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千早(23)・選択



 翌日浜に出た千早は、ずっと子供のことを案じていた三左に、コハクがもう起きて食事をとっていたことを告げて、ここに流されてくるに至った事情についても、ざっと説明した。

「……そうですか」

 すべてを聞き終え、三左が沈痛な表情になって頷く。この男はこれで案外子供好きなので、心の中では目一杯コハクに対して同情しているのだろう。その優しさが表に出なくて判りづらいのが、気の毒な話だ。今だって、見た目としてはむっつりと怒っているようにしか見えない。

「それで頭は、どうなさるおつもりで」

 窺うように訊ねているのは、不知火島に行って姉を取り返す、というコハクの無鉄砲だが頑丈な意志をどうするつもりなのか、という意味であることは判った。

「そーだなあ……」

 どうなさる、と言われても、千早も正直に言えば、これといってはっきりとした思惑があるわけでもない。ぽりぽりと人差し指で頭を掻く。

「まあとりあえず、コハクの体力がもっと回復して、元気に動き回れるようになったら、の話なんだけどよ」

 どうするのが最も正しいのか、というのは判らない。というより、多分、このテのことに「正解」なんてものはない。

 あるのはせいぜい、優先順位くらいだ。


 どちらがより、後悔しないでいられるか──という。


 ここでコハクに言葉を尽くして説明し、脅したりなだめすかしたりしてその行動を思い留まらせることが出来たとしても、結局それは一時しのぎにしか過ぎないのだと、千早は思っている。

 その場合コハクは、姉を見捨てた、何も出来なかったししなかった、という重荷を背負い続けたまま、これからの長い一生を過ごしていかねばならないからだ。それはひょっとすると、死ぬよりもつらいことになるかもしれない。

 かといって、このまま黙ってコハクを行かせるわけにもいかない。それは今度は、千早の心に消えないしこりとなって残り続けることだろう。死ぬことになると判っていて、あんな子供を送り出し、この先ずっと苦い後悔を引きずっていくのは御免だ。


(──そうだよな)


 そこまで思って、納得するように思った。あれだけ迷っていたのに、なんだか憑き物が落ちるように、あっさりと、けれどとても深いところで理解した。


(人間なんて、そうやって物事を決めていくしかない)


 失敗はある。判断を誤ることもある。この先のことは判らない。人間なんだから、すべてを見通す万能の存在ではあり得ない。そんなことは当たり前だ。

 間違いを犯して、迷って、悩んで、時に道に躓いて、泣いて怒って、地団駄を踏んで。

 そうして、足掻きながら、生きていく限り、進んでいくしかない。

 決断し、選び取っていくしかない。

 どうやって?


 ──現在の自分が、いちばん後悔しない道を、だ。


「……船に乗せてやろうと思うんだ」

 ぽつりと呟いた言葉に、三左は「は?」と訊き返した。少し言いよどみ、海のほうへと目を向けながら、また口を開く。


「俺らが海賊船で仕事に行く時、コハクを乗せて、一緒に連れて行こうと思うんだ。それで、海の上で命を賭けるってのがどういうことか、あいつの目に見せておこうと思う。刀も持たせて、扱い方も教える。せめて最低限、自分の身を守れるようにならない奴は、何を言ったところで犬死ににしかならねえってことを、心と体に叩き込む。それで怖気づいて諦めるっていうのならよし。それでも諦めないっていうのなら──」

「いうのなら?」

「……俺の出来る範囲で、手助けくらいはしてやるよ」


 そして、それでもどうしても、姉を救出するのが無理だと判断したら、その時点で説得し、千早は手を引く。そうまでしても、コハクが状況も自分の力も弁えず、ただ闇雲に突進していくような無知な子供であったなら、もう見限るしかない。千早は、子供の浅慮に付き合って共に失ってしまうような命は持ち合わせてはいないからだ。


