第二十四話『仲間、見つけました(1)』
八月になった。月が変わろうとも、夏休みだろうとも俺の平々凡々な日常というのは大きく変わることはない。
小学生の頃、絵日記という宿題が出されたが、アレを毎日書くように言われたのは辛かったな。家で過ごすことが大半で特筆して書くことがなかったからな。
中学以降はなくなってよかったと本気で思う。おかげで夏休み最終日に記憶を頼りに埋めることがなくなったのだから。ただでさえ他の宿題で手一杯だしな。
ちなみに今年も過去の例に漏れず、未だ宿題はまっさらなままである。
絵日記といえば、俺の隣で夏の白熊のように机に突っ伏している伊織はどうだったのか気になった。失礼な想像だが、充実してそうではないだろう。見せ合いっこしたら、『あはは……』と反応に困り枯れた笑みを浮かべるしかなさそうな内容だと思う。
「なに?」
机に頬をくっつけたままこちらを胡乱なな目で見てくる伊織。その素っ気なさは昔からなのだろうか。
「あ、いや、宿題は終わったのか?」
HRまで時間もあるし、会話を広げることにする。こうして面と向かって話すのは終業式以来だ。ネトゲ内だと頻繁に話してはいたが。
「まだ」
「そうなのか。もう終わったりしてるかと思ったが」
ネトゲに集中したいとかいう理由で、纏めて片付けていても不思議じゃないと考えたが。
「そう早く終わるわけがないだろ。ラノベのキャラじゃあるまいし」
「……ああ、そうか」
意味が分からないが、敢えて深くは聞かなかった。夏に相応しい猛暑で不快指数が上昇中の伊織に聞くのはやめた方がいいと経験が告げている。
「じゃ、最終日に慌ててやるタイプか?」
「少年マンガのキャラじゃあるまいし、慌てるわけないだろ。時間はあるのに慌てるのはバカ以外の何者でもないな」
バカ認定されてしまったようだ。今更ではあるが。気付かずに蛇をつついてしまったな。
「じゃ、伊織はどんな風にしてるんだ?」
宿題を忘れても開き直りそうな性格に思えるが、伊織は普段の宿題でも無難にこなしている。仮病はあったが、基本的に素行不良ってことはないからな。下手に目立つのが嫌だからかもしれない。
「一日にやる量を決めてしている。最終日に丁度終わるように分割して」
「……そうなのか」
意外な計画性の高さに俺が感嘆していると、
「かなめはどうなんだ?」
なんで急にこんな質問を……と一瞬思ったが、流れからしたら極々自然なやり取りか。しかし、正直に答えるべきか答えざるべきかそれが問題だ。
「まあ、ぼちぼちだな」
と、適当にはぐらかして俺は視線外す。
視線を戻すと、伊織は俺の宿題の進捗具合など米粒ほどの興味もなかったらしく、窓側に顔を向けていた。
ちなみに今、俺は約四ヶ月間慣れ親しんだ教室にいる。補習というわけではない。それは間一髪で避けることが出来たし。
では、何故来ているかという今日が登校日だからだ。最近じゃ滅多に取り入れる学校もないと聞くが、創設者か校長が少数派を好むのか、夏休み中に登校日を設けているのである。
クラス内では小規模なグループで楽しげに話しているが、人数は三分の一といった具合だ。意外と多いほうだと思う。
出席日数にカウントされないし、強制力も薄いため、来る生徒は少ない。誰が好き好んで猛暑の中、夏休みだというのに来たいと思うだろうか。
ちなみに俺は去年も来ている。仲良し度微妙な友達と話したいとか、そんな理由ではなく、皆勤のためである。風邪なぞ滅多に引かない健康優良児な俺は小学四年より一切休んだことはない。
もっとも、今日出席せずともそれが途切れることはないのだが、どうせなら完璧を目指したいと来ている。……予定もないしな。
前述の通り、来るメリットはないに等しいため、この後で部活動に汗を流す生徒か暇な生徒くらいしか来ないのに、何故か、伊織が来ている。彼女の性格を把握しているものならばこの珍しさに、晴天でも雨の心配をするに違いない。
暇なら家でゲームをしていると言う確率九割は堅いであろう伊織が今日来ている理由は――
