第九話『はじめてのクエスト』
午後八時二十分。
食後の後片付けなどの雑事をこなして部屋に戻ったてログインした時には、伊織に告げた時刻を過ぎていた。
待ち合わせに遅れた心境でノートパソコンの電源を入れ、理由を問われたら正直に話すか面白い言い訳でもするか考えてると、視界の端でチカチカと緑のランプを光らせ着信を知らせる携帯に気付いて開く。
メールの着信が一件との表示。
多分、坂本だろうと思いながらメールを確認する。本命は坂本で、次いでひより。それ以外が大穴。それくらい俺の交友関係は狭い。
「……ん?」
俺は怪訝に目を細めた。
知らないアドレスだ。件名はなし。
普段なら業者のメールだと訝って中身を読まずに削除するが、ふと思い当たる節があった。
『先に進めてる。インしたら囁チャよこせ』
差出人不明だが、この命令調の内容は伊織だと分かる。一応、メルアドと電話番号を教えておいたからな。名前くらい書いてほしかったが。
着信時刻を見ると、八時五分。俺がインしてないのを確認して送ったんだろう。五分か、もう少し待ってくれてもよかったんじゃないかとも思うが、約束の時間に行けなかったのは俺の責任だから何も言えない。
とりあえず伊織アドレスを登録して、俺はCROSS・FANTASIAへログインした。
『遅い』
昨日ログアウトした噴水前に出現してすぐにネピアに囁きチャットを飛ばした。
そして返ってきた言葉がこれである。
感情の含まれてない文字のはずだのに、伊織の冷たく言い放ってる様子がありありと想像できるのは、ネピアを動かす本人を知っているからだろう。
今も近くを通り過ぎる他人が同じ言葉を発したとしても、画面の向こう側の人がどんな表情なのかは想像しがたい。
『悪い。実は部屋の電波時計が狂っていて二十分遅れていたんだ』
俺はログインしてる間に考えておいた言い訳を話した。電波時計は正確に時間を刻むからな、だから全く言い訳になってないのが面白い。さあ、ツッコめ『電波時計が二十分も狂うわけないだろ』と。
画面の向こうで笑いを押し殺しているのか一拍あり、
『そう』とだけ返ってきた。
あれ? まさかあれで納得したのか? 説明が必要だったか。
『いや、電波時計がそんなに狂うわけないだろ』
『カナメは今、噴水前にいるのか?』
何故か流されたんだが。
『ああ。伊織は今どこにいるんだ?』
『ネピアと呼べ』
『なぜ?』
『ゲーム内ではキャラ名で呼ぶのがマナー……かは知らないけどそう呼んで』
現実とゲーム内で分けてほしいということか。
『分かった。で、ネピアは今どこに?』
『北門から出てすぐのところ』
『じゃ、今から向かう』
『かなめは三歩歩いたら忘れる鳥以下の頭なのか?』
俺の名前は普通に呼ばれたんだが。かなめもカナメもさほど変わりはしないが。
『鳥頭は酷いな』
『鳥以下と言った。かなめこそ鳥に失礼だ』
『……なぜ、そうまで言われにゃならんのだ』
『ジョブを決めるという話をしたばかりなのに忘れてるみたいだから』
返す言葉もない。
今日交わした会話を忘れたわけではないが、昨日の会話を失念していた。今日もそこで初心者相手に助言を授けてるキースさん、すいません。
『確かジョブギルドがこの街にあるんだったな。どこにあるんだ?』
『右上にマップがあるでしょ』
ネピアの言うとおり、画面の右上には邪魔にならない程度の大きさでこの辺りの地図が表示されているが……
『範囲が狭すぎて分からないんだが』
表示されてる地図はあくまで“この辺り”しか見えない。噴水の周囲とそれを囲むように建物があると分かるくらいだ。
『少しは自分で考えるべきだ、かなめは。分からないなら気軽に人に聞けるのがMMOのいいところでもあるけど、自分で試行錯誤して答えを見つけるのもRPGの醍醐味だぞ』
普通のRPGをプレイしたことない俺に醍醐味を語られても今一つ分からんが。
『……今日は育成のアドバイスしてもらったわけだが、矛盾してないか?』
『あれは、かなめがゲームを円滑に進めれるようにするアドバイス。かなめが無能と罵られて孤立しないように。人間関係は現実と同様に大事だから。私の優しさに感謝されこそすれ揚げ足を取られる覚えはないし、プレイスタイルは自由とも先に言った』
まさか伊織に人間関係の重要性を語られるとは思わなかったぜ。
『ああ、悪かった。とりあえず自分でやってみる』
