死への恐怖
「森から出てきたこと無いはずなのに……」
「手負いじゃな……恐らく討ち漏らしが森を出る方角に逃げてきたのかもしれん……」
レリックさんの言うように熊は片腕が無く、所々に矢が刺さったままで体液がにじみ出ている。
「レリック……」
「なんとかせねば……村へ降りて行ってしまえば全滅じゃ」
二人の険しい表情が危険な状態を物語っている。
「リーラちゃんは村へ知らせて、ライル村長の家へ閉じこもっていれば大丈夫なはずだから」
「急ぐんじゃ、頼むぞ」
僕は言葉にすぐに反応できず立ちすくんでしまう。
二人は熊へと向かって駆け出し『ロックスキン』フィリエルさんの魔法がレリックさんの拳へとかかる。
「何をしておる早く行け」
レリックさんの怒号に僕は何とか反応し、村へと駆け出そうとすると……。
『グァァァァ』
あたり一面に熊の雄叫びが鳴り響く。
僕は心臓を鷲掴みされたような感覚に陥り、動けなくなった。
村へ走らないと……想いとは裏腹に体は地面に縫い付けられたように動かない。
熊は僕が動けないことがわかってるかのように、僕へ向かって走り出す。
「まずい、雄叫びをあげおった」
「足止めしないとリーラちゃんが危ないわ」
『アイシクルランス』
フィリエルさんが魔法を唱え、氷の槍を熊めがけて放つ。
腕のない方の肩を貫くが、少し停止しただけで目もくれない。
「はっ、せい」
レリックさんが脚を目掛けて拳を放つと、熊の巨体が揺れ脚を引きずり始める。
ダメージはあるはずなのに、僕以外に目もくれず近づいてくる。
近づいてくる熊に逃げよう逃げようと必死に体を動かそうとするけど、体は動かない。
二人も必死に熊を攻撃してるが、熊の歩みは止まらない。
僕を射程内に捕らえた熊は片腕を振りかぶって、僕を張り飛ばすように腕を振る。
僕の伸ばした片腕ぐらいの太さがあるものが、僕へと勢いをつけて近づいてくる。
あれで跳ね飛ばされたら僕の命は確実に無い……足手まといになっちゃった。
やっと役に立てると思ったのに、皆……ごめんなさい。
来る衝撃に目を瞑ると、体に重い衝撃が走り、心地悪い浮き上がる感覚に襲われ、地面に衝突した衝撃が走る。
浮き上がった感覚から衝突するまでの時間がすごく長く感じられた。
地面に衝突した背中に痛みが走る……正面から来たはずなのに痛みがあるのは背中だけ……?
恐る恐る目を開くと半そでシャツに鍛え抜かれた体が目に入る。
レリックさん……?
「リーラ……大丈夫かの?」
しぼり出すように言うレリックさんの表情は非常に苦しそう。
「うん……」
僕は頷き、状況を見直すとレリックさんは僕の上に覆いかぶさるように乗っている。
もしかして僕を庇って……?
この状況の行き着く答えが僕の脳裏に浮かぶと、レリックさんのシャツが赤く染まっていく。
その後ろに止めを刺すためにか熊が近づいてきている。
『アイシクルランス』
フィリエルさんの声が聞こえたかと思うと熊の頭部を氷の槍が貫通し、その場に崩れ落ちた。
熊はうつ伏せになり、しばらく手足をその場でもがくように動かしていたけど、その動作も止まった。
頭部への攻撃が致命傷になったみたい。
熊が倒されたことで、次の攻撃がこないことに少しホッとしたけど、目の前のレリックさんの動きが非常に鈍い。
「レリックさん……?」
僕を覆ったまま動く気配が無い……?
「レリック!」
フィリエルさんが叫ぶと同時に悲痛な面持ちでこちらへとかけて来る。
「年は……とりたくないもんじゃの」
声に全く覇気が感じられない……動かないんじゃなくて動けない……?
