第39話 【脱出行-5】
闇。
闇が濃い。
まるで底のない沼のように、抗えば抗うほど私達の体を捉えて離さない、果てのない闇。
もう抜け出せないのでは無いかと思う程の闇が、どこまでも続いていた。
猥雑に絡み合った木々の中を、小さな懐中電灯の小さな光が忙しなく動き回る。
はあはあと言う、自分の荒い呼吸音だけが耳に響く。
力の入らなくなった私の足では思うように進めなかった。私はほとんど拓郎に支えられるようにして歩いていた。
幸い、背後から人の迫る気配は感じない。
最も、忍者みたいに気配を殺して近付かれたら私に分かるはずもないけど、あの岡崎さんやガードマンにそんな芸当は出来るとは思えないから、たぶん、私達が『脇道にそれた』事は気付かれていないのだと思う。
「もう少しだ、頑張れ」
拓郎の励ましに、息が上がって声を出すことが出来ずに、私はたたコクンと頷き返す。
その時、ポツンと、頬に冷たい雫が一つしたたり落ちて、反射的に天を振り仰いだ。視線の先は暗闇で何も見えない。木々も空も渾然一体となって、ただ暗い闇色に融けている。
雨の雫は次第に数を増やして、ぱたぱたと葉を叩く音が賑やかさを増していく。
むせ返るような土の匂いが立ちこめた。
「降り出したな……急ぐぞ、藍」
「は……い」
ようやく絞り出した声は、まるで風邪を引いたときのように掠れていた。
どれくらい道無き道を歩いただろうか、以外と短い時間なのかもしれないけど、今の私には何時間にも感じられる。その場所に着いたときには、二人ともすっかり濡れ鼠になってしまっていた。
「着いたよ。ここだ」
「ここ……は?」
少し開けた台地に古びた丸太造りの小屋が建っていた。
ログハウスと言うのだろうか。さほど大きくはなく、たぶん、拓郎のアパートの部屋よりは大きい位だと思う。
古びて、木々に埋もれたその小屋には、当たり前だけれど人の気配はない。
鬱蒼と茂る木々に囲まれ打ち捨てられたように佇むその姿は、どこかお化け屋敷のようで、もの悲しさと恐怖心を駆り立てる。
照らすのが、懐中電灯の頼りない光だけと言うもの、嫌が応にもそのおどろおどろしい雰囲気を助長していた。
童話の世界なら、間違いなく魔法使いのおばあさんが住んでいそうだ。
「研究所が建つ以前、使われていたものらしいけど、この山そのものが日掛グループの所有になっているから、日掛の所有の不動産になるのかな? もっとも、この存在を把握してるのは、柏木さん位だろうけどね」
思わず山小屋に見入ってしまっていた私に説明する拓郎の声は、どこか楽しそうな響きを持っている。私は、視線を小屋から、すぐ脇にある拓郎の顔に移した。
辛うじて判別できるその顔には、確かに楽しそうな表情が浮かんでいる。
「ん? 何? どうした?」
私を抱えるように小屋の入り口まで辿り着いた拓郎は、私のその視線に気付いて首をかしげた。
「どう……して?」
「ん?」
「何だか……、楽しそう、だから」
私の質問に拓郎は、「実際、楽しいから」とクスクスと笑い出した。
山小屋の中は、多少のかび臭さはあるものの、外見からは想像できないくらい綺麗で、生活感があった。最近まで、使われていたのだろうか?
十畳ほどの板張りの部屋には壁際に暖炉が作り付けられていたけど、火をおこしたりすれば追っ手に見付かるリスクが大きくなるので、使うことが出来ない。
さすがに電気は引かれてなく、小屋の中も濃い闇に支配されれていた。
雨に濡れた服が肌に張り付いて体温を奪っていく。
そのせいなのか別の原因があるのか、私の体は小刻みに震えていた。相変わらず足の感覚も可笑しいままだ。
もしかしたら、このまま――。
そんな不吉な考えが、胸を過ぎった。
私は、普通の人間ではない。
外見は、普通の人間となんの変わりも無いけれど、あくまで人工的に造られたクローン体だ。その目的は臓器移植にあって、普通に生きるためではない。
私は、拓郎と生活している間、『クローン』に付いて自分なりに調べてみた。
インターネットでの検索が主なものだったけど、氾濫する情報の中で一番興味を引かれたのは、羊のクローン実験の記事だった。
クローン羊のドリー。
彼女は、普通の羊の半分の寿命で死んでしまった。
通常は十二年は生きる筈の寿命は、六年に満たなかった。
人間と羊は違う。
でも私は、ドリーの辿った道が、そのまま自分の辿る未来図に見えて仕方がなかった。
だとしたら。
もし、長く生きられないのなら、せめて大好きなお姉ちゃんの助けになりたい。
それが、自分がこの世に生を受けた『存在意義』なのじゃないの?
「さあ、ここに座って」
拓郎の声に、私は、はっと我に返った。