二十三話『バハルム』
その国は異質な雰囲気を感じさせていた。周囲を白く包み込む霧と、立ち並ぶ家々が、石造りではなく木でできた平屋がまばらにあるだけだからかもしれない。少々寂しい風景だと思った。
システム面でのデメリットも大きいが、このうら寂しさもここ、バハルムという名の小国にプレイヤーが所属したがらない理由の一因になっていると俺は推察する。
『かなめ、何を立ち止まっている? トイレか?』
入り口付近まで来て歩みを止めた俺を訝ってか、伊織は言った。
『いや、ちょっと感慨深いものがあって。ようやくたどり着いたっていうか』
所属国をここにすると決断してからまだ一ヶ月ではあるが、レベルを上げたり、ここまでの道のりを思い返すと、少しこみ上げてくるものがある。
『私はそうは思わない。何度も来ているし』
そういや、伊織のメインキャラもここに所属してるんだっけか。まだ見たことはないが。
『伊織のメインキャラの方はこの村にいるのか?』
『そうだったと思う』
基本的にキャラクターはログアウトすると、次にログインした時はその場所からスタートし、状態も維持される。戦闘不能なら倒れたまま、という風に。
『今度見せてくれないか?』
『面倒くさいな』
『いや、ちょっと変えてくるだけだろ』
『それが面倒くさい。かなめだから』
『俺だから!? 俺だと余計な手間でも掛かるというのか……』
『何だ自覚してるのか。この会話も面倒くさい。行くぞ』
そう言い放ち伊織は入り口の木のアーチをくぐっていった。
『こんにちは! バハルムへようこそ!』
アーチをくぐると近くにいた人物がいきなりそう言った。
茶色の短髪に地味な色のシャツとズボンという出で立ちをした、いかにもNPCといった風情ではあるが、名前の表示からして彼は誰かが操るPCの一人だ。
『こんにちは』
なので律儀に俺は挨拶を返した。相手が感情ある人な以上それが礼儀だ。
が、彼は棒立ちのまま無反応。
『カナメ、何をしている。早く行くぞ』
伊織が急かしてくるが、
『いや、もう少し待ってくれ』
『そいつはもう何も言わない。一度入り口から出ない限りな。そういうルールがあるみたいだし』
『どういうことだ?』
『分かり易く言うと、そいつは村人Aに成りきっている。RPGで町の入り口にいるような奴だ』
全然分かり易くない。それは野球知らない奴にゲッツーだったとか言うようなものじゃないのか。
『今のように迎えるのが役目ってことか?』
『そう』
『何故そんなことを?』
『さあ。楽しいからかもね』
にべもなく伊織は言った。
『俺にはよく分からないが』
『私もだ。さっきの金色バカもそうだけど、見ての通りここには変な奴が多い』
金色バカ=ゴウ。だというのは敢えて考えるまでもないか。
わざわざ不便なこんな寂寥感しかない国に居を構えようとする輩だ、変人が集まるのは納得……かもしれない。オンラインゲームでも過度な交流を拒み、人の少ないここにした伊織もいわばそちらにカテゴライズされるかもしれないが、俺は余計なことは言わなかった。
国に所属する手続きが出来る建物を目指し、国の中心部の猫の額ほどの広場を横切って進む途中、伊織の言葉を証明するかのような人々を見かけた。
ジェスチャーを組み合わせて、盆踊りとブレイクダンスと原住民の豊作祈願の舞いをごちゃ混ぜにしたような創作ダンスを踊り続ける者。
道ばたに正座し、ゲームの世界観に合わせた創作物語を語り続ける者。観客は数人。
プレイヤーが開いている露店を覗いて見ると、各種動物のフン専門店。感性を疑ったが……栽培に役立つアイテムではあるらしい。
女性キャラクターをナンパする金色の男……いつの間に戻ってきたんだ。
そんな奴らを横目に国の奥へと進んでいくと、石造りの王宮へとたどり着いた。
大きさは高級住宅街の一戸建てといった感じで、立ち並ぶ石の柱は所々欠け、お世辞にも立派とは言えない建物だった。人が住んでるかどうかも怪しいくらいに汚い。
中に入ると甲冑に身を包んだNPCの兵士が入り口を見張っていた。が、話しかけてみると、
『……ZZZ』
寝ていた。職務怠慢だ。