フィリエルさんは近くまで来ると、レリックさんを何とか抱き上げる。
「レリック、レリック」
レリックさんを抱きしめながら名前を連呼するフィリエルさんの表情は悲しみで染まっている。
覆っていたレリックさんが避けられたことで自由に動けるようになった僕は起き上がり、レリックさんの怪我の状況を見ようと回り込むと……。
背中には何かが突き刺さって抜けたようなあとが三つそこから血が止まることなく流れている。
それは多分、熊の爪が突き刺さったあと……それを見た僕は血の気が引いていくのを感じた。
このままではレリックさんの命が危ないことは明白だ。
僕が逃げそこなったせいで……レリックさんが死んでしまう?
出会ってから今までの記憶が脳裏に蘇る。
楽しそうにいつも僕をからってるけど、本当はすごく優しく、他人である僕をフィリエルさんと一緒に家族同然に扱ってくれる人。
その人が今、僕を守ったが為に死に面している。
フィリエルさんが意識を失わせまいと名前を連呼している。
死んじゃやだ……やっと僕も恩返しじゃないけど役に立てる事が出来ると思ったのに……。
そんなの無いよ、そんなのって無いよ……。
そうだ……あの時のように誰かを想うようにやってみれば……。
レリックさんを治療できるかも。
確証なんてない、だけどやってみるだけでも……。
脳裏に魔法の名前が浮かんでくる。
これで僕が倒れることになってもかまわない!
『ブレッシングライフ』
意を決して借りたロッドを手に魔法を唱えると、レリックさんを木漏れ日のような光が差し包む。
「え……」
フィリエルさんから驚きの声が漏れる。
僕の体から少しずつ何かが抜けていくのを感じる、いつもはわからなかったけど、これが魔力を消費しているってことなのかな。
傷を治しているのかはわからないだけど、これを途中でやめてしまったら……ずっと後悔することになる。
また眠ってしまって、心配かけてしまうかもしれないけど……それは謝って許してもらおう。
どれぐらいその状態が続いたのだろう……、魔力が抜けていく感じは無くなった。
体に力が入らなくなり僕はそのままぺたんと座り込んでしまう、睡魔は襲ってくる気配はないから……眠り込むことはないのかな。
持っていたロッドからピシッと音が立ったかと思うとガシャンと水晶が役目を終えたように粉々に砕け散った。
レリックさんを包んでいた光は消え、僕の魔法を呆然と見つめていたフィリエルさんが目を見開いて固まってしまう。
「傷が……ない?」
フィリエルさんの言葉に視線だけ向けてみると、レリックさんの背中にあった傷はなくなっていた。
「う……む……?」
レリックさんが意識を取り戻したみたい。
「レリック……よかった」
フィリエルさんは泣き笑いの顔でぎゅっとレリックさんを抱きしめている。
二人の真っ赤な衣服がなんともいえない雰囲気を出してしまっている。
レリックさんの顔色はあまりよくない、出血した分血が不足してるのかな?
「痛みが引いておるが……一体どうなっておる……?」
痛みが引いてるって事はもう大丈夫ってことだよね……よかった。
状況が上手く飲み込めていないみたい、普通ではありえないことが起こったからだと思うけど。
そういえば聞いてなかったけどこの世界には治癒魔法とか無いのかな?