午前十時半。生徒達はそれぞれが部活か、炎天下の中帰路に着くのか、弛緩した動作で通り過ぎていく。
夏休みの中、学び舎に足を運んだ熱心な生徒達に用意されていたのは、ペラペラな数枚の問題用紙であり、黒板には大きく自習と書かれていた。
せっかく来たのだから、アイスでもサービスしてほしいものだと思いつつも、俺はギリギリに来た坂本と共に宿題を解いた。他の生徒も持参した宿題を片付けてるのが多いようで、プリントに手を付けてたのはクラス委員の佐藤さんなど数人しかいなかった。
とりあえず、鞄に入れっぱなしだった手付かずの宿題を効率よく減らすことができたのは来て良かったといえよう。
「……来ないな」
缶ジュースを片手に自販機前の壁にもたれながら伊織は不満げに言った。ちなみに自習中伊織は本を読んでいた。
「そうだな」
俺は二年の教室に続く廊下の角を見ながら言った。片手には缶コーヒー。
誰を待っているかというと、生徒会長、白羽小雪だ。以前にネットゲーム内で出会った“白雪”と酷似してる点があり、白雪=生徒会長というのを確かめるために校内に残っている。
隠れて様子を窺いネトゲをしてる証拠を得るなんて回りくどい真似をするつもりはなく、直接伺おうと思ったのだが、俺は白羽小雪のクラスを知らず、俺が知らないのなら俺以上に周囲に興味の薄い伊織が知る由もない。
なので唯一の情報である生徒会長を元に、生徒会室の通り道となっている廊下で待っているのである。
俺は最初から登校するつもりだったが、伊織が来た理由はこの白羽小雪との再びの邂逅が目的だからに違いない。じゃないと他に来た理由が見あたらないしな。
「ところで、伊織はこの先何か夏休みの予定とかあるのか?」
ただ待つというのもアレだし会話を振ってみた。
「かなめ、自分がされて嫌なことを他人にしては駄目だと教わらなかったのか?」
不快そうにガン付けるような瞳になる伊織。ここは『お前が言うことか』と華麗なるツッコミを入れるべきか迷ったが、
「ああ、悪かった」
確かに俺は会話のチョイスを間違えたと猛省するしかない。ここ三ヶ月間だけの伊織像から推測して、予定はないのはほぼ分かり切ったことのはずなのに。浅はかな選択だった。
予定がないと答える辛さを、俺は簡単に想像できる側にいるのにな。本当にすまなかった。
「で、かなめは夏休みに何か予定はあるのか?」
「今自分で言ったよな!? 自分がされて嫌なことは駄目だって!」
「一般論を述べただけだ。それに私は夏休みの予定を聞かれるのは嫌じゃないからな」
俺の謝罪を今すぐ返してほしい。伊織自身が嫌じゃない、か……その発想はなかった。人の価値観や性格によって結構嫌なことは違うってことか。……まあ、伊織の場合分かってて聞いてるんだろうが。
「ない。予定はほぼ白紙だ」
一応な。スケジュール帳に書いておくような大事な予定は今はない。泣いてなんかない。
「寂しい奴だな」
鼻で笑い伊織は言った。面と向かって誰かにそう言われたのは初めてだ。
「伊織はどうなんだ?」
せめてもの反撃のつもりで俺は訊ねると、
「花火と、祭りを見に行く予定だ」
あっさりと答える伊織に俺は驚愕した。
これは頭の片隅にも想像していなかった返答だった。花火と祭りというものは、誰かといっしょに行くのが普通であり、それは高校生ともなると一般的には友達かカップルで行くものであると聞いたことがある。
俺は誘われた覚えはない。
「……あ、そうか」
「どうしたかなめ? そんな悲しそうな顔をして」
怪訝そうに伊織は目を細める。
いや、想像すらしてなかった答えだったのと、俺と似た白紙の夏休みだろうと半ば決めつけていた分、伊織が一瞬で離れていってしまった感覚に捕らわれただけだ。
「いや。何でもない」
俺は平静を装って言った。
「かなめも行くのか?」
その質問は酷と言うものだ。
「一人はキツいだろ。さすがに」
苦笑して答えると、伊織は不思議そうに、
「何故? 普通は一人だと思うけど」
普通は少なくとも誰かと行くものだと思うのだが。子供でも大人でも、一人で行く方が珍しいと思う。楽しくもないだろうし。
