知るべき事
村へ続く小道を高揚した気分で下っていく。
今夜は甘い蜂蜜バターのパン……さっき食べた余韻を思い出す。
至福の時間はすぐ過ぎ去ってしまうのがちょっと残念。
夢中になって食べちゃうから仕方ないよね。
これだけ食べることを楽しみにするのはいつ以来だったかな。
前世の小さい頃に母さんが作るカレーを楽しみにしてたっけ……朝学校に行く前の下ごしらえのにおいで夕食はカレーだって思って学校行ったなぁ。
カレー粉切らしててシチューになった時はがっかりしてたっけ。
懐かしいなぁ……もうあの頃にもあの場所にも戻れないけど。
少しずつ薄れていく前世の記憶をふと思い出したことで沈みそうになる気持ちを頭を振って吹っ切る。
何度かフィリエルさんと一緒に歩いた道も一人で歩くとちょっと寂しく感じ、今を精一杯頑張るしかないと自分に言い聞かせ少し足を速めた。
時折吹く風に木々の枝が騒ぎ出すと空から降り注ぐ光を点滅するように遮っていく。
風は気持ち良いんだけど、お日様は眩しいな。
そう思いながら歩いていくと、村の入り口に着いた。
村へ着きカリンさんのお店へ行く途中の広場を歩いていると、
「やぁリーラちゃん今日は一人で来たのかい?」
茶髪の青年カルもといガルさんに声をかけられる。
「カリンさんのお店へお使いです」
僕は頷いて村へ来た目的も伝える。
「そっかそっか、リーラちゃんも一人で村へ来れるぐらい慣れたんだね」
大げさに感心したようにいうガルさんに僕は頬を膨らませて抗議する。
「むー、そんなことだからフィリエルさんに相手にされないんですよ」
からかわれたお返しとばかりに反撃してみる。
「いやいや、あれは照れ隠しなんだよ」
反撃は外れたようだ全く効いていない。
まぁ既婚者にあんな事言えるんだから効くはずもないよね。
僕は大きく溜息をついてしまう。
「溜息はよくないなぁ幸せが逃げるよ?」
「誰のせいですか……」
もう一つ大きく溜息をついて気を取り直す。
「ははは、ごめんごめん。ついね」
ついって、どうして皆して僕をからかうの……。
「フィリエルさんに言いつけておきます」
これはどうだともうひとつ反撃に出てみる。他力本願になっちゃうのが悲しいけど。
「それは困るな、ますます相手にされなくなってしまう」
余裕の表情が苦笑いに変ったので僕の気分も少し晴れた気がする。
相手にされないのが分かってるならアプローチの仕方変えれば良いのにと思ったけど、人妻にあれこれ言ってるところですでにおかしいよね。
レリックさんはどう思ってるんだろう?
想像してみると『やれるもんならやってみるんじゃな』そんな感じに笑ってそう。
ガルさんもかないっこないって自分で言ってたし。
「ああ、そうそうもうすぐケルスの討伐隊がくるらしいぜ」
「討伐隊?」
「リーラちゃん知らないのか、魔物が発生したら被害が出る前に国が軍隊をだすか、村が冒険者にお願いして討伐するんだ。まぁそれを仲介する組織もあるけどな」
それじゃランドの村の方も討伐にのりだしてるのかな?
「まぁこの村に被害が出たことはないんだけどな」
「そうなんですか?」
「ま、俺が知っている分にはだけどな」
そういえば2年前にランド村では被害があったとかレリックさんが言ってたけど、ローエル村のほうは魔物が来なかったのかな?
「魔物自体は来たらしいけど、村に到達する前に殲滅したみたいなんだ」
「すごい、魔物を倒せる人が村にいるんだ」
僕が感嘆の声を上げるとガルさんは苦笑してしまった。
何か変なこといったかな?
