母と娘
僕とフィリエルさんが入れ替わった騒動から三日過ぎた。
元に戻った後、フィリエルさんより先に目が覚めたので、フィリエルさんを装ってレリックさんに話しかけみたら、騙された振りをして僕に近づいてきて……眠っているフィリエルさんを起こすほどの……この先はもう思い出したくないかな。
レリックさんはしっかり見ているって良くわかった貴重な経験でした。
でもフィリエルさんの視点から見た僕を感じる事ができたのはすごく貴重な体験だったと思う。
あれが愛しいっていう感情なのかな、将来子供を授かる事になれば僕の体でも感じるようになるかも?
でもそれって僕が産む……ことになるのかな、今の僕は女性だからそうなるよね。
少し前まで考える事すら早すぎるって逃げていたのに、今は少しだけ自然に考えられるようなったのかも。
少なくともすぐに考えを拒絶する事はなくなった気がする。
元に戻った翌日から食事の食器を運ぶのが僕のお仕事に加わった。
僕からやりたいとの申し出に、フィリエルさんは「気にしなくても大丈夫よ」と笑って答えてくれたけど、僕になったフィリエルさんが率先して食器を運んだ光景を見て、僕の出来る事があるのだからやらなきゃと感じた事を説明すると、「わかったわ、お願いするわね」と微笑みながら頭を撫でてくれた。
その日の昼食と夕食はしっかりと手伝えたのだけど……その翌日のフィリエルさんに起こされて手伝おうと後を追って行くと……朝食の準備はすでに終わっており、
「自分から起きるのもお手伝いのうちよ」とフィリエルさんに微笑みながら言われて、肩を落とすと、
「徐々に慣れていけばよい、明日からまた頑張ればいいんじゃよ」レリックさんは慰めるように僕の頭を撫でてくれた。
今日は何とか起きる事が出来、手伝えてホッとしながら朝食をとる事に。
いつものようにパンにかじりついて、もぎゅもぎゅとしていると、
「蜂蜜を昨日使い切ってしまったから、お使いお願いしてもいいかな?」
フィリエルさんからのお願いに僕が頷くと、
「食事が終わったらお金を渡すからお願いね」
と微笑んで言うと、フィリエルさんも食事に戻る、その様子を見てみるとあの時レリックさんが言ったように千切ってパンを食べている。
僕もあんな感じに食べるようにしたほうがいいのかなと、ぼんやりと考えていた。
食事も終わり、蜂蜜のお金を受け取って外に出ようと思ったところで忘れ物に気付いて寝室へ戻る。
リボンを手に取り、後ろ髪を結ぶと、水瓶に覗き込み鏡の代わりにしてリボンのバランスを見る。
やっぱり少しだけ曲がっているように見えるけど……まぁいいかなと少しだけ妥協する。
リボンを貰ってからというもの、村へ行くときは出来るだけ身に付けて行く事を心がけるようにしているのだ。
準備も完了したので、ドアを開き外に出ると、フィリエルさんが空の野菜籠を持っており、収穫にでも行くのかなと見ていると、僕に近づいてきて、
「リーラちゃんリボン曲がってるわよ」
と微笑みながら結びなおしてくれる。
僕はやっぱり見抜かれてしまったと苦笑いしてしまう。
「これで大丈夫ね、行ってらっしゃい」
結び終えると、背中とぽんぽんと叩いて終わったことを知らせてくれる。
「行ってきます」とフィリエルさんに微笑み返すと僕は村へと歩き出した。
村へと下って行く道すがら、こうやって蜂蜜を買いに行くのも一ヶ月振りなのかな、あの時はすごく浮かれて出て行ったのに帰ってきたときは意気消沈してたっけ。
一ヶ月前の事を思い出して苦笑する。
カリンさんに蜂蜜飴をもらったのもその時だったかな、行く度に貰ってて、ある意味僕の表情で飴の味を確かめていた様な気もする。
あれこれ思い出しながら歩いていると気がつけばカリンさんのお店の前まで来ていた。
ドアを開いて中に入ると、かすかにミントの残り香を感じる。
この前まで少し頭が痛くなりそうなぐらいな香りだっただけに、漬ける分が終わったのかなと思いながらカリンさんを探すと、
「あら、いらっしゃい今日は何の御用かしら?」
