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「キャスター、氷室はベテラン、何故、俺が」

 「氷室さん、司会、引き受けてくれませんか」

 最初に声をかけられたとき、氷室は正直、戸惑いしかなかった。

 何故、今さら自分に?

 情報番組でもなく、映画のPR番組。そういうのは、若くて勢いのあるアナウンサーがやるものだ。

 華やかさも、テンポも求められる。50過ぎの、今や報道専門で地味な自分に何を求めるというのか。

 「出演者は役者と犬、インタビューは映画の内容だけなんです」

 監督も原作者も出ない? どこか奇妙だ。

 犬が出るなら、なおさら若いアナウンサーを起用して、 明るくまとめた方が番組的にも見栄えがいいはずだ。

 そう思って口を開きかけた瞬間、スタッフの表情がかすかに揺れた。

 「大型犬なんです。……若手のアナウンサーでは、無理じゃないかと」

 一瞬、言葉の意味が理解できなかった。

 「……大型犬?」

 思わず、反射的に聞き返すと、スタッフは頷いた。

 「タレント犬じゃないんです。家庭犬、それでも、今回どうしても強い要望があって」

 氷室は言葉を失った。

 テレビに出す犬がタレント犬じゃない。

 それだけでも異例だ。

 現場で何かあれば、生放送に近いPR番組では致命傷になりかねない。

 若手では対応できない? それは――「危険性がある」ということか?

 だが、それ以上に氷室の胸に重くのしかかったのは、自分がその情報を何も知らなかったという事実だった。

 ネットで話題になっている?

 映画制作に、犬が主演? そんな記事、まるで記憶にない。

 ニュースを見落としていたということか」

 その瞬間、氷室はキャスターとしての勘が鈍っていたことに、冷や汗が滲むのを感じた。

 「無理なら仕方ないです。……ただ――」

 スタッフの言い方に、何か言い足りないものを感じて、氷室は視線を向けた。

 「他局が取り合っているんです」

 その言葉に一瞬、耳を疑った。

 冗談だろう、返しかけて、だがスタッフの真剣な表情に言葉を飲み込んだ。

 「本当か?」

 スタッフは頷いた。即答だった。

 躊躇も迷いもない、その反応が何よりの証拠だった。

 「出るのは、役者と犬だけです」

 氷室は眉をひそめた。

 情報番組でもドキュメントでも、監督や作者が顔を出さないなど異例中の異例。

 しかも出演者は“犬”。

 奇をてらった企画にも思えたが――同時に、嫌な予感がした。

 「おかしくないか、それ」

 スタッフは苦笑したように小さく首を振った。

 「そんなことないですよ。監督も原作者も若手、ネットでは少し知られているかもしれませんが、TVには出たこともないんです」

 氷室は無言で天井を見上げた。

 若手――テレビ慣れしていない――顔を出さない――。

 どこかの事務所が仕掛けた話題作りではない。

 むしろ、“本物”にこだわっている可能性。

 ――だからこそ、他局が動いた。

 話題性ではなく価値を見抜いたということだ。

 大型犬で、タレント犬ではない――それだけでリスクだ。

 それでも、出すという選択をしたということは、何か確信がある。

 この作品には、簡単に測れない“核”があるのだ。


 氷室はゆっくりと息を吸い込んだ。

 胸の奥にあった違和感が、いつしか警鐘に変わっていた。

 自分が、この企画を見逃せば、取り返しのつかない損失になるかもしれない。


 氷室は自宅の書斎に戻ると、すぐにパソコンを立ち上げた。

 件の映画――何がそんなに注目されているのか、調べずにはいられなかった。

 原作者、水川、聞き覚えのない名だ。

 ネットで執筆を続け、熱心な読者層に支えられている。

 監督の佐川もだ、映像作家としての経歴は浅く、商業映画の実績もない。

 なのに、スポンサーがついた。しかも映画として制作が始まっている。

 氷室の眉が動いた。

 普通なら、映像化の話が持ち上がってから準備に数ヶ月、 資金の確保やキャスティングで揉めて時間がかかるのが常だ。

 それが――この企画は公式サイトが立ち上がって、ほんの数日で映画化が発表されていた。

 早すぎる。

 「妙だな」

 最初はネットドラマだという噂だった。

 低予算で、短編、配信で試してみる。

 そういう流れだと思われていた。

 だが、突然スポンサーが現れ、しかも名前は非公開。

出演者は舞台系の実力派ばかりで、犬はタレント犬ではなく家庭犬。

 王道が、ない。

 氷室はディスプレイに映る情報を何度もスクロールしながら、胸の奥に微かな焦りを感じていた。

 この映画は、何かが違う――そう直感で理解していた。

 「他局に持っていかれるかもしれません」

 あのときスタッフが口にした言葉が頭を離れない。

 他局も動いている。

 動く理由が、あるということだ。

 「取られるわけにはいかないな……」

 気づけば、口がそう呟いていた。

 バラエティでも、情報番組でもない。

 賭けになるかもしれない。

 だが、自分が動かなければ、

 この作品はきっと――「他局の手柄」になる。

 氷室の表情が静かに引き締まった。

 今こそ、五十路のキャスターとしての“勘”に賭けるときだ。

 番組の放送時間が、ついに公式サイトで発表された。

 夜の枠、しかも特番扱い。映画のプロモーションとは思えない注目度だ。

 

