第十一話『はじめてのPK』
「ひどいな……」
唐突の出来事にしばし憮然と画面眺めていた俺が、ようやく漏れた言葉がこれだ。
カナメが広大な砂漠でうつ伏せに倒れて熱砂を噛んでいる。
迷ったあげく水をくれと嘆き苦しんだ成れの果てではなく、砂漠の村アクアンの入り口が画面端に映り、まさに目と鼻の先なのだが、もうカナメには起きあがる力はない。
HPが尽き果ててしまっているから。
これはモンスターにやられたという訳じゃない。この辺りのモンスターに苦戦はしなかったし、こちらから攻撃しない限り安全なモンスターだけだった。
じゃ、誰にやられたかって?
『千人切りのキャベツ』に俺は倒された。
通り名っぽい名前を付けてるそいつに。キャベツなら千切りじゃないのか!? と名前にツッコんでる間のあっという間の出来事だった。
さて、少し振り返ってみようか。
またセントラルからここまで来るのは骨が折れる。一旦休息が必要だ。
――――――
一週間ほど狩りに費やしてレベル十五になったカナメは、十五レベルになると受諾できるクエストに挑戦することにした。
このクエストはクリア時に入手できる経験値が高く、三レベルは上がると伊織からのアドバイスにより受けた次第だ。
ネピアのレベルには変化はなく、このクエストを終えればレベルの差異はほぼなくなるに等しい。伊織は何も言わないが、上げずに待っていてくれているのは分かる。
そのクエストの内容は、いわゆるお使いクエストで依頼者から渡された小包を、指定された人物に届けるというものだった。
これだけの説明だと一見簡単に思えるだろうが、その人物の下に至るまでの道程が困難を極める。
一つの山を超えるだけなのだが、デスマウンテンと名付けられるだけあって、命が幾つあっても足りないくらいに超えるのが厳しい。
その理由としてモンスターの凶悪さが上げられる。レベルは平均20とさほど差はないのだが、その強さはレベル50に相当するとは伊織情報。
そんなモンスターが幅の狭い山道に溢れているため、避けるのは不可能に近い。
モンスターが強いわりに得られる経験値は低く割り合わないため、好き好んで狩りに来るプレイヤーも皆無で、沸き時間の隙間を狙って通り抜けることもできない。
こんなクエストを十五から受けれるなんて、バランスがおかしいと愚痴りたくもなるが、これは多数のプレイヤーが各自意志を持って動き回るMMORPGである。
自分一人では無理ならば、誰かと協力すればいい。
レベルの高いプレイヤーにモンスター倒してもらいながら進むという方法が、低レベルでクリアするには一般的らしい。
その相手は知り合いに頼むか、街などで全体チャット(同マップにいる全員に届く)を用いて探したりすることもできる。無償の手助けをしてくれるプレイヤーもわりといるらしい。
幸運にも俺の知り合いに頼りになるであろう人がいたため、協力を要請すると、
『自分でやれアホ』
『いや、無理だって言ったのはネピアだろ』
『困難とは言ったが無理だとは言ってない。もしかしてカナメは漢字が読めないのか? 困難だ。百回くらい書いて覚えたどうだ?』
『こんなん読めるに決まってるだろ』
……やや間があって、
『色々とカナメが可哀想だから、一つアドバイスしてやる――』
何故、哀れられたかは分からないが、アドバイスを参考に俺はデスマウンテンに向かった。他の人に協力を求める手もあったが、ああ言われては意地でも一人で超えるという気概だ。
デスマウンテンは登山道と洞窟によって構成されている。少し登っては洞窟に入り、また少し登っては洞窟――と複雑な造りになってはいるが、山の向こう側へ抜けるだけならば迷うほどではない。
少し登ると早速モンスターが視界に入った。二人分くらいの幅しかない山道を活発に動き回っている。
無理を承知で端を伝って通り抜けようとしてみた。万が一にも発見されないかもしれない。