マップについては自力で解決することができた。虫メガネのマークで拡大と縮小が可能で、最大にすると街全体を見ることが出来るようになる。
最大にしたマップには、剣や盾などのアイコンがあり、カーソルを重ねると『武器屋』『防具屋』と表示されてアイコンの場所にその店があるのだと分かるようになっている。
戦士ギルドの場所も判明し、今俺はそこに来ている。剣と盾が交差した看板を掲げる建物だった。
中は役所みたいな内装でカウンターがあり、そこにプレイヤーが並ばず順番を無視してるかのように押し合いへし合いしている。
シルバーの鎧を着て偉そうに腕を組んでいるNPCには話しかけず、俺もカウンターの集団に加わって受け付けの女性に話しかける。
『ここは戦士ギルドです。今日はどのようなご用件でしょう?』
業務的な口調(文字だけだが)で受け付けの女性は言うと選択肢が表れる。
戦士の特徴などが聞けたりするようだが、ネピアを待たすとグサグサと心をつつく言葉が増えそうなので『戦士に就きたい』を選んだ。
“カナメは戦士になりました”
そんなメッセージが表示され、カナメは拳を握りガッツポーズをした。
『これであなたは今から戦士です。どうぞ頑張ってください』
つんけんとした印象の受け付けの女性に言われて、カナメは戦士になった。見た目は全く変わらないが。頭上に表示されてる名前の頭に付いていたマントのアイコンが、剣へと変わっている。
最初のジョブは旅人だからマントで、戦士だから剣なのだろう。イメージ的に。
受け付けの人は少しは愛想良くしてほしかったが、これだけの人を一片に対応してるとそりゃ、ああいう言い方になるのも致し方ないなとゲーム内のキャラに同情しながら、ネピアへと報告する。
『戦士になった。北門でいいんだよな?』
『そうだけど、まずクエスト受けてきて』
『わかった』
そう返して俺はギルドから出ると、
『……本当に分かってる?』
『実は知らない』
『(……ハァ。かなめは本当にアホだ)』
心の声かよ。わざわざ送ってくるとは。
『クエストは、一般クエストとストーリークエストがあって……それはまだいいか。とにかく後で説明するから、120.40にいるクオンから受けてこい。座標の意味が分からないとか言わないよね?』
ネピアは俺を学習能力のない人間とでも思ってるのか。そういう言い方をするってことは説明書かここまでで知り得た情報ってことだろ。伊織は理不尽に現時点で知り得ないことを馬鹿にするほどではないだろうし。
『マップに表示されてるのがそうなんだろ?』
『そう』
右上マップにある二つの数字は現在地を表していることは、ここに来るまでに何となくは理解していた。
その数字を見つつ、カナメは指定された座標に向かうと、クオンと名前が表示されているNPCを見つけた。若い女性だ。
『ねえ、聞いてくれる? さっき街の外で薬草を摘みに行ったんだけど、イタズラ好きのゴブリンたちに邪魔されて全然摘めなかったの。ホントにゴブリンには困ったものだわ。誰か何とかしてくれないかしら』
話しかけると女性に愚痴をこぼされた。すると選択肢が表示された。
・私が退治してきます
・それは困りましたね
一つはこの女性の悩みを解決する流れで、一つは適当に話を合わせるみたいな感じか。
イタズラしてくるだけの奴を退治するというのも、やりすぎな気がするが受けろとネピアも言っていたし退治を申し出る。
『まあ、何て頼もしい御方なんでしょう。それじゃ、十匹くらい倒してきてもらおうかしら。倒してきた証拠としてゴブリンの角を持ってくれるかしら。それじゃ頼んだわよ』
急に上から目線になったんだが。ゴブリンという奴の角を持ってこいとか、イタズラの仕返しにしてはやはり度を越してるだろ。どんだけ邪魔されたことを恨んでるんだよ。
“ゴブリン退治のクエストを請け負いました”
そんなメッセージが出たのを確認し、俺は北門へと向かった。
スタート地点であるセントラルは東西南北にそれぞれある国――通称四大国――に囲まれるように位置する街だ。
様々な国が領土を巡る戦いをする中、唯一争わない姿勢を貫く中立国。そこがセントラル。
四方を高い城壁に囲まれ、東西南北にある門から街の外へと出ることができる。
カナメが開け放たれた門を出ると、草原が広がっていた。プレイヤーの姿もちらほらと見え、角の生えた半裸の人型の生き物と剣や弓矢で戦っていたりする。頭上に表示されている名前を見るとこいつがゴブリンのようだ。