『辺境の小国で敵対国もない平和な国という設定だから。平和ボケな感じが良く出ている。こんな国でも台詞を使い回さないのは細かいとは思わないか?』
兵士の側に立つ伊織が言った。
『そうなのか?』
『国も数多くあるし、普通は台詞が適当になってもおかしくないと思うし。あと、攻撃を加えると襲ってくるけど、その強さも他の国と比べると弱くなっているのも細かい。経験不足を表しているな』
饒舌に語る伊織。もし、直接話せたなら喜々とした様子で喋るのだろうか。聞いてみたい気もするが、俺には今一どう反応していいのか不明だ。感心する程のことなのか。
奥に行くと、少しばかり小綺麗な間に着いた。赤い絨毯が敷かれ、脇の石柱には松明が煌々と灯っている。その先には、絢爛豪華――とは言い難いが上質な一人掛けソファといった椅子に腰掛ける老人と、傍らには槍と盾を持った甲冑姿の髭面の男が睨みを利かせている。
『王の前では粗相の無きよう』
髭面の男。名前はガーシェンというらしい。先に話しかけてみるとそう言った。
『そ、そうっすか』
と、俺は返した。当然ながら含み笑いすら漏らさない。NPCだから仕方ない。
『カナメ……もし、ガーシェンが反応できたなら瞬殺されてるぞ』
『何故だ?』
意味の分からないことを言う伊織。何も怒らせたり、失礼なことはしていないが。
『ガーシェンはゲーム内でも屈指の強さ。レベル99でもパーティを組まないと勝てる可能性はないと言われてる。組んでも可能性は低いみたいだけど』
『さっきの兵士もそうみたいだが、戦えるのか? ダンジョンやフィールドでもないのに』
『一部のNPCなら戦える。システムとかクエストに関わるのは無理だけど。倒したら一週間消失する。PK扱いになるからやる人は少ないけど』
『そうなのか』
『こんな田舎国に最強クラスの側近がいるのも面白いと思わないか? こんな隣に棺桶でも用意したほうがいい老爺に仕えるような人材じゃないだろうし。理由があるかもしれないけど、公式設定はないから想像するしかない』
どう返していいのか分からんが、失礼だというのは分かった。
俺は目の前で無礼なことを言われても、動じてない寛容かもしれない国王に話しかけた。
国王はすぐに反応はせず、数秒してから緩慢に顔を上げ、
『……? 何か言ったかのう? もう一度言ってくれんか?』
会話は終わった。
失礼ながら、手がプルプルと震え、シワだらけの顔、おまけに耳まで遠いとなるといつポックリといってもおかしくないように思える。いかにも国王という立派な白髭と白髪ではあるが。禿げる血筋じゃないようだ。
仕方ないので、もう一回話しかける。
『……? ワシが格好いいじゃと? 世辞はいらんわい。じゃが、昔はモテたのう……あれは確か、六十年前の夏の日じゃった……』
言ってねえよそんなこと(多分)。昔語りを始めた国王を無視しつつ、
『この人でいいんだろうな?』
俺は訝しげに伊織に尋ねる。国に所属するにはその国のトップに話せばいいらしいが、会話が成立しそうにない。
『五回話せ。それで話が通じる』
『五回もかよ』
『国王は重要キャラだから倒すことはできない。残念なことに』
その後、二回も長ったらしい無駄話を聞いてから無事に国に所属することができた。ちょっとばかり俺も倒せないのが残念と思ってしまったが。
プロフィール画面を開くと、今まで空欄だった四角い枠の部分に、国のシンボルマークが表示されている。国に所属している証だ。
雲を薄くした霧を表すマークをバックに優美に翼を広げる白い鳥がバハルムのシンボルだ。
次にステータス画面を開くと、各種スタータスに微量ながらボーナスが追加されていた。劇的に強化されたわけじゃないが、少し嬉しい気分になる。
『大国と比べたら雀の涙だけど』
容赦なく伊織がその気分を吹き飛ばしてくれる。
『そうなのか?』
『今だと三倍程度。献上したポイントで上がってく階級と比例してボーナスも増えてくけど、いずれ十、二十倍くらいの差が付く。国の規模で使える専用スキルも今はないからな』
