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【短編】狐子記ー神と人と自然のあわいに-

作者: 空咲 零
掲載日:2026/05/02

本作は「狐子記」本編と同一世界の短編です。

単体でもお読みいただけますが、本編とあわせてお楽しみいただけます。

本編は順次配信予定です。

竹のざわめきの中、ただ静かに男はそこに立っていた。

差し込む朝の光が、(つや)やかな純白の尾を透かして輝かせる。

風が抜け、朝露(あさつゆ)をまとう長い睫毛(まつげ)の奥、その瞳は三人の気配を捉えている。


リン――


紫の袴が風に揺れ、腰紐に結んだ鈴が鳴る。

澄んだ音が竹の間を渡り、空気を震わせた。


次の瞬間、空気を裂く鋭音(えいおん)と共に護符が竹の幹に突き刺さり、白い霊火が弾け散る。


男は顔色を変えることなく、後ろに飛び避ける。

地に足先がわずかに触れた一瞬の後――

放たれた矢のような鋭い音が、土煙の向こうから聞こえた。


男の眼前、数寸先に一枚の護符が迫る。

男は腰に差した扇子を手にすると、開くことなく打ち払った。


これを狙っていたと言わんばかりに、赤と黄色の五芒星(ごぼうせい)が、背後に二つ現れた。


中から飛び出てきたのは白の袴姿の、二人の少年。


二人は、胸前(むねまえ)剣印(けんいん)を結んだ。


赤に輝く陣が炎を纏い、舞う葉を焼く。


黄色に輝く陣が放つ稲妻が、辺りを滑る。


ふっ――


男は僅かに口の端を上げると、術発動の瞬間に合わせ、赤の陣を構える少年の腕を扇子の先で撫でた。


あ、ヤベっ……


軌道がずらされた。術が互いの体を直撃する。


崩れ落ちる影に男の気配が滑り込み、腹へ蹴りを一打。

振り返りざま、もう一人の肩口へ掌底(しょうてい)を――その体を藪の奥へ吹き飛ばした。


くそっ!同士討ちにされた――!


露をはじく葉をすり抜けながら、もう一人が一気に間合いを詰め、(ふところ)に入り込む。

鋭い蹴りが風を裂く。

だが男は微動だにせず、片手で止め放り投げた。


「くっ……!」


着地の瞬間、護符を連続で放つ。

男が扇子を広げ一払いすると、護符に忍ばせた煙玉が弾けた。


白い幕が、視界を覆っていく。


「……なるほど」


淡白な声が霧の奥から響いた。


白い幕が、視界を覆っていく。


少年は背後に回り込み陣を出す。


(よし、捉えた!)


「――あれ?居ない……」


それは、ほんの瞬きほどの間だった。


ズドッーー!!


重い衝撃が腹を突き抜け、肺の空気が一瞬で押し出された。


「ぐ……っ!」


視界が白に霞む。


肩口を掴まれ、もう一撃。

続けざまに蹴り上げられ、体が宙を舞う。


一撃ごとに竹藪が震え、火花のように葉が舞った。


必死に反撃の腕を振るうが、空を切るばかり。

男は舞うように交わすと、少年を掴んで地面に叩きつけた。


砂煙が爆ぜ、少年から力が抜ける。


男は衣服についた(ほこり)を尾で払い、眉ひとつ動かさず、地を()う少年たちを見下ろす。


「本日の修練はこれまでだ」


冷たく声を落とし、風で鳴る竹の中に静かに消えた。


男の名は、一峰狐白(いちのみねこはく)


地に沈む体をかろうじて起こす三人――モナカ、羹太郎、(みたらし)の教育担当官である。


ここは、琴ノ峰稲成大社。


血と泥にまみれ空を仰ぐ三人は、ここの出仕(しゅっし)(見習い)である。


()()()()()()と呼ばれ、人々に親しまれている彼らは、白い髪に色白の肌。


耳と尾を持つ獣人姿が、人間の目に映ることは決してない。人々は彼らを()()()と呼び、神社を訪れる。


人のすぐそばにいながら人には気づかれず、神域を守り穢れを祓う。

国に五穀豊穣と発展をもたらす神の眷属(けんぞく)として、彼らは天より遣わされている。


「ザリッ……ザリッ……」


引きずる草履(ぞうり)の音が、静かな境内(けいだい)に響く。


「おっと、すまねぇ」


リヤカーを引く、てやんでぃな男とぶつかった。


(しげ)さん……」


大社の雑務を取り仕切る常用部(じょうようぶ)の長・茂さんは、にかっと笑い、モナカの頭をガシガシ撫でた。


「おお、なんだ、また今日は一段とボッコボコだな。狐白に扱かれたんだろ?

しょーがねぇなアイツは。加減ってもんを知らねえ。

蕨坊(わらびぼう)の所に連れて行ってやるよ。ほれ、乗せてやっから、そんなしょぼくれんな」


早朝から隙間なく組まれたスケジュール。

神社運営と同時進行で行われる、茶や華の稽古。座学に雅楽(ががく)、儀式の準備に先輩たちの補助業務。

術式・体術の修練で積もった疲れが取れる日はなく、覚えることだけが幾重(いくえ)にも折り重なっていく。


茂さんは腰のタオルで三人の涙を拭うと、一人ずつそっとリヤカーに乗せた。


「お前さんらのお師匠さんたちが出仕の頃も、よくこうして運んでやったもんだ」


三人の垂れた耳が、リヤカーに揺られる。


「茂さん……ありがとうございます」


モナカが袖で涙を拭う。


「いいってことよ」


腰につけた茂さんのタバコ入れが、カラコロと音を立てた。


ガラッ――!


