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第十六話『夏休み、入りました』

 七月下旬。

 俺のクラス――いや、恐らくは学校全体の空気が弛緩し、今に厳かに佇む左右対称の校舎までどちらかに傾くのではなかろうか、と三割くらい本気で不安に思ってしまうのは、窓から飛び込む真夏の熱光線と、期末テストの結果が発表されて一日後、今日が終業式だからに違いない。

 俺がガヤガヤと夏の予定表を埋めるのに騒がしい教室内を、頬杖を突きながらボケッと眺めていられるのは、めでたく補習を回避できたからに他ならない。

 教室内には五月病が二ヶ月遅れてやってきたみたいに青ざめた生徒は一人として見あたらず、このクラスには貴重な夏休みを補習に充てる不運(努力不足ともいう)な奴も、陰湿なイジメもないであろうことが第三者からも分かると思う。

 中間テストでは、補習候補生となりうる点数だったのが何人か見受けられたが、どうやらこのクラスは、やれば出来る奴らが集まっているらしい。

 かく言う俺もその中の一人になるか。テスト勉強の甲斐もあり、赤点を免れることが出来たのだった。勉強に充てた時間は裏切らないのだと喜びたいところではあるが、今一喜びがたい理由が隣に。

「…………あつ……」

 隣、窓際最後尾の席に顔を向けると、長い黒髪を机から垂らした生物が弱々しい声を漏らしていた。

「厚揚げでも食べたいのか?」

 黒い生き物は机に伏せて顔をゆっくりとこちらに向け、

「かなめ、黙れ」

 絞り出すような小ささながらも、ドスの利いた声で伊織は言った。その表情は憔悴していて、額には汗が浮かび黒い髪がべっとりと引っ付いている。

「……大丈夫か?」

 声と睨むような目つきに少したじろいだが、さすがに心配だ。ただでさえ日当たりの抜群な窓際なのと、量のある黒髪が熱を吸収してるであろうことも相まって、暑いというより熱いが適切なくらいの体感温度になってそうだ。端から見ると黒髪がキラキラとブラックダイアのように輝いて奇麗だが。

「……あと少しの辛抱」

 パクパクと陸に打ち上げられ魚のように口を動かし、伊織は言った。

 それそろ帰りのホームルームが始まりそうだから無理だが、後で冷えたジュースでも奢ってやるか。赤点回避のお祝いを兼ねて。

「それにしても、大躍進だったな」

 俺は少しでも気を紛らわしてやるかと会話を振る。

「……当然の結果」

 机に頬をくっつけたまま疲弊した表情で、伊織は驕った発言をした。

 伊織のテスト結果はというと、赤点ラインギリギリどころか、あと少しで総合得点が学年トップ20に入る位置まで来ていた。百位以下の圏外からの急上昇である。

 中でも暗記系問題は完璧といっていいくらいだった。記憶力に自信があるというのは伊達じゃなかったわけだ。

「真面目に勉強すれば学年一位も狙えるんじゃないか?」

 テスト期間中は連日家に来て、半分勉強半分ゲームしていたが、全て勉強につぎ込んで順位キープの俺はなんだろうな。生まれ持った才能があるということを信じざるを得ないのか。

「一位になっても意味はない」

「……まあ、確かに」

 俺は残念ながら一位は運動でも勉強でも無縁だったが、なったところで大した意味はないだろう。

「赤点にならない程度に勉強して、その分をネトゲに充てたほうが有意義だ」

「……とことんネトゲ主体なんだな」

 俺は呆れ気味に嘆息する。

「私はまだ甘い方だぞ」

「は?」

「一日中ネトゲをしてるような人もいるし」

「仕事か学校はどうすんだよ……」

「……一日中ネトゲをしていてできるわけがないだろう。かなめは暑さで脳が解けたのか?」

 いつもの口調にも刺々しさがなく、伊織は再び顔を伏せた。

 信じがたい話ではあるが、あってもおかしくないかもしれない。

 俺がここ二ヶ月毎日のように数時間をネトゲにつぎ込んでも、最大レベルにはほど遠いレベルだのに、最大にして、なおかつ貴重な装備で固めた人がいるみたいだし、仕事や学校を休んでまでプレイしてる人がいるのかもと思った。

……現に伊織もそうしてたこともあったし。

 だが、ネトゲに乗り込むあまり日常を犠牲に――それも生活に関わることを怠るのは駄目だろ。世間はレールを外れた人間には酷く冷たいものだしな。……多分だが。

 数年後になっても、伊織がゴミに埋もれた部屋で黙々とパソコンに向かう姿は見たくないぞ。……容易に想像できてしまったんだが。

 と、伊織の未来を心配していると、ガラガラと教室のドアが開く音が響き俺は前を向いた。

 伊織は伏せったままだった。




「今日はいつ来れる?」

 一学期最後のホームルームが終わって、俺は伊織を連れて自販機前まできた。

 余程暑さに参っていたらしく、フラツいた足取りで、思わず手を引いてここまで連れてきたが、冷えたジュースを一気に飲み干すと元気を取り戻したようで、厚かましくも二本目を要求してそう聞いてきた。

