冴えない王子と、我儘姫の結婚
帝国の姫である私が、隣国の王子と結婚することになった。
外交。
つまり、政略結婚だ。
「……冗談じゃないわ」
私はため息をついた。
噂によると、その王子はまったくパッとしないらしい。
勇敢でもない。
美貌でもない。
武勇伝もない。
ただ一言。
地味。
そんな男と結婚するなんて、帝国一の姫である私の人生が台無しだ。
――そう思っていた。
初めて会った日のこと。
王子は庭園で待っていた。
「はじめまして」
柔らかく微笑んだ。
……普通だ。
顔も普通。
背も普通。
王子らしい威厳もない。
私は思わず言った。
「あなた、本当に王子?」
「よく言われます」
王子は少し困ったように笑った。
「申し訳ありません」
「……謝るの?」
「期待外れだったでしょう?」
私は腕を組んだ。
「ええ」
正直に言った。
王子は怒らなかった。
「そうですよね」
むしろ、うなずいた。
「私もそう思います」
「……は?」
「私は王子らしくない王子ですから」
あっさり言う。
私は呆れた。
「自覚あるのね」
「あります」
王子は言った。
「でも」
少しだけ真面目な顔になった。
「あなたがこの国で困ることは、絶対にないようにします」
「……」
「それだけは約束します」
風が吹いた。
王子の髪が少し乱れた。
私はなぜか、言葉を返せなかった。
結婚後。
王子は本当に、王子らしくなかった。
豪華なパーティーは苦手。
武術もそこそこ。
政治の場では静か。
だけど。
侍女が体調を崩せば薬を持って行く。
庭師の話をちゃんと聞く。
私が怒れば、黙ってお茶を淹れる。
「……なんなのよ」
ある日、私は言った。
「あなた、王子なのよ?」
「はい」
「もっと威張ったら?」
「姫が嫌がると思いまして」
「嫌がらないわよ」
「では威張ります」
そう言って。
「……姫」
「なに?」
「今日のおやつ、二つ食べてません?」
「……」
「侍女が困っていました」
私は思わず言った。
「それは威張るところじゃないでしょう!」
王子は笑った。
静かに。
優しく。
その笑顔を見たとき。
私は、少しだけ思ってしまった。
――この人となら。
悪くないかもしれない。
それが。
我儘な帝国の姫が、冴えない王子に少しずつ恋をしていく、最初の日だった。
◆◆◆
結婚して三日目。
私は早くも、この結婚が想像以上に退屈だと悟っていた。
王宮は静かすぎる。
舞踏会も少ない。
噂話も刺激がない。
帝国の宮廷はもっと騒がしかった。陰謀も、権力争いも、華やかな衣装も、全部が刺激的だった。
ここはまるで、昼寝の国だ。
「……つまらない」
私は窓辺で頬杖をついた。
そこへノックの音。
「姫、よろしいでしょうか」
例の王子だった。
「どうぞ」
入ってきた王子は、相変わらず地味な服装だった。
王子なのに、豪華さの欠片もない。
「散歩に行きませんか」
「散歩?」
「はい」
私は眉をひそめた。
「王子が姫を散歩に誘うの?」
「いけませんか?」
「もっとこう……舞踏会とか」
「姫は舞踏会がお好きですか」
「ええ」
「……では今度開きましょう」
王子は真顔で言った。
私は思わず笑った。
「“今度”って。そんな簡単に開けるものじゃないでしょう」
「そうですね」
王子はあっさりうなずいた。
「準備に二週間ほどかかります」
「……」
私は言葉を失った。
「開けるの?」
「姫が望むなら」
王子は当然のように言う。
「あなたのために王宮を使うのは、王子として当然です」
私は少しだけ、胸がくすぐったくなった。
でも、それを表に出すのは癪だった。
「……別にいいわ」
「そうですか」
「散歩でいい」
王子は微笑んだ。
城の裏庭は広かった。
花壇が並び、庭師が剪定をしている。
「姫様」
庭師が頭を下げた。
王子は気軽に声をかける。
「腰は大丈夫ですか」
「おかげさまで」
私は少し驚いた。
「知り合いなの?」
「ええ」
王子は言った。
「この城で働く人の顔は、だいたい覚えています」
「全部?」
「全部は無理ですね」
困ったように笑う。