聞けば聞くほど、ぬか喜びだったと思えてくる。けれども知ったうえで決めたことだから、今更詐欺られたと喚くつもりはないが。
『伊織はホントにここでよかったのか?』
既にメインキャラの方がここに所属してるのだから、サブキャラであるネピアは別の国にしてもよかったんじゃないかと思うが。
『相乗効果があるからな』
『どういうことだ?』
『同アカウントで作成したキャラの所属国が同じだと、それぞれにステータスボーナスと、他キャラのスキルを一つ追加できる。例えば、ネピアの魔法を私のメインで一つだけ使えるようになるとかだな』
それは結構なメリットがあるな。攻撃魔法は魔力とMPが心許なかったりするだろうが、補助魔法は魔力によって威力が変化するのは少ないし。
『とりあえず、これで俺も国の兵士となったんだな!』
『まだ民でしかないけど。むしろ、ここからが本番といっていいかもしれない。ポイントの使い道もできるわけだし』
『そうだな。これからが真の冒険の始まりってわけか』
『……それ、終了フラグ』
今日の目的も果たして、特に他にすべきこともなく広場へと戻ってきた。
他の街と比べると閑散とした広場には、先ほど注目した人たちがまだいた。落語のようにチャットながらも抑揚を付けて語られる物語は佳境に突入しているようだった。金色の男は中央の噴水でうなだれていた。
『伊織、登録は済ましてきたの?』
プレイヤー観察とばかりに視線を動かしていると、こちらに近寄ってきた女性が声を掛けてきた。
パープルのストレートヘアで、スタイルの良さを惜しげもなく見せつけるような露出度の高い格好をしている。色気をムンムンと放つお姉さんといった風体。
『まあ』
素っ気なく返す伊織。見知った顔のようだ。名前はレミアとある。
『見たところ魔導士みたいだけど、あっちと相性悪いんじゃない?』
『一応、MPリカバリーとかはあるし、まだ覚えないけど』
『そこまで有用じゃなくない? あたしならライフキープにするけど』
かろうじてスキルについての話ということしか分からない。俺の入る隙間は一ミリもないな。
『そこまで考えてなかったからな。考えててもシスターは好きじゃないし育成しなかったと思うけど』
『パーティじゃないと効率悪いしね。伊織には向いてないか』
回復職はパーティだと重宝されるが、単独の戦闘力は低いらしいからな。パーティを好まない伊織向きとは確かに言えない。
『で? そっちがカレシ?』
……俺のことか? 少し前に同じ風な勘違いをされたばかりだが。
『違う。赤の他人だ』
いや、伊織さんそれは少しばかり否定しすぎだと思うが。
『そうなの? じゃ、友達?』
『その一つ下くらいだな』
首肯して言う伊織。友達の一つ下……というと知人、顔見知りかね。
『フフ、そうなの』
訂正して一つ上ですと言おうかとも思ったが、レミアさんは伊織の性格を理解しているようで、そう発言した。表情を付けるならば訳知り顔で艶っぽい笑み、といったところだろうか。
『で、アナタは男の子ってのはホントなの?』
これは俺に聞いてるのか。俺のことまで知ってるということは情報はゴウからだろう。
『そうですが』
正直に答えると、レミアは俺の前に来て耳元に顔を寄せて来て、
『頑張ってね。アドバイスならするわよ』
囁き会話でそう励まされた(?)どういう意味だろうか。というか、その動作は必要ないと思うが。
『それにしても、伊織も知り合いがいるんだな』
失礼な話だと思うが、ゴウといい、レミアさんといい伊織と仲がいいみたいだし。少しばかり意外だ。
『そう? ここじゃかなり有名なんだけど』
レミアさんは意外そうに言った。
『そうなんですか?』
『そうよ。強さもあるけど、一番はその性格よね。特にMっ気がある人に人気で、罵られ隊なんてのが結成されてたりして』
『……それ、初耳なんだけど』
伊織が言った。
『言ってないしね。ま、気負わずに凝った言い回しは考えずいつも通りにね。それが彼らの望みだから』
『考えとく』
へえ。やっぱり伊織はゲームを長い間してるだけあるな。と、俺は微笑ましい会話を見つつ感心するのだった。
こうして今日の目的は果たしてゲームを終了した。