第38話 【脱出行-4】
激しく揺れる視界の先で、深い闇に、懐中電灯の小さな明かりが頼りなげに踊る。
その明かりに照らし出された山の木々が、急に強まった冷たい風に煽られて、不気味に枝を揺らしていた。
「きゃっ」
かなり足下が悪い。
何度もこけそうになって、そのたび拓郎に支えられる。極度の緊張と苦しい息の下、繋いだ手から伝わる温もりだけが、唯一の道標だった。
この道は、研究所が建つ前からあった古い山道で、今はほとんど使われていない。
幅は二メートルにも満たないだろう、かなり急勾配の下り坂の道には、街灯など立っているわけもなく勿論舗装もされていない。土のままの山道だ。
道の両脇は針葉樹林になっていて、木々が、ぎりぎりまでその太い幹を張り出させて、不気味な陰影を浮かび上がらせている。
まさに『原生林』と呼べそうなくらい、人の手が入っていない自然のままの山林だった。
研究所のメイン道路は、専用の地下道になっていて、一キロほど下の幹線道路に繋がっている。
半年前、私が研究所から逃げ出した時に使ったのもそっちの地下道で、私が西門のこの山道に足を踏み入れたのは初めてだった。
「大丈夫か!? もう少しだから頑張れっ!」
叱咤する拓郎の声に、私は声を出して答えることが出来ずに、ただ頷き返した。
苦しい――。
心臓が、口から飛び出しそうにこれでもかと悲鳴を上げている。
酸欠で、こめかみがガンガンと不平を鳴らした。
不意に、そのどれとも違う、突然の違和感が背筋を走り抜ける。
何?、この感じ。
足だ。足が可笑しい。
湧き上がった言いようのない違和感に、思わず眉をひそめる。
膝から下の感覚が可笑しかった。
動いているのかすらよく分からない、まるで麻酔を掛けられた時のような感覚が、足先からじわじわとせり上がってくる。
「うっ……」
急激に強くなって行くその感覚に、思わず呻き声が漏れた。
何? 足が、痺れて……る?
急激な運動の為なんかじゃない。
それは、明らかに私の体が発する異常のサインだった。
「た……くろ、待って、足、おかし……」
そこまで言った時、ガクンと完全に足の力が抜け落ちた。
「ああっ?」
グラリと揺れる視界。世界が、ぐにゃりと歪む。
気持ち悪い――。
「藍!?」
バランスを崩して倒れ込みそうになるのを、辛うじて拓郎に支えられる。
何!?
私、どうなっちゃったの!?
「足……おかし、の。全然力、入らな……」
可笑しいのは、足だけじゃない。ろれつもかなり怪しい。
この感覚は、そう丁度、生態低温維持装置から出された直後のあの時に似ている。
でも、なぜ!?
「やっぱり、無理か」
「えっ?」
呟く拓郎のセリフに、何とか顔を上げる。
拓郎は、私のこの症状の原因を知っている?
その真意を聞こうと口を開いたとき、背後がにわかに騒がしくなった。複数の男の人の切迫したような話し声が以外と近くに聞こえた。
その声が、だんだんと近付いてくる。
多分、岡崎秘書の差し向けたガードマンだ。
ダメだ。このままじゃ捕まる。
この状態で捕まったら、拓郎に迷惑がかかってしまう。
今でも、十分に迷惑はかかっているけど、捕まったらどうなるのか想像が付かない。
いくら何でも、命まで取られる事は無いだろうけど、誘拐罪とかで警察に逮捕させることくらいは平気でやりそうで怖い。
「拓郎」
お願い、私を置いて逃げて――。
そう、言おうとした時、拓郎がニコリと笑ったような気がした。
ううん。確かに笑ってる。
「藍、こっちだ。脇道にそれるぞ?」
「えっ?」
「逃走ルート、その2。心配ない、こんなこともあろうかと、柏木さんからちゃんと策を授かってきてるよ。要は、コールド・スリープが完了するまでの六時間、捕まらなければいいんだ」
そう言うと拓郎は、ほとんど私を抱えるようにして、到底道には見えないその『脇道』に足を踏み入れた。