乾燥した商品が置いてある棚から物を取りながらカリンさんがこちらに気付く。
「蜂蜜を一つ下さいな」
カリンさんに欲しいものを伝えると、取ろうとしていた物を棚に戻して隣の棚の蜂蜜を取りに行き、在庫の確認かな? 一つ一つ指を刺しながら小さく何かを言っている。
そして数え終わったのか蜂蜜を一瓶取り出しテーブルに置くと、僕をじっと見る。
なんだろう? と首を傾げていると……。
「新しい服できたのね、リボンとお揃いでよく似合ってるわよ」
僕へと微笑みながら言うカリンさん。
そういえば、フィリエルさんがこの服を完成させてからお披露目に来てなかったっけ。
「ありがとうございます」
笑顔で返すと、
「やっぱり、リーラちゃんは笑顔が一番ね」
目を細めて僕をみるカリンさん。
正面から言われるとちょっと恥ずかしいかも……。
しばらく雑談に花を咲かせていると、
「ちょっと道具を取ってくるわね、待ってて」
何かを思い出したようにお店の奥へと歩いていった。
何を取りに行ったのだろう? 少しだけ考えてすぐに思い出す。
前回落とすかもって事で背負子に括り付けてくれたんだっけ。
カリンさんが戻ってくるのを待っていると、キィとドアが開く音が聞こえたので視線を向けると、深くフードを被った人が立っていて、ガーラントさんがこの前来た時のような革製の防具を手足に付けていて、胸当ての曲線から女性だとわかる。
背中に背負っている弓が見えるから、狩人さんかな?
僕の視線に気付いたのか女性は僕を少し見ると、フードの間から見える表情は驚いたように僕を見つめている。
「リーラちゃんお待たせ……あら」
背負子を持って奥から出てきたカリンさんの一声が微妙に緊張しかけた空気を破った。
「シェリーさんだと思うけど……フードを取ってもらってもいいかしら?」
「ああ、すまない、いつも被ったままだったから村に入ってもそのままだったよ」
カリンさんの要求に応える様に女性がフードを取り去ると、胸の辺りまでかかるぐらいの白髪に、少しだけ釣りあがった眉と綺麗な翠の瞳から伝わる力強さ、それに僕やフィリエルさんよりも少し短くて丸みを帯びて尖った耳。
顔立ちはフィリエルさんに良く似てるけど、凜とした表情が違いを物語っていた。
そんな感想を心の中で思っていると、
「何かご入用かしら?」
「いや、家に帰りづらくて、ここに顔をだした」
カリンさんと知り合いなのかな? 名前で呼び合っていたしシェリーさんて……シェリーさん?!
ガーラントさんが近いうちに来るという事を言ってたけど……ここで会う事になるなんて。
「リーラちゃんよかったわね、お母さんよ」
カリンさんが微笑みながら僕の名前を呼ぶと、僕はビクッと反応して、
「う、うん」とぎこちなく頷いて、シェリーと呼ばれた女性を見ると、首を傾げている。
何も知らないはずだから、当然の行動だよね。
「カリン、お母さんとは誰の事だ?」
シェリーさんの疑問に、
「貴女の事よ、そこに居るフィリエルさんに良く似た子があなたの娘でしょ」
カリンさんは少し呆れたように言うと、シェリーさんは驚いたような表情になり、僕を見る。
どうしていいかわからない僕は……思い切って行動にでる。
少し駆け出してシェリーさんへと近づき、腰の辺りに抱きつく。
「な……」
シェリーさんが少し驚いたように声を出し、僕へと視線を向ける。
カリンさんからは不信に思われないかもしれないけど、初対面のシェリーさんからどう見えるのかな……。
どうしたらいいのかわからない僕は、不安な感情のままシェリーさんを見上げるしかなくて、
「ふふ、リーラちゃんお母さんに会えてよっぽど嬉しいのね」
カリンさんからは僕の表情が見えにくいせいか、シェリーさんに抱きつく行動に出た僕を好意的に勘違いしてくれる。
その言葉に額に手のひらを当てて困ったように僕を見るシェリーさん。
僕もどうしたら良いのかわからずに不安なまま見つめ返す。
その状態がしばらく続くと、僕の頭にシェリーさんの手のひらがのせられる。