……そう甘い話はなく。カナメを視界に捉えたモンスターは、すっとこちらに近寄るとカマキリのような腕を振るって攻撃してきた。カナメは瞬時にモンスターに体を向ける。
ガキンと高い音が響いた。
「よし」
俺は片手で拳を握り小さくガッツポーズをした。そして、カナメはそそくさとモンスターが攻撃の硬直時間で立ち止まってる間に距離を離す。ダメージはない。
『カナメは剣士だろ』
ネピアの一言アドバイスはこうだった。
『一介の高校生だが』
『そのことをよく考えてみたら』
バトル漫画の主人公の師匠のような断片的なアドバイスを残してネピアは消えた。
ジョブレベルが十五になるとクラスチェンジが可能で、以前にしてもらった育成指南通りに剣士を選んだ。
戦士の時より全体的な能力が底上げされ、中でも防御力と体力は見違える数値になった。装備可能な防具も増えて、盾もその一つだ。片手が塞がるため武器は片手用しか装備できなくなり、与えるダメージはやや下がるが、それを補うメリットは当然ある。
盾は防御力が上がるほかに“正面からの攻撃を一定確率で防ぐ”効果がある。その確率は、盾の種類やスキルに依存し、この時は十五パーセントだった。
要するに盾で攻撃を防ぎながら、駆け抜けてくという強行突破作戦である。
もちろん。全ての攻撃を盾で防げるわけはなく、十五パーセントではむしろ運良く防げたら御の字という意味合いが強い。
なので、殆どの攻撃は当たっているのだが、ここでも剣士というのが幸いする。
戦士から派生していく剣士系のジョブはパラディンに次いで防御力が高い。そのためここのモンスターの攻撃でもHPを半分程度減らされる程度で済む。
減ったHPを回復アイテムですぐに補い、モンスターを振りきっていくのが主な方法だ。
ちなみに防御力は、物理と魔法に分かれている。物理は殴られる、斬られる、撃たれるなどの武器や体術による攻撃のダメージで、魔法は火球や雷などの魔法によるダメージを指す(そのままだが)。
剣士は物理防御に優れる反面、魔法防御は低いのだが、デスマウンテンに出現するモンスターは物理攻撃しかしてこない。
以上の理由から剣士は一人でこのクエストを遂行するのに適しているといえるだろう。
「ふう」
デスマウンテンを抜けた先は砂漠が広がっていた。
アイテム欄いっぱいにあった回復アイテムは底をつき掛け、気の休まる暇はなく強く握っていたコントローラーは手汗がびっしょりと付いている。
周囲の安全を確認し、カナタを地面に座らせて体力を自然回復させてる間に、俺は手汗を拭い緊張で堅くなった体をほぐすように伸びをする。
再びコントローラーを握り、一路砂漠の街アクアンへとカナメはひた走る。
モンスターにも襲われることはなく、マラソンランナーのようにひたすら砂漠を横断し、ようやく町の入り口までもう少しというところで、
「ぶっ……ゲホゲホッ!」
目を疑うような出来事に俺は飲んでいたコーヒーで咽せた。少し机が汚れたくらいで済んだが、それよりも俺の視線はパソコンの画面に向いた。
背後に突然影が射し怪訝に思った瞬間、俺のHPは一気に半分以下に削られていたのだ。
愕然としながらも、振り向いて背後を見た俺の行動は今にして思えば正しかったとは言いかねる。無視して町へと駆け込めば助かったかもしれない。が、この時の俺に冷静な思考と知識はなかった。
目の前に映ったのは、身の丈はある柄の先に、薪どころか丸太を叩き割るために適したような鈍色の大きな刃が付いている斧。
それを両手でヨッコラショと持ち上げているのは分厚い鎧に身を包んだプレイヤーで、キャラ名は――
「千人じゃなくて千切りにしろよ!」
操作を忘れツッコミを入れてる間にカナメへと斧は振り下ろされた。
『ざまぁwww雑魚がww』
ネーミングセンスのない千人切りはそんな言葉を吐き捨て、カナメを踏みつけながら町へと入っていった。
これは罵倒されてるのか? wって何だ?
