第八話『ジョブ、決まりました』
下校時刻となり、俺と伊織は並んで校門から出た。
これから喫茶店で語らうといえば、端からみたら中々の青春成分を感じさせる一ページだが、会話の内容はゲームである。それも生徒と先生のような立場だ。
優しく教えてくれることはなく、少しでも理解が乏しかったら容赦のない罵倒が飛ぶという厳しい指導だ。
でも、嫌ではない。いや、そういう趣向があるという意味ではなく、同じ趣味で話せる人はいなかったからな。共通の話題で盛り上がれるのは嬉しいものだ。
無言で隣を歩く伊織と共に向かう喫茶店は帰路の途中にある。帰り道はいっしょの方向なわけだし、帰宅時間も考えるとその方がいいだろう。そう言うと伊織も頷いた。
喫茶店に入り、席へと着く。
丁寧に拭かれ窓ガラスから差し込む光を反射する白いテーブルを挟んで座る。
伊織は鞄を隣に置くと、物珍しそうに置かれた角砂糖などを眺めた後、メニューを手に取って眺める。
「意外と豊富」
伊織は淡々と言う。コーヒーのことだろうか。軽食を含めてもこの店のメニューは多い。それに味もいい。坂本やひよりと何度か訪れたことがあるが、いい店だと思う。雰囲気も落ち着いているし。BGMのクラシックも邪魔にならず耳心地よい。
「伊織は来たことないのか?」
訊ねると、伊織はメニュー置いて、
「喫茶店に入ったのは初めて」
真顔で言う。それはあってもおかしくはないか。俺も誰かといっしょじゃないと入ろうとは思わないし。
「そうか」
「……憐れんでる?」
瞳を細めてジッと睨むように見てくる。
「いや。俺だって数えるくらいしか入ったことないし」
「そう」
素っ気なく言って伊織はメニューに視線を落として黙る。
「ご注文はお決まりですか?」
若い女性店員が注文を取りに来て、俺は無難にコーヒーと答えた。そしてメニューから顔を上げた伊織は、
「スーパーウルトラハイパーミラクルストロングエベレストデラックスパフェとコーヒー」
長々とした名称をスラスラと言うと、店員は一礼して席を離れる。俺は噛まずに早口言葉のように言ったことに感嘆し、
「奢るのは飲み物だけだぞ」
今月は出費が激しかったし、メニュー中最大の値段とボリュームを誇るパフェを奢れる余裕はない。
「分かってる、自分で払う。で、ジョブについてだけど」
唐突に本題に入ってきたな。
「説明書を読んだならジョブの種類は把握していると思うけど、かなめは何になりたいの? 直感でいい」
「ジョブだろ? だったらボクサーだな」
俺はシュッと固めた拳を構えて軽く突き出すジェスチャーをする。
右ジャブ、左ジャブ、右ストレート。
右ジャブ、左ジャブ、右ストレート。
仮想の相手が繰り出すパンチを避ける動作も折り込みながら、座りシャドウボクシングを続ける。
ジャブ、ジャブ、ジョブ……うん、伊織の目が冷たい。ツッコミはなしですか。
ついでに周囲からの視線を浴びているのがヒシヒシと伝わり、顔が茹だったタコのように真っ赤になってるのが自分で分かる。鏡は見たくない。
「……えっと、ジョブは確か十個くらいあったな……」
説明書には二ページを使いジョブの一覧に簡潔な説明文が添えてあった。
「正確には十五。かなめは数も数えられないのか?」
「コーヒー代出すのやめるぞ」
「うろ覚えは誰にでもあると思う。落ち込むな、かなめ」
分かり易い変わり身だな。落ち込んでたわけじゃないが。俺の心を針でつつくよりコーヒー代の方が重要らしい。
と、ここで注文した品が運ばれてきた。
まず芳香と湯気が立ち上るコーヒーが俺と伊織の前に置かれ、そして一旦奥へと戻って再び出てきた店員は、両手で優勝カップのような大きさの容器を持って慎重に残りの一品と銀のスプーンを置き、「ごゆっくりどうぞ」とマニュアル的な一言を凛とした声で言い去っていく。
「…………」
これが目の前にそびえるスイートタワーの感想である。
伊織の姿を覆い隠すほどの高さを誇るパフェが産み出された過程は定かじゃないが、盛られたクリームから顔を出す数多のフルーツのように付けられた修飾語から察するに、その場のノリだったのではなかろうかという安易な想像が浮かぶ。
そもそも名称からして意味被ってるし。「ウルトラでよくね?」「お、それいいな! じゃ、スーパーも付けるか」そんなやり取りがあったのではなかろうか。
