第23話 【逃避】
早朝のコンビニは、暖房が効いていて暖かかった。
でも、人気がなくてがらんとした店内はどこかもの悲しくて、若い男の店員さんの『いらっしゃいませ』と言う声が虚ろに響いた。
私はぺこりと軽く会釈をして、店内に入ってすぐ右奥にある銀行のATMの前へ向かった。バックの中からキャッシュ・カードを取り出しそこに刻印されている名前を確認する。
『柏木浩介』
まさかこんな形でこのカードを使うことになるなんて、夢にも思っていなかった。
でも、実際問題として何で移動するにしてもお金は必要だ。
緊張で、思わず手が汗ばんだ。
――上手くお金が引き出せるかしら?
ゆっくりと、挿入口にカードを差し込む。
画面に表示される案内に従って操作していくと、拍子抜けするほどあっさりとお金が出金された。
先生が言っていた通り、このカードまでは調べられることはなかったのだろう。
先生が――、先生とお姉ちゃんが、共謀して私を逃がしてくれたことは、たぶんばれていないのだ。
そのことに、少しだけほっとする。
引き出したお金で、テレホンカードと少し考えて缶のホットココアを買う。お店の前にある公衆電話から呼んだタクシーは十分くらいですぐに迎えに来た。
「おはようございます!」
『お爺ちゃん』と呼べそうな年齢の優しそうな白髪の運転手さんが、元気に声を掛けてくる。
「おはようございます」
「どちらまで行かれますか?」
「豊島区まで……。池袋の『日掛グループ本社ビル』までお願いします」
ゆっくりと動き出すタクシー。
――さようなら。
私は、バックミラー越しに遠ざかる見慣れた風景に、最後の別れを告げた。
目的地、日掛の本社ビルの前に到着したころ、ようやく空が白み始めた。
四月とは言え、夜明け前のこの時間帯はまだまだ冷え込む。
さすがに、十一月のあのころのように吐く息が白くなることはないけど、アスファルトから伝わる冷気に思わずぶるっと身体が震えた。
それが純粋に寒さの為なのか、これから合う人物に対しての恐怖感からなのか、自分でも良く分からない。
私は、ずっとアンカ代わりに手の平で握りしめていたココアの缶を開けて、一口口に含んだ。
猫舌の私にも少しぬるく感じる。
ココアのほわっとした甘さが身体に染み渡った。
そう言えば、芝崎さんに最初におごって貰ったココア、一口しか飲めなかったんだっけ……。
「あ。拓郎から、芝崎さんに戻っちゃった……」
クスリと力のない笑いがこみ上げてくる。
これは、逃げだ。
私は、拓郎から逃げてる。
拓郎に、全てを知られることから逃げている。
あの置き手紙を見付けて、あなたはきっとたくさん傷付くだろう。
プロポーズをした次の日に、初めて恋人と言える関係になった次の日に、理由も告げずに姿を消した私のしたことは、謝ってすむようなことじゃない。
それが分かっていても、全てを打ち明ける勇気を私は持てなかった。
「ごめん……ね」
届く筈のない贖罪の言葉を呟くうちに、涙が溢れそうになって空を仰いだ。その視線の先には、薄紫に霞む朝もやの中に巨大なビルがそびえ立っていた。
地上六十階。都会のビル群の中にあっても、まるで堅牢な要塞のようにその圧倒的な威圧感を放つこのビルは、日掛グループの本社ビル。
『株式会社HIKAKE』を筆頭に、その子会社や関連企業、銀行やホテル、果てはレジャー施設まで入っている巨大な複合都市施設でもある。
この王国を一代で築き上げ、そのトップに君臨する伝説の企業家。
日掛グループ・会長『日掛源一郎』。
私の、血統上の祖父――。
私は、その人に会うためにここに来たのだ。