以上。こうしてクエスト達成目前でカナメは力尽きたのである。
「ふぅ……」
回想して気持ちを切り替えようとしたが、上手く行かなかったようだ。
消費した回復アイテムを補充して再度の山越えを考えるだけで気が滅入る。
ここでやめてもよかったが、就寝時間にはまだ早い時間だ。俺は倒れたままチャットを飛ばす。
『伊織、今いいか?』
ゲーム内だとキャラ名で呼び合うのが取り決めだが、間違ってはいない。ネピアはあくまでもサブキャラの名前で、メインキャラの名前が伊織なのである。
『なに』
まず素っ気ない返答がきて、
『PKにでもあった?』
訳の分からないことを聞いてきた。
俺は首を傾げてると、一つ浮かんだ。
『ああ、2010年のワールドカップは惜しかったよな』
『……何の話?』
『もしかして見てないのか?』
スポーツ全般にあまり興味なさそうだしな。こないだの体育でやったソフトボールでも、バットを持った人形のように突っ立ってるだけで見逃し三振してたし。
だが、体操着姿でよりスタイルが強調された伊織に、俺含む男子の視線を釘付けにはしていた。こういう時だけ注目しやがってと、目潰しをくれたくはなったが。
『カナメのつまらないボケを意図的にスルー出来なかったのは悔しいけど、おおかたカナメは砂漠で別のプレイヤーに倒された。違う?』
『何故それを』
倒されたら視点が真上からに固定されるから周囲の様子は僅かしか窺えないが、視界の外から伊織が倒れるカナメを見て嘲笑してんじゃないのかと疑いたくなる。
『あの辺りはPKが出ると掲示板で見たことあるから。そのクエストで訪れるプレイヤーを狙う悪趣味なのが』
『つまり、あのキャベツがPKってやつなのか』
『……キャベツ? 名前が赤かったらそう』
記憶を探る。一瞬の出来事だったがツッコみたくなるくらいに印象的な名前だったからよく覚えている。
『ああ。赤かったな』
『PKはプレイヤー・キラーの略。プレイヤーを意図的に倒すプレイヤーのこと』
まだ説明を求めてなかったが、聞くつもりだったのを先読みされたか。やるな。
『意図的って、マナーとしてどうなんだ……』
わざと攻撃されて良い気分になる奴なんざいないだろう。
『あんまり好まれてはいないけど、システムとして運営も認めてる。PKもプレイスタイルの一種』
『随分と嫌なプレイスタイルだな。ただの嫌がらせだし』
町まで一歩手前までたどり着いたプレイヤーを切り倒すなんて、伊織の言うとおり趣味が悪すぎる。
『ああいうのはごく一部。PKは悪役プレイだけど、不快にさせないよう配慮してる人もいるし。それにPKできるマップは限られてる。大きな街の周辺は不可能だし。カナメのいる場所は町から出てすぐがPK可能マップの珍しい例だけど』
『配慮するくらいなら、PKしなければいいんじゃないのか』
『その辺りはプレイスタイルの違いだから理由は本人に聞いたら? 一応、PKにもメリットはあるけど。倒したプレイヤーからアイテムを奪えたりとか』
『俺は何も奪われなかったが』
『奪う価値のあるアイテムがなかったからだと思う。それに今回のは奪うのが目的じゃなかっただろうし。低レベルプレイヤーの邪魔をしてストレス解消するクズみたいだし。最低な部類。垢BANされればいい』
酷いこと言われてるなキャベツは。けど、こっちは被害者だから同情はしかねる。垢BANの意味は分からんが。
『メリットは分かったが、デメリットはあるのか?』
『そっちの方が多い。分かり易くいうと、犯罪者という扱いになって、色々と制限される。ほとんどの街に入れなくなったりとか』
『それはキツそうだな』
街に様々施設が揃ってるし、それらが利用不可能になるのは重いペナルティだ。
『これは僕の推察ですが、もしかするとPKにでも襲われましたか?』
伊織との会話途中に、不意に第三者の言葉がチャットウィンドウに表れる。白文字だから、カナメの近くにいるであろうプレイヤーのものだ。画面内には姿は映ってないが。
『誰かに話しかけられた。すまんが、話は一旦中断で』
まず伊織に伝える。電話中に来客があった気分だ。
『そう』
伊織の返答を見てから、俺は近くにいるであろうプレイヤーにチャットを返す。
『そうみたいです』
『それは災難でしたね。よかったら蘇生しましょうか?』
『え?』
蘇生ってどういうことだ。
『HPが無くなったプレイヤーを復活させる魔法があるんです。デスペナはありますが、その場で復活することができますよ』
俺の浮かんだ疑問を読んだかのように、ショウ(チャット欄で名前は分かる)は説明してくれた。
『できたら、お願いします』
そう言うと、カナメを白い光が包みこみHPが少しだけ回復し、カナメは起きあがった。
