第五話『ネットゲーム、始めました』
俺の自室はベッドに本棚、それと机くらいしか描写すべき点がない殺風景な部屋だ。
特に趣味らしい趣味というのがないから仕方ない。だが、伊織の部屋よりはまだ気を払っているといえる。
本棚は埃が被らないようにカーテンで仕切ってあるし、衣服だって放り出さずにクローゼットに収納してある。特に掃除に関しては、いつ意地の悪い姑に『まあ、こんな所に埃が。掃除もできないのかしら』と嫌みを言われぬように窓の桟に至るまで行き届いている。
そんなことは今はどうでもよいことか。
俺は椅子に腰掛け机の上に置かれたノートパソコンの電源を入れる。
起動までの時間も無駄にはせず、大金をはたいて購入したゲームソフトを手にとってパッケージを開け中身を出す。教科書くらいの厚さの取り扱い説明書と、プラスティックのケースが入っていた。
まずはケースを包むビニールを取り……取り……やけにピッタリとひっついて…………このっ……ようやく取れた。
ケースを開くとディスクが収納されており、それを左手で優しく取り出して、右手で起動し終えたノーパソのディスクドライブにセットする。
するとウィンドウが開き、画面に映る手順通りに進めていくとインストールが開始された。
説明書に目を通さずにやるのはいささか不安があるが、伊織が『インストールには時間が掛かるから先にしてから説明書を見た方が効率的』と淡々としたアドバイスをくれたから信じるしかない。
俺はようやく1%になったインストール状況を横目で見て、説明書を持ってベッドに横になった。
俺は一息吐き、読み終えた説明書を閉じ、起きあがった。
操作説明とかはともかく、世界観の細かい説明は果たして必要なのかと疑問に思う。
ゲームをより楽しむのには役立つかもしれないが、実生活では無用の知識だし。
架空世界の歴史を覚えたところでテストには出ないしな。騎士国の初代団長の名前を知るよりはこっちの歴史的偉人の名前を一つでも覚えたほうが役には立つ。少なくとも赤点の確率は減る。
「アーカム・ナイトハルト」
苦笑し、初代騎士団長の名前を呟く。
その人物の功績も相関図入りで詳細に書かれていたから、思わず読みふけってしまった。アーカムは偉大な騎士だったんだな……と感慨に耽るくらいに。
これらの知識はゲーム内で追々説明していくとして、暗転していたノーパソを少しイジると、インストールは既に完了していた。ベッド脇の小さな棚の上に置かれた時計に目をやると六時を回っていた。集中しすぎていたようだ。
「かなめー! ご飯!」
階下より威勢のいい声が聞こえてきたし、続きは後でとノーパソを閉じて俺は部屋を出た。
腹を満たして、再び部屋へと戻ると、説明書に書かれた通りにゲームをプレイにするにあたってのアカウントを取得した。
いわば、CROSS・FANTASIAの世界に行くためのパスポートみたいなものだ。登録時に発行されたユーザーIDとパスワードを忘れないようしっかりとメモに取った。
月額料金の支払いについてだがウェブマネーが使えると事前に伊織から聞いていたから、予めコンビニで買っておいたのを利用した。千円分チャージしたからこれで二ヶ月はプレイできる。
いかにも知ってましたという体で説明したが、俺はウェブマネー自体、耳慣れない言葉だった。
『料金支払いはクレジットカードかウェブマネーでできる』
『クレジットカードなんて持ってるわけないが、ウェブマネーってなんだ?』
『無知の極みを目指しているのか? かなめは』
『……絶対常識的な知識じゃないだろ。それは』
『面倒臭いけど――』
こんな風に昨日伊織に教えてもらった。
簡潔に言うとオンライン上で使うお金みたいな感じだそうだ。いやはや技術の進歩には恐れ入る。俺はてっきり利用料金は指定された口座に振り込むとか、運営会社に払いに行くのかと思っていた。
これでプレイ前の下準備は完了し、あとは気兼ねなくゲームをすることができる。