衛生部 衛生課。


「蕨坊、急患連れてきたぞー。居ねえか?おーい、蕨坊!」


鬼蕨(おにわらび)異名(いみょう)を持つ、衛生部 部長 黒蜜蕨(くろみつわらび)()呼ばわりできるのは、大社広しといえどもこの男くらいだ。


「茂さん、そろそろ「坊」はやめてくださいよ」


奥の部屋から白衣を(ひるがえ)し、穏やかな笑顔の男が現れる。

開け放たれた戸口から、風に乗って微かなアルコールの匂いが鼻をかすめる。


祭儀部(さいぎぶ) 結界課 狐白の机。


白峰(しらみね)モナカ――肋骨(ろっこつ)六本骨折及び眼底(がんてい)骨折!


火野羹太郎(ひのかんたろう)――肋骨三本骨折及び、顔面と体の広域に熱傷!


水無瀬蜜(みなせみたらし)――右肩脱臼及び、全身に熱傷!」


三人分のカルテがパシッと狐白の机を打ち、積まれた書類の束が揺れた。


「お前はこいつらを殺す気か?!」


蕨がドカッと隣に座り、バンバンと机を叩く。


「もうお前が治したのだろう?」


狐白は書類に視線を落としたまま、淡々と答える。


「……だからなんだ」


「では、問題ない」


「お前な……っ!」


蕨が狐白の襟を掴んだ。


「ストーップ!」


二人の間にバインダーが割り込んだ。


止めに入ったのは、狐白と蕨の師、総務部長の蓮田(はすだ)ヨモギ、庶務課 課長の穂村(ほむら)おはぎだった。


「喧嘩は外でやりなさい」


ヨモギは手にしていたバインダーで、狐白と蕨の頭を軽くこずいた。


狐白は蕨の腕を振り払い、背後で握っていた拳を静かに緩めた。


「はぁ〜、コーヒーと紙の匂いって混ざると臭っさ」


蕨はカルテを雑に回収すると、嫌味を言い残して総務部を出ていった。


その日も、大社は参拝客でごった返していた。

回廊(かいろう)には行列ができ、お守りや護符(ごふ)は飛ぶように売れている。


神主たちも巫女も、額に汗を浮かべ走り回っている。


「すみませーん、どなたか!」


声に気づいたモナカが足を止めた。


「は、はい!」


(うわっ、人間だ……)


そこにいたのは、生まれて間もない子を抱いた女だった。


「何だか家に良くない気が満ちている気がしていまして……眠れず、体調不良が続いています……お(はら)いをお願いしたいのですが」


「あ、御祈祷(きとう)の申し込みですね……」


モナカは辺りを見回し、担当者を探す。


そこへ、段ボールを抱えた羹太郎と(みたらし)がやって来た。


「どうした?」


「祈祷申し込みの受付に誰もいなくて」


『昨夜のお祓いで負傷者多数らしく、どこも人手が足りないんだってよ』


羹太郎は段ボールを床に置き、足で押しやりながらモナカの耳元で(ささや)いた。


「モナカぁ、羹太郎ぉ……」


蜜が母親の背後に、不穏な気配を感じ取った。


モナカは一歩前に出て、落ち着いた声で言う。


「担当を探してきますので、少し待っていてもらえますか?」


子供がぐずり出した。


「じゃあ、また出直します」


蜜が、去っていく女の背中に人型の式神を飛ばした。


「僕、まだ人間と話すの、緊張する……」

「モナカって、そういうところ意外だよな」

「ぼくもだよぉ。羹太郎は人間、平気なのぉ?」

「そりゃ最初はびっくりしたけど……そんなに害はないぜ?」


夜。


三人は大社を抜け出し、例の女の家を見張っていた。


『ねー、無断外出がバレたらやばいよぉ……』

蜜が羹太郎の(たもと)を引っ張りながら、小声でつぶやく。


『仕方ねぇだろ。狐白さんどころか、

出仕の先輩たちすらつかまんなかったんだから!』


『それにしてもぼくらだけで(はら)うなんて無理だよぉ』


『蜜、羹太郎は静かに!()()来た……』


三人は茂みから顔を出し、家の方向を見る。


『うーん……ここからじゃよく分かんないな』

『モナカの探知で探れないの?』

『僕、まだ遠くまでは伸ばせないんだよね』

『あそこまでは届かないってこと?』

『いや、目に見えてる範囲はやれるんだけど、画像が荒くなるって言えば分かりやすいかな』

『とりあえず、やってみろよ』

『うん。そうだね』


モナカが呼吸を整え、剣印(けんいん)を結ぶ。

青い五芒星(ごほうせい)が足元に現れ、水に溶けるように広がり、地に沈んでいく。


『家に……入っていった。歩き回ってる……赤ちゃんをすっごい見てる!

