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第29話 【別れ】

 岡崎秘書の監視下のもと、緊張の極致で足を踏み入れた室内は、趣味の良い重厚なダークブラウンの家具で統一されていて、正面の壁一面が大きな一枚ガラスになっていた。


 そこには、霞むような都会のくすんだ青空が広がっている。

 眼下の街並みが、精巧なジオラマのように見えた。

 足下の分厚い絨毯が足音を全部吸収してしまう。私は、心と同じおぼつかない足取りで歩いていく。


 窓際に、私たちを正面に見据えるように置かれている立派な木製のデスク。そこの、座り心地の良さそうな革張りの椅子に深々と座っている和装の老人――。


 それは、紛れもなく『お祖父様』、日掛源一郎ひかけげんいちろうその人だ。


 無言で私に向けられる表情からは、何も読みとれない。

 ただ、その鋭い視線は、決して好意的なものじゃないことだけは、私にも分かった。


 聞かなくちゃだめだ――。

 そのために、私はここに来たのだから。


 私は、尻込みしそうになる心に言い聞かせた。

 今、このチャンスを逃したら、もう二度とは来ないだろう。


 一つ大きく息を吸い込み真っ直ぐ顔を上げて、『お祖父様』に話し掛けようとしたそのとき、お祖父様の方が口を開いた。


「間違いないようだな」


 それは私にではなく、私の後ろにピタリと張り付いている岡崎秘書に向けられた言葉だった。


「すぐに研究所に移送しろ。岡崎、お前が責任を持って連れて行くんだ。本社のヘリを使って構わん。ガードの人間を連れて行って、二十四時間体制で監視をつけるんだ。くれぐれも不手際が無いようにな」


「はい。かしこまりました」


柏木かしわぎに、二度と同じミスは許さんと言っておけ」


「はい。それでは直ちに」


 まるで仕事の打ち合わせをするように淡々と話は終わってしまい、私は岡崎秘書に腕を引かれて部屋の外に連れ出されそうになって慌てた。

 掴まれた手を振りほどいてお祖父様の近くへ行こうとしたけど、成人男性の力に叶うはずがない。


「私、どうしてもお聞きしたいことがあるんです!」


 上体だけを振り向けて声を上げた。

 行かせまいとする岡崎秘書の手にギュっと力がこもり、鈍い痛みが走った。それでも構わず声を上げる。


「お願いです!」


「止めなさい! 君が話を出来るような方じゃ無い」


 ダメだ、振りほどけない。ここまで来たのに!

 必死の抵抗も虚しく、更に強い力で引きずられて行く。


「岡崎、早く連れて行け」


「お祖父様っ!」


 必死に叫ぶ私に向けられたお祖父様の表情が、微かに動いた。

 それは、憐れみとも侮蔑とも取れる微妙な表情。


「お前に、お祖父様と呼ばれる筋合いは無い。わしの孫は、日掛藍ひかけあいは、この世に一人しかおらん」


 その口から紡ぎ出された言葉に、私は固まった――。 


「お前は孫娘の為の、ただの臓器保存の器にしか過ぎない。お祖父様などと呼ばれると、虫酸むしずが走るわ」


 氷の様なその言葉が、心の奥底をえぐり取っていく。


 もしかしたら――。


 それがどんなに甘い考えだったか思い知って、私は何も言葉が出なかった。


『お祖父様は、恐ろしい人よ』


 私は、そう哀しそうに言ったお姉ちゃんの言葉を、凍り付いた心の奥底で思い出していた。




 HIKAKE本社の屋上にあるヘリポートから、三人のガードマンと共に岡崎秘書に連れられて、研究所に向かった。


 結局、私はお祖父様に何一つ聞くことが出来なかった。


 私の存在理由。それが、臓器移植の為だとは分かっている。

 それでも、聞いてみたかった。


 少しでも、欠片でもいいから、私に対する愛情はありませんか? と。


 その口から紡がれる言葉で、答えが欲しかった。


 今まで臓器移植の命令が下らなかったことに、私は微かな期待を持っていた。それは、ただの期待に終わってしまったけど……。


 遠くなっていく都会の街並みに、優しいあの人の笑顔が重なる。

 

 拓郎……。今頃、どうしているだろうか?


 我が儘なやつだと、呆れてる? それとも、怒っている?


 ごめんね……。本当に、ごめんなさい。


 視界がぐにゃりと歪む。頬を伝って行く熱い感触。それはぽたぽたと手の甲にしたたり落ちた。



 



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