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第34話 【再びの別れ】

 拓郎と柏木先生は一時間ほどで、先生の私室からメディカル・ルームに戻ってきた。


 和気藹藹わきあいあいと楽しそうに雑談しながら帰ってきた白衣姿の二人は、妙に波長が合っているみたいで、部屋を出て行く時は緊張気味だった拓郎の顔にも、微かに笑みが浮かんでいる。


 柏木先生は普段、私たち以外の人間と対するとき、研究所の職員に『鉄面皮』とあだ名されるくらいのポーカーフェイスなのだけど、その表情は軟らかかった。


 二人の明るい表情からは、話の内容が深刻な物だとはとても思えない。

 でも私には、二人が何を話し合っていたのか大体の予想がついた。拓郎も柏木先生もその話題に触れないから、私も敢えて聞く事はしなかったけど。

 

 怖くて拓郎に聞けない。


 それが本音。


 そのすぐ後、先生の指示で私は、元々色素の薄い茶色の頭髪をお姉ちゃんと同じ『黒く』染めた。

 

 理由は、私とお姉ちゃんが入れ替わるため。


 メディカルルームに備え付きの洗面台で、染めた髪をドライヤーで乾かし終えた私は、鏡に写る自分を見て驚いた。


 腰まで伸びた、自然なウエーブの掛かった黒髪。

 それは、お姉ちゃんのものだ。


「ほう……。さすがに髪の色が同じだと、見分けは付かないだろうな」


 髪を黒く染めた私と、お姉ちゃんを見比べて、柏木先生が腕組みしながら妙に感心したように呟いた。メガネの奥の瞳が、愉快そうに細められる。


 その言葉に、私とお姉ちゃんは顔を見合わせた。


 私は不思議な感覚に囚われた。

 目の前にいるのは、自分と寸分違わぬ人間。着ている物も一緒なので一瞬、鏡を見ているような錯覚に陥る。


 確かに柏木先生の言う通り、たぶん、他人は見分けは付かないだろうと思う。


 それがこの脱出計画の要だった。 


 私とお姉ちゃんが入れ替わってまず、私と拓郎はこのディカル・ルームから出て、その足で正面から研究所を脱出する。


 一時間ほど山道を下りると拓郎の車が置いてある場所にでるので、その車でとにかく県外に逃げて、その間にお姉ちゃんは『コールド・スリープ』に入る。


 順調に行けば、その作業に六時間。


 その六時間を逃げ切ることが出来れば、私は自由になれる。

 

 お姉ちゃんが眠りについてしまえば、もう起こすことは出来ない。

 そうなれば、わたしの利用価値は無くなり、もう追われることもなくなる。


 それが、一連の脱出劇の筋書きだった。


 拓郎は、何故かガードマンには『新しい麻酔医の先生』と言う事になっているらしい。

 拓郎が白衣を着込んでいるが不思議で聞いてみたら、柏木先生からそう答えが返ってきた。


「意外と、似合うだろう? 少しは賢く見える?」


 始めて私に対して口を開いた拓郎は、そう言って愉快そうに笑った。

 私の心配を知ってか知らずか、その笑顔には屈託がない。


 そう、それは、いつも私に向けられていたあの笑顔と、何も変わらなかった。


 何故?


 怒ってないの?


 その言葉すらも出てこない。 


 黙り込んでしまった私にお姉ちゃんが、昔良くしたように、手のひらで口元を隠して『こしょこしょ』と内緒話をしてきた。


「え?」


 お姉ちゃんの提案に、思わず間の抜けた返事が出てしまい、その様子を見ていた男性陣二人が一様に不思議そうな表情を浮かべる。


「お、お姉ちゃん……」


「いいから、いいから! ほら!」


 ためらう私の両手を取って、お姉ちゃんはグルグルとまるでダンスを踊るように部屋の中を回り始めた。くるくるくる回る視界に、柏木先生と、拓郎の姿が交互に入ってくる。


 だめ。目が回る!


 思わずよろけそうになった瞬間、見計らったようにお姉ちゃん両手をパッと放した。


「きゃっ!」


「うわっ!」


 遠心力で振り回されて、私はそのまま拓郎に勢いよくぶつかり、拓郎はバランスを崩して私を抱えたまま尻餅をついた。


 お姉ちゃんはと言えば、白い頬をほんのりと上気させて楽しそうに、柏木先生の顔を覗き込んでいる。柏木先生の眉根が微かにしかめられた。


 「ねぇ、どっちがどっちだか分かる?」


 腰まで伸びた見事な漆黒の髪を揺らしながら、お姉ちゃんが悪戯いたずらっ子の様な瞳で、柏木先生と拓郎に問いかける。


「分からない筈ないだろう!」


 綺麗に重なった二人の声が、広いメディカルルームに響き渡った。 

 防音壁になっているから、扉の外で見張っているガードマンには届く心配はないけど、とうの声の主達は同時に驚いた表情になる。


 その余りのタイミングの合い具合が面白くて、私とお姉ちゃんが同時に吹き出した。


 柏木先生と拓郎がお互いに視線を走らせ苦笑する。


 同じ遺伝子を持ち、ほぼ同じ環境で育った私たちは、性格は正反対だ。

 気性がはっきりして物怖じしないお姉ちゃん『日掛ひかけあい』に対して、人見知りで引っこみじあんの私『大沼おおぬまあい


 外見的に同じ私たちが髪を同じ色にしてしまえば、他人は見分けは付かないだろうけど、きっぱり『見分けが付く』と断言してくれる人間ひとがいる。


 それはとても幸せなことで、自分が必要な存在なのだと思わせてくれる。


「さあ、お嬢様方、出発のお時間ですよ」


 少しおどけた様にうやうやしく言う柏木先生の声が、別れの合図。


「私……、お姉ちゃんが大好き」 


 声が震える。


 鼻の奥にツンと熱いものがこみ上げてきて、私は天井を仰いだ。


 勝ち気で我が儘に見えるけど、本当は優しい、幼い時からいつも一緒にいた『大好きなお姉ちゃん』。実は自分が、彼女の臓器移植用に作られたクローン体だと知っても、やはりこのひとが大好きだった――。


「私も、あなたにもう一度会えて良かったわ!」


 満面の笑みで、お姉ちゃんが答える。


 そして私を引き寄せ『ぎゅっ』と抱きしめると、顔をシャンと上げてきっぱりと言った。


「さあ、行きなさい。これでお別れよ。いい? 幸せになるのよ。誰にも負けないくらい。じゃないと私、おちおち眠っていられないわ!」


 黒い瞳が、涙の粒を含んでキラキラと輝く。


 その瞳。


 その顔。


 その声。


 その存在の全てを、私は忘れない。



 決して、忘れない――。



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