僕が首を傾げてしまうと……。
「リーラちゃんは教えてもらってないんだな。魔物を倒したのは一緒に住んでる二人だよ」
思いもよらない内容に僕はきょとんとしてしまう。
そんな僕を察してかガルさんは話し続ける。
「レリックさんはともかくフィリエルさんが魔物と戦うとは思えないよな」
僕はガルさんの言葉に思わず頷いてしまう。
ガルさんの言う通り、レリックさんはともかくフィリエルさんが戦闘をするようには見えない。
「聞いた話なんだが二人は上級の冒険者だったらしいぜ。もっとも俺が知ってる頃にはここに定住してたけどな」
「ほえ~そうなんですか」
再び感心したような声あげると、
「シェリーさんは何も教えてないんだな。娘にどんな教育してるんだ」
多分ガルさんには言われたくないと言うと思います……教育というか会ってすらないけど。
なんだか僕のせいでシェリーさんの評判が落ちていくような気がしてちょっと後ろめたい。
フィリエルさんは気にしなくて大丈夫と笑って言ってくれてるけど。
「あはは……」
僕は乾いた笑いを漏らすしかなかった。
「よく聞いておきなよ」とお節介な言葉を貰ってガルさんと別れた。
興味があるから言われなくても聞くもん。
少し歩くと赤い三角の屋根をした建物が見えてくる.
今日で4度目になるのかな?カリンさんの雑貨屋さんだ。
木の扉の取っ手をまわしドアを開くと甘いような酸っぱいような独特のにおいがしてくる。
多分並べられてる薬とか強壮剤みたいな物のにおいだと思う。
中に入ると、乾いた草の粉末の入った瓶や乾燥した茸、蛇の入った瓶もあるけどこれはお酒につけてるのかな。
そしてお目当ての蜂蜜に僕の目が釘付けになり、今日の夕食のパンを想像してしまう……すごく楽しみ。
「リーラちゃんいらっしゃい。気持ちはわかるけど私の挨拶より先に蜂蜜を見るのはどうなのかしらね」
声の聞こえる方へ視線を向けると、肩へかかるぐらいの赤い髪をした20代くらいの女性……カリンさんが苦笑しながらこちらを見ていた。
「あうあう……ごめんなさい」
僕は慌てて頭を下げて謝る。
「ちょっと言ってみただけよ」
にっこりと微笑むカリンさん……もしかして僕からかわれてる?
でも挨拶も忘れて蜂蜜!と見てたのは事実なのでちょっと情けない。
浮かれすぎていた自分に自己嫌悪。
「そんなに落ち込まなくてもいいのよ?」
カリンさんは僕の顔を覗き込むように見て苦笑してしまった。
「仕方ないわね……はいこれ」
蜂蜜の色をした親指ぐらいの塊を手渡される。
「私が作った特製の飴玉よ味見してみて」
勧められるままに口の中へ入れてみると、ホッとする蜂蜜の甘みが口の中に広がる。
「そうそう、リーラちゃんは笑ってたほうが似合うわ」
言われてハッと気付く飴玉の甘さに笑顔になってたんだ。
我ながら食べ物に弱いなぁと苦笑いになってしまう。
「これ美味しいね、どうやって作るんです?」
「内緒」
人差し指を口の前に付けて片目を瞑るカリンさんその仕草にちょっと見惚れてしまう。
「今日は蜂蜜買いに来たのよね?」
カリンさんに目的を告げる前に言われてしまう、あれだけ見つめれてば分かっちゃうのかな。
「うん」
頷くとカリンさんは棚に置かれている蜂蜜の瓶を手に取り、こちらへ数歩歩いたところで立ち止まり、
天井へ視線を向け何かを考え込む素振りをする。
そして思いついたように近くにあるテーブルに瓶を置き奥へと行ってしまう。
どうしたんだろう?と思っているとカリンさんは木を梯子のように編んだ物。
小さい頃に見た木材を背負って本を読みながら歩くポーズの銅像の人が背負ってる道具だ。
「リーラちゃんだと家が少し遠いから持って帰るにはちょっと辛いでしょ?」