寝てる旦那さん……の横に入っていった』


『何で、布団に入るんだ?』

『分かんない。抱きついてる……感じがする』

『呪ってるのかなぁ?』

『あ!今度は大社に来た女の人の枕元に……え?体の上に正座してる』


蜜と羹太郎は顔を見合わせ、首をかしげた。


『あー、もぅ限界』


水がはじけるように、モナカの陣が消えた。


『消耗激しいんだ?』

『うん。遠隔で動かすってなると、凄く霊力使う。

狐白さんはこれを意識を向けるだけでやってるから、やっぱり凄いよ』


『おい、蜜、モナカ、見ろ出てきたぞ!』


家から出てきた()()は一度立ち止まり、こちらを見た。


三人は、慌てて身を伏せる。


『見つかったかと思った』

『勘のいい奴だなぁ』

『よし!行った。後を追うぞ』


小高い丘を上がった先の森に(ほこら)があった。


側にある古井戸に()()は入っていった。


「……ここだが巣だ」


モナカが中を覗く。


「よし、俺に任せろ!」


羹太郎は井戸の(ふち)に飛び乗り、胸前で剣印を結んだ。


頭上に炎の陣が立ち、熱風が渦を巻きはじめた。


「え、いきなり?!」

「ぼく、まだ天衣(てんい)結界できないよぉ?」


天衣結界――祓いの際に一帯を包み、保護する。

上級結界師のみが扱える術で、人間の目には悪天候として映る。


モナカと蜜が慌てて身を引く。


「時間ないからな。出力最大で一気に片付けてやるぜ!」


指を振り下ろすと、炎は生き物のように井戸の中へ突き進んでいった。


「モナカ、蜜! 蓋をしろ!」


二人は近くの石蓋(いしぶた)を持ち上げ、井戸にかぶせるとその場を離れて伏せ込む。


バフーーーーン!!


