第四話『ネットゲーム、買いました』
「六千八百円か……」
場所は駅前の家電量販店。そこのパソコンコーナーでうなだれる俺。
事前に伊織に聞いていたとはいえ、実際に値段を見ると高いと感じてしまう。人生の半分を主婦業に費やしてきたせいか金にシビアになってるのもあるかもしれない。
『CROSS・FANTASIA』
剣を構えた青年と弓矢で狙いを付ける少女が描かれたパッケージに印字されたタイトルと、メモに記しておいたタイトルを見比べ目当ての品に間違いがないことを確認。
パッケージを手に取って次に、あれば便利と言われたコントローラーを探しに向かう。
軽い気持ちで興味があると言ってしまったが、オンラインゲームというのは随分と金が掛かる娯楽だ。
『長期的に見たらコストパフォーマンスはいい方』
とは伊織談。
果たして俺が長期的に楽しめるだろうか……そんな不安を息にしながら周辺機器売場に着いた。
昨日のことだ。
伊織に呼び出された俺は再び『くずれ荘』へと訪れた。今回は「名は体を表す」と一言呟いて厳かに頷いてから敷地へと踏み入った。
余談だが俺は少しばかりドキドキしていた。呼び出された経緯がアレだと、たとえこないだのネトゲの話の続きだと分かっていても、男としては宝くじで億万長者になるくらいの微かな期待をしてしまう。
初めて伊織の部屋に訪れた次の日。伊織はきちんと登校してきた。俺の挨拶を『馴れ馴れしい』とばかりに無視して、窓際の席に着いて文庫サイズの本に目を落とすのはいつもの姿だ。
孤独な文学少女というイメージで見ていたが、後に読んでいたのはネトゲの攻略本だと知った。
仮病とはいえ三日も休んだ伊織に誰も心配の一声もかけないのを見て、俺は哀しい気持ちになったのを思い出す。
そして伊織は学校を授業を受ける場でしかないと言わんばかりに、帰りのホームルームが終わった後一番に教室を出ていく。
俺は話しかける機会を窺っていたのだが、声を掛けても顔を挙げてはくれなかった。無視なのか、本に集中していたからかは分からないが、結局会話を交わさないまま俺も帰ろうとして下駄箱を開けると一枚の紙を見つけた。
ノートのページをちぎって四つ折りにされたそれを素早く制服のポケットにしまい込むと、何食わぬ顔で帰路に着く。
生徒の姿がまばらになったのを確認してから俺は紙を開いた。それには意外と上手い手書きの字でこう書かれていた。
『明日、部屋に来い』
一瞬果たし状かと思った。命令形だし。 その文字の下には早崎伊織とあった。
幾ら携帯電話を持ってないとはいえ、他に方法はなかったのだろうか。
隣の席なのだから、授業中にちょいと紙切れを渡してくれるとか出来ただろうに。恥ずかしかったとか?
