第15話 【恋人未満】
「へぇ〜。あなたが拓郎の彼女なんだ」
私は、頭のてっぺんからつま先までしげしげと観察されて、恥ずかしさに俯いた。
『お正月だから、おせち料理を食べに来なさい』と大家さんに誘われて、私は芝崎さんと一緒に、アパートの隣にある大家さんの自宅にお邪魔していた。
大家さんの家には、お嫁に行った長女の美奈さんが小さな男の子を連れて里帰りしていて、玄関で会うなり、私はしげしげと観察されたのだった。
ショートボブの黒髪に猫を思わせる少しつり加減の大きな瞳。
女性らしいグラマーなスタイル。
母性を感じさせる豊かな胸が、私のコンプレックスを刺激した。
「これ、美奈。いい加減にしなさい。藍ちゃん困ってるじゃないの」
大家さんが助け船を出してくれたけど、「はいはい」と腕組みして見下ろす顔は、不敵に微笑んでいた。
広い十二畳の和室の、アパートの十倍はありそうな大きな家具調コタツをみんなで囲んで、おせちでお昼ご飯になってすぐ
「で、十七歳って本当なの藍ちゃん?」
と、待ってましたと言わんばかりに興味津々の、美奈さんの質問が始まった。
「はい。十七です。四月で十八歳になりますけど」
「ひえーっ、拓郎、それって犯罪じゃない! 大丈夫なの? 店子がお縄頂戴じゃしゃれにならないよ?」
明らかに面白がってる美奈さんの質問に、珍しく仏頂面をした芝崎さんが「俺は、何も悪いことはしていません!」と胸を張る。
「ええっ!?」
大家さんと美奈さんが同時に驚きの声を上げた。
「二ヶ月も同じ屋根の下に住んでいて何もないの!? 拓郎、あなたどこか悪いんじゃないの!?」
絶対嘘だと言わんばかりの美奈さんの言葉に、ますます芝崎さんの仏頂面が酷くなった――。
意外。こう言う顔もするんだ……。
芝崎さんの言った事は本当。
この二ヶ月間、私たちの間にはいわゆる『恋人』と言えるような事は何もなかった。
あれは一緒に住むようになって一ヶ月くらいたった夜のこと。
TVではクリスマス特番の恋愛ドラマが放送されていて、食後のコーヒーを飲みながら二人で何となく見ていた。
「あなたが好きなの。ずっと好きだったの。愛してるのっ!」
粉雪の舞い散るクリスマスツリーの前で、主人公の女の子が涙に濡れながら男の子に告白する。色々な紆余曲折の末、やっと告白できた彼女にクリスマスの奇跡が訪れる。
「俺もずっとお前が好きだった」
初めての口づけ。交わされる抱擁――。
甘いメロディーが流れて画面が切り替わり、ホテルの一室でラブシーンが繰り広げられ始めた。
一糸纏わぬ姿で抱き合う恋人達。
私だって知識としては一応理解しているので、『そう言えば』と心配になって聞いてみた。
「芝崎さん」
「なに?」
「芝崎さんは、セックスしたいと思ったりしないんですか?」
真面目に聞いたのに、彼はなぜか飲んでいたコーヒーを吹き出した。
ゲホゲホと苦しそうにむせたあと、無言で私の顔を見返す。
「あの……芝崎さん?」
「今、なんて言った?」
「え……? だからセック」
「分かった! よーく分かった……」
私の言葉を遮るようにそう言った後、ひとつ大きな溜息をつく。
「で。藍ちゃんはどうなの? 俺と、その、したいと思うの?」
「よく分かりません」
正直、本当に分からない。
芝崎さんのことは、好きだと思う。
それを恋と呼ぶのか、愛と呼ぶのかは分からないけど、一緒にいたいとそう思う。私に出来ることなら何でもしてあげたいとも思う。
でも、それは暖かい穏やかな気持ちで、芝崎さんの言う「したい」と言うのとは違う気もする。
だから、やっぱり分からない。
「だったら、焦ることないんじゃない?」
「そうですか?」
「……たぶん」
それ以来、その話題が出たことはない。
「で、やっぱりあなた達、本当に何もないの?」
お昼の後、キッチンで後片づけをしていた時、美奈さんが今度は真面目な顔で聞いてきた。
「はい。何もないです」
答える私の顔をジッと見詰める。
「そっか。……大切なんだね」と、ぼそっと呟いた。
「はい?」
「いや、拓郎がさ、藍ちゃんを大切に思ってるんだなーって思ったわけよ」
「そう……なんでしょうか?」
「そうそう。男って、そう言うものなのよ。相手を大切に思っていればいるほど、手が出せないって思う生き物なのよね」
「はあ……」
そう、なんだろうか? 本当にそう思ってくれているのなら、嬉しいけど……。
『何とも思ってない』と言う可能性もなきにしもあらず……よね?
私がそんなことをうだうだ考えていたら、美奈さんが堪えきれなくなったように、クスクスと笑い出した。
「いい。いいわあなた。藍ちゃん。気に入った! あなたみたいな人なら、きっと上手く行くよ。まあ頑張んなさい。あたし応援するから!」
ニッと浮かんだ笑顔は、人の良い大家さんの顔にちょっぴり似ていた。