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第22話 【夢一夜】

 なぜ、人を好きになるんだろう?


『好き』と言うこの気持ちは、どこから来るんだろう?


 お姉ちゃんが好き。柏木先生が好き。前田さんが好き。


 そのどれとも違う『あなたが好き』。


 芝崎さんが、左手の薬指にはめてくれた指輪に付いているダイヤモンドが、部屋の明かりに照らされて、キラキラと宝石特有の輝きを放っている。


 ガラスともクリスタルとも違う、初めて見るその輝きに目を奪われながら、私はずっと聞いて見たかったことを質問してみた。


「芝崎さんは、私のどこが好きなんですか?」


「うん? そうだな……」


 腕組みをして眉間にシワを寄せて『うーむ』と考え込んだ彼の様子に、だんだん心配になってくる。


 ――そんなに考え込まないと、分からないことなんだ……。


 真剣に悩んでいると彼は、『天然なところ』と悪戯小僧のような笑顔浮かべた。


 天然って……。そんなの、好きになる理由になるんだろうか?


「うそうそ、冗談だよ。本当は、若いところ」


「……芝崎さん、私をからかって遊んでませんか?」


「うん。遊んでる」


「もう、いいです」


 ニコニコと楽しそうな顔を見ていたら、不意に涙がこぼれそうになって、私は拗ねたふりをした。

 指輪をケースに戻して、途中だったキッチンの後片づけをしようと、コタツから立ち上がる。


「きゃっ?」


 キッチンに行こうと歩き出した途端、『ふわり』と身体が宙に浮いて、私は小さな悲鳴を上げた。


 一瞬、何が起こったのか分からなくて身体が固まる。上げた視線の先にはさっきまでとは違う、芝崎さんの真剣な眼差し。


 そこで私はやっと、自分が抱き上げられていることに気が付いた。


「人を好きになるのに、理由はいらないよ。好きだから好きなんだ」


 ね? と覗き込む瞳が近すぎて、どう反応していいのか分からない。


「あ、あの……、芝崎さん?」


「拓郎」


「はい?」


「もういい加減に『芝崎さん』は卒業してもいいと思うんだけど?」


「拓郎……さん?」


「さんは余計」


「拓郎?」


「合格。俺もこれからは『藍ちゃん』じゃなくって、『藍』って呼ぶことにするよ」


『これから――』


 それは、叶わない夢だと分かっているけど……。


「拓郎」


「何、藍?」


 何だか、くすぐったい。


 ただ名前で呼び合うだけなのに、二人の距離がぐんと近くなった気がする。

 芝崎……、拓郎もそうなのか、少し照れたような表情を浮かべている。


 お互い視線を交わしてクスクス笑い合う。


 おでこに、右頬に、左頬に。落ちてくるキスの雨がやがて唇に届く。


 


 今夜だけ。今夜一晩だけ。


 神様。


 夢を見てもいいですか?



 

 触れた唇から唇へ。

 

 絡ませ合った指から指へ。


 重ね合った身体から身体へ、思いは溢れ、心を一杯に満たしていく。


 あなたが好き。


 あなたが好き。 


 過去も未来も何もいらない。ただ、今ここにある、お互いの温もりだけが存在の全て――。


 私は、初めて『人を愛する』ことがどんなことか、分かったような気がした。



 

 明かりの落ちた寝室のベットの上。


 私に腕枕をしたまま安らかな寝息を立てている拓郎の、背中に回した手のひらで、そこに残る大きな傷跡をそっと撫でる。


「ごめん……ね」


 私の呟きに、眠っているはずの拓郎の腕にギュっと一瞬力がこもる。


 ギュっと一度だけ抱きしめ返して私は、彼を起こさないようにそっとベットを抜け出した。

 着替えをして、キッチンで中途半端になっていた片付けをすませる。


 壁掛け時計の示す時間は、午前四時。

 今日は仕事で六時起きだって言っていたから、もう二時間もすれば拓郎は起きてくる。


 その時、居なくなった私をどう思うのだろうか? 


 怒るのだろうか?

 悲しむのだろうか?

 

 動物園に行った帰りに買ってきた、向日葵柄の白い封筒の中には、お揃いの便せんが一枚。極短い拓郎宛のメッセージが書いてある。


『 拓郎へ


 短い間だったけれど、本当に楽しかった。


 何も聞かずに、一緒にいてくれて、ありがとう。


 黙って出て行くこと、許して下さい。


 さようなら。


 そして、心から、ありがとう。


    藍 』

 

 その封筒の中に、昨日貰った指輪を入れる。


 もう一度、彼の寝顔を見たい衝動を何とか堪えて、そのままここに来たときに持っていた小さなバックだけを手に持ち、玄関に下りる。


 振り返った室内は、あの日、最初に訪れた時そのままで、一瞬、今まであったことが全部夢のような気がした。


「ありがとうございました」


 私は、溢れ出しそうな想いを胸に、深々と頭を下げてから玄関のドアを開けた。


 四月にしてはシンと冷たい朝の空気が肌を刺す。ドアに封筒の端っこを挟み込むと慎重に閉めて、鍵を掛け、郵便受けに鍵を落とし込む。


 ――もう、これで、本当にお別れ。


 私は唇をギュっと噛んで、顔を上げた。


 薄闇の街の向こう、そこにある私の生まれ育った場所。


日掛生物研究所ひかけせいぶつけんきゅうじょ


 そこに帰るために、きびすを返して歩き出した。

 

 


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