轟音(ごうおん)とともに石蓋が空高く打ち上がる。


筒状の煙が、もくもくと夜空へ噴き上がっている。


「いぃよっしゃぁぁ!!」

羹太郎が拳を井戸に突き立て、勝ち誇ったように笑う。


「駆除完了?」

モナカがそっと顔を上げる。


「死んだだろ」

羹太郎が、井戸に向かって歩く。


その時――


ペタ……ペタ……。


底から壁を這い上がるような音が響き、冷気がじわじわと広がり始めた。


土と鉄の匂いが鼻を刺す。


「……なんか来る」


蜜の声に、三人は同時に身を引き、構える。


音はどんどん近づき、やがて真っ赤な爪が縁にかかった。


「来るなら来やがれ!」


チリッ、チリッ――


羹太郎の陣の熱に煽られ、舞い上がった枯れ草が燃え上がる。


次の瞬間、ズルリと井戸の中から髪の長い女が姿を現した。


「うわぁぁ!なんか怖えぇぇぇーー!」


羹太郎が術式を発動すると、モナカと蜜もつられて発動。


「ちょっとあんた達!いきなり人の家に火の玉をぶち込むだなんて、どういう育ちしてんのよ!」


三人の術式は、蒸発するように消し飛ばされた。


蒸気が晴れた先――黒と金の鯉紋の着流し、右眉と左唇のリングピアスが月明かりに煌めく。

長い黒髪が夜風に流れ、両耳を飾る風鈴がかすかに鳴る。

女の甘く絡みつくような視線が、三人を見下ろしている。


「……タイム! お願いします!」


「認める!」


ヒソヒソヒソ……


モナカが一歩前に出た。


「あの……あそこの家の人たちを、呪うのをやめてもらえませんか!」


女は、井戸の縁に腰を下ろし、焦げた黒髪をとかしながら笑った。


「やぁね、呪うだなんて。

人の家に投げ込んだゴミを片付けてって、お願いしてるだけよ」


女の視線の先――


そこには大量に放置されたゴミが(ほこら)を覆うように、あちこちに転がっていた。


「ぼく知ってるぅ。ふ、ふほーとーきっていうんだよね」

「人間たちが、いらなくなったものを上から放ってるんだ。見て、あそこ枝が折れてる」

「あ、本当だ」

羹太郎が、五芒星に乗り斜面の上の方へ飛んだ。


「だから、毎晩あのお宅にお願いに行ってるのよ」


女は、手を合わせ首をかしげて言う。


「お願いしているようには見えなかったけど……?」


モナカが目を細める。


「本当にそれだけか?」


羹太郎が降りてきて、じりじりと女に寄る。


「でも、なんであの家なのぉ?」


「ま、まぁ……ちょっとタイプっていうか……いい男って近くで見たくなるじゃない?」


女は赤くした顔を覆って、体をくねらす。


「じゃ、じゃあ、そのゴミを片付けたら、呪うのをやめてくれますか?」


モナカが確かめるように言うと、女は髪をかき上げモナカに寄った。


「だーかーら。呪ってないって言ってるでしょ――」


「じゃぁ、毎晩何しに行ってんだよ。お前が行くから、あの家の人たちの周りに悪いことが起こってんの!」

「あの女の人なんて、眠れなくて困ってるんですよ。

毎晩なにかに踏みつぶされる夢を見るって……あ!上に乗ってたあれだ!」

「やっぱり、呪ってんじゃねぇかよ!」

「あのさぁ、布団に入る呪い方って新しいやりかたなのぉ?(けが)れ共にも流行りってあるのぉ」


「ちょっと、全員でしゃべらないで。

あと、蜜ちゃん、見た目に反して言葉遣いが悪いわよ。眷属が「穢れ共」とか言わない!」


一瞬の沈黙。


三人は一気に距離を取り、構える。


「お前!なんで、こいつの名前知ってんだよ……」


夜風が、ゆるく木々を揺らし再び緊張が走る。


リン――


聞き覚えのある澄んだ鈴の音。三人の背筋が凍りついた。


……気のせいであれと、恐る恐る振り向く。


背に受ける月明かりが、殺気をまとって光り輝いて見える。


「出仕の分際で無断外出とは、いい度胸だ……」


パキパキと拳を鳴らしながら歩み寄る狐白に、三人は揃って腰を抜かした。


「あら、狐白ちゃんじゃない」


「あぁ?誰だ貴様……?」


狐白は声の主を一瞥。刺すような視線を送った狐白はハッとして膝をついた。


「こ、これは……天水分(あまのみくまり)様、お久しぶりでございます!」


「……え?」


モナカ、羹太郎、蜜は固まった。


『今、狐白さん……天水分神様って言わなかった?』

『言ったぁ……』

『ってことはさ……』


龍神様だ――!!


天水分神――水の分配を司る神。雨や天からの水を田畑へ分配する灌漑(かんがい)の守護神である。


その夜のうちに、井戸は狐白の手によって清められた。


後日、祈祷にきた女の家族に事の詳細を話すと、集落に持ち帰り、人間たちの手でゴミは撤去された。


車道脇には小さな鳥居が設けられ、不法投棄は……大幅に減った。


祠は磨かれ、屋根つきの小さな(やしろ)となり、狐白が清めの儀式を取り行った。


竹で作った結界にしめ縄と紙垂が張られると、そこは神域となる。


儀式中、井戸に腰かけ艶やかな黒髪をなびかせる龍神様が、嬉しそうに狐白の祝詞(のりと)を聞いていた。


「あの、神主様」


女が、帰る狐白を呼び止めた。


「この子が、ずっと神主様に手を伸ばすのですが……」


「あぁ……もしかしたら私ではなく御祭神(ごさいしん)が見えているのかもしれません。

柏手(かしわで)は、神を呼ぶ儀式ですから。

生まれたばかりの子供や、純粋な魂を持っている人には、ぼんやりとした光の玉として映ることがあるそうですよ」


(多分、俺の揺れる尻尾を掴もうと手を伸ばしているんだろうな)


「どうか、お健やかに」


狐白が、子供の頭を撫でると子供は母親の腕の中で眠った。


すべての儀式を終えた狐白は、大社に戻るやいなや――


外拝殿(げはいでん)で遊ぶ三人を鷲掴(わしづか)みにし、室内修練場へ放り込んだ。


「え?? あの、俺たち今日休み……」


「お前たち……あの日、龍神様の(おわ)す井戸に術式をぶち込んだな」


(く……バレたか!)


「その時に、水龍を入れた珠の封印が解け、人間界に解き放たれたそうだ。どういうことか分かるか?」


モナカが元気に手を上げる。


「水龍は龍神様のお側を離れたことで混乱していると思われます。その力は人間界に水害をもたらし、あらゆる生命に干渉する線が濃厚ということです!」


羹太郎が白目をむく。


「何、元気いっぱいに答えてんだテメェ……」


「すみません……」


三人は顔を見合わせ、心の中で決断した。


(こうなったら……)


三人は同時に正座!


