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第27話 【脱出】

「逃げなさい。研究所ここから逃げるの」


 緊張気味のお姉ちゃんの声が、混乱した私を更に(き立てた。

 それが嘘じゃないことは肌で感じた。でも、いきなり逃げろと言われても、どうして良いのか分からない。

 私は、ベットサイドの椅子に座ったまま、膝の上でギュっと握りしめた自分の手の甲に、ぼんやりと視線を落とした。


 確かに、外の世界に憧れていた。

『お出かけ』するお姉ちゃんの姿を、何度羨ましさで見送ったことか。


 でもそれは、あくまで戻ってくる『自分の居場所』があったからだ。いきなりポンと放り出されて、この研究所から離れてどうやって生きて行けば良いの?


 私は、何も言葉に出来ずにただ混乱した頭で、グルグルとそんなことを考えていた。


「藍、しっかりして! あなた、死にたいの!? このまま研究所ここにいれば間違いなくあなたは死んでしまう……。臓器を取り出されて、殺されてしまうのよ!?」


 珍しく苛立ったような声が聞こえて、私ははっと顔を上げてお姉ちゃんの方を見た。

 お姉ちゃんの顔の色が、ますます白みを増している。白い白い、青白い顔。真っ黒な長い豊かな髪が余計にその白さを際だたせている。

 そこに死の影が垣間見えたような気がして、ゾクリと背筋に悪寒が走った。


「興奮してはダメだ。発作は収まったが、まだ安心は出来ない。落ち着いて。落ち着くんだ」


 いつもの穏やかなトーンの柏木先生の声。

 柏木先生が、お姉ちゃんの手の脈を取るのを目で追っているうちに、私はやっと少し落ち着いてきた。

  

「分かったわね? 今から研究所ここを出るのよ?」

 

「でも……」


「でも、なに?」


「私がいなくなったら、お姉ちゃんはどうなるの?」


 臓器移植が必要な人が、それが出来なくなったらどうなるのか。専門知識の無い私にもそれは想像が付いた。


 お姉ちゃんが死ぬ――。

 そんなの考えるだけでも嫌だった。


「私の臓器を移植すれば、お姉ちゃんは元気になるんでしょう?」


 手術は確かに怖いけど、お姉ちゃんが死なないで済むなら臓器提供をするのは嫌じゃない。腎臓とか肝臓とか骨髄とか、血縁者からの移植は普通にあるじゃない? それこそ、わたしはクローンなんだから、拒絶反応は起こらないだろう。


「藍――、一番移植が必要な臓器は『心臓』なんだ。だから、ドナーになった人間は生きては行けない。だからこそ、日掛源一郎は非合法なこの研究をさせたんだ」


 私の甘い考えをうち砕く様な柏木先生の声が、静まりかえった広いメディカルルームに響いた。

『心臓』――いくら何でも心臓を取り出されたら、生きていけない。

 私はそこで初めて、お姉ちゃんが『脱げろ』と言う意味が分かった。


「藍。私のことは心配しないで。私には世界一優秀な外科医の先生がついているんですもの。ね、先生?」


 お姉ちゃんの言葉に、ベットサイドに立つ先生が穏やかな微笑みを浮かべる。


「そう言うことだ。彼女のことは私に任せなさい。秘密裏に、移植可能な正規のドナーも探しているし、いざというときの研究も完成しつつある。それに……」


 先生は、ベットの端っこに腰掛けるといたわるようにお姉ちゃんの肩に腕を回し、チュッとお姉ちゃんの白い頬に、キスをした。


 え!?


 今の、何!? ほっぺに『チュ』って!? え!? 


 ええええええっ!?


「彼女は、私にとっても大切な女性ひとだからむざむざ死なせるような真似は絶対にしない。安心しなさい。有り難いことに『所長』なんて絶好なポストにいることだしね」


 半ばパニック状態の私とは対象に、いつもと同じ極冷静な声音の先生の顔には、悪戯いたずら小僧のような笑みが浮かんでいた。


「し……らなかった。私、全然知らなかったよ。ずるい、二人して黙っているなんてずるいよ!」


 私のセリフに、お姉ちゃんと柏木先生が顔を見合わせて吹き出した。

 私だって、自分の出生の秘密より、二人の関係に驚いてる自分の神経構造を疑う。でも、驚いたんだから仕方がない。


「藍、こっちへ来て」


 お姉ちゃんの声に、私は椅子から立ち上がって、柏木先生と入れ替わりにベットサイドに腰を下ろした。その私の肩に、お姉ちゃんが腕を回してきた。華奢な――と言うにはあまりにも細い腕。


 こんなに細かったんだ……。


 私は、その腕の哀しい感触に、改めてお姉ちゃんの病状の深刻さを感じた。


「藍。あなたは、私の大切な妹よ。何処にいても、何をしていてもそれは絶対に変わらないわ」


 ね? と覗き込む真っ黒な瞳はとても穏やかだ。その瞳を見詰めているうちに、今までの楽しい思い出が一気に脳裏に浮かんでは消えた。

 ちょっと、気が強いけど、優しくて面倒見が良い大好きなお姉ちゃん。もう、二度と会えなくなるかもしれない……。

 鼻の奥がツンと熱くなって、私は唇を噛んだ。泣いたらダメだ。


「私……」


「うん?」


「お姉ちゃんが大好きよ」


『私もよ』と、ギュっと抱きしめてくれたその優しい感触を、私は絶対忘れない。忘れちゃいけない。

 そう心に誓った。



 そして、その夜。私は日掛生物研究所を逃げ出したのだ。


 

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