「ログインのことだろ?」

 俺は二本目の小銭を投入しながら聞き返し、

「それ以外になにがある」

 伊織は炭酸ジュースのボタンを押して当然のように答えた。

「帰ったらすぐにでも行けるが」

 予定は何もないしな。帰ってもダラダラするつもりだったし。まあ、俺にとっての夏休みは家事に専念することくらいしかないがな。

「だったら、すぐに来い」

 命令形で言い放ち、伊織は炭酸を喉へと流し込む。俺も買ったカフェオレを飲み、

「そうするが、何をするつもりなんだ?」

「バハルムに行くんじゃなかった? かなめはテスト勉強し過ぎて、記憶を無くしたのか?」

 脳の記憶容量のほとんどをテス勉に使用していたから、無くしてないと断言できないが、

「大丈夫だ覚えてる。確か所属する国を選択できるようになるまでストーリーを進めればいいんだろ」

「そう。大体はモンスターを倒して特定のアイテムを集めるクエストだから、手伝ってやる」

「いいのか?」

「ネピアもまだ進めてなかったし。二人の方が早く済むし。あと三日しかないからな、昼なら人も少ないと思う」

「何がだ?」

 伊織は嘆息して冷めた瞳を向ける。

「公式ホームページくらい見たら」

「今度な。で、何が載ってたんだ?」

「今ならストーリークエストクリアで得られる経験値が二倍になる。あと、アイテムも貰えるみたい」

「ホントか?」「……それって」

 ふいに第三者の声が聞こえ、伊織と怪訝そうに顔を見合わせてから、声がした方を向くと、胸の前でファイルの束を抱えた女子生徒が驚いたように口をぽかんと開いてこちらを見ていた。

 肩下までの長さの栗色の髪。顔立ちは可愛いというより綺麗という方が相応しいくらいに整っている。

 というか、なんか既視感があるな。誰だっけか……

「あ」

 俺たちの視線を受けて、女子は慌てたように首を振り、

「いえ、な、何でもありませんけど」

 慌てたように固めの笑みを浮かべて言う。さっき聞こえたのは間違いなくその声だったが。

「本当になんでも……あっ……」

 念を押すように片手を振りながら言うと、抱えていたファイルがスルリと腕から抜けて床に落ちた。

 女子は慌ててしゃがみ込んでファイルを拾う。こちらにも非があるような気がするし無視するわけにもいかず、俺も屈んで拾い集めるのを手伝う。伊織も立ったまま近くにスベってきたのを拾っている。意外に体が柔らかいんだなとどうでもいいことに俺は感心した。

