないかも。
体を乾かし終わると魔法を解き、服を着る。
僕が着終えるまでに『僕』とシェリーさんはもうすでに終えており、僕が終わるのを待っていたようにシェリーさんが口を開く。
「母上」
「シェリー、どうしたの?」
何だろうと思い振り返ると、
「いや……母上の姿をした貴女は何者だ?」
「な、何言ってるの?」
シェリーさんの鋭い言葉に、返答が上ずってしまう……これじゃ本人じゃないと言っているようなもの。
「昨日起こされたときから小さな違和感があった……あの十字架のせいかと思っていたが」
そこで区切って、逃げられないように僕の両腕を掴むと、
「今日になって、母上……他に呼び方が無いからこう呼ばせてもらうが、母上から感じる魔力が何時もと違っていた」
困惑する僕は何も言えず……シェリーさんの後ろにいる『僕』は心配そうにこちらを見ている。
「水浴びでは、私を見ないようにしているし、魔法も母上の使えない風と火の魔法を使っていた!」
シェリーさんの表情は怒っている様ではなく、悲痛に染まりかけている。
「母上に腕を治してもらったことは感謝しているが、昨日とは違う母上の貴女は誰なんだ?!」
僕がフィリエルさんでない事を確信したのか、僕に向ける突き刺さるような視線が痛い。
次の言葉が来る事を身構えて待っていると、シェリーさんの視線が僕からそらされる。
シェリーさんの視線を追ってみると、『僕』がシェリーさんの腰の辺りを抱き締めていた。
「……リーラ?」
突然の事にシェリーさんは僕の腕を拘束する力を緩め、離してしまう。
外された場所は赤くなっていて、動揺していてあまり感じなかった痛みが今になって伝わってくる。
『僕』が悲痛な表情でシェリーさんを見上げていて、その思いがけない行動のおかげでシェリーさんの意識が僕からそれたので少しだけ落ち着いて、
フィリエルさんの機転のおかげで少しだけ余裕が出来たので……この場をどう収めるかを考える。
「シェリーさんごめんなさい、私はフィリエルさんの願いを叶える為に今日だけ体を借りているの」
正直苦しい言い訳だと思うけど……。
その言葉にシェリーさんも『僕』も目を丸くして僕を見つめている。
「で、では私の母上は今どこにいる?」
再び僕を問い詰めるシェリーさんに、僕は少し俯いて胸の上の辺り手のひらをおいて、
「今は信じて貰うしかないのだけれど……それは言えません、ですが明日には元の『フィリエル』さんに戻っています」
「……父上は知っているのか?」
僕を睨むように厳しい視線を当てたまま問うシェリーさんに僕は頷いて、
「レリックさんには話してあります、聞いてもらえば分かると思いますよ」
僕はそう言ってシェリーさんを正面に見据えるように見つめ返す。
ここで視線をそらしたら信じてもらえない気がしたから……。
「そ、そうか……父上が知っているなら……貴女を信用しよう」
シェリーさんは安堵したように、僕に向けていた視線を外すと、
「リーラもありがとうな、私を止める為にくっついて来たのだろう?」
『僕』はほっとしたように表情を緩めてこくりと頷くと、シェリーさんはお礼代わりに頭を撫で始める。
心地よさそうに目を細めてなすがままにされている『僕』。
ひとまず僕に対するシェリーさんの追求が終わった事に安心したのかも。
「だけど、今日の母上の事は村の者には内緒だからな」
シェリーさんが口止めをすると、『僕』は再度頷いた。
「まぁ言ったところで信じてもらえるとも思えないけどな」
溜息混じりに小さく言うと、
「帰ったら、父上に教えてくれなかった事を聞かないとな」
自分に言い聞かすように呟いた。
家へと戻る道すがら、シェリーさんの後姿は少し肩を落としているように見える。
レリックさんから教えてもらえなかった事がショックだったのかな。
『僕』と一緒にシェリーさんの後を追いながらそう感じた。
読了感謝です