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第十四話『テスト勉強、始めました』

 日曜日。この日曜日は今年度過ごしたどの日曜日よりも重要で、次の月曜日はどの月曜日よりも憂鬱だ。

 俺が選挙に立候補する時は、マニフェストに期末テストの根絶を掲げよう。全国の落ちこぼれ高校生の支持を集められるだろう。選挙権ないが。

 そもそもテストという制度自体が必要ない。点数で人を判断するな。友達の多さで人を判断するな。

「……ふう」

 そんな現実逃避をしていても仕方ない。

 俺は部屋の掃除を再開する。

 これは決してここ数日の参考書とのにらみ合いから目を逸らすための行為ではない。

 これからこの部屋に初めて訪れる友人がいるから、片付けているだけだ。普段より念入りにな。

 ガラス製の机は丁寧に磨かれ、これまたガラスクリーナーを吹きかけて拭かれた窓から入る真夏の日射しを反射している。

 絨毯も一心不乱に粘着ローラーを何往復もさせ、ペットの毛一つない。ペット飼ってないが。

 さて、伊織はこの美しい部屋を見たら、片付けの素晴らしさに目覚めるのではないだろうか。二週間くらい前に伊織の部屋に久々に行ったときは、時間が俺が初めて来る前に巻き戻ったかと思えるような惨状だったが。

 俺は一旦部屋の外に出て、部屋全体を見回して満足げに頷く。時計を見ると始めてから二時間が経っていた。

 いやはや、熱中して時間の感覚がなくなっていたらしい。念を押すが決して逃避ではない。伊織も綺麗な部屋で勉強したほうが捗るだろうと思って、貴重な時間を割いていただけだ。……ほら、あまり根詰めてやるのも逆効果になりかねないし、息抜きも大事だし……


――ピンポーン


 何の変哲もない呼び鈴が階下から聞こえた。

 恐らくは伊織だろう。向かいに行く必要もないくらいに近い距離だから、直接来ることになっていた。

 俺はもう一度部屋を見渡し、招き入れるに問題がないのを確認してから階段を下りる。時計は約束した時間の五分後を指していた。

「はーい!」

 下りる途中、ひよりの元気のいい声が聞こえた。リビングにくつろいでいたひよりが一足先に玄関に向かったに違いない。

 別に、俺にバレたら人々の視線が南極大陸のように冷たくなるやましい秘密はないが、ひよりが余計なことを言わないか不安に駆られ、俺は早足で玄関へと急ぐ。

「ほぇ〜」

 リビングから玄関を繋ぐ廊下へと出ると、ドアを開けたひよりが気の抜けた声を上げた。俺は思わず足を止める。

 ひよりより頭一つ背が高い伊織と目があった。一日のうち九割は浮かべているであろう見慣れた無表情。首を僅かに傾げた。

「あ、えっと、かなめの友達ですよね?」

 興味深げに伊織を見上げていたひよりがハッとして聞いた。今日は友達とテスト勉強に勤しむから邪魔をするなとは予め忠告してある。面識のある坂本なら相手が坂本だと伝えるし、勘の良し悪しは関係なく、その相手が以前に探られた新しい異性の友人だとは気付くだろう。