その戦っているプレイヤーの中に藍色のセミロングの後ろ姿を見つけた。名前はネピアとあるから間違いはない。
『クエスト受けてきたぞ』
近寄って声を掛ける。ネピアは杖を振って小さな火球を生み出してそれをゴブリンにぶつけている。
――ネピアさんよりパーティの誘いがありました
いきなりメッセージが表示され『はい』か『いいえ』かの選択を促してくる。
パーティの誘いか。伊織は俺のオンラインゲームデビューを祝ってくれようとしてくれてんだな。素直じゃないなあ。
……違うのは分かってはいる。パーティといってもそっちの意味じゃなくて、仲間になるという意味だ。
俺は快く誘いを受けてパーティに加わる。すると画面右下にネピアのHPとMPが表示され、ネピアの頭上の名前に人のシルエットをしたアイコンが表れた。これがパーティを組んだ証明のようだ。
『よろしくお願いします』
赤色で表示された言葉に俺は驚きを隠せなかった。ゴブリンに火の玉を浴びせ続けながら言うのはシュールではあるが、問題はそこじゃない。
『……急にどうしたんだ?』
伊織が礼儀正しくなるなんて悪いものでも食ったか、或いは空腹か。今すぐ何か差し入れに向かったほうがいいか。
『パーティでの礼節を教えてあげただけ。オンラインゲームでは他人と接する時は不快にさせる発言はしないのが最低限のマナー。※:ただしカナメは除く。公式サイトにも書いてある』
『いや、なんで俺だけ!? 絶対に書いてないだろそんなこと』
『そういうタイピングが早いのは感心するけど、まずパーティチャットにしたら? 文字通りパーティ内にしか聞こえないチャット』
やり方を訊ねるともれなく罵倒が付いてくるから、チャットウィンドウの周辺を調べてみるとパーティチャットに切り替えることができた。
俺は早速タイピングして、
『ネピア、さっきから何故俺を攻撃してるんだ?』
カナメはさっきからネピアの放つ火球の標的にされ『グア』『ウワ』とか声を出しながら、仰け反っては元にも戻るを繰り返している。HPも当たる度に減っていってるんだが。
眠たげな瞳を向け杖を振り続けるネピアの姿は妙な怖さを感じられる。このままだとHPが減る一方だし、気分のいいものでもないからカナメは火球を避けようと左右に移動するが、火球はカーブして俺の動きを追って的確にこちらに向かってくる。
HPの数字が赤くなってからようやくネピアの攻撃は止んだ。そして、
『操作ミス』
と、ネピアは言った。
『それにしてはしつこい攻撃だったが。わざとだろ』
指摘するとネピアは再度杖を振る。放たれた火球が向かうのは当然のごとくカナメだ。
『操作ミスはよくあること。カナメは人を信じられないのか?』
ネピアは俺に恨みでもあんのか、と言おうとして、ふと引っかかった。
『意外そうな反応をしたことを怒ってるのか?』
礼儀正しく挨拶をしてきたことに対してだ。考えてみると失礼だったかもしれない。
『操作ミス』
少しの間の後、ネピアは再三そう主張して、
『それにしてもカナメ、死にそうだな』
例のショートカットに登録している嘲笑を浮かべた。誰のせいだ。
『どうすりゃいい?』
HPを回復するアイテムは持ってないしな。
『安心して』
ネピアは刺々しい嘲笑を柔らかな微笑みに変える。これもワンタッチなのかね。
『回復の魔法でもあるのか?』
『ううん。レベル5以下はデスペナはないから。死んでも大してリスクはない』
『デスペナ?』
『デスペナルティの略。HPが無くなると科せられる罰。一定時間能力低下するだけだけど、レベルが高くなるほど時間も長くなるし低下率も増していく』
『じゃあ、死ねばいいのか?』
現実で言ったらヤバい発言だな。
『死んでも今ならセントラルに戻されるだけだから。けど、私の責任みたいで嫌だし、特別に回復アイテムを恵んであげるからそれで回復して』
『みたいじゃなくて、今減ってる分は全部ネピアの責任なんだが』
ネピアは無言で杖を振るとカナメに火球をぶつけてきた。
『ごめん。操作ミス』
『今のは百パーわざとだな』
『人を疑うばかりの人生は空しいと思わない?』
『……そうですね』
俺はツッコみを放棄してため息を吐いてると、ネピアからアイテムが送られてきた。
エックスポーションが……五十個。鞄のアイコンをクリックしてアイテム欄を開くと、枠が半分近く赤い液体が入った瓶で埋まっていた。
