甘い誘惑
あれから10日ほど経ったある日僕は夜明けにふと目が覚めた。
隣ではフィリエルさんがスースーと寝息を立てて眠っている。
まだ起きる時間には早いのかなと思いつつちょっと見てみる。
眠り姫……というのかな綺麗な寝顔に見惚れそうになってしまう。
ちょっとした思い付きで頬を突いてみると、ふにょっとした柔らかい感触が伝わってくる。
自分の頬も同じようにやってみると、少しだけ僕のほうが柔らかかった。
幼いからなのかな?と思いつつ自分のほうがふわふわしてるので少し誇らしく思う。
調子にのって頬をツンツン突いてみると、
「レリック……」
フィリエルさんが寝言でそういうや否や、僕に腕を回し抱き寄せる。
顔はフィリエルさんの豊かな胸に押し付けられ……。
「むぐぐ……」
息が出来ない状態に陥り、必死に逃れようとするけど、フィリエルさんにガッチリ抱きしめられている状態で、
大人と子供では力の差は歴然……僕の必死に抵抗も空しく、呼吸が出来ない状態で抵抗が続くわけも無く、
こんなところでこんな死に方嫌だよぉ……。
僕の意識は遠のいていくのだった。
「…………リーラさん」
僕を呼ぶ声に誘われて目を開くとどこかで見た覚えがある少女が目に入る。
「だれ?」
「そっか直接会ったことなかったね、私はナナです」
にっこりと笑って名のる少女に僕は戸惑いを覚えた。
ナナさんはもう亡くなったはず……ということは僕も……。
「僕も死んじゃったのかな?」
「ううん、リーラさんはまだこっちへ来ちゃ駄目なの」
ナナさんは首を振り僕の言葉を否定すると、
「私がお礼を言いたくて時間を貰ったの」
「お礼?」
お礼って何だろう?と思いながら耳を傾ける。
「私が居なくなってから元気が無くなっていた、お父さんとお母さんを元気にしてくれてありがとう」
「でも僕は……」
言いかけたところでナナさんは首を振り、
「知ってる……お父さんとお母さんは今はとても悲しんでる……」
二人一緒に俯いてしまう、ミーナさんとディンさんから見れば僕は行方不明で、
僕の生存が伝わるまでまだまだかかってしまう
「でも……リーラさんとまた再会できれば大丈夫だから」
「うん、だから今出来ることは精一杯やって、早く再会できるように努力する」
ナナさんの言葉に強く頷くと、
「ありがとう、私はもう会えないから……リーラさん私のお父さんとお母さんをよろしくお願いします」
ナナさんがペコリと僕に頭を下げるのを見ると同時に意識が遠のいていった。
「…………リーラちゃん」
呼びかける声と身体が揺れる衝撃に目を開くとぼんやりとした視界の中にフィリエルさんらしきものが見える。
僕……生きてたんだ……自分の意識が戻ってきたことにホッとする。
やがて視界が徐々にハッキリとしていく……。
「リーラちゃん……よかった……」
半ば泣いているようにさえ見えるフィリエルさんの顔が和らいでいくのが見える同時に強く抱きしめらる。
あれ……なんでフィリエルさん悲しそうな顔してるんだろう?
記憶を頑張って手繰り寄せると……そういえば……。
寝ぼけたらしいフィリエルさんに抱き寄せられ息が出来なくなって、今に至るから。
フィリエルさんから見たら僕を窒息死させてしまうところだったわけで……
なんとなく表情に合点がいった。
「ごめんなさいね、気が対いたらリーラちゃんを抱き枕にしてて、離すとぐったりしてるから……呼びかけても叩いても反応がないからどうしようかと思ったわ……」
再び悲痛な表情に染めるフィリエルさんに「もう大丈夫です」と笑顔で返すと。
「本当にごめんなさい」
と再び謝られちゃった。
もう少しで僕が死ぬところだっただけに仕方のないことかな?