「……生徒会」

 落ちた拍子に開いたファイルに閉じられた紙に書かれていた一文を見て俺は呟く。生徒会に関することの書類らしい。それで既視感の謎がするりと解けた。

「すみません、ありがとうございます」

 集めたファイルを受け取り、女子は丁寧に頭を下げて礼を述べる。

「……あ、いや、気にしないで、ください」

 緊張して上手く言葉が紡げない。

『当然のことをしたまでさ。ハハハ』と紳士的に言いたかったが、しょせんは空想。本来の俺は人付き合いは不得手な野郎だ。

 隣にいるのが坂本なら任せて黙っていたところだが、今いるのは俺以上に苦手としていそうな伊織だ。俺が返さなければ互いに黙ったまま微妙な空気が流れただろう。

「失礼します」

 もう一度頭を下げて、女子は俺たちの脇を小走りで通りすぎていく。あっちには確か生徒会室があったはずだ。俺には無縁な場所だが。

「……なんだ今のは」

 女子が廊下の角を曲がるのを見送ってから伊織は言った。

「さあな。よく分からない会話してたから気になったとかじゃないか?」

 オンラインゲームの話なんて第三者が聞いたら分からないだろうし。

「何故気にする必要があるの?」

 伊織は訝しげに首を傾げる。

「まあ、生徒会長だし、素行とか注視するものかと思ったから」

 そういうのは主に風紀委員の管轄だろうが、生徒会長も気を配ってはいるものかもしれない。

「今のが生徒会長なのか」

 初めて知ったという風に伊織は言った。

「……終業式でも見ただろ」

 確か壇上で夏休み中の注意事項などを述べていたはずだ。

「覚えてないな。聞いてなかったから」

 聞けよとツッコみたいところだが、俺も突っ立っていただけで、ロクに話を聞いていない。校長の中身のない話が終わる頃には眠気に耐える方に神経を集中していたし。

 先ほどの女子が生徒会長だったこともファイルを拾うまでは気付かなかった。

「それにしても夏休み前なのに、忙しいみたいだったな」

 生徒会がどんな仕事をしているのか知らないが、ファイルの数と束ねられてた書類らしき紙の厚さが凄かったしな。

「大方ポイントでも稼ぎたいんじゃない」

「ポイント?」

「頑張ってるアピール。自分が一番じゃないと嫌だという性格かも。生徒会長になったのもそのためとか」

「……なんだその分析は。さっき会った限りだとそんな印象は受けなかったが」

「もしくは、真面目を装って隠してるけど、公言しがたい趣味があるか」

「どんな趣味だよ」

「オタクとか」

 考える間もなく言って、伊織は炭酸ジュースを飲み喉を鳴らす。

「……伊織は生徒会長に嫌な思い出でもあるのか。学校を良くしたいという純然たる志があると何故信じない」

「別にないけど。あくまでも私の想像だし。最近のアニメでそんな設定のキャラを観たから可能性の一つとしてあるかもしれないと思っただけ」

「アニメかよ」

「ない話ではないとは思うけど」

「ないだろ」

 生徒会長に確認を取るまでもないくらいに言い切れる。早々アニメのキャラと同じような設定なんてあるわけがない。

「……かなめの妹は十分にアニメっぽいと思うけど」

「? 何か言ったか?」

「……何も。かなめは生徒会長のことは詳しいのか?」

「いや。二年が生徒会長を務める決まりらしいから、同学年なんだろうが、クラスは違うみたいだしよくは知らないが」

「それなのにないと言い切るのか、かなめは」

「一般的のイメージを言っただけだ」

「そう。ところで、名前は知ってるの?」

「そういや、知らないな」

 生徒会長であることは思い出したが、名前は記憶にない。壇上で名乗ったんだとは思うが、聴覚は活動を半ば休んでいたからな。

「生徒会長の名前も知らないのか」

 フッと伊織は鼻であざ笑う。

「伊織はどうなんだよ」

 生徒会長であることすら知らなかっただろ。

「私が知るわけがないだろ。興味ないし」

 当然のように言い放つな。少しはゲーム以外に興味を向けたらどうだ。

 というか、二人して生徒会長の名前を知らないとか失礼な話のような。あの美貌と清楚さからして校内の知名度は高そうだし。

……興味を広げるべきなのはお互い様か。


「白羽小雪」


 そんな声が聞こえ、自販機の影から出てきたのは坂本だった。

「いつから居たんだよ……」

 自販機の横の壁辺りにいる俺たちからは、死角にはなってはいる。だが、俺たちから反対側の自販機の影には、普通に歩いていたら通らないだろうし、隠れるように会話を聞いていたとしか思えん。

「生徒会長走り去った辺りからだな」

「何故、隠れる必要があるんだ?」

「何となく、だな」

 真夏だのに涼しげな微笑を浮かべて坂本は言った。クーラーは必要なさそうだ。

「まあ、別にどうでもいいが。なんださっきのは」

「さっき? ああ、白羽小雪しらは こゆきってのは生徒会長の名前だ」

「そう」「へえ」

 俺と伊織が同時に言った。

「本当に興味なかったみたいだな」

 坂本は苦笑する。

「いや、突っかかりは取れたから感謝くらいはするぞ。何も奢らんが」

 知らなかったら夕飯の献立を考えるまでは、頭に引っかかっていただろうし。

「というか、生徒会長、白羽小雪をここの生徒で知らない奴はそうはいないんじゃないか? 何かと話には聞くしな」

「……誰かと話すこともないが」

 お前か伊織くらいだが、坂本にはその辺りの話題は振られた覚えはないし、伊織とはネトゲ話しかしない。あれ、悲しくなってきたぞ。

「……私も」

 そう同調する伊織の表情には微妙に陰りが見える。意外にショックだったのか?

「そんなに有名なのか?」

 俺が聞くと、坂本は「ああ」と頷いてから、

「品行方正で成績も学年トップ。そして何よりはあの美貌だからな。それを鼻に掛けることもなく人当たりもいいらしい。生徒会選挙で満場一致に近い得票数だったのがそれを証明してるか。というか、投票用紙が回ってきたはずだが」

「興味なかったから白紙で出したが」

「私も」

「そうなのか」

 坂本は呆れも、驚きもせず納得したように言った。

「とにかく凄い人なのは分かった」

 成績学年トップというだけでも俺からしたら十分凄いし。試験結果はいつも下から名前を探すから、名前を聞いても知ることはなかっただろうな。

「……完璧すぎて、余計に怪しいな」

 顎先に指を当てて考えるような仕草をして、伊織は言った。刑事ドラマのアリバイじゃないんだし、そんなことはないと思うが。……ファイル落としたのは少し抜けている所があるとのかとは思うが。

「マンガだったらあり得るかもな」

 可笑しそうに坂本は言い、

「ま、秘密があろうとなかろうと、優秀で人望厚い生徒会長なことは事実だけどな。じゃ、オレは行くわ」

 軽く手を上げて颯爽とした階段を降りていく坂本。近くにいた女子がその姿に目を奪われたように立ち止まっている。

 アイツにも何かどん引きするような秘密があればいいが、長い付き合いだというに残念ながら見つからない。悔しいが、仕方ない。

「アニメとか観てると、完璧なキャラは話が進むに連れ、完璧が死に設定になってたりするけど」

 飲み終えた空き缶を見事なコントロールでゴミ箱に投げ入れ、伊織はこちらを向かず独り言のように漏らした。

「気を付けた方がいいかもね」

「……何をだ?」

 その意味が理解できずに俺は首を捻り、空き缶を放った。外した。




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