そんなことを考えながら、体に力が入らないためにへたり込んでいる僕は、二人が抱き合っているのをぼんやりと見ていた。
二人がへたり込んだままの僕に気付いたのはそれから結構経ってからだったけど……仕方ないよね。
近くに居た僕の存在にやっと気付くと、
「リーラちゃんが治してくれたのよ」
「そうかリーラが……」
フィリエルさんの説明にレリックさんは考え込む素振りをし、
「すまぬのう、命拾いしたようじゃ」
レリックさんの言葉に僕はなんとか首を振って、
「僕がすぐに反応して逃げていれば……」
すぐに走り出していたら僕が足止めされることなく村へと走れたかもしれない。
それに、今回は僕に運よく魔法の力が出せただけで、自分の想いを解決する手段が僕に備わっていたから……。
「いつもわしが言っている言葉を教えようかのう、『後で『もしも』を考えても時は戻らない、失敗したら次は同じ事をしないように心がけろ』じゃ」
どういう意味なんだろうと思っているとレリックさんが続けるように話しだす。
冒険者をしていた頃は何らかの失敗で命を落とす仲間も居た。
仲間の死を何時までも悔やむよりは、同じような失敗をしない為に心がけろ。
どんなことをしても、時が戻ることは無い、死者はかえらない。
意味の無い死にしない為にも同じ失敗を繰り返してならない。
「次は、躊躇無く指示に従えれればいいんじゃよ……」
気が付くと頭を撫でられていた。
「そんな顔をするでない、逃げるのには失敗したが、わしを治療する事は成功したんじゃからの」
「だって……」
一つ間違えばレリックさんは僕のせいで死んでいた……その事実だけが僕にのしかかってくる。
撫でられている手のひらからの温もりでレリックさんが生きている事を実感できる。
死んでしまっていたらという恐怖感と撫でられている手のひらから来る温もりの安堵感が僕の中でぐるぐる回り、
目頭が熱くなったかと思うと視界が徐々に歪んでいく。
溢れ出す感情が涙となって出て来ていた。
「これ……泣くでない」
「あらら……」
苦笑しながらも、僕をフィリエルさんが抱きしめ、レリックさんは頭を撫でてくれる
それは僕が泣き止むまで続いて、二人の温かみが感じられることがすごく嬉しかった。
「もう大丈夫みたいね」
「うん」
穏やかな微笑を浮かべながら言われ僕はそれに頷く。
もう何回も泣くたびに抱きしめてもらってるけど……まだちょっと恥ずかしい。
「リーラよ、正直に言うとな、わしはあれで死んでもいいと思っておった」
レリックさんが真剣な表情で僕を見据えて話し出す。
「レリック……」
フィリエルさんの微笑が少し悲しそうなものに変る。
「わしが居なくても、フィリエルがリーラを守ってくれるじゃろうし、わしは後生きて二十年、後百年は軽く生きるリーラを残せるならそれでいい」
そう言って区切るとニッと悪戯っぽい表情に変る。
「そう思っておったがの、生き残って欲が出たわ、わしを生かした責任をリーラに取ってもらうからの」
え?え?責任をとるってどういうこと?
僕は事の展開に目を白黒させる。
そのやり取りを見守っていたフィリエルさんはくすりと笑いを漏らす。
「リーラがランドの村へ戻るとき、わしらも一緒に引っ越すからの……わしの最後を見届けるまで一緒に居てもらうぞ」
それって……ずっと一緒に居られるって事……?
頭の片隅では季節が過ぎ去ることでお別れすることになるということがずっと気になっていた。
ミーナさんとディンさんと再開することが待ち遠しい反面、フィリエルさんとレリックさんと別れたくないという想いがあったから。
そこまでしてもらっていいのかな?という考えも頭をよぎったけど、嬉しい気持ちがそれを押しのけてしまう。
感極まってしまい、目頭が熱くなったかと思うと、涙が頬を伝い流れ出す。
あうあう……嬉しい気持ちで一杯なのにどうして。
「リーラちゃんは泣き虫さんね」
「できりゃ笑って欲しいとこじゃがのう」
二人とも嬉し泣きだとわかっているのか楽しそうに僕を見てながら、
「シェリーの事はいいの?」
「村長に任せておけばいい、家に居なかったら聞くじゃろう」
レリックさん達が来るということはシェリーさんが帰ってくる場所が変ってしまうことにもなるんだね。
嬉しさのあまりシェリーさんの事を忘れてたけど、相変わらずひどい扱いな気がする。
ザッザッ……森からまとまった足音が響いてくる。
「レリック立てる?」
音に反応し、フィリエルさんはすぐに立ち上がり、
多少ふらつきながらもレリックさんもそれに続く。
「リーラちゃん?」
立ち上がろうとしない僕にフィリエルさんが声をかける。
「ごめんなさい、体に力が入らなくて……」
必死に地面を手のひらで押して立ち上がろうとするけど力が入らない。
そうしている間に森から音の原因が出てくる。
ガーラントさんの隊員の人たちと同じような武装をした人の集団が森から出現した。
読了感謝です