カタッとパフェの向こう側で音がした。
伊織がスプーンを手に取り、パフェを胃に収める作業に取りかかったのだろう。
ウルトラ――中略――パフェはまるでメルヘンの世界ならばお菓子の国に存在する山だ。その高さは標高一メートルはあるだろうか。向かいの伊織の姿を隠してしまっている。溶けないように敷き詰められた砕いたドライアイスが発する冷気がこちらまで届く。
それにしても美味しそうだ。フルーツや菓子はともかくソフトクリームの一舐めくらいは許してくれるだろう。と、訊ねずにパフェへと指先を伸ばそうとすると、カップの脇から出てきた手でパシリと弾かれた。
「私の。かなめは意地汚いな」
向こう側から冷めた声が聞こえた。というか何故見えたんだ。
「いや、少し味見を……つか、そんなに食べれんのか?」
全部食ったらお腹を冷やすどころでないと思うぞ。
「食べれる。かなめはさっきの話の続きを考えてればいい」
伊織はそう断言した。とても華奢な体に収まりきる量じゃないが。ミルクの海が残る未来しか想像しえないのだが、パフェ代は伊織が払うんだしとやかく言うことじゃないだろう。
「……さっきの話か……」
俺は腕を組んで先程の話の流れを思い出そうとする。パフェのインパクトで吹き飛んでしまった。
ああ、ジョブか。ジョブを何にしたいか聞かれたんだった。
昨夜、ゲームを終えた後寝る前に説明書を開いて、ジョブの項を読み直していた。その中に惹かれるのが一つ。
「パラディンになりたいとは思ったが」
闇を切り裂く聖なる騎士――そんな説明文に書かれていた。実にパラディンらしい響きが俺の心の琴線に触れた。ゲームの世界でなら俺も騎士になれるのだと。
「かなめ。それ、上級ジョブだから今はなれない」
「上級ジョブ?」
「そう。基本ジョブは主要都市で無条件で変更できるけど、上級ジョブは特定のクエストクリアしないと解放されない。パラディンだと『神殿騎士認定試験』がそう」
クエストというのがまだ理解できてないが、つまり今は無理ってことか。
「じゃあ、どうすりゃいいんだ?」
伊織は山を順調に崩し、ようやく伊織の頭が山の向こうに見えた。なんたるハイペースな食いっぷりだ。大食いには華奢な人も多いが伊織がそれなのか。というか冷たいものを食べてるのに頭痛はしないのだろうか。
しばし、パフェを減らすさまを見続けてると、ふいに伊織は顔を上げる。
「……ジョブレベルが成長しない『旅人』のまま進める手もあるけど、それだとクエストのクリアは難しくなる」
「だったら、それまで他のジョブになってたほうが得じゃないか?」
「一概にそうともいえない。ジョブレベルの合計が高くなるほど上がりにくくなるから。元々上がりにくい上級ジョブはそれが顕著」
「だから、伊織はサブキャラを作ったのか」
「かなめにしては理解が早い」
そう言って伊織は僅かに口元を綻ばせる。評価がマイナス10からプラス10になったくらいの言葉ではあるが、ここは素直に喜んどこう。
「時間を掛ければ一キャラで全ジョブレベルマックスも可能だけど、それだと不眠不休で数年掛かるとされているし、能力値もどっちつかずで結局は弱くなる。物理系なら物理系で育てて、魔法系なら魔法系で別キャラで育てた方が早いし強くなるし」
「不眠不休は無理があるだろ……」
「いるらしいけど。常時ログインしてかつ寝落ちしないキャラ」
「……マジか」
寝ずにプレイし続けるなんて不可能だろ。その疑問に答えるように伊織は言う。
「噂では仲間内で交代でプレイしてるとか、バイトでも雇ってやらせているとか言われてる。あと、中の人が存在しない説もある、まあ、これは一種のオカルトめいた類の話だけど」
「そこまでするか普通?」
「ネトゲならあってもおかしくない話」
どんな世界だよネトゲって。
「将来的にパラディンに就くつもりなら、今は戦士か司祭を選べば無駄がないと思う」
「戦士か司祭だな」
言いながらも伊織は順調に減らしていっている。おっと、溶けてきたアイスに刺さったウエハースが傾いて今にもこちら側に落ちそうだ。取って代わりに食べてやるか。と手を伸ばすと伊織にスプーンで叩かれた。地味に痛い。
「私の。……だけど、そのくらいならいい」
伊織は食事を邪魔された犬のように鋭い視線を向けたが、少し考えるように目を伏せてからそう言った。俺が叩かれた意味は?