初ゲーム購入、初ウェブマネー、初オンラインゲーム、なにかと初尽くしのここ数日だ。そして俺はこれから未体験の世界へと飛び出す。CROSS・FANTASIAの世界へ。
説明書にかかれていた世界観を想起し、脇に置いたパッケージの裏面に躍る『今日からキミもエタナリアの住人だ!』という安っぽいキャッチコピーを目にし僅かながらもテンションが上がる。
マウスを操作しトップ画面に表示されたCROSS・FANTASIAのアイコンをクリックする。
交差した剣の上に大きく表示された『CROSS・FANTASIA』のロゴが出た画面はコントローラーのボタンを押すと変わり、次に表れたのはIDとパスワードを入力する画面だ。
引き出しからメモを取りだし、それを見ながらギコチナい手付きでキーボードを叩き慎重に入力する。間違ってないか確認して決定をクリックする。
そして冒険が始まる――という高まる期待を裏切るように『キャラクタークリエイト』の画面に変わった。そういえば、説明書にもあったな。ちなみにキャラクターは三人まで作成可能だそうだ。
画面には男のキャラと女のキャラが並んでいて、性別を選択するみたいだ。当然俺は男を選んだ。
続いてフェイスメイキング画面になる。
平凡としか言い表しようがない男性キャラの顔のアップが画面の右半分にあり、左半分には『髪』『目』などの顔の部分の名称が並び、それらを組み合わせて顔を作れるらしい。
まずは『髪』を選択すると男キャラの頭がアップになる。焦げ茶色の短髪だ。
『髪型』『カラー』『アクセサリー』と髪だけをとっても色々と変更できるらしい。まず髪型を変えようと選択すると……百種類以上あることを如実に示す数字が。
……キャラクター一人作るのにも骨が折れそうだ。
「……ふう」
椅子の背もたれにくたびれた体を預け、一仕事終えたサラリーマンがごとく一息吐いた。時計を見ると時刻は九時を回っていた。
画面に映るキャラクターは俺を数倍格好良くしたような顔をしている。見栄を張ってるわけじゃない、自慢じゃないが俺はクラスでは中の上くらいに位置する顔だとは思っている。
悩んだ末に自分に似せたが、各パーツの種類は多岐に渡り種類も豊富だった。これだけあればさながらモンタージュのようにどんな顔でも作れそうだ。
そして体型も自分に似せた。百六十四センチの五十四キロ。同年代と比べると小さめで、画面に映るキャラも頼りなさげな印象を受ける。
ちなみに背は二百五十から百。体重は百五十から二十まで自由に設定可能で、むろんそれに合わせて見た目は変化する。
試してはないが身長が二百五十で、体重二十も恐らくは可能だと思うが……それは果たして人類だろうか。あだ名は電柱かモヤシになる可能性が高い。
そんな奇妙な生物の想像をやめて、姿勢を正して再び画面に向き合う。
容姿を決定すると次いで出てきたのは『名前を入力してください』という文字。
「名前か」
自由に決めていいのだろう、ネーミングセンスには自信がないのは自覚しているし、拘らずに自分の名前でいいかと入力をする。
「……『その名前は既に使用されています』?」
そう画面に表示され、俺の名前は認められず再入力を求められた。
要――なんて名前はそうありふれているとは思えないが。俺の知る限りじゃ俳優の名字くらいしか見た覚えはない。
平仮名にしても同じ表示が出た。かなめは人気なのか。
どうするかと、腕を組んで悩んでいると、ドアが開き、
「かなめ。電話」
と、既にパジャマ姿のひよりがコードレスの受話器を手に部屋に入ってくる。
「俺にか?」
眉を寄せ俺は訊く。坂本からなら携帯があるし、他に思い当たる人物はいない。
「うん。女の人、例の友達じゃないの?」
悪戯っぽい笑みを浮かべ、受話器を手渡すと、ひよりは欠伸をしながら部屋を出ていく。明日も朝練があるだろうし、これから寝るのだろう。
思い当たった人物の無表情を脳裏に浮かべ、俺は受話器の通話ボタンを押して耳に当てた。
