第2話 【風景写真】
「是非撮らせて下さい。宜しくお願いします!」
その言葉に、私は即答した。
「ごめんなさい。私、出来ません!」
はっきり言って、そんな事をしている精神的余裕は無かった。それに目立ってしまっては、追っ手に見つかるリスクが多くなるだけだ。
ペコリと頭を下げ、きびすを返して逃げ出そうとしたその手を、掴まれた。
掴まれた右手首に電流が走る。
突然の事に驚いて、身体が固まってしまう。
どうして良いのか分からずに顔を上げると、何故か驚いている彼の表情が目に入った。
数瞬の視線の交錯。
「あっ! ご、ごめん!」
芝崎と名乗ったその人は我に返ったように、反射的に掴んでしまったらしい手を慌てて放した。
「それじゃ、話だけでも聞いて貰えませんか? 確か、すぐそこにファミレスがあった筈だから……。お願いします。この通り!」
そう言って、又、頭を下げる。
どうしよう……。悪い人には見えないけど……。
「お願いします!」
話を聞くまでは開放して貰えそうになかった。私自身が寒さに凍えた体を暖めたかったのもある。
話を聞くだけなら、大丈夫よね?
「分かりました。お話を聞きます……。でも、モデルは出来ません。それでもいいのなら……」
「ありがとう!」
彼はそう言って満面の笑みを浮かべた。
公園から歩いて2、3分の所に彼の言った『ファミレス』はあった。
こう言うお店に入るのは初めてだから、何だかドキドキした。
まだ早朝だからか、24時間営業の店内には私たちの他にはお客は居ない。
低いゆったりとしたBGMが流れている。
暖かい――。
暖房の利いた店内はありがたかった。
彼は店の入り口近く、窓際の四人掛けのテーブルに「ここにしようか」と私に座るように促すと、自分も向かい側にニコニコしながら座る。
すぐに注文を取りに来たウエイトレスさんに二人分のコーヒーを頼み、おもむろにテーブル上に写真を広げ始めた。
「こういう写真を撮っているんだ」
ちょっと照れながら見せてくれたその写真に、思わず目が奪われる。
「うわぁ、綺麗……!」
お世辞じゃない。
その写真には、美しい、どこか懐かしい風景が映し出されていた。
道ばたの小さな野の花。
海に沈む夕陽。
薄紫に浮かぶ街の風景。
綺麗なだけの写真ではない、素朴で温かい、優しい風景。
その写真を撮った者の人間性を伺わせるような、そんな写真だった。
「これは、けっこう自分でも気に入ってるんだ」と彼が最後にテーブルの上に出したのは、他の写真よりも一回り大きなサイズ。パノラマと言うんだろうか?
その写真の風景を見た瞬間、私の心の中で、何かが揺れた。
それは、一面の向日葵畑の風景――。
抜けるような夏の青空の下で咲き誇る、大輪の黄色い花の群。
いつも真っ直ぐ「凛」として太陽を見詰めている強い強い夏の花。
強くなりたい――そう思った。
この向日葵のように強くなりたい。自分の運命に、負けてしまわないように。
「それで、モデルの事なんだけど……」
遠慮がちに口を開いた彼の瞳を、私は、真っ直ぐ見詰めた。
「別に雑誌に載せようとか、そう言うんじゃないんだ。見ての通り、俺は風景写真が専門なんだけど……。でも君を見た時、初めて人物を撮りたいって思った。今、もし撮らなかったら一生後悔するような気がする……」
そこまで言って、彼は少し言葉を切って自分の言葉を否定するように、「ううん」と軽く頭を振った。
「いや、違うな。単に君が撮りたいんだ。変な意味じゃ無い。この風景を撮りたかったように、君の写真が撮りたいんだ」
真っ直ぐ私を見るその目に、嘘や偽りがあるようには思えなかった。
断るべきだ、と分かっている。
でも、断ってしまいたくない自分も確かに存在した。
「一日だけでもいいのなら……、お引き受けします。でも、公の場に写真が公表されるのは困ります。それだけ約束して下さい」
なぜ断れないのか、私自信にも良く分からなかった。
ただ、一生懸命なこの人の何か手助けがしたい、そう思ったのかも知れない。
「ありがとう!」
緊張していた彼の顔が、こぼれ落ちそうな笑顔に変わる。
その笑顔を引き出したのが自分だと言うことが、なんだかとても嬉しかった。