「でも、覚えたいとは思っています」
私は黙った。
帝国の皇族は、使用人の名前なんて覚えない。
覚える必要がないからだ。
王子は花壇の前でしゃがんだ。
「この花、好きなんです」
「地味な花ね」
「はい」
王子は嬉しそうに言った。
「でも、長く咲くんです」
私はその横顔を見ていた。
派手じゃない。
英雄でもない。
誰かに自慢できるような王子でもない。
でも。
不思議と、そばにいると落ち着く。
そんな人だった。
「ねえ」
私は言った。
「はい」
「あなたって」
王子は顔を上げた。
優しい目だった。
「なんでそんなに優しいの?」
王子は少し考えてから答えた。
「優しくないと」
「?」
「姫が怒ると思いまして」
私は思わず笑った。
「なによそれ」
「怒りますよね」
「怒るわ」
「だからです」
王子は笑った。
静かな笑顔だった。
そのとき、私は気づいた。
この人は。
目立たないだけで。
きっと、とても――
いい人だ。
そしてその気づきが、私の心を少しずつ変えていくことになるなんて。
このときの私は、まだ知らなかった。
◆◆◆
結婚して一か月。
私は少しずつ、この国に慣れてきていた。
そして同時に、ある疑問も生まれていた。
「……あなた、本当に何もしてないの?」
夕食の席で、私は王子に聞いた。
「何も、とは?」
「政治よ」
私は腕を組んだ。
「あなた、会議にもあまり出ないし、武勇伝もないし、目立つこともない」
「はい」
「それなのに」
私は眉をひそめた。
「国はすごく安定してる」
税は軽い。
市場は活気がある。
民衆の顔も明るい。
偶然とは思えない。
王子は少し考えてから言った。
「見えない仕事はしています」
「例えば?」
「そうですね」
王子はお茶を一口飲んだ。
「先週、北の貴族が反乱を考えていました」
私はフォークを止めた。
「……は?」
「でも思い直したそうです」
「どうして?」
「手紙を書きました」
「それだけ?」
「それだけです」
私は呆れた。
「そんなわけないでしょう」
「ありますよ」
王子は穏やかに言った。
「相手が何を望んでいるか分かれば、戦う必要はありません」
私はじっと王子を見た。
相変わらず、地味な顔。
自慢げでもない。
「……あなた」
「はい」
「もしかして、すごい人?」
王子は困った顔をした。
「姫にそう思われるのは、少し恥ずかしいですね」
私は黙った。
その夜。
侍女に聞いてみた。
「ねえ」
「はい、姫様」
「この国って、誰が政治してるの?」
侍女は不思議そうに答えた。
「王子様ですが」
「……やっぱり?」
「とても有能なお方ですよ」
私は目を丸くした。
「有能?」
「はい」
侍女は当然のように言う。
「戦争を三回止めましたし」
「三回!?」
「税も王子様の改革です」
私は椅子に座り直した。
「……聞いてない」
「王子様はあまりお話にならないので」
その瞬間、私は少しムカついた。
翌日。
私は王子の執務室に突撃した。
「あなた!」
王子は書類から顔を上げた。
「姫、どうしました?」
「どうしましたじゃない!」
机を叩いた。
「なんで言わないの!」
「何をでしょう」
「あなたがすごい王子だってこと!」
王子はぽかんとした。
「姫にとって重要でしょうか」
「重要よ!」
私は言った。
「だって……」
言葉が詰まった。
王子は少し首を傾げた。
「姫?」
私は小さく言った。
「……自慢できるじゃない」
王子は一瞬驚いたあと、静かに笑った。
「姫」
「なによ」
「あなたが隣にいることが」
王子は言った。
「私の一番の自慢です」
私は顔が熱くなった。
「……ずるい」
「何がです?」
「そういうこと、さらっと言うところ!」
王子は少しだけ笑った。
そして優しく言った。
「姫」
「なに」
「あなたがこの国に来てくれて、本当に良かった」
その言葉は、まるで宝石みたいにまっすぐだった。
私は顔をそむけた。
でも心の中では、もうわかっていた。
この地味で、優しくて、実はとても有能な王子のことを。
私はもう――
かなり好きになっている。




