僕の名はリーラ
頬を凪ぐ優しい風に意識を取り戻し、澄み渡るような青空が目に入る。
僕は一体……ぼんやりとした頭の中で、さっきまで話していた爺さんとのやり取りを思い出す。
転生って何だろう……頭の中で最後の『エルフ』『女性』『12歳』と『異世界』のワードがぐるぐる回る。
考えがまとまるはずもなく、体を起こす気にもなれず呆然としてしまった。
ここはどこだろう……何とか気を取り直して体を起こしてフラフラしながら立ち上がり、その拍子に何かが頬に掛かる。
それを雑に振り払ってあたりを見渡せば……まったく見覚えのない風景が広がっていた。
近くに小さな川、遠目に林と家らしきものが見える。
ぼんやりと見える場所を見回した後に、少しのどが渇いたので小川まで歩く。
自分の生きてきた中で一番澄み渡っていると思える水が流れていて、飲んでも大丈夫なのかな……今まで川の水なんて飲んだことのない僕には少し抵抗があったけど、思い切って両手ですくって一口飲む。
美味しい……喉を通る水に少しの安らぎを覚え、もう少し飲もうと再度水をすくおうとしたところで、またさっきと同じように頬にふりかかる何かを今度は掴む。
引っ張ってみると僕の頭に痛みが走る……これ僕の髪の……毛?
僕の心に衝撃が走る。僕自身短髪であってこんなに髪が長いはずはない。
川の水面を鏡にして自分の姿を確認する。
金色に輝く長い髪とエメラルドグリーンの瞳に、とがった耳の女の子が映し出される……これって漫画とかに出てくるエルフ……あ。
さっき頭の中でぐるぐると回ったキーワード頭の中に蘇る。
『エルフ』『女性』『12歳』
もう一口水を喉に流し込んで少しだけ気を落ち着かせ、僕は立ち上がって自分の体を見下ろす。
クリーム色の服と膝の辺りまでのスカートが目に入り、胸の辺りで少し盛り上がっているので服をめくって確認すると……膨らみかけた僕にはなかったものがあった。
脚の付け根あたりに手を回してみても触れるものはなくて……再び水面を鏡にして僕を映せば、不安そうにエルフの少女が見つめ返していた。
「どうしよう……」
見慣れぬ土地で性別も変り、ただ一人放り出された状況に再び呆然とするしかなかった。
「とりあえず人のいるとこへ行こう」
自分に言い聞かせるように呟き、遠目に見える集落まで歩き始める。
二十分分ほど歩いて集落の入り口に着くと家の形がはっきり見える。
朱色の屋根に御伽噺などで描かれるような洋風のつくりをした家が並んでいて、ここは日本ではない……それどころか電気や水道など、そんなものは無いのが明白だった。
愕然としながら集落の中へフラフラ入り、気落ちした僕の心には人々がちらちら見てる視線も気にならなかった。
どうしよう……考えながら目に付いた小屋の壁を背にへたり込んでしまい、膝を抱えて座りなおす。
膝にあたる小さな隆起の感触が自分が女になってしまったことを意識させる。
どうして僕がこんな目に……僕が何をしたのさ……だれか助けてよ……だれか……。
昨日まで暖かい場所で楽しく過ごしていたのに……今は見知らぬ土地にただ一人……不安で心が押しつぶされそうになる。
昨日までの生活を思い出してただただ悲しくなり、気がつけば朱色の光が僕を照らしていた。
お腹すいたなぁ……昨日までコンビニでも入ればなんでも食べる物が買えたのに……。
服を漁ってみるけど何も無い。
当たり前かな……ここに来る途中に何かが当たる感じもしなかったからね。
ふっと足の裏がひりひりすると思ったら、今になって裸足だったことに気がついた。
再び脚を抱えるように座り込んでぼんやりする……人の視線がちらほら目に入るがそのまま通り過ぎるばかり。
僕このまま飢えて死ぬのかな……。
ただただ悲しい感情が僕を独占していた。
朱色の光からやがて闇が支配する夜へ変りつつあった時、
「…………の?」
僕に向けて誰かが声をかける。
俯いた顔を上げるとそこには僕を見下ろすお母さんが居た。
「おかあ……さん?」
声に出してしまい、ハッとする。
体格こそ似てたものの、僕のお母さんとは別人だった。
僕のお母さんは肩に掛かるぐらいの黒髪だったけど、この人は腰まで伸びていて灰色の髪をしている。
「あらあら……私に貴女みたいな子供はいないわよ」
苦笑いを浮かべながら否定の言葉を僕にかける。
僕は再び俯くような姿勢に戻る。
「お昼からずっとここに居るみたいだけど、どうしたの?」
優しく呼びかけてくれる……そのおかげかな、少し寂しい気持ちが和らぐ。
「何も出来る事がないから……」
俯いたまま返し、
「どこから来たの?」
「わかんない……気がついたら向こうの川の前に居た」
続く質問に歩いてきた方角を指差して応える。
「お父さんやお母さんはどうしたの?」
「居ないと思う……」
「それじゃ今日はどうするの?」
「わかんない……ずっとここにいると思う……」
続く質問に答えるうちに現状を再確認し、少しだけ和らいだ心が再び沈んでいく。
お金も無い、頼れる人もいないそんな中で何も出来ないよ……。
女性は少しの間目をつぶって考え込むような仕草をし、
「それじゃ今日は私の家に泊まりなさいな」
「え……でも……」
僕にとって渡りに船と言える提案をする。
願っても無い言葉にすぐに頷きたい……けど、どこから現れたのかわからない子にどうして手を差し伸べてくれるのかわからず戸惑いを覚えてしまう。
そう考えて返事が出来ずにいると、
「ほらほら、いらっしゃい」
