第25話 【全ての始まり】
十一月の寒い夜。
私は『コンコン』と、誰かがドアをノックする音で目を覚ました。
ベットの枕元にある目覚まし時計に目を凝らしてみると、午前二時。真夜中だ。
一瞬、夢でも見たのかと、まだ眠気の覚めない頭でボゥっと考えていると、『コンコンコン』と、今度ははっきりとドアを叩く音が聞こえた。
誰だろう?
こんな真夜中に誰かが部屋を訪ねて来るなんて、今まで一度もなかった。
小刻みに忙しなく響くノック音に一抹の不安を覚えながらも、私はベットを下りてドアの方に向かった。さすがにこの季節の夜の気温は低くて、ヒヤリとした冷気が背筋を撫でる。
「……誰、ですか?」
扉越しに声を掛ける。
考えられる選択肢としては、お姉ちゃんか前田さん。それか、柏木先生。それくらいしか思い付かない。
「私だ。柏木だ」
「柏木先生!?」
一番意外な人の声に、私は驚いてドアを開けた。
そこには、真夜中なのに、いつものように白衣を着込んでいる柏木先生が立っていた。
「今すぐ着替えて、一緒に来てくれ。寒いから上にこのコートを着て」
「え?」
いきなり茶色いコートを渡さて、何が何だか分からずに、コートを抱えたまま先生の顔を見上げた。
いつもとは違う少し緊張気味のその表情に、言いようのない不安感がわき上がってくる。
「どうしたんですか?」
「急いで、表で待っているから」
「え、あ、はい」
有無を言わせぬ雰囲気の柏木先生の態度に、ますます不安感が大きくなっていく。
どうしたんだろう?
お姉ちゃんの具合でも悪くなったのだろうか?
お姉ちゃんは生まれ付き体が弱くて、特に寒い季節になると具合が悪くなって伏せがちになることが多かった。
でも、昨日はとても調子が良さそうだったのに……。
着替え終わった私は、研究所内にあるメディカル・ルームへ先生に連れられて来た。
二十畳ほどのメディカル・ルームには、沢山の医療機器が揃えられていて、部屋の奥の窓際に大きな家具調のベットが置かれている。
そのベットの背にもたれるようにして、お姉ちゃんが座っていた。
色白の顔が、いつもにも増して白い――ううん、青白かった。
その余りの生気の無さに、背筋にゾクリと悪寒が走る。
「お姉ちゃん!?」
思わずベットサイドに駆け寄る。
私の姿を眺めて、お姉ちゃんがニコリと嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「ああ。そのコート、良く似合うわね。良かった」
「全然よくないよ! どうしたの? 具合悪いの?」
「大丈夫、たいしたこと無いの。いつもの軽い発作だから。それにもう、収まったしね」
私を見詰める、大きな黒目がちの瞳が微妙に揺れている。私にはそれが、何かをためらっているように見えた。
お姉ちゃんの視線が、私の隣に立っている柏木先生にゆっくりと移っていく。
「先生。お願いします。藍に、本当の事を教えてあげて下さい」
「本当に、いいんだね?」
「はい。お願いします」
微笑みを浮かべるお姉ちゃんに柏木先生は一つ長い溜息で答えると、私の方を向いた。
その目は、今まで見たことがないくらい厳しいもので、私は心の奥底で、何かが震えるのを感じていた。
『本当のこと』
たぶんそれは、今まで私がずっとどこかで感じていた漠然とした疑問や、不安感。
その全てへの答えだと、そんな確信めいた物があった――。