復活したことで視点を動かすことができるようになり、周囲を探ると、ショウと頭上に名前があるプレイヤーを見つけた。
金髪に端正な顔立ち。白銀の鎧を着ており水色なマントが風にはためいている。見るからにレベルの高そうなキャラだ。
『ありがとうございます』
助けてもらい礼を述べるのは社会でもゲーム内でも基本のマナーだ。
『いえいえ。じゃ、僕はこれで』
回復魔法をカナメに使ってくれてから、ショウは村へと入っていった。
PKにあったばかりだったからか、俺はいい人もいるんだなと感銘を受けた。またPKに遭遇しないとも限らないし、追いかけるように村へと入った。
『辻レイズか。運が良い』
再び伊織へと会話をし、起きた出来事を伝えるとそう言った。
『辻レイズ?』
『通りすがりに回復や補助をかけること。感謝されたい人が自己満足でよくしたりしてる。ちなみにこのゲームでの蘇生魔法の名称はレイズじゃないけど、浸透してる名称だからそう呼ぶ人が多い』
『そうなのか。ところでパラディンって蘇生魔法も覚えるのか?』
先ほど蘇生してくれた人のジョブがパラディンのようだった。名前の横のアイコンで知ることが出来るのだが、白い盾であったから、恐らくはそうに違いない。
『パラディンは覚えない。蘇生魔法はハイクレリック……司祭からの派生……でジョブレベルが50必要』
ということはハイクレリックを育ててからパラディンになったのか。時間がかかりそうだ。俺もパラディンとしていずれは覚えたいもんだな。
サッと登場して蘇生して立ち去る様は、実に格好良かったしな。
『カナメ、辻レイズした人の名前はわかるか?』
何でそんなことを聞くのかは分からないが、答えても問題はないだろう。
『ショウ』
『それだけ? 余計な記号は付いてなかった?』
『ああ。確かにショウだけだった』
そう返すと、伊織からの言葉はすぐには返ってこなかった。いつも早打ちガンマンがごとく余計な罵倒を添えて即座に打ち返してくるのだが。
俺は首を傾げてから、チャットウィンドウをさかのぼる。一定の量までなら過去の会話が記録されており、恩人であるショウとのやり取りもまだ残っていた。間違いなく、ショウ。それがあの人の名だ。
『カナメは運がいい』
間を置いて伊織からまず来たのは二度目の『運がいい』か。今日の朝にテレビでやってた星座占いは最下位だったんだが。
『そりゃあ、もう一度ここまで来る手間が省けたのは運が良いとは思うが』
『【白騎士】ショウ。CROSS・FANTASIAで有名なプレイヤーの一人』
『有名? 芸能人が操作してるのか?』
『違う。強いキャラとして有名。少し考えたら分かると思うけど』
『そうなのか』
『パラディンをメインとしてるキャラでは最強クラスと言われてる。プレミアム武器“エクスカリバー”をずっと所持し続けてるみたい』
『プレミアム武器って何だ?』
『ゲーム内に一つしか存在しない武器。性能はトップクラス。手に入れるには持ち主から貰うか、PKか決闘で奪い取るしかない』
『決闘?』
『……そのうち分かる』
説明が面倒くさくなったんだな。後で検索サイトを用いて自分で調べるか。
『俺はそんなプレイヤーに助けてもらってたのか』
十万人(サーバー別に分けられるから正確にはもっと少ないが)の中からそんな凄そうな人に助けられたのは確かに運がいいかもしれない。
『俺も、あんなパラディンになりたいもんだな』
颯爽と現れ助けて、名前も告げずに去る(頭上に表示されてるが)そんなパラディンを俺は目指したい。
『ま、有名なのはゲーム内だけで、現実はどうなのかは知らないけど』
『え?』
『強いのはゲームにその分時間を割いているってことだし。リアルな時間を犠牲にしてるから、多分友達は少ないと思う』
なんか、あこがれのスターの私生活が暴かれたような気分になった。
『そうとは限らないだろ。上手く両立してるかもしれないじゃないか』
『私より総合レベル高いみたいだし、あり得ないな』
妙に納得できる理由だったから閉口するしかない。
『ところで、クエストは終わった?』
『今報告するところだ』
今日中の達成は諦めてたが、ショウのおかげで本当に助かった。
『そう。じゃ、やっと私に追い付くのか』
『ああ。やっとパーティ組めるな』
『考えとく』
『そか。今日はクエスト終らせたらやめるけど、今度頼む』
『ところでカナメ』
『なんだ?』
『私は友達が少ない』
俺はきょとんとなった。伊織の友達は多分俺だけ(坂本はどうだろう)なのは知っているが、自虐だろうか。何故今そんなことを言うんだ?
『略して、はがな――』
俺は慌ててチャットウィンドウ閉じた。直感が見るな、と。そう告げていた。