 だがその前に、やれるだけのことはやってみよう。


「まずは七夜に、不知火の動向を調べさせるかな」

 人使いが荒いと七夜にぶうぶう文句を言われそうだなあ、と思いながら呟いた。でもあいつ、どうせ暇だと女遊びしかしないんだから、まあいいか。

「……って、俺は思うんだけど、どう思う? 三左」

 そう問いかけると、三左は少し驚いたように瞳を瞬いた。ん? と首を傾げる千早に、三左がちょっとだけ笑みを漏らす。

「いや、頭が俺に意見を聞くなんて、あまりないことだったんで」

 そうだっけ、とますます首を傾げた。

 そういえば、頭代理になってからの俺は、誰かに何かを相談するなんてこと、しなかったかな。ただひたすら、一人前の「大人」であることだけを、自分に課し続けていたから。


 馬鹿だよな。だって俺は、まだまだガキで、半人前なのに。どうやったって、そんなことは、時間と経験でしか補えないものなのに。

 他の人間に助けてもらわなきゃ、一人前になんてなれっこないに決まっているじゃないか。


 三左は目元を和ませて、しっかりと肯った。

「俺は、それでいいと思います。コハクに刀の扱い方を教えるのも、俺が引き受けます」

「うん、悪いな。……あと、五平のことなんだけど」

 こっちはこっちで、放置してはおけない厄介な問題だ。

「あいつも、船に乗せてやるつもりなんだ。今まで、なんだかんだ言って逃げ回ってたけど、もうこれ以上は許さない。無理矢理にでも乗せて、働かせる」

 体が弱いから胴鎧が着けられないだの、刀を上手く持てないだのと、なんだかんだと言い訳をして、これまでちっとも海賊船には乗ろうとはせず、だらだらと漁の手伝いくらいしかしなかった怠け者の五平。

 そんな男に同乗されると、仲間内での士気も下がるし、連帯も崩れる。第一、足手まといだ。だから千早もつい見逃してきてしまったが、その甘さがあの男の身勝手さを助長させる一因にもなった。大体、あの年齢で、生活のほとんどを親に依存しているというのが、異常なことだったのに。

 働かざる者食うべからず。そんな簡単なこと、誰もあいつにまともに言ってこなかった。強く言うと暴れるから、関わり合いになるのが面倒だからと、そんな理由で放っておいた側にも責任はある。

 だが、その提案には、三左は疑わしそうに首を捻った。

「しかしあいつが、そう素直に言うことを聞きますかね?」

「刀の錆にされるよりはマシだろ、って言ってやるさ」

 五平だって、千早の怒りを買うことの恐怖を身に染みて知ったはずだから、よほどの能天気さがなければ、否とは言うまい。ああいう手合いには、時に、力の強弱を見せつけてやるのも必要だ。

「せいぜい皆でこき使ってやってくれ」

 そう言うと、三左は「はい」と、少し楽しそうに目を光らせた。優しいが怖い顔、ではなく、正真正銘怖い。五平の奴も、三左にみっちりしごかれて、働いた後の酒の旨さ、ってのを知ることになればいいんだが。……しばらくは無理かな。


「──それと、さ」

 千早の口調が若干変わったことに気づいたのだろう。三左は訝しげな顔をして、こちらを見返した。



          ***



 陽が落ちる前に、ひなの家に行ってみると、入り口の前に立つ彼女の背中が見えた。

「ひな」

 声をかけると、びくっと肩を揺らして振り返る。近づいていく千早と目を合わせ、一瞬、逃げたそうに足を動かしじりっと後ずさりをしたが、結局困ったようにその場でお辞儀をした。

