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どす恋♡プリンセス

作者: 小宮 麻綾
掲載日:2026/10/28

 この国のお姫様は、恋をしたことがなかった。


 縁談なら山ほどあった。隣国の王子、若き騎士団長、遠い国から訪れた美貌の貴公子。どの男も姫の前では膝をつき、甘い言葉を並べた。


 けれど、姫はいつも退屈そうにあくびをした。


「お父様。わたくし、強い殿方が好きです」


「ほう! では、剣の腕が立つ者を選ぼう」


「いいえ」


「馬術に優れた者か?」


「違います」


「では、何が望みなのだ?」


 姫は扇子を閉じ、きっぱりと言った。


「相撲ですわ」


 国王は三日間、寝込んだ。


 この国では相撲は神聖な競技だった。かつて建国の祖が大地に四股を踏み、悪しき魔物を地の底へ封じたという伝説がある。


 以来、相撲は王国の誇りとなっていたが、王族の結婚相手を決める基準にまでなったことはない。


「姫よ、考え直してくれ。王族には王族の務めがあるのだ」


「ですから、わたくしが優勝者と結婚すればよいのです」


「何の大会のだ!」


「来月の王国相撲選手権ですわ」


 国王は天を仰いだ。


 しかし、姫の決意は固かった。


 そして大会当日。


 王都の闘技場には、国中から屈強な力士たちが集まっていた。


 その中に、ひときわ異彩を放つ者がいた。


 純白のまわし。金糸で縁取られた化粧まわし。頭には小さな王冠。


 そう。


 お姫様本人である。


「なぜじゃあああああ!」


 国王の絶叫が、闘技場に響き渡った。


 姫は土俵の中央で優雅に一礼した。


「ごきげんよう。皆様」


 対戦相手の大男が鼻で笑う。


「お嬢ちゃん、ここは遊び場じゃねえぞ」


「まあ。わたくし、遊びで来たつもりはありませんわ」


「泣いても知らねえぞ!」


「ご心配なく」


 姫は腰を落とした。


 その瞬間、闘技場の空気が変わった。


 姫の足が土俵を踏みしめる。


 ドンッ!


 砂が跳ねた。


 もう一度。


 ドンッ!


 観客席の杯が震えた。


 姫の目から、気品ある微笑みが消えていた。


「……参ります」


 立ち合い。


 大男が突進する。


 姫は一歩も退かなかった。


 両手で相手の胸を受け止め、腰を入れ、全身の力を一点に集める。


「どす恋ぃぃぃぃぃっ!」


 次の瞬間、大男の巨体が宙を舞った。


 ドッシャアアアアン!


 土俵の外まで転がった大男は、白目をむいて動かなくなった。


 静寂。


 やがて、誰かが叫んだ。


「姫様の勝ちだああああ!」


 闘技場が揺れた。


 姫は乱れた髪を整え、何事もなかったかのように扇子を開いた。


「次の方、どうぞ」


 その日、姫は並みいる力士を次々と打ち破った。


 決勝戦の相手は、三年連続優勝の大横綱。


 身長は姫の二倍。体重は三倍。握力は岩を砕くほど。


 横綱は姫を見下ろし、静かに言った。


「姫様。私は、あなたを倒すわけにはまいりません」


「なぜですの?」


「あなたは王族。私が勝てば、国の面目が立たぬ」


「それは違いますわ」


 姫は土俵の中央を指さした。


「ここでは身分も血筋も関係ありません。強い者が勝つ。それだけです」


 横綱はしばらく姫を見つめていた。


 やがて、深々と頭を下げた。


「……承知いたしました」


 立ち合い。


 両者がぶつかった瞬間、闘技場の床がきしんだ。


 横綱が押す。


 姫が耐える。


 横綱がさらに押す。


 姫の足が、土俵の縁へと近づいた。


 観客たちは息をのんだ。


 そのとき、姫の脳裏に父の言葉がよみがえった。


 ――王族には王族の務めがある。


 そうだ。


 自分は、この国の姫なのだ。


 国民の期待を背負い、王国の未来を担う者なのだ。


 ならば。


「負けられませんわあああああっ!」


 姫は腰を落とし、横綱の腕をつかんだ。


 そして、必殺の一手を放った。


「王家直伝! 姫君返し!」


 横綱の巨体が、ふわりと浮いた。


 次の瞬間、土俵に轟音が響いた。


 勝負あり。


 姫の優勝が決まった。


 国王は泣いていた。


 臣下も泣いていた。


 観客も泣いていた。


 誰もが思った。


 この国の未来は明るい、と。


     *


 優勝から三日後。


 国王は姫を呼び出した。


「姫よ。約束どおり、優勝者であるお前には結婚相手を選ぶ権利がある」


「ありがとうございます、お父様」


「それで、誰を選ぶのだ?」


 姫は少し頬を赤らめた。


「決めておりますわ」


「ほう! やはり、あの横綱か? それとも準優勝の若き力士か?」


「いいえ」


 姫は窓の外を見つめた。


「行司の方です」


「行司!?」


「ええ。あの方、立ち合いの前にいつもわたくしの目を見てくださったのです。誰よりも公平に、誰よりも真剣に」


 姫は胸に手を当てた。


「わたくし、初めて恋をいたしました」


 国王は椅子から転げ落ちた。


 しかし、行司本人は困惑した。


「恐れながら姫様。私は妻帯者にございます」


「……まあ」


「それに、私の娘は姫様と同い年でございます」


 姫はしばらく黙っていた。


 やがて、扇子をぱちんと閉じた。


「そうですか」


 その表情に、悲しみはなかった。


「では、次の大会までに、もっと強くなりますわ」


「姫様、何のためにですか!?」


「もちろん!次の恋を探すためです!」


国王は、椅子から転げ落ちたまま天井を仰いだ。


姫は晴れやかに笑った。


「次こそ、わたくしを夢中にさせてくださる殿方に出会えますように!」


 その日から、姫はさらに厳しい稽古を始めた。


 朝は四股を千回。


 昼はぶつかり稽古。


 夜は恋愛小説を読みながら、相撲の技を研究した。


 やがて王国には、こんな言葉が広まった。


 恋に悩む者がいれば、こう言うのだ。


「落ち込むな。姫様だって、土俵際から何度でも立ち上がる」


 そして、誰かが恋に破れたときには、皆が拳を握って叫ぶ。


「どす恋!」


 それが、この国で生まれた新しい愛の言葉だった。


――翌年の王国相撲選手権の開催日。


 姫は朝からそわそわと落ち着かない様子で、出場者の名簿を眺めていた。


「さあ! 今年はどんな方がいらっしゃるのかしら!」


 目を輝かせる姫の隣で、国王は深いため息をついた。


「姫よ……婚約者を探すのではなかったか……」


「もちろんですわ、お父様!」


 姫は名簿をぱたんと閉じ、満面の笑みを浮かべた。


「ですから、まずは強さを確かめませんと!」


「そういう問題ではないのだが……」


 国王の嘆きなど、姫の耳には届いていなかった。


 やがて、闘技場に姫の声が響き渡る。


「さあ、皆様! 今年も張り切って参りましょう!」


今年も、王国相撲選手権の幕が上がる。


ただし、毎年の相撲選手権では、行司が姫の試合だけ少し緊張するようになったという。

理由は誰にもわからない。


行司は今日も、真剣な顔で軍配を構える。


「はっけよい……のこった!」


恋も相撲も、出会いは一期一会。


 こうして王国の歴史は、今日も平和に、そして少しだけ騒がしく続いていくのだった。

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