両手を地に叩きつけ――


「すみませんでした」


目線だけを落とす狐白。


その口角が、わずかに上がった。


パキ…パキッ。


不敵な笑みを浮かべ、拳を鳴らす。


「覚悟ができているということでいいんだな?」


「うぉっ!何だ?中で熊とゴリラでも戦ってんのか……?」


廊下を歩いていた者たちは、中から漏れる音に立ち止まり顔を見合わせた。


「俺たち、次ここ使うんだけど……」


夕方。


きっちりと狐白にシメられた三人は、社務所(しゃむしょ)奥の庭園中央にある立派な桃の木に吊るされた。


「龍神様に、この件は責任を持って俺が調査すると申し伝えた――お前たちにも水龍捕縛に命を張ってもらうからな!」


「はい……」


絞り出た三人の返事が、大きな夕日に消えた。


数日後――


シトシトと雨の降る朝だった。


窓辺で雨音に耳を澄ましているモナカの横に、歯ブラシをくわえた羹太郎が並んだ。


「今日も雨?」


ベッドの上で目を覚ました蜜が、布団の中から声をかける。


「うおっ、毛だるま……」


振り向いたモナカと羹太郎が、同時に声を上げた。


「お前、また人型解けてるじゃねぇか」


羹太郎が笑いながら言う。


蜜は、足で耳の後ろを掻くと軽く伸びをして、ベッドから飛び降り人型に戻る。


雨粒が軒を叩き、庭の苔がしっとりと濡れていた。


「やっぱり……水龍の影響なのかな?」


モナカが小さく呟き、眉をひそめた。


楼門前(ろうもんまえ)には、正装した眷属(けんぞく)たちが両脇に整列していた。

モナカたちはその後方に立ち、姿勢を正す。


全国稲成会総会へ向かう宮司一行を見送るためだ。


「三日で戻る。ちゃんと留守番していろよ」


狐白が三人に念を押す。


「はーい」


「……蜜、その髪どうした?」


綿飴のように膨らんだ髪を見て、狐白が目を丸くした。


「湿気で……」


「身なりはきちんと整えろ」


狐白はしゃがみ込み、蜜の緩んだ(えり)を直し、(はかま)の紐を結び直した。


「三日離れるだけで、そんなにあれこれ心配しなくても」


蕨が笑いながら言う。


「服装の乱れは精神の乱れだ!」


狐白は準備された移動用の陣へと消えた。


「照れちゃって」


蕨も狐白を追っていった。


鼓岳(つづみだけ)稲成神社――


シトシトと花手水(はなてみず)の花を雨粒が揺らす。

連日の雨が、静かに神社を濡らしていた。


「狐白」


外廊下(そとろうか)を歩いていた狐白が呼び止められ、振り向いた。


声の主は秋月芒(あきづきすすき)

鼓岳稲成神社の眷属であり、かつて大社で五年の時を共に過ごした仲間だ。

いわば「同じ釜の飯を食った仲」である。


「狐白、不便はないか?」


「特にない。うちの宮司様も満足しておられた」


「良かった」


「三日間、世話になる」


「いやー、開催地ってのは大変なもんだな。

担当に任命された時から覚悟はしていたが、朝から謝って回ってばかりだ。……狐白は、こういうのも(そつ)なくこなすんだろうな」


芒は肩をすくめた。


「そんなことはない。ヨモギさんがうまく誤魔化してくれているだけだ」


「そういえば、弟子(でし)をとったと聞いたが?」


狐白の表情がわずかに曇る。


「……違うのか?」


言いよどむ狐白。


そのわずかな沈黙で、芒は察した。


「弟子というか……」


芒はふっと笑みを浮かべ、狐白の顔を覗き込んだ。


「相変わらず、そのあたりは不器用なままのようだな」


狐白は視線をそらし、空を見上げ腕を組む。

ほんの一瞬――その横顔に、照れの色が(にじ)んだように見えた。


「芒さん!」


モナカたちと同じくらいの年頃の少年が、パタパタと駆けてきた。


「白兎。お客様の前だぞ」


「あっ、十五夜白兎(じゅうごやはくと)と申します!」


綺麗に切り揃えられたおかっぱ頭を、ペコっと下げる。


「白兎。こちらは琴ノ峰稲成大社の一峰狐白殿だ」


「こ、狐白……様?」


名を聞いた瞬間、白兎の目がひらく。

そわそわと体が揺れ――言葉を飲み込んだ。


芒が小声で耳打ちする。


『白兎はお前に憧れているんだ。

出張する度に、お前の持つ鈴に似たものがあれば、買ってきてくれとねだられる』


それを聞いた狐白は、腰の飾り紐から鈴を外し、白兎に手渡した。


「これでよければ、やろう」


「い、いいのですか?!」


「紐が紫だ。――位が上がってからつけるといい」


鈴を両手で大事そうに包みながら、白兎は顔を上げた。


「……はい! いつか狐白さんのような結界師になります!」


狐白は答えず、ほんのわずか――目元を和らげた。


「そういえば白兎、私に何か用があったのではないか?」


「あっ、そうでした! 因幡(いなば)さんがお呼びです」


「因幡さんが?」


「詳しくは分かりませんが、鬼怒川(きぬがわ)氾濫(はんらん)しそうだと……」


「総会で手一杯なのだが……狐白、すまんな」


芒は短く言い残し、足早にその場を去った。


「芒は庶務課(しょむか)だろう?」


白兎が小さく息を整えながら口を開く。


「最近の長雨による災害続きで、人手が足りず、後方からも応援を出しているのです。

芒さんも総会準備で、何日も寝ていないのに……」


現場へ向かう芒たちの姿を空に追う狐白の胸の奥に、かすかな違和感が走る。


「白兎――最近、何か変わったことはないか?」


「うーん、保津見川(ほづみがわ)の水量が一晩で急に増えて、少し騒ぎになりました」


「その話、詳しく!」


狐白の目が細く光る。


「はい……普段は浅く穏やかな川なのですが、今は近づくのも危なくて」


白兎は少し言いづらそうに続けた。


「龍が降りてきたのを見たという者もいます」


「今、龍と言ったか?」


狐白は向き直り、白兎の両肩を掴んだ。


「人間たちは「呪いだ」「神の怒りだ」などと騒いでいます」


狐白は少し考えて再び白兎を見た。


「白兎、明日そこへ案内できるか?」


次の日、保津見川下流。


モナカ、羹太郎、蜜を召喚し、案内役の白兎を従えた狐白は、保津見川へ向かって空を駆けた。


実戦に胸を高鳴らせ、三人は狐白の背を追う。


……が。


(何だアイツ……まだ空を駆けれないからって、狐白さんにずっと抱っこされやがってぇ)