「あ、じゃ遠慮なく」
ウエハースを抜き取ってついでにクリームをたっぷりと付けて一口。サクサクとした食感にほろりと口の中で広がる甘み。まさしくウルトラ――中略――パフェという名に相応しい。
「どっちにするの?」
「何がだ?」
「戦士か司祭」
「今決めろと言われてもな。よく分かんないんだが」
「……仕方ないな。一度しか言わないからよく聞いといて」
伊織の声がよく聞こえるように俺は少し体を前に倒す。メモの用意は必要ないだろうか。
「パラディン解放クエストの適正レベルが15だからそれを基準にしての話だけど、戦士からパラディンになるなら、クラスチェンジは剣士にすべき。そこまでに覚えるスキルで【両手持ち】と【挑発】があるから、ソロでも火力は申し分なくて、パーティだとタゲ取りもできるパラディンになれる。パラディンは剣士より防御高いし、スキル【聖なる加護】もあるから、タゲ取りに最適だと思う。一応パラディンだけでも【かばう】あるからタゲ取り代わりにはなるけど、【挑発】の方が便利。成長補正もパラディン向き」
饒舌に伊織は戦士経由でのパラディンのメリットを説明してくれた。……ことだけは分かった。
「…………」
メモかICレコーダー用意しとくべきだったか。そうすれば帰宅して意味の分からない単語をゆっくりと調べられたし。
聞き馴染みのない言葉を一度聞いたくらいじゃ、歩いてる最中にぽろりと抜け落ちてしまいそうだ。
そんな俺の整理できてない頭を知ってか知らずか伊織は続ける。
「次に司祭からパラディンにするパターンだけど、一般的に司祭は後衛キャラのイメージで物理攻撃は苦手な印象があるけどCROSS・FANTASIAの司祭は、物理系もこなせる。むしろアンデッド相手の火力なら戦士以上。成長補正は物理向きじゃないけど、MPと精神はパラディンにも必要な数値だし問題ないと思う。スキルは対アンデッドを覚えるし、パラディンは対悪魔スキルがあるからその二種族相手ならかなり楽になる。回復魔法もあるからソロでも困らない」
一度も噛むことなく言い切って、伊織はコーヒーを飲む。
「…………」
どうしよう。英語教師のネイティブな発音より意味が分からない。ホワイ? と言ってお手上げのジェスチャーをしたい気分だ。
「そんな感じ。どうするか決まった?」
小首を傾げられても、俺には今の説明を頭に留めることがやっとだ。それを踏まえての適切な選択は出来そうにない。
「伊織からしたらどっちがお勧めなんだ?」
「え……」
虚を突かれたように伊織はスプーンを口にくわえたままこちらを見る。
「……私はできたら戦士からがいい。……私は魔法系にするし、盾役がいたほうが……その…便利だし」
「じゃあ、そうするか」
「かなめは主体性がないのか?」
「これに関しては経験者の意見を参考にしたほうがいいと思っただけだ」
「そう」
伊織は三分の一となったパフェの完食へスパートを掛ける。
その様子を黙って眺めててもよかったが、俺は鞄から適当なノートを取り出して忘れないうちに伊織のジョブ講義の要点を書くことにした。
喫茶店から出て携帯で時刻を確認すると四時を回っていた。
伊織は、ウルトラハイパーベリーナイスグッドミラクルハッピーデラックスパフェ(うろ覚え)を完食し。満足げな表情だった。
あの量が隣を歩く伊織のか細い体のどこに入るのか謎である。甘いものが入る別腹というのはブラックホールにでも繋がっているのだろうか。聞いてみても小馬鹿にされるのが目に浮かぶから訊ねはしないが。
帰ったら洗濯物を取り込んで――と帰宅後の行動を確認してると、
「今日はいつ来れる?」
伊織が黒い瞳を向けて聞いてきた。
「掃除でもしてほしいのか?」
あれからすぐ汚くなるなんてことはないと思うが。
伊織はため息を吐き、
「素なのか分かりにくい」
「CROSS・FANTASIAの方だろ。今日は八時にはいけると思う」
そういや百均の品で整理整頓してやろうとも考えてたな。近いうちまた行くか。
「そう。わかった」
それで会話はなくなり、先にある伊織のアパート前で分かれて俺は帰宅した。