第14話 【留守番-3】
十九年前の寒い冬、その事故は起こったのだそうだ。
居眠り運転の十トントラックが、信号待ちをしていたタクシーに突っ込む悲惨な事故。
乗客は三名で、大家さんの友人の若い夫婦と八才の息子――。
芝崎さんとご両親だった。
ご両親はほぼ即死。タクシーの運転手も数時間後、病院で死亡した。
ご両親がとっさに庇ったのであろうその子供――芝崎さんだけが重傷だったものの、奇跡的に助かったのだ。
彼の背中にはその時の大きな傷が、未だに消えずに残っているのだと言う。
「保険金目当ての親戚を、たらい回しにされてね……。大分嫌な思いをして来たはずよ」
『保険金目当て』
『親戚をたらい回し』
大家さんのその言葉がショックだった。
『親戚とは疎遠でね』と、昨日、素っ気なく言った芝崎さんの言葉が思い出されて、私は今更ながら、無神経に家族の事を聞いた自分が情けなくなった。
「中学を卒業すると、私の所へ来てね……」
『おばさん、働いて必ずお返しします。ここに下宿させて下さい』
畳にキチンと正座をして、深々と頭を下げる芝崎さんに大家さんは言ったのだ。
「分かったわ。ここに来なさい。アパートに空いてる部屋があるから、そこを使うといいわ」
”返して貰うお金は多い方が嬉しいから、学費も出すわよ” と言う申し出を、芝崎さんは丁重に断わった。
その後自力で働きながら、定時制の高校と通信制の大学を卒業すると、好きだったカメラの道へと進んだのだ。
「彼ね、仕事先で良く動物を拾って来るのよ。まあ、子猫だったり、子犬だったり、自力で生きられそうもない子達ばっかりだけどね」
私の顔に意味ありげな視線を走らせると、大家さんの顔に笑みがこぼれた。
「大抵は、新しい飼い主を見付けて来るんだけど、それまでは家が預かり所になっているの。今も何匹かいるから、後で遊びに来なさいな」
そう言い残して、大家さんは、来た時と同じようににこやかに帰って行った。
私は、表面からは伺えなかった芝崎さんを知ることができて嬉しい反面、その事実に胸が痛んだ。
あの屈託の無い笑顔がどれ程の心の痛みの上に成り立っていたのか、それを思うと、いたたまれなかった。
――強い人だ。
強くて、優しい人。
あの美しい優しい風景。
あれはきっと彼の心その物だと、そう思った。
三日後の夜、仕事を終えた帰ってきた芝崎さんは、「お帰りなさい!」と笑顔で出迎えた私を見て、少し戸惑ったような表情をした。
たぶん、もう私はここに居ないだろうと思っていたんだと思う。
でも、それはすぐに『あの笑顔』に変わった。
「ただいま」
それは予感。
私はきっとこの人を好きになる。
ううん。もう既に好きになっているのかも知れない――。