蜜は少々不機嫌だった。


川の下流に降り立つ。(にご)った川音が低く、上流から響く。


「……少し上へ行ってみよう」


狐白は、岩場を軽快に飛び越えた。


「おい、見ろ。柘榴(ざくろ)だ!」


羹太郎が岩場に飛びつき、熟れた柘榴をもぎ取ってモナカと蜜に投げ渡す。


「うわっ!」


モナカの手に届く前に、羹太郎は足を滑らせ、斜面を転がった。


「はぐれるなよ」


狐白はモナカたちに言いながら、少し遅れて歩く白兎へ視線を向けた。


雨合羽に身を包んだ白兎は、濡れた岩場に何度も足を取られ、汗と泥だらけで息も上がっていた。


「ほら、お前のだ」


斜面を登ってきた羹太郎が、白兎に声をかけた。


「あ、ありがとう……」


柘榴を受け取った白兎の手は、岩場でできた擦り傷だらけだった。


「お前たち、走るぞ。遅れるなよ」


狐白は白兎をヒョイと抱き上げ、川沿いを駆けた。


やがて一行は、保津見川の中流に出た。


「普段は川底が見えるほど浅い川なんですが……一晩でこの水量に」


狐白は川底に意識を集中させた。


濁流(だくりゅう)(うね)りを上げ、川面(かわも)は不気味に揺れていた。


「モナカ、探ってみろ」


狐白の声に促され、モナカは陣を展開する。


青い紋様が水面へと伸び、川底へ静かに――深く沈んでいく。


「ゆっくりだ」


モナカの額に汗がにじむ。


「はい」


陣が川底に届いた時――巨大な眼がモナカを睨んだ。


「わっ!」


動揺が陣を霧散(ふんさん)させた。


「見えたか?」


「はい……でも……」


川底が(うごめ)き、亀裂(きれつ)のような波が走る。


「十分だ。水龍が出るぞ。構えろ」


茂みから飛び出そうとする、羹太郎と蜜を狐白が制した。


雨が強まり、視界が白く煙る。


狐白は振り返らずに白兎へ声をかけた。


「白兎、もう少し下がっていろ」


「は、はいっ!」


重雲の彼方を仰ぎ、狐白は空へと舞い上がる。

霊光が弧を描き、一帯に大規模な結界が張り巡らされた。


「蜜、川から水龍を出すな!」

「はい!」――網状の結界が向こう岸まで走る。


「モナカ、水中で水龍を封じ込めろ!」

「はい!」――青い陣が水底を走る。


「羹太郎、水龍が出た時に備えろ!」

「はい!」――燃え盛る五芒星が上空に浮かび上がる。


「俺が天衣結界を張っている。――存分に暴れて構わん!」


「はい!」「しゃぁ!」「はい」


川底で暴れる水龍の力は凄まじく、押さえる蜜の手に火傷(やけど)が広がっていく。

(そで)が霊気で爆ぜ、体が押され始めた時だった。


ゴッ――!!


川底を抉る渦の巻き上げた拳大(こぶしだい)(つぶて)が額を打った。


蜜の体は草をバウンドし、白兎の潜む茂みまで吹き飛ばされた。


額が割れ、鮮血で顔が染まる。


術者が気を失ったことで結界が霧散、

水龍が咆哮(ほうこう)とともに飛び出した。

かろうじて食らいついていたモナカの結界も引きちぎれ、暴れる水龍を縛るものは何もなくなった。


モナカは立ち上がり、空で暴れる水龍を見上げた。


「くそぉ!」


悔しさを奥歯で噛んでいると、背後から熱風が吹き抜けた。


火産霊(ほむすび)の力よ、我が陣に宿りて形を成せ!」


羹太郎の五芒星から炎の鳥が、甲高い声を上げて出現。


「火野羹太郎が命ずる!炎の翼を広げ、穢れを焼き尽くせ!」


灼熱(しゃくねつ)軌跡(きせき)が空を裂き、水龍を貫く。


水飛沫(みずしぶき)が爆ぜ、眩い光の中でその巨体が弾け飛んだ。


「よっしゃぁぁ!!」


勝利を確信したそのとき――


砕け散った水龍が、無数の水飛沫となって空中で止まった。


「まだだー!!」


モナカの叫びが響く。


羹太郎が振り返り、上空を見上げる。

宙に漂っていた水が氷の粒へと変わり、弾丸の雨となって襲いかかってきた。


(あ……これはヤバい。避けきれない!)


羹太郎が身を固め、覚悟を決めたとき、茂みから黄色い閃光が走った。


蜜の放った防壁が、最前線で氷弾(ひょうだん)を受け止める。


(蜜、咄嗟(とっさ)に結界をとばしたか……末恐ろしいな)

狐白は構えた手をそっと解いた。


「重いーー!」


衝撃に押し戻された蜜は、後方で同じく防壁を張っていたモナカにぶつかる。

二人の術式が重なるが――氷弾は紙を貫くように降り注いだ。


モナカと蜜の身体が、岩混じりの地面に叩き落とされる。


「蜜! モナカ!」


羹太郎は駆け寄り、二人を抱え込むと、氷弾の雨を突っ切り、白兎の潜む茂みに滑り込んだ。


水滴が一ヶ所に集まりはじめ、徐々に水龍の形を取り戻していく。


モナカは腰を射抜かれ、蜜は脇腹を抉られている。


「モナカ、蜜……ごめん!」

「羹太郎。謝らないでよ。僕たちが弱いみたいじゃん」

「こういうときはぁ……攻撃力の高い羹太郎を残すのがセオリー……」


三人の元に白兎が走ってきた。


「僕、少しだけ医療術できるから……」


白兎が蜜に手を伸ばす。


「ぼくはいい。モナカにやって」


蜜は白兎の手を払いのけた。


「お前、医療系なんだ」


「鼓岳は小さな神社で、医療部とかないからさ。僕が覚えようと思って。

指南書を見ながらだけど……練習しておいてよかった」


モナカの腰の傷が少しずつ癒えていく。


「モナカ、羹太郎。あんまりゆっくりしていられなさそうだよ」


空を見ていた蜜が、袖で血を拭いながら言った。


「羹太郎……さっきの攻撃、もう一回できる?」


モナカが傷口を押さえ、身体を起こす。


「できるけど、アイツ動き回るから狙いが定まらない」


「じゃあ僕が――羹太郎の陣まで追い込むよ……」


立ちあがった蜜の衣は真っ赤に染まり、滴る血が濡れた地面を染めていく。


茂みから出てきた三人。


上空から見ていた狐白の口元が、わずかに緩んだ。


(何か思いついたな)