「……一緒に家に帰るか」
「……うん」
シェリーさんの言葉に少し遅れて頷くと、
蜂蜜を括り付けられた背負子を背負い、代金を払ってシェリーさんと一緒にお店を出る。
出際に「しっかり甘えるのよ」とカリンさんからの言葉にぎこちなく頷いて返した。
外に出ると、二人で大きく溜息をしてしまう。
多分理由はお互いの存在、シェリーさんにしてみれば、その場に僕が居たから、カリンさんからいわれの無い非難を受けてしまったことで、
僕からすれば、心の準備のないままシェリーさんに遭遇し、その場は事なきを得たこと……でも、現状をどうやって説明しよう……。
「聞きたいことは沢山あるが、ここで問い正すより母上に聞いたほうがいいのだろうな」
「そのほうが、事情を僕が話すよりいいと思います」
疲れたように話すシェリーさんに、僕は苦笑いで答えるしかなかった。
「今更だが、シェリーだ」
「リーラです」
お互いに名乗ると、
「しかし……私より、母上の娘といったほうが納得して貰えそうだがな」
「フィリエルさんが言うには長期間見かけないのはおかしいということで……」
僕の解答に、シェリーさんは苦笑いで返し、
「リーラはいくつだ」
「多分……十二です」
シェリーさんは再び大きな溜息をつく。
「私は十二年前に誰かと子作りしたことになっているのか……どうして村の連中は何回か私が里帰りしていることを無視するのだ」
嘆くような口調でいうシェリーさんに、どう声をかけていいのか分から無かった。
確かに里帰りするなら子供を連れて帰るよね……言われてみて不自然なことに気が付く。
しばらく無言で一緒に家へと歩きながら、やっぱり気になるので聞くことに、
「シェリーさんはどうして男性みたいな話し方をするんです?」
僕の疑問にシェリーさんは苦笑いになって、
「初対面で気にしてしまうのは仕方ないかもな、言ってみれば人避けみたいなものだ、自分の容姿が目立ってしまうのは自覚している」
片耳を指差す。
「人里に現れるエルフは少ない、私みたいな混血になるとなおさら目立つ、避けられるぐらいならまだいいが……異端の対象として追いだされたこともある。 だからいつも耳を隠しているのさ」
なんでもない風に応えるシェリーさん。
興味本位で聞いちゃったけど……よかったのかな、想像していたものよりずっと重い理由だったために、肩を落としてしまう。
「まぁ、冒険者を辞めるからな、母上のような話し方にしないといけないな」
シェリーさんの何気の無い一言に含まれる冒険者をやめる理由を聞こうという気にもなれず、
「よく聞かれることだ、気にするな」
と言って僕の頭を撫でてくれた。
家へとたどり着くと、フィリエルさんも丁度戻ってきたみたいで、緑一緒になった野菜籠を少し重そうに抱えている。
まだこちらに気付いてないようで、
「母上、ただいま戻りました」
シェリーさんの声に気付いたフィリエルさんは即座に籠を地面に置くとこちらに駆け出してきてシェリーさんを抱き締める。
「お帰りなさい」
その一言だけ、多分言いたい事は沢山あるんだろうけど、今は無事戻ってきてくれた事で満足しているのかな。
フィリエルさんの表情がそれを物語っていた。
続けていた抱擁を解くと、「中に入って待ってて、レリックを呼んでくるわね」とフィリエルさんは工房へと歩いていくと、
シェリーさんはフィリエルさんの置いていった野菜籠を拾い上げ、一緒に中へと入る。
「変ってないな」
野菜籠をテーブルに下ろして、家の中を見回して一言。
その表情はすごく安らいだもので、家に戻った事を感じているのかな。
「ガーラントから何か聞いているか?」
問いかけに頷き、ガーラントさんとのやり取りを話すと、
「そうか……心配させてしまったかもな」
シェリーさんはどこか遠くを見るようにして呟く。
「リーラは大きな町とかに行った事はあるか?」
僕がそれに首を振ると、
「やはりな、母上以上に他人に対しての警戒感がない、だからか母上に似たような優しい雰囲気を感じるな……そのままで居て欲しいものだ」
