どす恋♡プリンセス
この国のお姫様は、恋をしたことがなかった。
縁談なら山ほどあった。隣国の王子、若き騎士団長、遠い国から訪れた美貌の貴公子。どの男も姫の前では膝をつき、甘い言葉を並べた。
けれど、姫はいつも退屈そうにあくびをした。
「お父様。わたくし、強い殿方が好きです」
「ほう! では、剣の腕が立つ者を選ぼう」
「いいえ」
「馬術に優れた者か?」
「違います」
「では、何が望みなのだ?」
姫は扇子を閉じ、きっぱりと言った。
「相撲ですわ」
国王は三日間、寝込んだ。
この国では相撲は神聖な競技だった。かつて建国の祖が大地に四股を踏み、悪しき魔物を地の底へ封じたという伝説がある。
以来、相撲は王国の誇りとなっていたが、王族の結婚相手を決める基準にまでなったことはない。
「姫よ、考え直してくれ。王族には王族の務めがあるのだ」
「ですから、わたくしが優勝者と結婚すればよいのです」
「何の大会のだ!」
「来月の王国相撲選手権ですわ」
国王は天を仰いだ。
しかし、姫の決意は固かった。
そして大会当日。
王都の闘技場には、国中から屈強な力士たちが集まっていた。
その中に、ひときわ異彩を放つ者がいた。
純白のまわし。金糸で縁取られた化粧まわし。頭には小さな王冠。
そう。
お姫様本人である。
「なぜじゃあああああ!」
国王の絶叫が、闘技場に響き渡った。
姫は土俵の中央で優雅に一礼した。
「ごきげんよう。皆様」
対戦相手の大男が鼻で笑う。
「お嬢ちゃん、ここは遊び場じゃねえぞ」
「まあ。わたくし、遊びで来たつもりはありませんわ」
「泣いても知らねえぞ!」
「ご心配なく」
姫は腰を落とした。
その瞬間、闘技場の空気が変わった。
姫の足が土俵を踏みしめる。
ドンッ!
砂が跳ねた。
もう一度。
ドンッ!
観客席の杯が震えた。
姫の目から、気品ある微笑みが消えていた。
「……参ります」
立ち合い。
大男が突進する。
姫は一歩も退かなかった。
両手で相手の胸を受け止め、腰を入れ、全身の力を一点に集める。
「どす恋ぃぃぃぃぃっ!」
次の瞬間、大男の巨体が宙を舞った。
ドッシャアアアアン!
土俵の外まで転がった大男は、白目をむいて動かなくなった。
静寂。
やがて、誰かが叫んだ。
「姫様の勝ちだああああ!」
闘技場が揺れた。
姫は乱れた髪を整え、何事もなかったかのように扇子を開いた。
「次の方、どうぞ」
その日、姫は並みいる力士を次々と打ち破った。
決勝戦の相手は、三年連続優勝の大横綱。
身長は姫の二倍。体重は三倍。握力は岩を砕くほど。
横綱は姫を見下ろし、静かに言った。
「姫様。私は、あなたを倒すわけにはまいりません」
「なぜですの?」
「あなたは王族。私が勝てば、国の面目が立たぬ」
「それは違いますわ」
姫は土俵の中央を指さした。
「ここでは身分も血筋も関係ありません。強い者が勝つ。それだけです」
横綱はしばらく姫を見つめていた。
やがて、深々と頭を下げた。
「……承知いたしました」
立ち合い。
両者がぶつかった瞬間、闘技場の床がきしんだ。
横綱が押す。
姫が耐える。
横綱がさらに押す。
姫の足が、土俵の縁へと近づいた。
観客たちは息をのんだ。
そのとき、姫の脳裏に父の言葉がよみがえった。
――王族には王族の務めがある。
そうだ。
自分は、この国の姫なのだ。
国民の期待を背負い、王国の未来を担う者なのだ。
ならば。
「負けられませんわあああああっ!」
姫は腰を落とし、横綱の腕をつかんだ。
そして、必殺の一手を放った。
「王家直伝! 姫君返し!」
横綱の巨体が、ふわりと浮いた。
次の瞬間、土俵に轟音が響いた。
勝負あり。
姫の優勝が決まった。
国王は泣いていた。
臣下も泣いていた。
観客も泣いていた。
誰もが思った。
この国の未来は明るい、と。
*
優勝から三日後。
国王は姫を呼び出した。
「姫よ。約束どおり、優勝者であるお前には結婚相手を選ぶ権利がある」
「ありがとうございます、お父様」
「それで、誰を選ぶのだ?」
姫は少し頬を赤らめた。
「決めておりますわ」
「ほう! やはり、あの横綱か? それとも準優勝の若き力士か?」
「いいえ」
姫は窓の外を見つめた。
「行司の方です」
「行司!?」
「ええ。あの方、立ち合いの前にいつもわたくしの目を見てくださったのです。誰よりも公平に、誰よりも真剣に」
姫は胸に手を当てた。
「わたくし、初めて恋をいたしました」
国王は椅子から転げ落ちた。
しかし、行司本人は困惑した。
「恐れながら姫様。私は妻帯者にございます」
「……まあ」
「それに、私の娘は姫様と同い年でございます」
姫はしばらく黙っていた。
やがて、扇子をぱちんと閉じた。
「そうですか」
その表情に、悲しみはなかった。
「では、次の大会までに、もっと強くなりますわ」
「姫様、何のためにですか!?」
「もちろん!次の恋を探すためです!」
国王は、椅子から転げ落ちたまま天井を仰いだ。
姫は晴れやかに笑った。
「次こそ、わたくしを夢中にさせてくださる殿方に出会えますように!」
その日から、姫はさらに厳しい稽古を始めた。
朝は四股を千回。
昼はぶつかり稽古。
夜は恋愛小説を読みながら、相撲の技を研究した。
やがて王国には、こんな言葉が広まった。
恋に悩む者がいれば、こう言うのだ。
「落ち込むな。姫様だって、土俵際から何度でも立ち上がる」
そして、誰かが恋に破れたときには、皆が拳を握って叫ぶ。
「どす恋!」
それが、この国で生まれた新しい愛の言葉だった。
――翌年の王国相撲選手権の開催日。
姫は朝からそわそわと落ち着かない様子で、出場者の名簿を眺めていた。
「さあ! 今年はどんな方がいらっしゃるのかしら!」
目を輝かせる姫の隣で、国王は深いため息をついた。
「姫よ……婚約者を探すのではなかったか……」
「もちろんですわ、お父様!」
姫は名簿をぱたんと閉じ、満面の笑みを浮かべた。
「ですから、まずは強さを確かめませんと!」
「そういう問題ではないのだが……」
国王の嘆きなど、姫の耳には届いていなかった。
やがて、闘技場に姫の声が響き渡る。
「さあ、皆様! 今年も張り切って参りましょう!」
今年も、王国相撲選手権の幕が上がる。
ただし、毎年の相撲選手権では、行司が姫の試合だけ少し緊張するようになったという。
理由は誰にもわからない。
行司は今日も、真剣な顔で軍配を構える。
「はっけよい……のこった!」
恋も相撲も、出会いは一期一会。
こうして王国の歴史は、今日も平和に、そして少しだけ騒がしく続いていくのだった。




