第33話 【眠り姫】
「私ね、”眠り姫” になる事にしたの」
それは、メディカル・ルームに移されてすぐ、ベットに横たわる私に向けられたお姉ちゃんのセリフ。まるで、とっておきの悪戯を披露する子供のような笑顔で、サラリとそう言ってのけたのだ。
「眠り……姫?」
私はその言葉の意味が分からずに、ベットサイドの椅子に座っている拓郎と顔を見合わせた。拓郎も私と同じらしく、狐につままれたような顔をしている。
『眠り姫』って、あの『童話の眠り姫』のことだろうか?
呪いで百年の眠りにおちた眠り姫が、百年後に訪れた王子様の接吻で目覚める、童話の眠り姫。幼い頃、私たちが大好きだったお伽噺――。
「そう。Sleeping Beauty! ね・む・り姫」
くすくすと笑うお姉ちゃんの傍らには、いつもの優しい表情の柏木先生が、寄り添うように立っている。
「十年後か五十年後か、それとも、もっと未来か――。いつか医療技術が進んで、この病が治療可能になるその日まで眠りにつくの」
その笑顔には、何の陰りも無い。
「でね、その時誰も知ってる人がいないと寂しいじゃない? だからね、私、子供を作る事にしたの」
そう言うと、柏木先生に視線を向けて、いたずらっ子のように『ウフフ』と笑う。
「そしてね、いつかその時が来たら子供達に起こして貰うのよ。素敵じゃない?」
お姉ちゃんの卵子はすでに摘出され、冷凍保存されているのだと言う。
【冷凍睡眠】――コールド・スリープ――
それは柏木先生の本来の研究テーマで、半年前、私が研究所から脱出した時には、既に決めていた事だったのだと言う。
すべての準備が整いつつある時に私が自ら研究所に戻らなければ、事はこんなに複雑にはならなかったのだ。
ただ、問題が一つ。
それは、コールド・スリープの技術的な問題。
今現在、コールドスリープに入る技術は完成された。でも、その覚醒技術が未完成である事。
医療技術の進歩と、コールドスリープの覚醒技術の完成。この二つが揃わなければ、お姉ちゃんを起こす事は出来ないのだ。
「だからね、私が眠りに就いてしまえば、さすがのお祖父様でもどうする事もできないの。あなたは、もう自由なのよ、藍」
「でも……」
知識としては理解できた。私がこの数日眠らされていたあの『生体定温維持装置』。たぶん、あれと似た感じなのだろうと思う。ただ、私は覚醒できる温度だったけれど、お姉ちゃんの場合は文字通り凍ってしまうのだ。
いつ目覚められるか分からない、不確定の未来に望みを繋いでの唯一の選択肢。
ううん。選択肢はあった。
私から、臓器移植をすればいい。
そのために造られたのが私なのだから。
でも、お姉ちゃんはそれを拒否した。
愛する人が、柏木先生がいるのに。もう、二度と生きては会えないかも知れないのに。
私。私なら、どうしたろう?
「大丈夫。心配しないで」
黙り込んでしまった私の手を握り、お姉ちゃんは励ますようにギュっと力を込めた。
「私はきっといつか目覚める。そして元気な体になって、あなた達に負けないくらい幸せになってみせるから!」
その真っ直ぐな黒い瞳には、何の迷いも見られない。
凛と美しい笑顔。それは拓郎との出会いの日、彼が見せてくれたあの写真の向日葵の花を彷彿とさせた。
「だからあなたは、彼と幸せになりなさい。いい人じゃないの。さすが我が分身。男を見る目は確かね!」
そう言ってお姉ちゃんは拓郎の手を取り、私の手にがっしり重ねると、『うんうん』と納得気に微笑んだ。