「伊織はどうなんだ?」
「一人に決まっているだろ。……何故悲しそうな顔をするんだ?」
いや、当然のように言うものだから。祭りの賑やかな人混みの中を一人で歩く伊織を想像したら、思わず目頭が熱くなる。
「いや、他には何か予定はあるのか?」
このままだと俺は伊織を見ていられなくなりそうだったので、これ以上詳しくは聞かないことにした。
伊織は缶ジュースを飲み干して、空き缶を絶妙なコントロールでゴミ箱にシュートしてから、
「したいことは色々あるな。普段はできないこともできるからな」
「え?」
伊織の言葉の意味がすぐには上手く理解できなかった。夏休みに、普段はできないこと……一夏の経験。いや、ないか。
俺は頭を振ってそのフレーズを振り払う。さすがにそれはないな。伊織に限って。
「キャンプもいいかもしれないな」
「キャンプ!?」
あまりにも伊織からかけ離れた単語に俺は驚愕する。インドア派、それも飛びっきりのイメージしかない伊織からアウトドア発言が飛び出すとは。
俺が今まで伊織に抱いていた印象とは正反対で、俺の人を見る目を疑いたくなった。
「ガガプト山とか」
山でだと!? 近場のキャンプ場じゃなく山でとは、アウトドアに慣れている匂いがする。しかも聞いたことのない山だし、なんか通っぽいな。
「かなめも行く? 経験値効率は悪いけど」
「……え?」
誘われたのは喜びたいが、経験値とか言わなかったか今。確かに俺はアウトドア経験はないが……効率が悪いってなんだろうか。というか聞き覚えがあるんだが。
「あと周囲の雑魚のドロップアイテムにリング系がある。良付加だったら高値で売れたりするな。で、レアモンスターが――」
「…………あのさ、一ついいか?」
饒舌に語る伊織の言葉を手で遮り、俺は確認しようと訊ねた。
「なんだ?」
「……いつからネトゲの話になったんだ?」
「最初の方からだが?」
何を当たり前ことを言う風に伊織は答えた。
「最初?」
「かなめが私の予定を再度聞き返した辺りだな」
どうやら俺はとんでもない思い違いをしていたらしい。現実と仮想世界での話では大きく違う。というか、伊織が言った時点でその可能性を疑うべきだったか。
「花火と祭りって?」
「夏に開催されるイベントの一つ。花火は見るだけだけど、祭りの方はNPCが希少なアイテムが売ったりしてるし、PCも安で販売したりするのも多い。公式くらい確認しろ」
「じゃあ、キャンプというのは?」
「レアモンスターの湧き場に常駐して狩り続けることに決まっている。狩ってもドロップしなかったりするし、湧き時間も数時間はザラだからな」
さも常識のように語らんでくれ。キャンプと聞いて、ネトゲ内の言葉を思い浮かべる方が難しいだろ。
「まさか、かなめはリアルで私がすると思ってでもいたのか?」
俺の頭痛がしてるかのような表情を見てか、半眼で伊織が聞いてくる。
「普通はそう思うだろ」
「……普通は、か」
伊織は悲しげに伏し目がちになり、少し間を置いてから、
「だったら普通に考えたら私がそんな予定はないと分かるはずだけど? それとも、かなめにはあるようにでも見えてるのか? だとしたら真・バカだなかなめは」
口元を緩ませていつものように悪態を付く伊織。
「いや、それは」
正直に答えるのもどうかと思い、言いよどんでいると、
「……別に私は気にしてない。今はネトゲがあるしな」
それでいいのか……と呆れ気味に言いたくなったが、伊織は窓へと視線を向けやや憂い気味な空気を漂わせていたため、
「そうか」
と、俺は一言だけ返し、少し温めの缶コーヒーを飲むことにした。飲み干して空になった缶を伊織のようにシュートしたが、枠に嫌われて甲高い音を立て廊下に転がった。
「ヘタだな」
拾いに行く俺の背中に鼻で笑う伊織の声。
「……うっ」
何も言い返す言葉が浮かばない俺。
「あの、ちょっと時間あるかな?」
そして、第三者の声。
拾った空き缶を普通に缶入れに捨て、声の方を向く。
そこには、生徒会長が涼しげな笑みを浮かべて立っていた。