第28話 【対面】
すっかり明るくなったビル街に、足早に先を急ぐ人たちが群をなして流れていく。
私はビルの前で、HIKAKE本社の受付が開くのを待っていた。
午前九時。
シャッターの開いたビルの正面入り口から、吹き抜けになっている玄関ロビーを受付に向かって真っ直ぐに歩いていく。
私に気付いた受付譲が、一瞬不思議そうな表情を浮かべてすぐに「おはようございます」と、営業スマイルを向けてくる。私は、背筋をしゃんと伸ばして声が上擦らないようにゆっくりと発音した。
「日掛源一郎さんにお会いしたいので、お取り次ぎ下さい」
今度は、明らかに不審気な表情を隠そうともせず、受付嬢は「失礼ですが、アポイントメントはございますか?」と質問してきた。
その反応は無理もないと思う。
天下の『HIKAKEの会長』に、朝一で飛び込んできた得体の知れない女の子が、いきなり会わせてくれと言っているのだから。
「アポイントはありません」
「……では、申し訳ございませんが、お取り次ぎは……」
「おい、君っ! その人を、お通しして!」
不意に慌てたような大きな声が、頭上から落ちてきて、思わずびくりと飛び上がりそうになる。
声の聞こえた方に視線を上げると、、中二階の階段を慌てて下りてくるグレーの背広を着た中年の男の人が見えた。
背の高い痩せぎすの、メガネを掛けた神経質そうな風貌。
――あ、あの人!
私は、その人に見覚えがあった。
早足で階段を下りてきたその人は、ニコリと幾分引きつった笑いを向けると「さあ、こちらにどうぞ」と私の右手首をがっちりと掴んだ。
込められた力の強さに微かな痛みが走る。
「あの、岡崎さん、こちらの方は?」
その様子を唖然として見ていた受付嬢が、私の手首を掴んでいる男の人、岡崎さんに不思議そうに問いかける。
「この人は、大事なお客様なんだ、心配ない。私が案内するから、君たちは仕事を続けて」
「あ、はい。会長秘書の岡崎さんがそう仰るなら……」
――会長秘書。そうか、この人『お祖父様』の秘書なんだ……。
初めて『お祖父様』を研究所で見た日も、この人は取り巻きの中にいた。メガネを掛けていたのは柏木先生とこの人だけだから、妙に印象に残っている。その後、何度か盗み見た『お祖父様』の傍らには必ずこの人がいたのだ。
同じメガネを掛けた顔でも柏木先生の目はいつも穏やかで優しそうだけど、この人はどこか神経質で冷たそうな印象が強い。
受付からグイグイと無言で私の手を引いて行く岡崎秘書の横顔は、やはり神経質そうで冷たい。思わずひるみそうになる心を奮い立たせる。
秘書に会ったくらいでこんなにドキドキしていたらダメだ。
私が本当に会いたいのは、あの人。
日掛源一郎、私をこの世に作り出した人なのだから。
一階からエレベーターに乗せられ、最上階の六十階で下りる。そのまま広い廊下を、突き当たりの木製の大きな扉の前まで無言で手を引かれていく。
「会長、連れてきました」
ノックの後、岡崎秘書の掛けた声に数瞬の間をおいて、すぐに答えが返った来た。
「入れ」
幾分掠れた様な、張りのある、低い声。その声を聞いた瞬間、鼓動が跳ね上がる。
「失礼します」
カチャリ――。
開かれたドアの向こうに、見覚えのある老人の姿が見えた。