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第24話 【お祖父様】

 その人を初めて見たのは、八歳の時。

 ちょうど今ぐらいの季節で、研究所の中庭の桜の木が一斉にピンクの花を咲かせていた頃だった。


 定期的にお姉ちゃんに会い来る『お祖父じい様』。

 とても優しい人で、いつも沢山のプレゼントを持って来るのだと、楽しそうな面会の様子をお姉ちゃんから聞く度に、私は心の中で密かに思っていた。


 ――どうして、私には会いに来てくれないの?


 幼心に、なぜ自分には誰も会いに来てくれないのか、不思議だった。そしてそのことが寂くてたまらなかった。


 面会は大抵『応接室』で行われていた。そこは私たちの居住空間からは大分離れていて、なおかつ近付く事を厳しく禁止されていたので、そこで何が行われているのか、私が知ることはできなかった。だから自然と、お姉ちゃんの口から聞くことになった。


「今日はお祖父様が来ているの。藍ちゃんもお祖父様のこと見てみたいでしょ? だからね……」


 その日、これからお祖父様との面会があると言う直前、研究所の廊下でお姉ちゃんが最高の悪戯を思い付いたように、満面の笑みを浮かべて言った。黒目がちな大きな瞳が、春の日差しを浴びてキラキラと輝いている。

 お姉ちゃんは、周りに人が居ないのを確認してから、更に私の耳元に口を寄せて『こしょこしょ』と声を潜めた。


「お祖父様はいつも帰りは、屋上のヘリ・ポートに向かうの。ちょうどほら、ここから屋上への階段が良く見えるでしょ?」


 指さす先に視線を走らせる。中庭を挟んだ別棟。そこには確かに、お姉ちゃんの言う通り屋上に続く階段が見えた。


「え……。でも、先生に叱られないかな?」


 実際、先生に叱られるのが怖い訳じゃない。先生は決して私が恐怖を覚えるような叱り方はしない。私が怖いのは、研究所の所員達だった。


 研究所の所員でも極かぎられた人間しか、私たちの住んでいる『こちら側』に来ることはない。でもその所員達は皆決まって、同じような目で私を見た。


 冷たい、侮蔑を込めた目。

 まるでそう、彼らが扱う実験動物を見るのと同じ目。


 だから私は彼らを見掛けると、見つからないように必死になって姿を隠そうとした。でも、限られた居住空間ではさほど功をそうしていたとは言えず、決まって彼らのその視線にさらされる事になった。


 何かを言われる訳じゃない。でも、その視線が、たまらなく怖かった。


 私の極端に人見知りな性格は、こうした環境によって形作られたんだと思う。私の世界は、柏木先生と世話係の前田さん、そしてお姉ちゃん、それが全てだったのだ。


「大丈夫! 見るだけだもの。ね。ここで見ていてね!」


 お姉ちゃんにニコニコとオペラグラスを渡され、それでも私はまだ迷っていた。『お祖父様』を見てみたい。でも、怖い。そんな感情が心の中でせめぎ合っていた。


 呼びに来た柏木かしわぎ先生に連れられて、お姉ちゃんが『応接室』に向かう後ろ姿を、私はいつもの寂しさや、羨ましさだけではなく、複雑な気持ちで見送った。


 見るだけ。

 見るだけなら、いいよね?


 私は、待った。オペラグラスを握りしめ、ただひたすら『お祖父様』の姿が見えるのをじっと待っていた。


「藍ちゃん、何をしているの?」


 不意に後ろから声を掛けられて、思わずびくりと飛び上がる。おずおずと振り返ると、世話係の前田さんがいつもの優しい笑顔を浮かべて立っていた。


 ほっとした反面、なんて言い訳をしようかせわしなく考えを巡らせる。後ろ手に隠したオペラグラスを握る手に、じわりと汗がにじみ出した。


「あ、あの。桜、桜の花が、綺麗だなぁって思って……」


「ああ。そうね、ちょうど満開ね。後で一枝頂いて来ましょうね。もう少ししたらおやつにするから、遊戯室にいらっしゃい」


 前田さんの姿が視界から消えるのを確認して、慌てて視線を別棟に向ける。

 別棟の屋上に続く階段を、数人の人影が歩いていた。白衣を着ているのは、柏木先生だとすぐに分かった。そして、グレーのスーツを着た数人の大人に混じって、頭一つ身長の低い和装の人影が見えた。


 ――あ。お祖父様だ!

 

 震える手で、オペラグラスを目に当てる。

 白髪の、優しいそうな笑顔を浮かべた老人が、お姉ちゃんと手をつないで何かを話しながら歩いて行くのが見えた。


 ドキリと、鼓動が高鳴った。


 その姿を見た瞬間感じたのは、言いようのない『懐かしさ』。 

 勿論もちろん会った事も、見たこともない。なのに何故か私はその人を『懐かしい』と感じた。


 その懐かしさの訳を知るのは、それから九年後の十一月。


 私が、自分が何なのか。

 何故、研究所で生活しているのか。


 真実を知ったその時だった。


 

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