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水川と佐川、動き始める

 ネット小説家・水川あかねの代表作が、ついに映像化される。

 その報せがファンの間を静かに、だが確実に駆け巡った。

 噂は以前からあった。

 「映像化されるなら、きっと、あの話だ」

 熱心な読者の間で、そんな声が何度も囁かれていた。

 『警察を辞めた男と、彼の愛犬との日々を描いた物語』

 水川が自分の父をモデルにしたと言われている一作。

 そして、物語のもうひとつの主役、龍、グレートデン。

 彼女の父の愛犬、実際に存在していた存在。

 しかし、モデルとなった犬はすでに亡くなっている。

 作品を愛するファンなら皆、知っている事実だった。

 では――この物語を、どうやって映像にするのか。

 

 当然のように議論は広がった。

 代役の犬を使うのか、それともCGなのか。

 監督を務めるのは、映像作家として名高い佐川。

 演出に定評はあるが、どこか実験的で、テクノロジー寄りの印象も拭えない。

 「ならば、龍はCGで再現されるのでは?」

 そんな懸念がファンの心をざわつかせた。

 だが同時に、こうも言われていた。

 「水川の作風で、CGなんてありえるのか?」

 彼女の作品世界は、細やかな温度と匂い、沈黙の深さを持っている。

 その彼女が、血の通わないデジタルの犬を、龍の代わりに据えるなどあり得るのか。

 ファンは揺れていた。期待と不安の狭間で。

 水川の物語を壊さずに映像化できるのか。

 映像という現実に、誰もが静かに、息を詰めて答えを待っていた。


 公式サイトを立ち上げたのは、深夜零時を少し回ったころだった。

 手探りでページを作り、ようやく公開ボタンを押したとき、水川と佐川はソファに身を沈めていた。

 安堵と、見えない未来に対する不安。

 どちらが先に口を開くでもなく、ただ静かに時間が流れていた。

 やがて、部屋の静寂を破るように、スマートフォンが震えた。


 表示された番号に見覚えはない。

 国際番号――日本ではない。

 佐川は一瞬、詐欺の電話かと疑った。

 だが、どこか直感が告げていた。これは、ただの電話ではない。

 恐る恐る応答ボタンを押した。

 返ってきたのは、聞き慣れない言語の早口の声。

 英語でも中国語でもない。佐川には意味がわからなかった。

 「I'm sorry, I don't speak…」

 そう言いかけた瞬間、相手が言葉を切り、誰かと代わった。

 「こんばんは。突然すみません。日本語で大丈夫です」

 落ち着いた声、年配の男性と思われる口調。

 「あなた方の映画制作の話を聞きました。資金の提供を申し出たい」

 佐川の身体が一瞬、固まった。

 「え…資金、ですか?」

 「驚かれたと思います。私の名は伏せますが、ミス・ショーコ――彼女の祖父の知人です。

 確認してもらって構いません」

 ショーコの祖父?

 あの、どこか掴みどころのないショーコの――。

 佐川は頭の中で、過去のやり取りを巻き戻すように記憶をたどった。

 「もし必要であれば、資金だけでなく、機材、撮影スタジオ、ロケ地の提供もできます」

 電話の向こうの声は、淡々としていながらも、どこか切実な温度を帯びていた。

 その声に嘘や軽薄さは微塵もなかった。

 一通のメールも、宣伝も打っていない。

 わずか数時間前に、やっと公開したばかりの公式サイト。

 それなのに――なぜ、この人物は知っている?

 なぜ、ここまでの支援を申し出てくる?