「もしもし」
『登録はもう済ませたの?』
そいつは名乗りもせずに唐突に言ってきたが、名乗らずとも抑揚のない声質は誰なのかを如実に証明しているようなものか。
「伊織、何で家の番号知ってんだよ」
『クラス名簿に載ってた』
ああ。生徒の名前が五十音順に載ってるペラペラな紙か。確か電話番号も掲載されてたはずだ。俺のは一応はしまってあったはずだが、伊織の部屋にもあったとは意外だ。てっきりクシャクシャに丸めてとっくにゴミと化していたものかと。
「で、登録だったか」
何なのかは言わずもがなこのゲームだ。今日買いに行くことは伝えてあったし。
『そう。サーバーのこと言い忘れてた。したの?』
サーバー……サバ……鯖がゲームと関係があるのか? 味噌煮にするのかとトボケたくもなったが口には出さず、
「いや。まだ終わってないんだが。今は名前入力のとこだ」
『……サーバー選択はその次だから、さっさと入力して』
「けどな、既に使われてるみたいなんだが、どうしたらいいんだ」
『なんて名前にしたの?』
「かなめ。漢字と平仮名で入れたが駄目だった」
『オンラインゲームじゃよくある話』
「そうなのか?」
『漫画とかアニメの人気キャラの名前はすぐ使われるみたい』
「じゃあ、かなめって人気のキャラでもいるってことか?」
『知らない。……そんなに自分の名前を使いたいの?』
「まあ、出来たら」
酷い名前で伊織に冷めた反応をされるよりはいいと思うし。
『名前が被ってる場合だと、適当な記号で挟んだりすれば使えることが多い。ダガーとか、ホシとか』
試しに入力して変換してみると、ダガー(†)ホシ(☆)と出る。これで挟めってか……
『けど、それを格好いいと勘違いした厨二が使ってることも多いから、良いイメージは持たれないこともある。ま、かなめは厨二ネームというわけでもないし大丈夫だとは思う』
中二ってそんなイメージがあるものなのか?
「……とにかくお勧めはしないってことか」
『うん』
「じゃ、伊織が考えてくれないか? 俺はこういうのは苦手だし」
『面倒臭い』
即答か。
『カタカナは嫌なの?』
「どうせ駄目だろうし試しては――」
だが、まだ入力してないしキーボードを叩いてみる。カ・ナ・メ、と、決定。
「あ」
俺の漏らした言葉で察したか、受話器の向こうで呆れたようなため息が漏れる。
『……次の画面出た?』
「ああ。プレイするサーバーを選択するみたいだが。これの話なのか?」
画面には。
・ノースブルー
・サウスホワイト
・イーストブラック
・ウエストイエロー
とある。サーバー名は東西南北に大国が栄えるという世界観からきているようだ。
『そう。同じサーバーじゃないといっしょにできないから。移籍チケット買えば変えれるけど』
「同じ世界が四つあるってことだな。パラレルワールド的な。違う世界のプレイヤーとは遊べないわけか」
『かなめにしては理解が早い。たまに違うサーバー同士の交流イベントはあったりはするけど』
感心されてるのか皮肉なのか。伊織に猿並の知能だと思われてるのだろうか。
「……伊織はどのサーバーなんだ?」
『ウエストイエロー』
「どうでもいい質問だが、何故そこにしたんだ?」
俺は騎士団のある方角のノースブルーが一番で、次いで白、黒といった選択順位だったが。
『人が一番少ないから』
「そんな理由でかよ」
『その方が狩場の取り合いも少ないし、マナーの悪いプレイヤーも少ないみたいだから』
「分かった。イエローだな」
『ん。待ってるから』
そう告げて通話が切れた。
意外と時間掛かったし今日はそろそろ終わるつもりでいたんだが。
「しゃあない」
俺は九時半を示す時計を見てから、受話器を置いて、コントローラーを握りウエストイエローのサーバーを選択した。
『CROSS・FANTASIAの世界へようこそ!』
そんな明るいナレーションと共に、俺のネットゲームのある生活が始まったのだった。