「お前だけか? コハクは?」

 訊ねたら、ひなはまた、さっき見ていたほうをちらっと見た。

「二太ちゃんと、三太ちゃんと一緒に、川に水を汲みに行きました」

「なんだ、あいつら、もう仲良くなったのか」

 昨日目を覚ましたところなのに、子供は打ち解けるのが早いなと感心する。

「じゃあ、それくらい動き回れるようにはなったんだな」

 という千早の言葉に、なぜか、ひなはみるみる眉を下げた。

「いろいろと、家の中のことを手伝ってくれます。まだ寝ていたほうがいいんじゃないかと、何度も言ったんですけど……」

 言いながら、視線はまた千早から離れ、不安げに反対側へと向けられる。その方向には川があるのだ。


 どうやら家の前に立っていたのは、コハクがちゃんと行って戻ってこられるのかと心配で、いてもたってもいられなかったためらしい。

 千早と話しても昨日ほどぎこちなさがないのは、すっかりそちらに意識がとられているからなのだろう。


 千早は可笑しくなって、噴き出しそうになるのをなんとか堪えた。お前だって、最初のうちはそうやって言うことも聞かずに動き回って、三左をやきもきさせたくせによ。

 コハクを気遣うひなの姿は、まるで姉か母親のようだった。あんなにもふわふわと頼りなさげだった娘が、と思うと意外なほどだ。


 人は、庇護する存在があると、こうも変われるものなのか。


「──コハクの面倒を見るのは、大変か?」

 その質問に、え、とひなが再び千早に向き直る。それから迷いもせずに、首を横に振った。

「いいえ、ちっとも」

 ふんわりと、目元を緩める。

「あの子が日に日に元気になっていくのを見るのは、とても嬉しいし、楽しいです。あの子が笑ってくれるのなら、わたしも自分の出来ることを出来るだけ、したいと思うんです。大変だとか、そういうことはまったく思ったことはないです」

 うん、と千早は頷いた。ひなはもともと、愛情深い性質だ。コハクの境遇を気の毒に思うのとはまた別に、あの子供に純粋な好意と愛情を抱いているのだろう。


 ──だったら、判るはず。


「じゃあ、たとえば、コハクが厄介なことに巻き込まれたとして、お前はそれを助けたいと思うだろ?」

 唐突な問いに、ひなは少し戸惑った表情をしたが、それでも素直に、はいと頷いた。

「助けて、出来るだけ手を貸してやりたいと思うよな?」

「はい」

「お前はそのことを、『迷惑だ』って思うか?」

「……いいえ」

 困惑しながら否定する。どうしてそんなことを訊ねられているのか、ちっとも判っていない様子だった。ひなは他人の感情には敏いが、自分自身のことに対してはひどく疎い。時々、本気で苛めてやりたくなるほど。


「──俺らだって、そうなんだよ」

 真っ直ぐに、ひなのほうを向いて告げた。


 ひなが「え?」と身じろぎする。千早はその目線をしっかりと捉えた。


「ひなが、何かに困っていたり、苦しんでいたりしたなら、それを助けてやりたい。力になってやりたい。そう思うのは俺たちの勝手だし、もちろん迷惑だなんて思うわけがない。そうしたいから、そう思う。お前が笑っていられるように、自分に出来る限りのことをしたいと願う。お前が笑ってると、俺たちだって嬉しいからだ。……今のお前なら、判るだろ」


 コハクという、守る存在が出来た今なら。

 一歩詰め寄るように近づいたら、ひなが同じように一歩下がった。こちらを向くその表情は、ひどく混乱しているように見える。

「……わたし、は」

「島を出ていくつもりなんだろ」

 ひなの顔から、すうっと血の気が引いていく。震える口元が、何かを紡ぎ出そうとする前に、千早は「三左に聞いたぜ」と言葉を続けた。

 その口から嘘が出るのを、もう聞きたくはない。


「島の人間が舟に乗って本島や余所の島に出かけるのは、日や時間帯が決まっているのかって、訊いたんだろう?」


 どうしてそんなことを訊くのか不思議に思いましたが、頭にはそのことを黙っておいてくれって言われたもんで──と、三左が、バツが悪そうに教えてくれた。

「誰かが舟で海に出たら、その時に、自分もどうにかそこに乗っていくつもりだったか? せっかく声が出るようになったのに、その声で何か出鱈目の口実をこしらえて、なのに俺たちには何も言わないで、こっそり島を出ていって、もう戻らないつもりだったか」

「…………」

 ひなは何も言わず、見開いた目でただ千早を見返している。顔は真っ青、拳に握った両手が小刻みに震えていた。下唇を強く噛みしめて、これでは傷がついてしまう。

 千早は口調を和らげた。

「……ひな、俺はな」

 右手を伸ばし、そっと唇に触れたら、ひなはビクッと全身を固く強張らせたが、同時に口をわずかに開いて自らを傷つける行為を中断させたので、ほっとした。そんなことをさせたいわけじゃない。


「俺は以前、親父を助けようとして、仲間の命を危険に晒したことがある」


 その言葉に、ひなははっとした表情をして、まだ血の気も戻っていないその顔に、千早を慮る色を乗せた。まったく、お人好しだ。

 ていうか、誰がひなに喋ったんだ? 千船か、三左か、それとも。


「俺のせいで、仲間がたくさん、血を流して苦しんでさ。それを見て、俺は自分が頭になる資格なんてないと思ったよ。けど、この島の頭は世襲制だ。他にいくらでも頭にふさわしい奴がいたって、次に頭になるのは俺だってもう決まっちまってる。こんなのはおかしいだろ、って誰より俺が一番思ってた」