顔を赤らめる伊織を想像しようとしたが、上手くできないまま俺は二〇四号室のドアをノックした。
「オンラインゲームには二種類ある」
一昨日と変わらずジャージ姿の伊織は言った。ちなみに、何故遠回しな呼び出し方をしたか聞いたが『別に』と答えにもなってない素っ気ない言葉が返ってきた。
「二種類?」
俺が伊織のプレイしているMMORPGの始め方を訊ねたら、こう返してきた。
「無料と有料」
「タダでできんのか?」
俺はセコい性格ではないが無料という言葉にはつい反応してしまう。
「一応はね」
伊織はやや不機嫌そうな口調になり、
「けど、結局は金を払わないと不利なシステムのゲームが多いから、入れ込むなら実質は最初から有料のより高くつくのも多い」
「そうなのか。上手い話はないってことか」
「うん。無料でもやれないことはなかったけど、効率はかなり悪かった」
伊織の経験談らしい。
「で、伊織のやってるのはどっちなんだ?」
「有料」
「幾らだ?」
金が掛かるのは予想の範囲ではあるが、実際にどれくらいなのかは予測していない。調べればいいのだが、伊織に聞けばいいかと思いしなかった。
「月額は五百円だけど」
「へ? 月額?」
予想外の言葉に俺は目を丸くすると、伊織は冷めた口調で、
「有料と言ったけど。かなめは数秒で忘れる猿以下の頭なのか?」
「いや、ゲームだからてっきりソフトを店で買ったりするもんかと。その金額が有料ということなるかと考えたんだが」
伊織は点けっぱなしのパソコンを一瞥し、
「ソフトはダウンロードするのが多いけど、このCROSS・FANTASIAはソフトを買ってインストールするタイプ。ダウンロードの場合は月額料金しか掛からないけど、買う場合はもちろんソフト代が掛かる」
「随分と高くつくな」
「初期投資はそうだけど、月額料金は安い方。他のMMOだと千円台が一般的」
伊織の感覚だと安く思えるのかもしれないが、俺からしたらソフトを買った後も金が掛かるというだけで高い気がしてくるんだが。まあ、小遣いを圧迫する額ではないしな。元々余るくらいだし。
「で、そのソフトはどこに売ってるんだ?」
「ただいまー」
取り立てて特徴の平凡な一戸建てである新堂家に帰宅し、突然の来客や宅配便も恥ずかしくない掃除が行き届いた廊下を通り、リビングに入る。ここを通らないと二階の自室には行けない造りになっている。
「おかえり。かなめ」
「ただいま」
ソファーに寝転がりながら迎えてくれたのは新堂ひより。俺の妹だ。サバサバした性格で言動や行動に女らしさはほとんど感じられない。せめて一度くらいは『お兄ちゃん』と呼んでほしい願望がある。
喉を潤すかと、買ってきた品が入った袋を置く音にピクリと反応し、ひよりはデニムのショートパンツからすらりと伸びる引き締まった健康的な両脚を高く上げ、反動を付けて体を起こした。
ずっと寝転がり続けてたのを物語る、寝癖になったショートヘアーを気に止めることなく、袋に視線を向け、
「何買ってきたの? 食べ物?」
買い物をしてきたと分かると、ひよりはいつもこんな感じに聞いてくる。成長期も関係なく昔から食欲旺盛で、買ってきたお菓子は大抵ひよりの胃の中に消える。まあ、買ってこないとうるさいから普段はなるべく安いのは買うようにしているが、今日はスーパーには寄ってない。
「ちげえよ」
一言で伝え、冷蔵庫から麦茶を取り出して水分補給。
ひよりがそんだけ食っても太らないのは部活でエネルギーを消費してるからか、体質か。そのカロリーを少しは胸に回した方がいいんじゃないかと心配になる。今もTシャツの胸の辺りはまっ平らだ。
伊織が中二の時はどうだったんだろうか。まあ、どちらもさしたる興味はないし、言って痛い目には合いたくない。伊織からは冷たい視線、ひよりからはもれなくハイキックが飛んでくるだろうし。
「何コレ!?」
と、袋からパッケージとコントローラーの箱を取り出していたひよりが叫ぶ。
「ゲームとコントローラーだが……ぐっ!」
「かなめ! いったい誰に苛められてるの? 言いなさい!」
しいて挙げるなら今俺の胸ぐらを掴んでいるお前だ。
「……どうして……そんな……飛躍した……考えになるんだ……」