 伊織は俺にちらっと視線を向けてから、ひよりを見て首肯した。

「早崎伊織。かなめの……友達。一応」

 少し緊張してるような固い声で伊織は名乗る。一応というのが気に掛かるが、まあいいか。

「伊織さんですね。あ、どうぞ。かなめなら――あ」

 ニコニコと人懐こい笑みを浮かべてひよりは伊織を迎えて、ようやく俺に気付いた。俺は玄関へと歩み寄る。

「よう」

 ひよりの手前というのは関係なく、どう挨拶したらいいか困り、俺は片手を上げて素っ気なく言う。

「こんにちは」

 俺は正直驚いた。始めて伊織からまともに挨拶を返されたのだから。学校じゃ『おはよう』と言っても『……おはよ』と寝起きのような小声でしか返さないのにな。

「じゃあ、俺の部屋に行くか」

「そう」

 と、伊織は言って、片手に下げた紙箱を俺へと差し出した。

「あ……これ」

「マカマカの!」

 俺が受け取った紙箱を見て、隣でひよりが嬉々とした声を上げる。顔を見ると瞳が宝石のようにキラキラと輝いている。

 このデザインの紙箱を使う店のスイーツはひよりの大好物だ。

「別に気を使わなくてよかったんだが」

 単に勉強するだけだしな。坂本ならフリーパスで入ってくるし。

「それがマナーだと見たから。ネットで」

「そういうのは目上の相手の家に訪問する時のマナーだと思うが」

 約束の五分後に来たり意外に律儀なんだな。それともどんな風にしたらいいか分からなかったのか。友達の家に来たのは初めてなのかもしれないし。

「そうなのか」

 伊織は理解したように言い、

「かなめは何も持ってこなかったけど?」

「え……俺、目下に見られたのか!?」

「冗談」

 素っ気なくそう返し、伊織は靴を脱いで家に上がる。

「お邪魔します」

「ああ。と、ひより、これ冷蔵庫にでも入れといてくれ」

 ケーキが入った紙箱をひよりへと渡す。

「あ、うん」

 受け取ったひよりは紙箱に視線を落として数秒。迷ってるような目だったのを見て、俺は伊織に、

「何個買ったんだ?」

「五つ」

 俺の家族分と自分のといったところか。

「じゃあ、一つだけ食べてもいいぞ。一つだけだからな」

 念を押しとかないといざ食べようとしたら空の箱しか残ってなかった。ということが本気であり得るからな。

「ホント!? ありがとうございます」

 ひよりは真夏の太陽のように眩しい笑顔になり、伊織へと勢いよく頭を下げてから台所へと駆けていった。

「かなめに似てないな」

 一瞬で奥へと消えた方を見ながらぼそりと伊織は感想を述べた。確かにあのハツラツっぷりは俺にはないものだし、容姿も俺とは似てるとは言い難い。性格は父似で容姿は母から受け継がれたといった所だ。

「そうかもな」

 俺は苦笑し、

「義理?」

 俺は吹き出した。唐突に何を言い出しますかあなたは。

「血は繋がってるに決まってるだろ」

「そうか。残念だったな」

 何が残念なのか俺には伊織の考えが理解できなかった。


 俺の部屋を見た伊織は特に感想を述べることもせず踏み入ると、短めのスカートを押さえつつゆったりとした動作でベッドのそばにしゃがみ込み、這いつくばるようにその下をのぞき込んだ。

 俺はいっしょに持ってきたジュースとコップを置きながら、その様子を黙って見守る。はてさて何を探しているのやら。小銭でも落としたのだろうか。

 入念にベッド下を見回した後、伊織は顔を上げ、

「ない」と一言。

「何がだ?」

 俺は分からない風を装い聞いた。見当は付いている。

「エロ本」

 恥ずかしがることもなく堂々と伊織は答えた。

「少しは濁せよ……」

「女の裸が満載の雑誌」

「……余計に駄目になったな」

 伊織はなおも証拠を探す捜査員がごとくベッド周りを入念に調べている。

「なんで、そんなもんを探してんだ? まさか、読むつもりじゃないだろうな」

 読むより見るといった方が正しいだろうが。

「隠しアイテムは見つけたくなるのがゲーマー」

 真剣な顔で伊織は言う。この気持ちは理解できなくて当然だし、あまり理解したくないな。

「それが役に立たない、例え無用の長物でもね。……ま、かなめの弱みを握れるかもしれないし、あながち無駄ともいえないかも」

「いや、無駄だぞ。幾ら探そうとも出てこないからな」

 自信満々に言いながら、怪しい品を隅々まで捜索されても悠然とした態度を崩さない会社社長の気分が分かった気がした。

 そうだ。実はある。

 俺は健全な思春期真っ盛りの男子だ。一冊だけだが所持してはいる。他にも数冊あったのだが、以前に帰宅したら机の上に置かれていたことがある。

 犯人は母――ではなくひよりだった。頻繁に無断で入ってくるから隠し場所には受験勉強以上に頭を悩ましたが、妹の勘の鋭さを見誤っていた。

 その後の関係は、発見された本の処分によって保つことが出来た。そして、唯一難を逃れた一冊が残った。

 勘のいいひよりでも見つけられなかったソレを伊織に見つけられるわけがない。

「そう。アナログな物は持ってないのか。あるとしたら」

 と、伊織は机上のノートパソコンに視線を向けた。

「まあ、そうだな」

 俺はアッサリと認める。以前に疑惑を掛けられ結局否定しなかったしな。実際は何かと危ないと聞くし、そこまで活用してるわけじゃないが、下手に説明して現物探しを続けられるよりはいい。