 昔から、しっかりと島を守れる頭になろうと夢見ていた。その願いが、無残に打ち砕かれる気分だった。

 自分は頭になれるような人間じゃない。その自覚は千早の誇りを傷つけたけれど、それ以上に重い事実として背中に圧しかかった。間違った判断をして、多くの仲間を傷つけた自分よりも、きっと、もっとちゃんと「頭」になれる奴はいる。そのほうが、島は平和でいられるかもしれないのに。

 でも、今さら世襲制というしきたりは変えられない。そんなことをしたら、島全体の秩序が乱れる。それが判るからこそ、頭になれない、などとは言い出せない。動けなくなった父親の代理をするのは、自分しかいないのだ。頭を名乗る資格はないと判っていながら。

 そんな二律背反を抱えたまま、千早は頭代理となった。せめて「代理」として、この島を守り通せるように必死だった。今度こそ判断を誤らないよう、皆を不安にさせないよう、何ひとつこの島のものを損なわないよう。


 それが、自らの罪を贖うことでもあると。


「親父だってさ、俺があんなことをしなければ、今頃は心安らかにあの世でお袋と仲良く暮らしてたかもしれねえのに。あんな──不自由な体でさ、船にも乗れず海にも出られず、陸の上で寝たり起きたりするだけになっちまったのは、あの親父には、えらく屈辱的なことだろう。いっそ、船の上で死なせてやってたほうが、親父にとってよっぽどよかったんじゃなかったのかって、何度も思った」


「そんな」

 思わずといった調子で、ひなが口を開く。訴えるような、懸命な瞳をしていた。千早が五平を殺してしまいそうだった時と同じだ。ひなはいつも、こうして自分の置かれている状況も忘れて、他人の気持ちを思いやってしまう。

 愚かなほどに、どこまでも優しい娘。

「わたしは、千船さまにお会いできて、よかったと思っています。生きていてくださって、ほんとうに嬉しいです。千船さまも、そんな風には、決して考えてらっしゃらないと思います。……あの、上手に言えませんけど」

 言ってから、申し訳なさそうに目を伏せた。どう言えばいいのかと、もどかしそうだ。でも、拙い言い方だって、伝わるものはある。


「……うん」

 千早は少し笑った。


「俺もさ、やっぱり、親父には生きてて欲しかった。生きていてくれて、よかったとも思う。後悔はあるけど、きっと、あの場で親父を見捨てていたら、俺はもっと後悔をしていたんだろう。どっちに進んでも後悔していたなら、より後悔しないほうを選んだのは、多分、間違いじゃなかったんだ」


 いや、間違いとか、間違いじゃないとか、そんな考え方がそもそもおかしいのかもしれない。

 だって時間は過ぎていくのだし、進んできた道はもう戻ることなんて出来ないのだから。正しかったとか、間違ったとかいったって、はじまらない。

 進んできたその道を、振り返った自分自身が受け入れられるかどうか。これから進んでいくその先に、ちゃんと「希望」が見えているかどうか。楽な道ではなく、誰かのためではなく、正誤でもなく……自分が後悔しないでいられるような道を選ぶこと。

 それが、なにより大事なことなんだ、きっと。

 だから千早は、今の自分の目の前にある道を、そうやって選びとりたいと思う。


「──ひな、ここにいろよ」


 さっき唇に触れたその手を差し伸べて、そう言った。

「…………」

 ひなは大きく目を見開いたまま、動かない。正面からその顔を見据え、口を開く。

 耳に入る自分の声は、心の底から正直で、真剣だった。

「どこにも行くな。ここに──俺の傍にいろよ。お前が背負ってる何かを、俺にも分けてくれ。俺はそれを一緒に背負っていきたいんだ。そのことを、面倒だとか、厄介だとか、迷惑だなんて思わない。……俺は、お前が好きだから」

 手を伸ばしたまままた一歩近寄ったら、ひなが泣きそうな顔になって弱々しく頭を振り、さらに一歩後ろに下がった。今度は迷いなく足を踏み出し、素早くひなの腕を掴む。

 今の自分は、獲物を追い詰めるような眼をしているのだろう。


 ……もう、逃がさない。





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