蜜が前へ出る。小さな結界をぶつけ、水龍の進路を限定。


「そっちに行くんじゃねぇよぉ!」


衝撃のたびに脇腹から鮮血が飛び散った。


「うー、もう!体が痛いんだよぉ。イライラするなぁ。これでどうだぁ!」


辺り一面、所狭しと蜜の陣が空に浮かぶ。


上空で見ていた狐白が片手で目を覆った。


「レモンスライスをばら撒いたみたいになってんじゃねぇか……」


やがて水龍の巨体は、羹太郎の待ち構える術式の射程圏内へと入っていく。


「よし。羹太郎ぉ!」


「任せろ! きっちり二枚におろしてやるぜ!」


羹太郎の術式の灼熱(しゃくねつ)が水龍を頭から尾まで真っ二つに裂いた。


すぐさま蜜が盾の陣を広げ、余波に備える。


羹太郎が、蜜の盾に滑り込んだ。


「モナカぁーー!!」


「決めろよー!!」


上空からそれを見下ろす狐白は、袖の内で静かに印を結び、薄く広げた霊光を蜜の陣にそっと溶け込ませた。


パキパキパキッ――


狐白の視線の先――蜜と羹太郎から少し離れた位置で、モナカが巨大な氷の陣を展開していた。


脚を伝う血が、その重さを物語っていた。


(サイズは十分だ。引き上げろ!)


モナカが踏ん張り、渾身の力で陣を引き上げる。


(同年代に比べてこいつらの霊力は高い。だが、やはりまだ無理か……)


狐白が、印を結ぼうとした瞬間――羹太郎が飛び出した。


「羹太郎ぉ!?」


「蜜、援護たのむ」


「何すんのぉ?」


「まぁ見てろって!」


羹太郎は、陣から炎の鳥を呼ぶと、モナカの陣の下を円を描くように滑らせた。

モナカの敷いた陣の冷たい空気が暖められ回転。空気を吸い込み始めた。

散らばった水龍の体が少しずつ巻き込まれていく。


「あぁ、竜巻ね。じゃ、ぼくのも混ぜようっと」


蜜の陣を飲み込んだ竜巻は電気を帯び、重雲となり上昇を始めた。


(あ、それ俺の霊力入り……ま、いっか。あとでまとめてかき消そう……)


