第21話 【指輪】
「今日は、早く帰って来るよ。誕生日だろう? たぶん七時くらいには帰れるから、ごちそうをヨロシク!」
そう言って仕事に出掛ける芝崎さんを、私はいつものように笑顔で見送った。
私は今日で十八歳になった。
誕生日――。
去年までは、柏木先生とお姉ちゃん、前田さん、そして私。四人で、豪華ではないけれど心のこもった楽しいバースデイ・パーティをしていた。
今までは前田さんが作るケーキや料理を手伝うだけで、自分一人で準備をすることはなかったけど、でも大丈夫。きっと上手くできる。
「えっと……まずはお掃除をして。それから、大家さんの所でオーブンを借りて……」
まずはデコレーションケーキを作ろう。
大家さんの所のオーブンを借りて、スポンジ台を焼いて。生クリームでデコレーションして……。
じわりと目頭が熱くなって涙がこぼれ落ちそうになるのを、私はギュっと唇をかんで堪えた。
めそめそしていたって、ただ時間が無駄に過ぎていくだけ。
もう一日。
もう一日だけ、あの笑顔を見ていたい。
だから、泣いていたらダメだ――。
私はぐいっと顔を上げて、今日の一番最初の予定。掃除と洗濯に取りかかった。
「へぇー、すごいな。このケーキも自分で焼いたの?」
予定通り七時過ぎに帰ってきた芝崎さんは、コタツの天板の上に所狭しと並んだ料理を見るなり、驚いたように声を上げた。
小さな黒い天板の上には、張り切ってデコレーションしたバースデイ・ケーキを中心に、鶏の唐揚げ、ポテトとマカロニのサラダ、彼の好きな肉じゃが、蓮のきんぴら、豆腐のハンバーグが、賑やかに並んでいる。
キッチンには、まだ並びきらない料理が待機していた。
芝崎さんは、それを感心したように眺めている。
「大家さんの所でオーブンを借りたの。二個焼いて、一個お裾分けして来たわ」
冷やしてあったコンビニのワインを用意しながら、私は笑う。
「喜んでただろう? あの人、甘い物に目がないから」
『ますます栄養満タンになっちゃうわね』と、嬉しそうにケーキを受け取ってくれた大家さんのホクホク顔を思い出して、思わずクスリと笑いが漏れた。
「藍ちゃん。ちょっと、こっちに座って」
食器の後片付けをしていた私に、コタツから芝崎さんが手招きをした。
いつもと違う硬い表情に、ドキリと鼓動が早くなる。
――私。態度、変だったのかな?
「はい?」
小さなコタツを挟んで向かいあって座る。
「どうしたの? コーヒー、おかわり?」
平静を装って返事を待つ私に芝崎さんは、上着のジャンバーのポケットから、何か手の中に隠れるくらいの小さな箱を取り出した。
トン――。
とテーブルの上に置かれたのは、小さなグレーの指輪ケース――。『それ』を、私は信じられない思いで見つめた。
芝崎さんは一つ、大きく深呼吸をして話を切り出した。
「これ、プレゼントなんだけど、受け取って貰えるか?」
パチンとケースの蓋を開けて、私の方に向ける。
中には、小さなダイヤのついたプラチナの指輪が、キラキラと輝いていた。
男の人が指輪をどんなときに恋人に送るのか、そのくらいは私でも知っている。
私たちは半年、一緒に生活している。『同棲』と言えるだろう。
でも、その関係はあくまで同居人。家出人とその保護者な関係だった。
『好きだ』と言ってくれたのはつい二ヶ月くらい前のことで、キスをしたのだってその時が最初で最後。
だから一足飛びに『指輪』の贈り物を貰うなんて、夢にも思わなかった。
私は驚きのあまり、芝崎さんと指輪を交互に見比べた。
――単なる誕生祝いのプレゼントなの?
――それとも、特別な意味があるの?
その意図を量れず言葉が出ない私に、意を決したように芝崎さんがゆっくりと口を開いた。
「今すぐじゃなくてもいい――」
そこまで言うと、自らを鼓舞するように大きくまた一つ深呼吸をする。
「藍ちゃんが、そうしてもいいって気持ちになったら、俺と結婚して貰えるか?」
真剣な眼差しが、私を真っ直ぐ見詰めていた。
「まぁ、知っての通りの貧乏所帯で申し訳ないけど……」
と照れたように頭をぽりぽりかく。
――反則だ。
こんなのずるいよ。どうしてこんな日にそんなことを言うの?
堪えきれずに、涙があふれ出した。
それは頬を伝い落ちて、膝の上でギュっと握りしめていた手の甲を濡らして行く。
「……ありがとう」
何とか声を絞り出すと、それ以上涙がこぼれてしまわないように、私はぎゅっと目をつぶった。