首が締まり息苦しい中声を絞り出すと、ひよりはパッと手を離した。俺は首を手で押さえながらせき込んだ。あと数秒遅かったら危なかった。
「だって、かなめ、今まで全くゲームに興味なんか示さなかったのに、いきなり買ってくるなんて有り得ないし。だとしたら答えはクラスのいじめっ子に買うように脅されたしかない!」
自信満々に俺に指を突きつけるひより。俺はパシられるキャラに見えてるんだろうか。少なくともクラスにジャイ○ンのような存在はいない。……俺が見える範囲では。
「んなわけあるか。自分の意志で買ったんだよ。というか思考が突飛過ぎるだろ」
「けど、家にゲーム機なんかないのに買ってくるとか。少なくとも何か事情を勘ぐるのが普通じゃん」
「ゲーム機は必要ない。パソコンでできるやつだし」
ひよりはソフトのパッケージを手に取り、裏面を確認する。
「ホントだ……って! これオンラインゲームじゃん」
「なんだ。知ってるのか」
ひよりもゲームには詳しくないと思ってたから意外な反応だ。知らなかったなら先日得た知識を振りかざすつもりだったのに。
「かなめが知ってる方が意外なんだけど。それもオンラインゲームだなんてさ、どういう風の振り回し?」
ジト目で怪訝そうに見てくるのはいいが、
「風の吹き回し、な」
俺が間違いを訂正するとひよりの頬が赤く染まる。
「ちょっと勘違いしてただけなんだからっ!」
「はいはい」
必死に言い繕うひよりをなだめる。
「そ、それより、オンラインゲーム。なんで始めようなんて思ったわけ? コントローラーまで買っちゃって」
「友達から話を聞いてな。やってみようかと思ったんだ。というかなんでオンラインゲームなんて知ってんだ」
勝手に友達としてしまったが、もうなってるといってもいいだろう。二回も部屋に行ってんだし。
「友達の家でゲームの雑誌読んだことあったし」
「そうなのか」
「かなめは最近のゲーム知らないだろうけど凄いんだから。野球なんてめっちゃリアルで、オンラインで対戦までできるんだから」
興奮気味にひよりは語った。
そう言われると俺が時代遅れの人間みたいだが、事実だから致し方ない。これから先端に立つがな。フフフ……。CROSS・FANTASIAは一年前に販売されたらしいし。
「実況でも付いてるのか?」
ひよりは呆れたように、
「そんなのとっくにあるってば。今のなんて選手は本物に近いし、野球中継を観てる感覚なんだから。ダルビッシュや田中の雄叫びまで再現されてたし」
興奮する部分が多少ズレてるような気がするが、最近のゲームの進化は伝わってくる。
「ところで、オンラインで対戦っていうと、自宅で居ながらにして全国の人とできるのでいいんだよな? RPGじゃなくてもあるんだな」
「当たり前でしょ。今じゃオンライン対応は普通のことみたいだし。てゆーかかなめ、そんなことも知らなかったの?」
妹よ無知の兄を蔑むように座った瞳を向けるな。人間誰しも最初は無知だ。お前だってサッカーのオフサイドのルールをよく理解してないじゃないか。
「まあな、知ったのは最近の話だし」
「そなんだ。けど、ホントさ唐突過ぎじゃない? かなめがゲームをするなんて、余程しつこく誘われたとか?」
ひよりは俺の顔を興味深げに窺ってくる。
「そうじゃない。俺が話を聞いてやってみたいと思っただけだ」
「へえ」
ニヤケ顔で言いながらひよりは俺の周りをクルクルと歩き、一周して間近に顔を近づけてくる。しばし大きい瞳で見つめ、その目もニヤリと孤を形作ると、顔を放しズバリと指を突きつけた。
「その友達って女?」
「そうだが。ただの友達だ」
ここで下手に否定したり慌てたりすると、余計な誤解を与えかねないし淡々と答えてやった。
「そなんだ。けど、かなめに友達が出来るなんて凄いことじゃん」
「……まあな」
実はクラスの人気者なんだぜと強がりも無駄だろう。これまで俺の家に友達が来たことがあるのは一人だけだし。すぐバレる嘘だ。
「今日の夕食はあたしが作っとくから、かなめはゆっくり遊んでくれば。オンラインだしいっしょにやるんでしょ?」
ひよりはニコッと笑って言った。珍しい気遣いだが、俺は素直にその好意を受け取ることにした。ちなみにひよりの料理の腕は俺よりもあると認めざるを得ない。
俺は一言礼を述べて、早速始めるかと自室へ向かった。