「モナカ!上げろぉぉぉ!!」


轟音(ごうおん)とともに竜巻が地を割って立ち上がる。


水龍は水滴のまま――竜巻に呑まれた。


「モナカ、冷やせ!あれにモナカの陣を当てて消すんだ」


羹太郎がモナカに駆け寄る。


「でも、もう霊力残ってない……」

「マジ?」

「……どうしよう」


三人は、暴れ狂う竜巻を見つめた。


「おい。やべぇよ。落雷で森が燃えてるよ……」

「雨降んないね。なんで?」

「嵐の日ってさぁ、雨降らないパターンあるよねぇ」


「あー、ある。ある……って言ってる場合じゃないね」


狐白が印を構えた時だった。


「合格―――!」


突然、焦る三人の元に龍神が降り立った。


「へっ……龍神様」

「どういうことですか?」

「何が合格ぅ?」


龍神は笑いながら、暴れ狂う竜巻を扇子であおぎ消した。


竜巻に巻き取られた木々が次々に落ちてくる中、水龍は宙から龍神の手に集まり、水球の中を優雅に泳いでいる。


「モナカちょっとこちらへいらっしゃい」


「水は流れ、空へ還り、また命を育む。

 巡るもの、濁ることなかれ。

――清め、鎮まり、(ことわり)(かえ)れ」


龍神は水球をそっとモナカの胸元へ沈めた。


青い光がモナカの体を包む。


モナカは、胸の奥に満ちていく感覚に息を呑んだ。


それを見ていた狐白は降りてきて頭を抱えた。


「……龍神様、まさか――」


「この子、私が頂くわよ」


「……御心のままに」


神格を前に、私見を述べることは不敬。狐白にはそう答える以外の選択肢はなかった。


「狐白さん。どういうことですか?」


「結論だけいうとお前と龍神様――師弟関係が成った、ということだ」


「……えーー!!?」


「神格に弟子入りしたということは、体のどこかに龍神様の紋が刻まれたはずだ」


「マジで?!モナカ脱げ!」

「見せて、見せてぇ」

「ちょっと、やめて……ここで下はダメ。……いろいろダメだから!」

「仕方ないだろ。袴なんだから!腰紐から緩めないと……!動くなよ」


「あった!」


龍の紋様が、左腕から肩に巻き付くように浮き出ていた。


「おー、かっこいいな」

「ほら!こんなに分かりやすいところにあるじゃん。なんで全部脱がすかな」

モナカは襟を整え、袴を履く。


戦いを終えた川辺に、再び森の静けさが戻る。

木々を抜ける風が、焦げた匂いをゆっくり運んでいく。


モナカと羹太郎のもとへ、白兎が駆け寄った。

「大丈夫?」

「狐白さんの訓練に比べたらなんともないよ」

「話せる体力なんて残してくれないもんな」


少し離れた場所で、蜜が狐白の前で耳と尾を垂らしていた。


「結界師が真っ先に戦線離脱すれば、全員が危険に晒される。

 体力は乏しい、結界は脆いでは話にならん」


「でも、石が飛んできて……」


「お前レベルでの話をしているのではない!」


蜜の目から涙がこぼれた。


「泣くな!ったく、霊力の無駄遣いばかりしやがって……!しかも、最後はなんだ。なぜお前の陣まで混ぜた。見ろ、そのせいで山火事が起きただろ――」


「あんなにボロボロになるまで頑張ったのに、褒めてもらえないんだ……」


白兎がぽつりと漏らした。


「白兎、なんか言ったか?」


「いや、何も……」


白兎は息を呑み、懐に手を入れた。


鈴が――ない。


「どうしたの?」


モナカと羹太郎が探し回る白兎に駆け寄る。


「狐白さんに頂いた鈴を、どこかに落としたみたい」


「え、いつも狐白さんが腰につけているあの鈴?!」


「もらったのか?!」


モナカと羹太郎が顔を見合わせる。


「白兎、絶対に蜜に知られるんじゃないぞ!」


羹太郎が、真剣な顔で白兎に言う。


「なんで?」


「白兎、蜜はね、狐白さんの――」

「白兎、鈴はまたやる。お前たち、大社に送る。結界の中に入れ」


モナカの声を狐白が遮った。

狐白の声で、羹太郎とモナカがぎこちなく動く。


先に結界内に立っていた蜜は、白兎の頭に手を置き話す狐白から、そっと視線を外す。


「モナカ、傷が治ったら――私のところで修行よ」


龍神と白兎に見送られ、

三人の姿は眩い光に包まれていった。


次の日の夕方。


総会を終えた狐白は、出迎えの列の中に目を腫らした蜜を見つけ、眉を引きつらせた。


『あとで俺のところに来い』


狐白は、小声で蜜に言うと、拝殿へと入っていった。


ガラッ。


狐白の呼び出しから戻った蜜は、無言でベッドに倒れ込む。


「蜜?」


「……もうぼく、鼓岳の子になる。アイツと代わる」


モナカと羹太郎が覗くと、タオルケットの中から耳がのぞいた。


(夜更かしして遊んでないもん……宿題だって呼び出されてたんだから、できる訳ないじゃん。あのいい子ちゃんクソ兎、狐白さんに褒められやがって。空も駆けれないし、五芒星にも乗れないし!てか、術一個もできないくせにぃぃぃ!……ま、いいや。鈴は取り返したもんね。今頃、必死に森の中を探しているんだろうな。一生見つかることはないからね。いい気味だよぉ)


夜の保津見川。


「無いな……この辺のはずなんだけどな。狐白さんに奥に行くように言われるまではあったんだ……」


小さな明かりを片手に、白兎は必死に鈴を探していた。


「川の方かな? あ、モナカを治療した場所はまだ探してない」


白兎が視線を向けると――


あれ?川の中州に誰かいる……


月明かりが、川の中州の岩に座る二つの影を揺らしていた。


(あんなところに岩なんてあったかな?)


白兎は茂みに身を潜めた。


(耳と尾、僕らと同じ狐の眷属だ……何か話してる)


「龍神が奴らと行動しているとはね」


「しかも、一人は水龍を手に入れたようです」


出された(さかづき)に、酒を注ぐ聞き覚えのある声。


「まぁ、いいでしょう。こちらも色々と準備に時間がかかりますから」


会話を聞いていた白兎が蒼ざめる。


「……そんな……大社に、狐白さんに知らせないと……!」


白兎は、茂みからそっと身を抜く。


暗い山道。


「あれ、点かなくなった」


参拝にきた人間の忘れていった、小さな手持ち明かりが消えた。


月明かりを頼り、闇がどっぷり落ちた森を動揺する足取りで、必死に駆けた。


「よし。ここを抜けたら大社だ」


息を整え、途中の沢で汲んだ水を一口。


その時――


「白兎」


背後から白兎を呼ぶ影。


「あ……」


足から力が抜けた。


「駄目じゃないか。無断で神社を抜け出しては」


声が出ない。体が震え、鼓動が早くなる。


「どうした?なにか、怖いものでも――」


白兎の首を、冷たい手が掴む。


「――見たのかな?」


影の口の両端が上がり、にたりと笑う。


次の日の朝。狐白の元へ式が届いた。


十五夜白兎、死亡――

大社へ向かい、夜の森を一人で駆け、崖から滑落。

理由は不明。


(狐子記・短編・終)




ここまで呼んでいただきありがとうございます。

本作は「狐子記」本編へと続くエピソードとなっています。

本編は順次公開予定ですので、お付き合いいただけると嬉しいです。

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