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第30話 【懐かしい家族】

「藍!」


 ヘリコプターのプロペラが作り出す逆巻くような風に煽られ、私の目の前で、漆黒の綺麗な髪がサラサラと舞い踊っていた。


 その黒髪の持ち主の心配そうな瞳が、真っ直ぐ私を見詰めている。傍らに寄り添うように佇んでいる、懐かしい白衣姿の先生が視界に入る。


 ああ。私は、帰ってきたんだ。


 それは、不思議な安堵感。


 私のこの感覚は少し可笑しいのかも知れない。でもここは紛れもなく『私の生まれ育った家』で、お姉ちゃんと先生は私にとって大切な『家族』だった――。


「お姉……ちゃん。柏木先生……!」


 懐かしい白い笑顔。相変わらず顔色は冴えないけど、元気そうなお姉ちゃんの姿を見て、思わず膝の力がガクンと抜けてしまう。そのまま崩れそうになるのを、両腕を掴んでいるガードマンに辛うじて支えられる。


 お姉ちゃんは無言でつかつかと歩み寄ると、ガードマンの手をギュッと掴んだ。


「放しなさい。何処にも逃げやしないわ。ここまで来て拘束する必要はないでしょう?」


 それは、ガードマンに向けられた言葉ではなく、先頭を歩いていた岡崎秘書に向けられたものだ。


「お嬢様。会長命令です。例えお嬢様の言われる事でも、お聞きする事は出来ません。お分かりですね?」


 お姉ちゃんの強い視線を受けても岡崎秘書の表情は動じず、淡々とした事務的な口調でそう言い放った。


 それは半ば、柏木先生に向けられた言葉でもあった。


「柏木所長に、会長からの伝言です。クローン体は今後『装置』の中で管理するように。本社から連れてきたガードマンを二十四時間配備します」


 そこまで言うと岡崎秘書は一端言葉を切った。少し声のトーンを落として再び口を開く。


「『二度と同じミスは許さない』との事です。意味は、お分かりですね?」


 お姉ちゃんに対するのとは違う鋭どい岡崎秘書の言葉に、柏木先生が静かに頷いた。


「承知致しましたと、お伝え下さい」


 先生の懐かしい声を聞きながら、私の意識は暗い闇の中へ落ちて行った――。




「藍。藍――」


 自分を呼ぶ優しい声に導かれて、次に私が目を覚ましたのは、見たことも無い部屋の中だった。

 冷たい金属で塗り固められたようなその部屋は二十畳ほどの広さで、部屋の中央に、二メートル位の円筒形の水槽の様なものが置かれている。水槽の周りは、精密機器で埋め尽くされている。


 その水槽の前に置かれた可動式のベットの上に、私は横たえられていた。


「私……?」


 どうしたんだっけ? ヘリで研究所の屋上に着いて、お姉ちゃんと先生に会って……。


「少し、熱が出ているけど、大丈夫。心配ないわ」


 そこは研究所の地下五階にある部屋で、水槽のようなものは岡崎秘書が言っていた『装置』、正式には『生態低温維持装置』と言うのだと、柏木先生が教えてくれた。


 あの水槽に特殊な蒼い液体を満たし、生体を低温で眠らせた状態で維持するのだそうだ。


 生体――。

 それが自分だと言うことが実感出来ない。


 ただ、多分一度眠りについたらもう目覚める事はないのだろうと言う気はしていた。

 先生もお姉ちゃんもそのことには触れようとしないから、私も敢えて聞かない。  


「思ったより元気そうで良かったわ……」


 熱を確かめるように、お姉ちゃんが腕を伸ばして私の額にそっと手を乗せた。


 柔らかい、暖かい感触。

 その温もりを感じた瞬間に、私は心の緊張の糸がプツンと音を立てて切れるのを聞いた気がした。  こらえていた物が一気に溢れ出す。


 あの時、離れていく東京の街並みをヘリの窓から見下ろしながら流した涙で、もう最後だと思っていた。きっともう涙は枯れて出ないだろうと思ったのに、不思議と、また後から後から止めどなく溢れてくる。


「わ……たし、私、ね。大好きな人ができたの」


 頬を伝い落ちる涙を手の甲でグイッと拭うと私は、ゆっくりと今まで自分に起きたことを思い出しながら、長い話を始めた。


 寒い、凍えるような港の公園。


「十才も年上なのにそうは全然見えなくって、まるで少年の様に屈託無く笑う人でね。何だか、テレビの子供番組のお兄さんみたいで……」


 思い出して、思わずクスリと笑いが込み上げる。


 運命に引き寄せられるように出会った、あの人。


 それが、優しい悪魔の気まぐれだったのか、意地悪な神様の悪戯だったのかは分からない。


 でも、私にとっては、奇跡にのような出会いだった事には変わりがない。


 もし、あの時、拓郎に出会っていなければ、たぶん私は生きてはいない。


 今まで生きてはこられなかっただろう。


「何も聞かずに、ずっと一緒にいてくれた……。優しい人なの。強くて優しい……。信じられる?私、その人と一緒に暮らしていたのよ?」 


 しゃくり上げながら泣き笑いする私の長い話を、お姉ちゃんは『うん。うん』と相づちを打ちながら、最後まで聞いてくれた。



 


 そして私は、泣き疲れた小さな子供のように、その装置の中で眠りについた。


 本来ならずっと、その中で管理されていたはずの『生態低温維持装置』の中、恐らくは、二度と目覚める事のない永い眠りに……。





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