『凄いな』
『店売りしてるのだと最高のライフ回復アイテム。感謝しろ』
『……何でそんなに持ってるんだよ』
ネピアは新しく作ったばかりのキャラのようだし、この世界の通貨のGは俺と同様にないはずだが。無一文。
『倉庫は一アカウントで共有されている』
『つまり、メインキャラのアイテムを持ってきたってことか』
『そう』
『なんかズルいような気がするが』
『育成に関してのメリットは回復アイテムと金に困らないくらい。生産専門なら素材に困らないのもあるけど。装備は必要レベルと能力値があるから、初心者とシステム面での極端な差は生まれないようになってる』
『へえ』
『まあ、用意しとけば必要レベルに達した段階ですぐに最適な装備にできたりはするけど。その辺は長時間プレイしている人のメリットとして当然だとは思う』
長い説明をしながらも、ネピアは近くに光に包まれながら現れたゴブリンを攻撃している。俺は受け取ったポーションでHPを全快にして攻撃に参加――確か、スティックでカーソルを敵に合わせて、技を設定したボタンを押すだったか――する。
カナメは両手で持った剣を振りかぶってゴブリンに振り下ろした。ダメージはネピアの火球より少し高いくらいだったが、既にゴブリンの頭上にある赤い体力ゲージは僅かだったため、ゴブリンは倒れた。
「お」
俺は思わず声を漏らした。
ゴブリンの角を手に入れたというのがメッセージとして流れたからだ。
『これを十個集めればいいのか?』
『出たのか。そう、これを十個集めて依頼主持って行けばクエスト成功』
『あの、上から目線な人にか』
『このゲームのクエストは大抵そんな感じ』
『ネピアは幾つ手に入れたんだ?』
俺より早くにログインしてたから、結構溜まっているとは思うが。
『八つ』
『あと二個か。早いな』
『カナメが来たせいで遅くなりそうだけど』
『へ? 二人だから逆に早くなるんじゃないのか?』
『とどめを刺したキャラしか手に入らないから。沸き場所も余ってないから待たないと駄目だし』
そうなのか。沸きって何だと聞こうとして、また近くにゴブリンが現れたため攻撃する。
『沸きって何? とカナメのことだし聞いてきそうだから言っておくと、モンスターの出現のこと。出現する場所は誤差はあるけど決まってるからそこを沸き場所と呼ぶ。沸き時間はモンスターによって変わるから、次に沸くまで間に他の沸き場所に向かって倒すのが効率がいいけど、他のプレイヤーが来た場合譲るのがマナー』
周りを見ると、数多くのプレイヤーがゴブリンと戦ってるのが分かる。これが沸き場所が余ってないから待つしかない状態ってことか。
つか、マナーとか色々とあるようだが俺には何一つ分からん。ゲームといっても人と関わるわけだから必要なのかもしれないのは理解できるが。
ネピアがゴブリンを倒してから俺はようやく会話を再開できた。
『よく戦いながら会話できるな』
『馴れればできるようになる。※:ただしカナメを除く』
『またそれかよ!』
三十分ほどでお互いにゴブリンの角を十個集め終わり依頼主に報告すると、ゴブリンを倒していた時よりも格段に違う量の経験値が入り、カナメのレベルが上がった。
『これがクエストの流れ』
隣で同じくレベルの上がったネピアが言う。
『クリア条件は色々だけど、レベルの低いうちはクエストをクリアしていくのが効率もいいし、ゲームに慣れていくのに適している』
『そうか』
『セントラルにも依頼主はまだいるから話を聞いてみたら』
『ああ、そうしてみる。が、今日はもうやめる』
振り向いて確認したら時計は十一時を指していたし。
『そう。その前に友達登録しない?』
え……どういうことだ。友達って登録するものじゃないと思うが。いや、そんなことよりも、
『俺たちはもう友達だろ』
送ってから少しばかり恥ずかしくなった。面と向かって(これはゲームだが)そう言うのは照れるものだしな。というか、否定されたらどうしようと不安だ。返答が中々こないから余計に。
『このゲームの友達登録機能の話。カナメはそんなこと言って青春漫画の主人公気取りか。恥ずかしくない?』
……ああ、ああ、そうだった。思い出した。友達登録したプレイヤーはログインとか居場所の情報などが分かるようになるんだったな確か。
『……ちょっと勘違いしただけだ』
『そう』
こうしてネピアと友達登録を終えて、俺はログアウトしたのだった。