と言って、シェリーさんは微笑みかけてくれた。
しばらくするとフィリエルさんがレリックさんを連れて戻ってきて、四人でテーブルを囲む。
テーブルの上には人数分の器が置かれており、その中に水が入っており丸い氷が数個浮いている。
『暑くなってきたから』とフィリエルさんが魔法を使って氷を入れてくれた。
ちなみに僕の魔法では常温の水しか出せないので、うらやましく思っていたりする。
「ガーラントから、らしくない行動をとっていたと聞いておる、一体なにがあったんじゃ?」
「冒険者をやめるって……レリックを越えるって頑張ってたのにどうして……」
両親からの問いかけに、シェリーさんは両目を閉じて深呼吸すると、目を開く、
そして右手で左腕の小手を外すと、大きな傷跡が見え、フィリエルさんは口元を押さえて悲鳴をこらえている。
僕も一目で目を背けてしまい、レリックさんだけが平然としている。
「流れ矢が刺さって引き抜いたんだが……腱をやってしまったのか指が動かないんだ」
シェリーさんが左腕を掲げるように上げると手のひらはだらしなく垂れ下がっている。
「これでは母上譲りの弓は扱えません」
何かを諦めたように言うシェリーさんはどこか痛々しく見えた。
その様子を見るフィリエルさんの表情は急に青ざめていき、レリックさんへともたれ掛かるように倒れる。
「母上!?」
「フィリエルさん!?」
その様子に僕とシェリーさんは驚き、叫ぶように声を上げた。
その後、フィリエルさんは一人冷静だったレリックさんにベッドの上に寝かされると、
「しばらくすれば目が覚めるじゃろう」
レリックさんの一言に安堵する。
「父上……母上が倒れた理由に心当たりは?」
シェリーさんの問いかけに、
「シェリーの傷とその理由じゃ」
「えっ……」
レリックさんの回答にシェリーさんが目を見開くと、
「兄さん……ごめん……なさい」
フィリエルさんは悪夢にうなされているのか小さく呟く。
理由を聞きたそうにしている僕とシェリーさんに、
「詳しい事はわしからは言えんのじゃ、折を見てフィリエルに聞くがよい」
レリックさんは自分からは言えないと首を振った。
結局、フィリエルさんが目覚めたのは夕方で、レリックさんが夕食の準備をしてくれた。
お手伝いしたいと言うと「フィリエルが起きた時、二人居たほうが安心するじゃろう」とやんわり断られた。
目覚めたフィリエルさんは「二人で看病してくれてたのね……ありがとう」と微笑んでくれたけど、耳は枯葉のように下へ向いていて、ひどく気落ちしているのはすぐわかった。
四人テーブルを囲っての食事が始まる。
フィリエルさんは食事がのどを通らないのか少しだけスープをすするだけで、時折、何か言いたそうに僕を見つめると、
レリックさんがフィリエルさんの肩に手を置き、それに気付いて振り向くと、レリックさんが首を振るのを見て、諦めたように俯いた。
何を言いたかったのかなと、考えると……ある解答にたどり着いた。
僕の使うことの出来る傷を癒すことの出来る魔法……それを使えばシェリーさんを傷を治す事ができるかもしれない。
でもどうしてレリックさんは止めるのかな? と思いかけて思い出す『他の者には決して見せないようにして欲しいのじゃよ』とレリックさんは言っていた。
ガーラントさんに話したのは僕の魔法を見ていたからで……その言葉を守るために、自分の娘を治して欲しいという言葉を飲み込む。
自分の娘にすら僕の魔法の事を隠す……すごく辛いはずなのに……僕に言った事を守る為……ううん、全部僕の為……二人の心を想うと苦しくなってパンも食べれそうに無かった。
僕が使ったとわからずに、シェリーさんの腕を治す方法があれば……そう考えた時、閃いたように方法を思いつく。
僕の思っている通りなら……もしかしたら秘密を漏らさずにシェリーさんを治す事ができるかもしれない。
今夜それを試す事を誓い、食事を何とか食べ終えた。
読了感謝です