「そう」

 淡々とした様子で伊織は探すのを諦め、テーブルの前に置かれたクッションに座る。

「つか、それよりも今日はやることがあるだろ」

 話を打ち切るように俺は言い、伊織の対面に座る。今日は朝から勉強に集中していたから必要な物は既に置かれている。

「分かってる」

 伊織は脇に置いていた手提げバッグを探り、ノートではなく、折り畳み式の機械を取り出し、目の前に置く。

「何だコレは」

 俺は置かれた鮮やかなピンク色の機械を指す。電子辞書だろうか。

「マンテンドー3DS」

 満天堂といえば有名なゲーム会社だとは知っているし、こうして実物を間近では初めてみるが、人気の携帯ゲーム機を販売していることもニュースで見たことがある。それはいい。

「勉強しに来たんだよな?」

 確認するように俺は聞いた。

 今日は期末テスト直前の最も重要な日だ。今日を疎かにただの日曜日として怠惰的に過ごした者は明日泣くことになる。

 俺より中間の総合点が悪かった伊織がゲームにかまけてる余裕はないはずだが。現に最近はログインしていなかったし。

 ああ、単に確認しただけだ。もし伊織が遊んでいたら注意するつもりで。決して集中力がないわけではない。

「当たり前。そういう約束だったけど? もしかして……かなめは別の目的で呼んだのか?」

 と、伊織は表情は無感情のまま、自分の体を守るように胸の辺りを腕で隠す。押さえつけているせいで白磁のような腕が胸に僅かに沈み込み、それに合わせて柔らかく形を変える――むにゅり――そんな擬音が似合いそうな……って違う。

「別のことをするつもりなのはそっちだろ。ゲームなんかしてる場合か」

「かなめは本当に知識に乏しいな」

 伊織はゲーム機を手にとってゲームソフトを取り出し「ん」と、小さなソフトの表面を見せつけてきた。俺は目を凝らしてそれを見る。

「“燃えたん”?」

 俺は炎をバックに赤い文字で書かれた(見づらい)タイトルを読んだ。毛先が凶器になりそうなくらいにツンツンと尖った赤い髪が特徴的な、少年漫画の熱血キャラっぽい少年がペンとノートを持っている絵も描かれている。

「なんだコレは?」

「かなめはボキャブラリーがないな」

 確かに二度目の『なんだコレ』だけども、他にどんな反応を見せればいいんだ。

「……な、な、なんだコレは!?」

 試しに驚愕の表情を浮かべてみた。

「英単語を学べるゲーム」

 淡々と伊織は言った。俺の驚愕はしまっていいか? 必要なかったみたいだし。

「これでか?」

 疑わしき品を見るように俺はソフトを眺める。

「ストーリー形式になってて、熱い展開に燃えながら自然と英単語が身に付いていく。と売り文句にある」

「こんなので身に付くのか?」

「かなめは頭が固いな。最近はゲームで学べる時代。真剣ゼミでも取り入れてるらしいし」

 真剣(と書いてマジと読む)ゼミでもか。わりと有名な通信教育教材だ。

 ダイレクトメールで届けられる販促のマンガには、真剣ゼミを始めただけで、冴えない少年がクラスの人気者になって人生の勝ち組に成り上がるという、いわば使用前使用後の広告的な胡散臭さがあったな。

「なんか余計に疑いたくなってきたんだが」

「実際、役立つとは言えない」

 伊織はあっさりと認めた。

「所詮ゲームだし」

 続けて言い、ゲームを鞄にしまい変わりに伊織はノートと教科書を出してテーブルに置き、スカートのポケットからヘアゴムを取り出して、邪魔にならないようにだろうか長い黒髪を後ろで一つに束ねた。

「……なに?」

 俺の視線に伊織は怪訝そうに目を細める。

「いや、なんでもない」俺は首を振って「じゃ、始めるか!」

 俺は慌ててシャーペンを持ち、ノートを開いて視線そこに落とす。チラリと伊織を窺うと、教科書を開いて早速始めようとしている。


 いわゆるポニーテールにした伊織の印象は、普段と五十度くらいは違っていた。

 纏めたことで、いつもは黒髪に隠れがちで暗い印象を与えている顔がよく見えるようになり、整った顔立ちがより分かる。

 もし、この姿で登校したならば一日にして伊織のイメージは改善するのは間違いない。

――つい、見とれてしまっていたことは否定できない。

 俺は勉強の方に集中できるのか不安になりながらも、ペンを走らせた。



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