 画面に映る告知バナーを見ながら、遠藤は息を詰めた。

 まさか、本当にテレビ出演までこぎつけるとは――

 インタビューを断られたときの、あの曖昧な理由が思い返されてくる。


 「すみません、取材は一切お断りしています」

 あの時は意味がわからなかった。ただのこだわりか、あるいは演出かとすら思った。

 だが今は遮断されているのだと気づく。

 一歩も近づけない。

 遠藤は机に拳を落としそうになって、なんとか自制した。

 「テレビには出るのに、俺らの取材はNGかよ……」

 口にしても苛立ちは晴れない。

 山倉の言葉が脳裏をかすめた。

 「グレートデンは普通じゃない、何かあったら危ない。だから制限してるんだ」

 わかっている。わかっているが、それでも納得できない。


 何かが違う――そう思って追いかけていた。

 ただのネット配信だと思っていた企画が、気がつけばスポンサーがつき、映画になり、テレビにまで進出している。

 その中心にいるのは、素人同然の監督と原作者、そして 「家庭犬」とされる一頭のグレートデンだ。

 何がある。


遠藤は無意識に手帳を開いていた。


 夜の会議室に、微かな緊張が漂っていた。

 テレビ出演の決定を告げられて、丸川も神埼も黙って佐川と水川の言葉に耳を傾けていた。

 生放送、夜9時。

 その時間帯が「司会の氷室の希望」だと聞いた瞬間、神埼の口元がわずかに歪んだ。

 「厄介な相手だな。突っ込んでくるぞ」

 神埼の声は低く重かった。警戒がにじんでいた。

 「……ベテランですから」

 佐川がやんわりと返すが、その言葉にもどこか慎重さが混じる。

 「政治家相手にも容赦ない人です」

 水川も頷いた。

 「つまり、雪のプロフィール。飼い主や出自について聞いてくる可能性があるってことだな」

 丸川の表情が険しくなる。彼の経験からしても、メディアが一線を踏み越えるのは時間の問題だった。

 「ショーコさんとミサキさんは、どうです?」

 佐川の問いに、水川はわずかに視線を落としながら答えた。

 「気にしてないようでした。だけど」

 「――ちょっと、いいかしら」

 野々原の声が静寂を裂いた。

 一同が視線を向ける中、彼女は手元のスマホを軽く持ち上げた。

 「雑誌記者が気になるの。とくに、あの“遠藤”って人」

 水川が頷く。

 「インタビューは断ってます。全員に統一して」

だが、それで問題が終わるとは誰も思っていない。

 「……それが逆に火をつけたかもしれないな」

光石が低く呟いた。

 「断られたのにテレビには出る。納得できないのは当然だろう」

 その場に重い沈黙が落ちる。

 野々原の目が鋭く光った。

 「遠藤が来るかもしれない。あの人、しつこいわよ」

 神埼が静かに溜息をついた。

 「氷室も遠藤も、こっちの都合なんて気にしないさ。プロってのは、そういうものだ」


 不安が膨らんでいた。

 守りきれるのか――“雪”を。

 それとも、すでに晒される覚悟が試されているのかもしれない。

 情報を出すか出さないかの境界線は、すでに曖昧だった。


「記者のことだけど――任せてくれない?」

 不意に野々原が口を開いた。

 水川と佐川が視線を向けると、彼女は静かに頬杖をつき、窓の外の暗がりを見つめていた。

 「光石さん、手伝ってくれる?」

 光石は笑った。

 「……何か、面白い仕込みでも?」

 野々原の口元がかすかに歪んだ。

 「仕込みってほどじゃないけど……相手が何を探しているのか、嗅がせてみようと思って」

 「逆に泳がせるってことか?」

 野々原は頷いた。

 「本物の役者っていうのは、化けるものよ。中年女? 地味な記者? スタッフ? 通行人? 舞台の外にも舞台はあるのよ」

 その目がわずかに細められる。

 まるで仮面をかぶる瞬間を思案しているような、静かな緊張感が漂っていた。



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