 佐川は言葉を失いながらも、礼を伝え、連絡先を確認し、電話を切った。

 深夜の静まり返った部屋の中、彼は震える手で水川に連絡を取った。

 この異常な出来事を、すぐにでも共有せずにはいられなかった。 

 ただ一つ、確信があった。

 この映画は、何かに導かれている――

 そんな気配を、佐川は初めて本気で感じていた。


電話は、一本だけでは終わらなかった。


「佐川さん、実は」

水川の声は静かだったが、その中に抑えきれない何かが滲んでいた。

「私のところにも、スポンサーになりたいという連絡がありました。海外からです」

 佐川の表情がこわばった。

 まさか――偶然にしては、出来すぎている。


 「ショーコさんの祖父、そしてミサキさんの知り合いだと名乗っていました。

 確認しても構わないとも。まるで、私たちが疑うことを見越していたかのように」

 佐川は思った、ショーコ、ミサキ、あの二人が動いたのだろうか。

 だが、水川はゆっくりと首を振った。

 「違うと思います。あの人たち、こんなに多くの関係者に声をかけるようなこと、しますか?」

 確かにと佐川は思った。

 「実は、条件を提示されました」

 水川は少し息を吐いて続けた。

 「スポンサーとして出資はする。だが、名前は出さないでほしい、と」

 佐川はその言葉に、まさに同じ言葉を聞いたことを思い出した。

 「……僕も、です」

 視線が交差する。

 「名前を出さないでほしい。出資はする。だが、公表は無用だと」

 佐川の声は少し震えていた。

 単なる偶然ではない。これは、何かの意志だ。

 「その人、こうも言いませんでしたか?」

 水川はゆっくりと、だが確かに言った。

 「“マドモアゼル、フロイラインが出る映画だから”と――」

 時間が止まったようだった。

 言葉の意味は、理解できる。

 だが、それが示すものが、信じられなかった。

 マドモアゼル。フロイライン。

 どちらもお嬢さんを意味する敬称。

 フランス語とドイツ語。

 それを、まるで当然のように口にした。

 「雪のことじゃないかと、思うんです」

 水川の声は震えてはいなかった。ただ静かだった。

 その言葉が、余計に現実味を帯びていた。

 佐川は何も言えなかった。

 

  佐川と水川にとって、突然舞い込んだスポンサーの話は、まさに青天の霹靂だった。

 映像作家として活動の場を模索してきた佐川。

 作家としての知名度はあるものの、映像化の経験もなく、周囲に太いツテもない水川。

 二人は小規模な配信を想定し、予算も設備も最低限でとち考えていた。

 だが、真夜中にかかってきた電話が、すべてを変えた。

 そして翌朝、水川の元にも、ほぼ同じ内容の連絡が届いた。

 不審に思いながらも、佐川と水川は雪の飼い主であるショーコとミサキに確認を取った。

 「祖父から連絡があったんです」

 ショーコは、どこかくすくすと笑いながら言った。

 「安心してください、怪しくなんかないです」

 ミサキも、何かを知っている様子で静かに頷いた。

 佐川と水川は顔を見合わせた。

 完全に想定外。だが、信頼できる人物からの仲介があるならと、二人は腹を括った。

 背中を押されたのは、ただ資金が下りるという現実だけではなかった。

 スポンサーは名を伏せ、表に出ることを拒んでいた。

 まるで、物語そのものに惹かれたかのように。

 「これは、ただの映像作品じゃない」

 佐川は呟いた。

 その瞬間、自分たちが関わろうとしているものの重みに、微かな震えを覚えた。

 映画制作に正式に踏み出す決断を下した二人は公式サイトにスポンサー決定の報をアップした。

 

 映画制作が本格的に始動した。

 公式サイトでは、スポンサー決定の報とともに、キャストの一部が静かに公表され始めた。

 だが、発表された名前を目にしたファンの間に、ざわめきが走った。


“誰?”

“無名じゃない?”

“主演じゃないの、この人?”

 有名俳優や話題のアイドル、テレビでよく見る若手俳優の名はどこにもなかった。

 名前を検索しても、映像作品の実績が、ほとんど出てこないのだ。

 SNSも開設していない、活動記録すら少ない者もいた。

 だが、気付いた者がいた。

 「この人、以前、地方のテント芝居で見たことある」

 「アングラ系の舞台で、殺陣がやたら上手かった女優が入ってる」

 「小劇団の旗揚げメンバーだったやつだ、たしか…」

 ファンの間で、徐々に断片が繋がっていく。

 名が売れていないだけで、全員が実力派。

 舞台で場数を踏み、観客と空気を読み合い、台詞一つに命を込めてきた役者たち。

 大手プロダクションの看板もなく、映像の世界では無名に近くとも、彼らの芝居には“現場”が刻まれていた。

 ファンは気付いた。

 この映画は「商品」ではない。

 「物語」を届けることが目的なのだと。

 一部の者は、その選択に震えた。

 本気だと。


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