カリンさんの言うとおり抱えたまま歩いて帰るのはちょっときついかも。
「滑って落っことすこともあるかもしれないからこの背負子に縛り付けておくわね」
手際よく紐で縛って瓶を固定してくれた。
「おいくらですか?」
値札も貼り付けてないみたいなのでカリンさんに値段を尋ねる。
「まだ在庫もあるから……銀貨4枚お願い」
ポーチを開き4枚の銀貨を取り出しカリンさんに手渡す。
「1、2、3、4と確かに」
数を再度確認して銀貨を小さな箱へとしまうと、
「フィリエルさんもリーラちゃんには甘いわねぇ、孫が来たのが余程嬉しかったのかしら」
カリンさんは小さな溜息混じりに苦笑している。
「僕に甘いんですか?」
どういうことなのだろう?と思い聞き返すと、
「リーラちゃんが来るまで、フィリエルさんは蜂蜜や小麦粉を買うことはほとんど無かったのよね、レリックさんは質素な物を好んでいたし、
いつもライ麦粉を買っていたし……」
そういえば僕がフィリエルさんの家での最初の食事には黒いパンが並んでいて、翌日から白いパンが並んでいた。
確かライ麦のパンって黒いパンだったはず……。
「ライ麦粉と小麦粉の値段ってどのぐらい違うんですか?」
「大体ライ麦を1とすると小麦は3くらいかしらね」
と言うことは僕がフィリエルさんの家に住み始めてから食費が単純計算で3倍に……?
僕の為に沢山お金を使うようになったってことだよね……。
そんなことは露知らず美味しい美味しいと食べるだけだった。
僕の為に無理していたらどうしよう……。
夕食を楽しみにしていた自分が情けなく感じてきた、ただただ楽しみにするだけでそれにかかるお金なんて全く考えていなかった。
銀貨を手渡された時に少しでも気付くべきだった……自分の心がどんどん沈んでいく。
「あらら……言わないほうがよかったかな」
カリンさんは手のひらを額に当てて苦虫を噛んだような顔をしている。
僕の表情が良くない物になっちゃってるのかな……。
僕はふるふると首を横に振って、
「ううん、僕は知っておくべきことなんです」
「でも、お金は冒険者時代に稼いでいたみたいで蓄えは沢山あるみたいよ?
質素な生活をしてるのはレリックさんの主義らしいし」
慌ててフォローしようとするカリンさん、気持ちは嬉しいけど僕が思ってる問題と少し違う。
でも仕方ないのかな、僕は二人の孫としてここにいるのだから。
真実は違うけど、二人の好意を無駄にしてしまうからそれ伝える事は出来ない。
結局現状は甘えるしかないという結論に行き着き再び肩を落とす。
結局そのまま背負子を背負ってカリンさんのお店を後にする。
僕が気落ちした表情のままだったことに責任を感じたのか「ごめんね」と特製の飴玉を5つ紙に包んでくれた。
ちょっと申し訳なく思ったけどさっきの味が忘れられず「ありがとう」と受け取ってしまった。
貰った飴を舐めながらトボトボと帰路につく、飴の美味しさがちょっとだけ沈んだ気持ちを癒してくれる。
来た時より足取りは重い、蜂蜜を背負ってる重さもだけど気分的な重さが加わってるのかな。
村を出て小道をゆっくりと上って行く来た時は気分は上向きで下っていたのに戻るときは気分は下向きで上って行く。
正反対の状況に心の中で苦笑する、行き所の無い沈んだ気持ちをどうしようかと悩む。
どうしよう……このまま家に戻っても余計な心配をかけてしまうと思うし……。
気が付くと家の前に立っていた……どうしようと思いながらドアを手にをかけると、
「リーラちゃんおかえりなさい」
後ろから声が聞こえる、意図しないところから声を掛けられたのでビクッと驚いたような反応になってしまう。
振り返ると微笑を浮かべたフィリエルさんが収穫してきたのか葉物野菜をいれた籠を抱えて立っていた。
読了感謝です