あれこれ騒いだのにちょっと離れた場所で眠っているレリックさんは起きることは無かった、騒音に慣れているんだろうか。
何はともあれ僕が無事であったので朝食の準備を始めるフィリエルさん。
「あっ」「う…」と何時もは聞かないような声が漏れてくる。
どうしたのかなと声の元へと行って見ると……近づくにつれてなにやら焦げた臭いとが鼻を通り、
たどり着くと黒く焦げたパンが並んでいました。
ここにお世話になり始めて初めてのことなので少し驚いていると、
「ごめんなさい、失敗しちゃったみたい」
僕に気付いたのか苦笑いをしている。
もしかして……
「今朝のことを気にしてるんですか?」
僕の言葉にフィリエルさんは表情を暗くして俯いてしまう、もう少し気付くのが遅かったら僕を殺してしまったかもしれない。
それだけでも動揺してしまう事ではあるよね。
多分僕が悪戯で頬をつついちゃったのが原因だろうけど……。
僕はどうしたら良いんだろうか……少し思考を巡らす、閃いたけどこれで上手くいくかな?
ちょっと恥ずかしいけど悩んでも仕方ないから、実行に移すことにする。
「フィリエルさん、髪にごみがついてるから屈んでもらって良いいかな?」
僕のお願いにフィリエルさんは「これでいいかしらと」頭が僕の手に届く辺りまで屈んでくれた。
意を決して僕は思っていたことを行動に移す、フィリエルさんの頬にキスをしたのだ。
僕の突然の行動にキョトンとしてしまったフィリエルさんを見て、一応効果はあったと思う。
気に病んでいることを一時的に忘れてしまうぐらいの衝撃を与えれたかな?
一応作戦は成功したけど……僕は恥ずかしさで顔が真っ赤になっているかも……。
「リ、リーラちゃん?」
正気に戻ったのか、少し慌てた口調で僕を呼ぶ、僕が男の子であったことを知ってるからだと思うけど。
「ぼ、僕は大丈夫、フィリエルさんが今朝の事を気にしすぎてしまってるから、気をそらそうと思って……」
僕の出来ること一番効果があると思ってやったけど……僕にも効果がありすぎた頬にとはいえキスをしてしまったのだ。
うう~頬が熱い……僕は頭を抱えてしまう、良かれと思ってやったけど自分のやったことへの後悔で一杯になる。
どうしよう、どうしようと思っていると、ふわりと温かい温もりに包まれる。
何だろうと顔を上げてみると、柔らかく微笑んでいるフィリエルさんが見える。
「ありがとう、リーラちゃんもう大丈夫よ」
フィリエルさんの言葉に僕の気持ちも和らぐ、思い切ってやってよかった。
「でもねリーラちゃん、エルフが頬にキスするのは求愛って意味になるんだけど……」
柔らかい表情から一変し真剣な顔になったフィリエルさんから驚愕の事実を知らされる。
……え。
僕の頭からボンっと音が聞こえた気がする。
頬が顔がすごく熱く感じだす、僕はなんて事をしてしまったんだ……。
知らなかったとはいえ、フィリエルさんに対して求愛をしてしまったなんて……。
あうあう、どうしようどうしよう。
やってしまったことへの後悔と重大さにおろおろし、混乱してしまう。
ふとフィリエルさんを見るとくすくす笑っている。
あれ……なんで笑ってるの?