気が付けば腕を掴まれて引っ張り起こされ、戸惑うままの僕を連れて歩き出した。
「貴女の名前は?」
「わからない……」
微笑みながら僕に尋ねる女性に再び首を振って答える。
前世の名前を覚えていたところでこの体の名前にはならないから……。
「あらあら……」
少し困ったように眉をハの字にして穏やかに笑う。
「そうね……『リーラ』ちゃんなんてどうかしら?この村は『ランド』って言って貴女の居た川は『リム川』っていうのよ。『リム川』から『ランド』の村へ来たからリーラちゃん。どうかしら?」
「……それでお願いします」
右も左もわからない状態の僕に話しかけてくれたこの人は悪い人じゃないと思うし、何よりこっちの人たちの名前をどうつけるかわからない……。
この人が決める名前なら、おかしなものじゃないはず。
「私はミーナっていうの、よろしくねリーラちゃん」
歩きながら満面の笑顔で返してくれ、その笑顔に少し心が癒される想いだった。
数分ほど歩いた後、
「ここが私の家よ」
案内された先は三角の屋根をした、お伽噺の絵本にでてくるような家だった。
ミーナさんが木で作られたドアを開き、中へ案内される。
「遅かったじゃないか……その子はどうしたんだ?」
見たところ三十代だろうか、細身で鼻の下から顎まで茶色の髭で覆われた男性が奥から出てきた。
「お昼に出かけた時に見かけてね。夕方ごろにも同じとこで座ってたから連れて来ちゃった」
猫でも拾ってきたように言うミーナさんに男性は、額に手をあててため息をついた。
「連れて来てどうするつもりだ……この子にも家族がいるんだろう?」
その問いかけに僕は俯くことで回答する。
ここには……この世界には……僕の家族など居ないのだ。
「ディンちょっと……」
「なんだ?」
ミーナさんは男性の耳元に口を近づけて、こちらに聞こえないような声で何かを伝えていた。
おそらく僕と話した内容だろうと思う。
伝え終わったのかミーナさんは奥の方へ行き、男性が僕へ向き直る。
「そうか、リーラちゃん……でいいのかな? ミーナから聞いたよ俺はディンだよろしくな」
苦いため息をついた後、僕の頭を軽く撫でて自己紹介する。
「リーラですよろしくお願いします」
新しく付けられた名前で、ぺこりと頭を下げて自己紹介を返す。
「リーラちゃんはいくつなんだ?」
「多分12……です」
ディンさんの問いに思い出すようにして応える。
「そうかその年で身寄りがないのか……ん?」
再びディンさんが何か質問しようとしたところで、僕の顔を見つめながら何かに気付いたように小さく唸る。
「リーラちゃんエルフなのか?」
「多分……そうです」
ディンさんの問いかけに、この世界に来て間もない僕ははっきりとしない返事をしてしまう。
ディンさんは何かを考え込むように顎へ手のひらを当てて考え込む仕草をする。
エルフだったらなにか不味いのかな……。
「あの……」
「ああすまない……ここらでエルフを見たこと無かったもんでな、近く生息する森があるとは聞いたことが無いんだ」
僕の言葉に気付いたディンさんは小さく謝りながら、考えていた理由を説明する。
エルフって珍しいんだ……ぼんやりしながら考える。
「集団生活を主とするらしいいんだが……一人ここにいる理由がわからないんだ」
つまりディンさんは僕がここにいる理由がさっぱり思い当たらない……ということらしい。
僕はここから叩き出されるのかな……昔の小さい集落は外部の者を入れたがらないって聞いたことがあるし……。
昔の歴史の授業で習ったことが思い出され、心の中が不安な気持ちで染まっていく。
「ああ不安にさせちまったかすまん。そう思うのはは無理はないかもしれないが、すぐに追い出すとかは考えてないから安心してくれ。折角ミーナが連れて来たんだ、今日だけでも泊まって行くといい」
ディンさんは僕の様子を見て、慌てたように早口で言葉を並べる。
その言葉に「ありがとうございます」と頭を下げた。
今日は野宿しなくて済むんだ……今はそれだけで十分だった。
しばらくするとミーナさんが大きなお鍋を抱えて来て、テーブルにドンと乗せる。
鍋のふたを開ければふんわりとジャガイモの匂いが鼻をくすぐり、それに反応するように僕のお腹がくぅと小さくなった。
「あらあら」「ははは」
お腹のなった事が無性に恥ずかしくなって俯いてしまう。
「さぁ召し上がれ」
ミーナさんが木の器をとりだしスープを注ぎ、木のスプーンを入れて僕に手渡しくれる。
スプーンでスープをすすり、温かいスープが喉を通ると体も心も温かい気持ちで一杯になった。
「パンもお食べなさい」
テーブルにはスープとは別に木網の籠に黒いパン積まれていて、ミーナさんがそこからパンをとり僕に手渡す。
受け取ったパンは何日か経過したフランスパンのように固くて、いつも食べていたふんわりとしたやわらかいパンとは違ったけど、かぶりついたりスープにつけたりして夢中になって食べた。
それは今まで食べてきた何よりも美味しく感じて、心も体も満足させてくれた。
そんな僕をディンさんもミーナさんも笑顔で見つめていて、スープの器が空になるとお代わりをニコニコしながらよそってくれた。
「ごちそうさまでした」
食べ終わるとお腹が満たされたからなのかな、急に眠気が襲ってきてこっくりこっくり船を漕ぎ出し始めてしまう。
「あらあ……」
ミーナさんの声を最後まで聞き取れず、僕の意識は夢の中へと誘われていった。
読了感謝です。
1週間1度ぐらい投稿できたらと思います。
2015/8/14 加筆修正