僕の視線に気付いたのかフィリエルさんが楽しそうに口を開く。
「ごめんなさい、冗談よ。リーラちゃん真面目に取っちゃうから可笑しくて……」
くすくす笑いながら「つい」と一言。
ひどい……真剣に悩んだのに……僕がエルフの事全然知らないの知ってるのに……。
「ぐす……ひどいよ」
フィリエルさんは何時もの調子に戻ったことを言いたかったのだろうけど、
一生懸命やったことをからかうネタにされてしまった事に悲しくなる。
感情が自分で上手く制御できない、目頭からぽろぽろと水滴が生まれていく。
でもやっぱりここは泣いちゃ駄目で『フィリエルさんひどい』と言いながら頬を膨らます事をやればよかったのに……。
この体になってから感情に流されて泣いちゃうことが多くなったと思う。
「私が悪かったわごめんなさい」
申し訳無さそうに苦笑いを浮かべるフィリエルさんにそのまま抱きしめ続けられていると、
「やれやれ、フィリエルは冗談が過ぎるのう」
声の元へと振り向くとレリックさんが腕を組みながらやれやれと言った感じで見ており、
「フィリエルの照れ隠しじゃよ、全く……励ますために懸命に頑張ったリーラを泣かしてどうするんじゃ」
そうだよ、僕は必死になって頑張ったのに……って、
「レリックさんいつからそこに?」
レリックさんは顎に手を当てながら考えるような素振りをすると
「『今朝のこと』といってる辺りからじゃな」
それってほとんど最初からじゃ……。
僕の表情から考えているレリックさんは意地の悪い微笑を浮かべて
「まぁ表情がころころ変るリーラは可愛かったがのう」
と言われ僕は可愛いと言われたことへの照れと最初から見られていたことへの恥ずかしさで……。
「う、う……うにゃぁぁぁぁぁぁぁ」
何時ものように? 叫び声をあげてしまうのだった。
そして朝食……。
二人に朝からからかわれてしまった僕は頬を膨らませて拗ねていた。
「ほらほらリーラちゃん機嫌なおして」
フィリエルさんが白い柔らかそうなパンを僕の前に差し出す。
パンは半分に切られており、その断面には蜂蜜とバターが塗ってある。
数日前に食べた記憶が蘇ってくる……こっちの世界に来て初めて口にした甘いものは僕を夢中にさせてしまった。
甘いものはそれなりに高価なものなので無理は言えない。
でも今はそれを出してくれている……。
「こんなもので機嫌は直らないんだからね」
僕は拗ねた態度をとり続けながら差し出されたパンを頬張る。
パンを噛み締めるごとに口の中では、蜂蜜とバターが織り成すハーモニーが僕を幸せにさせる。
食べ終わるまでしかめっ面のままを維持するのは無理でした……。
美味し過ぎた蜂蜜バターのパンが恨めしい。
食べ物の魅力の前には僕の意地など無力だった。
それでも頬を膨らませて拗ねてる様子を貫こうとすると……。
フィリエルさんに膨らませた頬を突かれる、
ぷすー、頬の空気が口から漏れる。
「機嫌損ねてる振りを続けてもだめよ」
「むー、どうして分かったんですか」
「リーラは自覚ないかもしれんが、耳がご機嫌だと言ってるんじゃよ」
レリックさんの言葉にハッとして自分の耳を触ってみると少し上下に動いてる。
これって犬の尻尾と同じように……僕の耳を見ればわかるってこと?
シュンと肩を落とす僕に、
「ほれほれ、そんな落ち込むでない、今分かったのは表情と耳の動きが一致しなかったからじゃ、普段はそんな分かるもんじゃないぞ」
「そうなの?」
レリックさんの言葉に顔を上げると「うむ」とゆっくり頷いてくれた。
そうだよね、感情が耳に表れても表情と一緒に動くことがほとんどだから大丈夫かな。
「でも、隠し事はし難いのよね~」
しみじみと言うフィリエルさん、過去に何かあったのかな?
「まぁ正直者はいいことじゃろうで」
ほっほと笑うレリックさんにフィリエルさんは苦笑いを浮かべていた、二人の中で過去にやり取りがあったんだろうね。
「リーラちゃんにお使いをお願いしていいかな?」
フィリエルさんに訊ねられ何だろう? と思いつつ用事もこれといってないので、
「うん」
「それじゃカリンさんのとこで蜂蜜一瓶買ってきてね、多分これで足りると思うわ」
カリンさんは村の雑貨屋さんをしている若い女性で、数日前にフィリエルさんに連れて行ってもらったけど、
色々な物が並んでいて、僕には蜂蜜以外見慣れないもので一杯だった。
そういって銀貨を五枚手渡してくれる、落とさないようにポーチにしまってと、
もしかして今日のパンに塗ったので切れちゃったのかな?
「罪滅ぼしとお礼に今夜も同じパンにするわね」
フィリエルさんは片目を瞑って僕にウインクする。
夜にまた同じものが食べれる……すごく楽しみだ。
「表情も耳もご機嫌じゃのう、見とるわしも楽しくなりそうじゃのう」
目を細めて僕を見るレリックさん、どこか嬉しそうに見える。
孫を見守るお爺ちゃんって感じなのかな? 一応設定上は今は僕は孫に当たるけど。
「行って来ます」
「行ってらっしゃい」
「気を付けての」
僕は夕飯の楽しみの為に意気揚々とお使いに出発するのだった。
読了感謝です